脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 ホトケか偶像か

うちの職場に、ちょっと気になる子がいる。

簡単に言えば、「何を考えているかわからない子」だ。


何かを説明しても、その説明をオウム返しに返してきて、
本当に理解しているかわからない。
その子の言葉で、返してくれない。

何かを話したら、それをそのまま同調して、その子の意見や思いが見えない。


その子と同期のAちゃんに話を聞いても、

「あの子欲っていうのが無いんですよー、そもそも一緒に遊んだりもできてないんですけど、たとえば私や他の子が「あれかわいい! 欲しい!」って言ってても、「ふーん」「私は別に…」「いいよいいよ」みたいな。特に買ったりもしてないし…何が好きなのかもよくわからないんです」

前、職場のひとの誕生日をひそかに祝おう という企画をしていて、
その子の誕生日の前の日にAちゃんと私達先輩は打ち合わせをしてみた。
で、その子の好きなものとか、好みのものとか無いのか同期のAちゃんに聞いてみても、

「それが…、わからないんですよ…」

と、心底困った様子でAちゃんは答えた。


Aちゃんは別にその子を避けているわけでも、超ツンツンなキャラというわけでもない。とても社交性があるし、話しやすい子だ。
それなのに、そんな子が同期なのに、わからないとは…


のみならず、

Aちゃん「たとえば私達が、「先輩にこんなこと言われたー!」って愚痴言ったりしてても、そういう話をしてこないんです。何か理不尽なことを言われても、それについての不満を聞いたことが無いんです」

職場で、たとえば先輩の目を気にして思いを言わないことは判る。
でも、同期の子にすら愚痴…というか、感情の一つも漏らさないのかな?

Aちゃん「いやー私ダメです、色々愚痴ったりしちゃって…あの子ほんとに、仏ですよねぇ」

うーん。
果たして、ホトケか偶像か。

考え とか、思い とか、人間性 とか、人間くささ とか?
人となり とか、そういうのが見えにくい。


まだまだ観察がいるみたい。

*******

ってわけで、色々聞いてみた。

私「ねえねえ、Bちゃんの好きなたべものってなに?」
Bちゃん「好き嫌いとか、特にないんですよ」

私「好きな色は? なにいろの服着る?」
Bちゃん「特に…あ、緑、ですかね。 服は…特に色は…」

私「じゃあ、学生のときとか、ちょー仲良い子とかは?」
Bちゃん「なかいい? うーーーーーーん………、 …あっ、でも同じマンションの下に住んでる、いっこ下の子とは…一緒に鍋したり」
私「うーーん…カラオケとかは? 何歌う?」
Bちゃん「カラオケ、行かないですね」
私「じゃ、じゃあ、音楽とかって何聴く?」
Bちゃん「そんなに、聴かないですねぇ…」

が、 ガーーン

暖簾に腕押し みたいな、手ごたえのない会話にちょっと心が折れそう

わかったのは、緑色が最近ちょっと好きらしい ってことくらいだった
あとは特に好き嫌いがない ってことくらいだった


Bちゃんは終始困ったようにぎこちなく笑っていた。
ごめん、つかれさせちまったね。



2010年02月28日(日)



 2010年2月27日

つい昨日、いや、今日、亡くなった子の、夢を見た。

その子は、夢の中できれいな色をした、ちょっとずんぐりした、

珍しい種類の鳥になっていた。

鳥になっていたというか、夢の中では、その子はもともと鳥だった。



私はその鳥に、「鳥なのに、むりに人をさせてしまって、無理させてしまってごめんね」と泣いて謝っていた。

自発呼吸もままならず、たしかに言ってみれば、無理やり生かされていた。

鳥はなにも言わずに、鮮やかな色の羽をはためかせ、そのまま空に飛び立っていった。


ふと目を覚ましたら、涙があとからあとから流れていて、喉がきゅうと詰まって苦しい。



身体にラインがいくつもつながって、ろくに抱っこもできなかったね。

お父さんとお母さんと、スタッフがやっと抱っこできたのは、ラインが全部抜けて身奇麗にできてからだったね。

こんな形でおうちに帰りたくなかったね。

でも、こんな形でしか帰れなかったね。


長いこと引きとどめてごめんね。

やっと本当に、休めるね…



2010年02月27日(土)



