脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 心臓のなりたちの真実(妄想)

もともと心臓というのは、一つの風船、筒のようなもので、それがねじれてねじれて4つの心室・心房と、大血管につながるようにできていく。
だがそのねじれる段階で、ちょっと位置がずれてたりすると、動脈血と静脈血が混ざり合ったりして、身体の酸素が低くなって死にそうになることがある。
もしくは、本来肺に流れる血の量が、混ざり合うことにより増えすぎて、
死にそうなったりすることがある。
ほかにもいろいろ。


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(-まだ生まれる前の赤ちゃん 心臓の設計中-)

まじめ「このさぁ、角度が難しいんだよな。どうやったらうまいこと、この血管がねじれてこの心室につながってくれるかな」

ふまじめ「もうお前さっきからそればっかじゃねーか、ちょっとぐれぇズレててもよくね? この袋はきれいに出来てるんだからさぁ」

まじめ「ダメだよ!上からキツく、設計図どおりにねじらせろって言われてるんだから」

ふまじめ「ぶっちゃけこんなん1mmズレたところでさぁ、ついてるトコに大体血管とかがついてればよくね? 左と右の間にも、心臓のなかで仕切りがありゃいいんだろ?」

まじめ「バッカお前、仕切りに隙間や穴ができたらダメだからこんなに苦労してるんだろーが」

ふまじめ「じゃお前、設計どおりに作らなかったらどうなるんだよ」

まじめ「いや…、それは、よくわからないけど… だってそんな不良品わざわざ作ろうとして作ったことないし…」

ふまじめ「だからさ、なんとなく包み込むようにまるく心臓つくっときゃ大丈夫だろ。心臓の外側に穴があいてるわけじゃねーんだから」

まじめ「それじゃお前、ほかの臓器担当部署のやつらとかもそんなふうに作ってるってこと?」

ふまじめ「そうなんじゃね? 胃とか簡単そうじゃね? ただの袋みたいなもんだし」

まじめ「えー、でもあいつらも、胃も腸も食道も、口から肛門までつながってるから結局たいへんって言ってたぜ。セクションによって酸が強かったり菌が棲んでたりで、環境も違うし結構過酷だって愚痴言ってたもん」

ふまじめ「とにかくさ、作っちまえば皮膚や骨のやつらみたいに奇形がすぐわかるもんでもないし、何とかなるんじゃね?」

まじめ「もーお前黙れよ、今ホント大変なんだから……ああっ!!
ほらあーー!! 大動脈血管とかのつく位置ちょっと右にズレちゃったじゃんかあ!!」

ふまじめ「ほんとだね。ちょっとヨレちゃったね。なんか右と左の心臓の間にちょっと穴もあるけど、でも大体こんな形でしょ。大丈夫じゃね? 心臓の形にしちゃ95%はカンペキじゃね?」

まじめ「0か100なんだから、95%なんて全然カンペキじゃねぇよ!! どーすんだこれあぁあ…作り直しきかないのに…」

ふまじめ「イヤでもこれ案外さ、大丈夫だと思うけどなあ… もうだってこれ提出するしかないじゃん」

ふまじめが、スケジュール表を指差す。心臓製作工程の終わりは確実に間近であり、これが終わらないと次の工程に移れない。
基本的に出荷日を伸ばせないルールだし、もしかしたら顧客のニーズのために早めに出荷…もとい、出産させられるかもしれないのだ。

まじめは、うなだれた。もうこれで提出するしかなかった。



********

医師「ファロー四徴症ですね」

ねじれかたが変だったために、本来酸素の豊富な動脈血を全身に送る左心室だけにくっついていなければならなかった大動脈は、ふるくて酸素のない血が入っている右心室にまで寄ってくっついて、きれいな血もきたない血も全身に流れるようになってしまった。

更に、ねじれくっつき方がズレていたために、右心室と左心室の間の仕切りもズレてしまった。本来筋肉のうすい右心室には、筋肉が厚くてつよい左心室からたくさんすぎる血が流れてきて、右心室は大きくなるし左心室は小さいため、本来の動きがうまくできない。

勝手に寄ってくっついてしまっている大動脈に押されて、右心室から肺につながる肺動脈は狭くなってしまった。うまく成長できなかった肺動脈の中を、古い血も新しい血もきゅうきゅうに通って、でもあまり流れられない(+ふるい血も身体を流れる)ので全身は紫がかった酸素の低いかんじになってしまった。 

医師「今後、このせまい肺動脈が、お子さんが泣いたりするのを契機に一瞬ちぢこまってしまって、肺に血が流れなくなって発作を起こし致死的な結果をもたらす危険性があります。チアノーゼも強いですし…」

