脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


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 「親友づくり禁止の校則」

(ぬこぬこニュースより)

「親友づくり禁止の校則」

現在ロンドン南西部やサリー州など、いくつかの小学校でこうした校則が採用されているという。
その意図は、どの子どもも仲間外れにならないよう、できる限り「大人数のグループで遊んで欲しい」という教師たちの思いから、特定の友人だけと強く結び付かないようにするのが1つ。もう1つは、今後親友が別の道を進むようになる際、「別れの辛さを味わって欲しくない」と教師たちが考えているから 

とのこと。


まあ、色んな背景があるのかもしんないけど。
度の過ぎたイジメが元の、両親からのものすげー苦情とか、この「校則」という形でわざわざアピールしなければならなかった事態とか。

まあ、まあ色々あるのかもしれないし、これは問題の一部分でしかないのかもしれないけど。

でもこう言いたい。

ばかじゃねえの? 何ゆってんの?


そもそもこどもの人間関係が規則でコントロールできるもんでもないだろうし(もっとわかりやすい校則だって守られているか謎だし)、仮にそれが守られたとしても、子どもたちはいくらでも、隠れて仲いい子を作ったり、そうでない子をハブったりなんてできるわけだ。そもそもそんなのどうやって判断すんだ。余計な仕事に教師泣くぞ。

最も馬鹿げてると思うのは、「別れの辛さを味わってほしくない」という点だ。意味がわからない。

別れの辛さが味わえるって、それだけの人間関係、信頼関係が築けた証ってことでしょう? どうしてそれが駄目だなんて思うの?
別れの辛さがいやなひとは、親密な人をつくらなくなるかもしれない。作れなくなるかもしれない。けど、それがいいか悪いかなんて、大人が決めることなんかじゃない、本人が決めることなんだ。子どもをどんだけナメてんだ。
子供が何かを「知る」可能性をつぶすのは、大人がやっていいことじゃないと思う。

逆に、別れの辛さも味わえないような希薄な人間関係しか築けないほうが個人的には寂しいと思う。
何かの理由で別離することがあるとしよう、でもそれで終わりじゃない場合だってたくさんある。
一回の別離が関係の最後ではない、生きていく先で、またいつか会うときがあるかもしれないし、その後何らかの関係を続けていくかもしれない。
それが何? 親友が別の道を歩んだら、辛い別れにつながるってか?
ふざけんな。そんなんで壊れる人間関係とか思われるのも腹立つわ。


ウマが合わないやつもいれば合うやつもいる、すごく仲のいい子から、学ぶことなんてたくさんある。どこかで得た学びは、必ずどこかにつながっていく。
大人数での関係を築くのももちろん大事だ。
でもだからといって、クローズな関係を排除していい理由なんかにはならない。
大人数での大切さも同時に教えればいいだけの話、親友づくりを禁止するなんて、見当違いも甚だしいと思う。

だいたい、子どもは大きくなっていくにつれて、大人数で協働する大切さや、価値ある別離の経験、新たな人間関係のつくりかた、自分のだいじな人のつくりかた、自分の救い方、だれかの救い方、色んなものを勝手に学んでいくのだ。それこそ、学校が危惧していることや考えていることの枠なんてはるかに越えて、ちゃんと学んでいく。
だから、学校は本来の目的を見誤らないでほしいと思う。
余計なことなんかしなくても、大丈夫だと思うし、そこまで責任を負ったり頭を回さなくていいと思う。

規則で人間関係をどうにかしようとしてるところが、笑えるっていうか、見てて辛いわ。




2012年03月23日(金)
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