 文の中で見つめる



自分の気持ちを持て余すとき、私は文章にしてみるという行為をちまちまと行ってきた。
文にしながら、自分の気持ちを見つめるもう一人の自分をそこに立たせる。
ただ、いつもいつもそれができるわけではなかった。


文字として残さなかった私の中のいろんなものは、
たとえその時どんなに苦しそうに溢れていても、
波にさらわれてしまった砂みたいに、
ほとんどがどこかへ潔く流されてしまっている。
わざわざ探し出して復元するのが困難なほどには、
流されてしまっている。

流されてしまったものなんて、
後になってみれば特に困らないのかもしれないけど、
ただ問題なのは、
その時の自分の気持ちとちゃんと向き合わずに流してしまったことが問題だったように思う。

たいして騒ぐ必要のないことでも、
いっときの感情で荒らされる事だってある。
でもそれは、ある程度落ち着いて向き合わなければ気付かない事だったりする。
本当に考えなければいけないことを、
本当に見つめなければいけないことを、
いっときの感情でたくさん見落としてしまうことがある。
そこには、考え直せるきっかけだってあるかもしれないのに、
見落としてしまったせいでいつまでも同じようなくすぶり方をしてしまうことがある。

忘れてはいけない、と自分に言い聞かせる。
よくよく考えなさい、と。
けれど、考えたって消えない色んな感情っていうのは、
考えるのも時にナンセンスだってことも、
忘れてはいけない、と。


2010年02月03日(水)



 罪深い でもなく

多分なんでもそうだろうと思うのだけど、
例えば何かの外科治療…手術をするとして、
成功する子もいれば成功とはいえない子もいる。
いったん成功しても、その後急変して植物状態、脳死に近い状態、になる子もいる。

ドクターたちは助かる見込みのある子は全力で助けるし色々するけど、
「とても助かりそうにない」「回復の見込みが無い」子や、
「これ以上(専門である)心臓手術をすることはできない」子には、
私達ナースの目から見て、だが、
「何かしてくれる」事が極端に少なくなる。忘れ去られてるんじゃないかと思うほどに、消極的なかかわりにシフトしていく。ように思う。
それが、些細なことに関しても。
特に変わらない対処のまま、入院期間だけが長くなっていって、受け入れ先すら探してくれない。


脳死に近い状態(子どもは、脳死と断定できないからこう表現するしかないそうだ)の子を持ったおかあさん。
とても壮絶な悲嘆反応ののちに、彼女のなかでその子は亡くなったものになってしまっていた。
面会にも、来れない。つらいから。

私達はその子を毎日看ている。
その子を看ているのは、ドクターでも誰でもなく、私達しかいないんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
うまく説明できないが、なんとも、遣る瀬無い気持ちになる。
誰がこの子をすくいとってやれるんだろうか。
できることには、限界がある。それは皆、そうなんだろう。
ドクターも、親御さんたちも、ナースも、…この子も。

回診のときだって、この子のところはドクターたちはあっという間に過ぎていく。まるで、話すことなどないと言わんばかりに。


こういったことを、道の端にある溝に落とし込むように、まるで無かったことみたいにされるのが、どうしようもない気持ちになる。
私は自分の立場でしかものが見えてないから、判らないことや誤解はたくさんあるだろう。けれど。


いろいろな意味で、罪深い、と思わざるを得ない。なにもかもが。
けれどもっと純粋なレベルで生死を考えるとするならば、
罪などないのかもしれない。
でもそこまで言及するならば、医療は邪魔かもしれない、とも思う。




2010年02月01日(月)
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