結局、手術になってしまった。


まじめ「やっぱり、だめだったじゃねーかー!!」




2010年04月27日(火)



 春の風

風が、もこもこした暖かさをもって吹いた。

芽吹きのにおいがたちのぼる。

今年も、春がやってきた。




あたたかくなると、途端に冬の寒さなど忘れてしまう。

かつての冬がどんなに寒かろうと、どれだけ自分が凍えていようと、
春のあたたかさは、冬のすべての寒さをリセットさせる力を持っている。

春に新しく生まれるものは冬の寒さを知らず、

ふたたび春を迎えるものは、ひととき、冬の寒さを忘れる。

けれどその寒さを知っているからこそ、全身であたたかさを、些細なあたたかさをいっぱいに体感しようとする。


寒さを忘れてあたたかさを憶え、

爽やかさを抜けて暑さを知り、

暑さに弱った頃に涼やかさにひといきをつき、

きたるべき寒さに覚悟をきめる。



あたりまえのように季節を越える強さよ、

かけがえなさよ。



2010年04月15日(木)



 2010年4月8日


今日は、久しぶりにすごく晴れてるよ。

まだまだ桜がきれいなんだ。ピンクのよく似合うAちゃんに、すごくふさわしい日だよ。








生まれたあと、急変にあって助かる見込みがない病気だと医師に診断されたときと。

わずかの望みをかけて成功した手術のあとに、起こった急変と。

急変のために、ほぼ脳死と診断されたときと。

脳死の状態から、さらに致死的な急変を迎えたときと。

その急変の状態の説明を受けて、生命維持の強力な薬剤を目の前で切ってもらおうと決断したときと。

亡くなった、ときと。

亡くなって、故郷ではないこの県で荼毘に付さねばならなくて、
その肉体とさよならしてお骨を持って帰らねばならないこのときと。


お母さんとお父さんは、いったい何度、Aちゃんとさよならしなければならなかったんだろうか。

お母さんとお父さんは、いったいどれだけの涙を流さなければいけなかったのだろうか。

お母さんとお父さんは、Aちゃんのぶんも、たくさんたくさん、泣いちゃったよ。
Aちゃんは泣かなくてすむぐらい、泣いちゃったかな。




***********

急変にかかわったスタッフとその部署の人たちは、
その急変が自分たちのトラウマになったとかで、
お母さんに詰られたり責められるのが辛い、とかで、
急変後うちの部署に脳死状態でおりてきたAちゃんに会いにこない人がほとんどだった。
亡くなったときのお見送りも。
そのひとたちは、自分達が否定されたことに対して過剰反応しているように見えた。

ニーチェに、こんな言葉がある。

『 多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。
 その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。
 つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。』

お母さんが自分たちにたいしてきっと憎悪を抱いている、
相対するのは後ろめたい、こわい、どうしよう、
と、そんな気持ちばかりが先行して、Aちゃんを、Aちゃん自身に起こっていることを、そしてお母さん自身を、誰も、見ていなかったように思う。



自分の子どもがさ、取り返しのつかないことになってしまったんだよ。

たとえそのときのスタッフの処置が適切でも、何も落ち度がなかったとしても、関わった人や関連の人、果ては医療者ぜんぶを親御さんがひどく詰ったって、それは仕方のないことだし、当たり前だよ。

もうそれは個人個人の気持ちの問題であって、お母さんに責められないようにとか、そんなの無理に決まってるんだ。

それと同じように、自分たちがその子に感じてる引け目やわだかまりも、こちらの気持ちの問題であって、それと職務を全うしないこととは別の話なんだと思うんだ。

どんなに会いづらくても、どんなに辛くても、私達はその子を看なければいけないんだ。
そりゃあ、その気持ちを否定できようもない。
けど、気持ちの問題で、同じところにとどまってはいけないんだ。

正直、親御さんはどんなにか辛いだろう?

それ以前に、その子自身は?  もう、泣けもしないんだよ。


自分の心を守るのだってもちろん大事だけど、それとこれとは話が別なんだよ。
もっと極端に言えば、そういった言葉を受ける覚悟もないならあの白いユニフォームを着て患者さんの前に立つ資格はないんじゃないかな。


********

心不全でしんどくって、水が欲しくってひーひー言ってる子。 

でも水分制限をしているから、水分をあげることができない。

教授の都合でなかなか手術してもらえない。状態はどんどん悪化する。

薬物治療も限界まできてる。

ラインがたくさんあって危ないから、暴れるその子に鎮静薬を飲ませて抑制帯をかけながら、先輩は「こんなひどいことして、ごめんな。 先生も私らも、みんな地獄に落ちるわ」と呟いていた。

「そうですね」と、私もぽつりと呟いた。


業が深いと思い暗い気持ちになる反面、
でも、と、生死のことについてふとした考えが頭をよぎる。


私達がどんなにがんばっても、助からないときは助からないし、

もうだめかと思っていても、回復してくる子は回復してくる。

結局のところ、人は、本当の意味で、人を生かすことにも死なすことにも関与できないのではないかと思う。

自分たちのせいで亡くなったとか、自分たちのおかげで生きながらえたとかいう考えは、どちらも根源は同じエゴのような気がする。

魂も肉体も、この世をまわりまわっている。その循環の傍らに、生きているものがうごめいているだけで、それはただの無機物のようなものなのではないか。

その循環を邪魔することなんて、なんぴとたりともできないのではないか。


罪深いと感じることすら、傲慢甚だしいのかもしれない。





2010年04月10日(土)



 魂のありか

ほぼ脳死状態のAちゃんの、血行動態が急に不安定になった。

昇圧剤を持続点滴していても、上の血圧が50ぐらいしかない。


ということもありモロモロの理由で、ベテランの先輩がその子をマンツーで看て、私はいつもより多い患者さんを受け持って準夜帯でリーダーをしていた。
しかも完全電子カルテに移行途中だから、細かく記録をしなければいけないこの部署での重症記録を紙媒体と電子カルテ媒体に完全に二重記録しなければいけない。
要するに、記録も二度手間でえらい時間がかかる。
私は正直要領が悪いので、頭の中は軽くパニックで自分が何をしてるかわからないくらい忙しかった。
この仕事って、経験の浅いスタッフは(いや、それのみならず)、目隠しで綱渡りしてるようなもんだなといつも思う。
下が何百メートルもあって、落ちたら即死の空に綱があるなんて知らずに、
無我夢中で綱渡りをしてるんだ。
落ちないからいいけど、落ちたらアウトなのにね。
どれだけアウトなのかよくわからないけど、とにかく危ない綱渡りをしてるんだっていうそわそわした感じはわかるんだ。


そんなわけで目の回るような夜勤を終えて、ようやくぼうっとしたのは、
ロッカーで着替えて地下から階段をのぼるころ。
青白い検査室の案内灯を見ながら、ぼうっとAちゃんに想いを馳せた。

ひとは亡くなるとき、4日前に魂が抜けるんだってどこかで聞いた。

脈は安定していて酸素の値も保たれていて(でも肺にたまった二酸化炭素はたぶんちゃんと外に出てない)、
ただ血圧だけが低い状態。ボスミンいってて上の血圧50台っていうアレだけど。

Aちゃんの魂は、いまどこにいるのかな。
まだAちゃんの中に、いるのかな。

夜中に駆けつけてきてくれたお母さんには、ちゃんと会えたかな。





看護師である友達の、学校かどこかで働いてる友達が、


「子どもたちが成長していくのを見るのはほんとに楽しい。

ねぇ、看護師って何が楽しくてやってるの?

やっぱ、人が死ぬのとかにも慣れるの?」


って、聞いたらしい。

それを聞いて、なんともいえない怒りを覚えた。


別に私達は見返りを求めて仕事してるんじゃない。

人が死ぬのに、慣れるとか慣れないとかってあるの?

毎回嘆き悲しんで、芝居がかったそぶりをするのが慣れないって事だとでも言いたいの?

…人の生死を、あんたは何だと思ってるの?




誰が本当につらいのか、何が本当につらいのか、
どう考えるべきなのか、どう行動するべきなのか、
何がほんとうに大事なのか、

よく感じて考えるべきだと思うけど。



私は未熟だから、まだわからないし結論なんて無いけど、
うまく説明できないけど、
そんな簡単に言い表せるものごとなんて、
考えれば考えるほど、無いと思う。



2010年04月07日(水)



 夢の棲む場所

「心の中に、夢をしまっておく場所を空けておけ」

マーティン・ルーサー・キングの言葉である。



その場所さえ空けていれば、
どんなに余裕がなくてしんどくても、
がんばれる気がする。


「その」状況が、私の10/10ではないのだと、
自分に言い聞かせるのだ。

たとえ架空のメモリでも、
空き容量があると思えば処理は進むものだ。
「余裕が無い」ことに囚われる余計な演算をしなくてすむからだ。


現実にのまれて流されそうな私を支える、
ある種虚実の心の空間。
そこに望みとか希望とか、救いとか、私自身とか、
そういったものを避難させて、
その虚実にたどりつくために、
この現実を乗り切るんだ。


できたってできなくたって、
どんな結果になったって、
やってやれないことはないんだ。


だいじょうぶだ。
かえるべきところを、心の中につくるから。




2010年04月06日(火)
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