脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 同じドアをくぐれたら

今まで私は、
それまでの環境から脱することを、
それまで手にしていた(と思っていた)ものを手放すことを、
厭うことはなかった。
むしろ喜んで新しい環境に身を投じていっていたんだ。

それは、簡単に手放せるほどのものしか手にしていなかったということで





でも今はどうだ
私は今のこの瞬間を
今のこの生活を
終わらないでと願う私が居る
いつも一緒にいる友達も
一緒に遊んでるこの時間も
一緒に笑ってるこの時間も
一緒に文句たれてるこの時間も
三人で食べる晩御飯も
いつかは終わりがくるって判ってる
そして、おそらくこんな自分たち主体で楽しめるような時間がずっと続くような
この環境も

手放したくないけど
手放さないと前に進めなくて


手放したくなくても
その時期は確実に近づいてきてて

『もう 気づいたら 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラのときだけ』


きっと別々の病院に行ったら
そこでそれぞれの生活を送って
いつしか連絡をとることもなくなるのかもしれない

振り返らずに それぞれの前を見つめて

ときどき 思い出しては 消えてく記憶





同じドアをくぐれたらと 願っているけど






長い間 ここは居心地がよくて

いつの間にか 色々と拾いすぎたよ



でもこんな素敵なものに気づかないよりは

きっとずっとたしかによかった





^^^^^^^^^^^^^^^
幸せです

と いえる自分は確かに存在していて

たとえドアをくぐっても 私は私以外の何者にもならないだろう



2005年10月31日(月)



 

ぶつかっていこうとして
勢いつけて突進していっても
実は違うところで構えられていたなんて事になったら
ほら 崖から落ちて死んでしまうよ

2005年10月27日(木)



 昔の日記2

恥さらし 第二弾(単なる続き)


******
「頑張る。」


頑張ってるあなたは云う
何かを頑張ってみたら良いと
でも「頑張る」って
意識して出来る事じゃないよ
気がついたら頑張ってるんだよ
云われて初めて気付くんだよ
ああ頑張ってるんだなぁって
「頑張る」って「ひたすら」だよ
「がむしゃら」だよ
本当に頑張ってる人はその言葉に縛られやしないんだ

今だからわかる
私だって頑張ってた時があった
あの時はただ日々を忙しくこなしていた
持ってるパワーを常に最大出力にして
云われて初めて気がついた
私頑張ってたんだなぁって

「頑張る」って決して
「頑張る」ために頑張るんじゃなくて
それはただの強迫観念に過ぎなくて
ちっとも意味あるものじゃない

「気がついたら頑張ってた」
それが 多分本来の形。

******

下向いてるのが恥ずかしくてたまらない
けれど顔の上げ方が判らなかった
上げたって大して変わらない顔を
この圧倒的な沈みの気持ちの前で
どうして上げられる?

*******

私は簡単に今手にしているものを手放してしまえるんだな
新たな地を目前にすると、どうしてこうも簡単に吹っ切れるのだろう
みんなみんな自分を知る人もなく 
自分が知ってる人もなく
そんな環境を厭う事を知らない私は
変なのだろうか

今 周りにあるものと
これから周りにあるであろうもの
たいして違わないと思わないか

むしろ
50:50の状態から創り直せるのだから
その方が気が楽だとは思わないか

―(中略)―

「手放す」なんて云ったけどあれは間違いだったね
だって最初から何も持ってないのだもの
だからいとも簡単にそれまでの場所から
飛び立ってしまえるんだ

******
「ナチュラルな一人」

さみしかったのは
本当にさみしかったのは
人のぬくもりがまだ私の中に、リアルに残っている時だった
その感覚が薄まるにつれて
私もさみしくなくなって
それ自体がさみしいんじゃないかと思う時もあるけど
わからなくなってしまった以上 どうにもできない.
別に人って
いつも誰かに寄っかかってるわけじゃないし
たまに一人で立ってるときがあったって
おかしくないと思う
誰かが絶対傍に居なきゃいけないとか
いなきゃ絶対さみしいんだとか
そりゃ居たら楽しい事もあるだろうけど
いなくても「自分」が倒れる事はない
むしろ誰かがよりかかってきたくなるようなイキオイで。


(追加ツッコミ;笑えるほど意地っ張りな滑稽文章ですね 2005_10_12)
*****

どれひとつを取っても
私は自分の力で掴んでないんだ
私ひとりだけの力で掴んだものなんて
ひとつもないんだ
だから自信が全く無い
これが果たして自分の手で掴めるのかどうか。
すごく不安だ。

でもそろそろ
自分の力だけで掴んだと錯覚できるほどのことをしなければならない時だと思う

誰にも厄介になりはしない
誰にも口出しさせはしない
自分の面倒くらい自分でちゃんと見る



だから 何もいらないから

一人で走らせてください

*******

ああ、怖い。
何が怖いって、私の関心がなくなるのが怖い。
こんなにも私は精神的に深く接しようとしているのに、またそうしつつあるのに、ひどく中途半端なときに相手を放り出しそうな気がして怖い。
それによって相手が哀しく思ったり、寂しくさせてしまいそうなのが嫌だ。ほんとはそんなことしたくない。そんな想いさせたくない。
いつか冷めてしまうのが判ってるのに、そこまでの距離すら冷静に測っている自分がいるのに、イヤになるほど積極的に接しようとしてる自分が罪深い。
私よ、踏み込んではならない。
どうして私はこんなにも熱しやすく冷めやすいんだろう?
私よ、深く関わってはいけない。
残した爪跡はそのまま私の胸に突き刺さり、大きなしこりとなって残る。

なんて、子供なんだろう。
残酷さに苦悩をおこす。


(↑に何年か後、水色のペンで付け加えられていた言葉は
「大丈夫。相手も同じさ、きっと」
だった。それにしてもこの人は何か距離のとり方がおかしいみたいですよ 何事も考えすぎはよくない 2005_10_12)

*****
「熱血 根性 限界 破裂」
中学ん時のある年の運動会のスローガン
*****

ああ、今にも転びそうな心臓がつまづきながら走っている

(泣いている事が親にバレやしないかと脅えながら泣いていた時に書いた日記の一部分)

*****
(中学卒業時)
これから全国に散ってゆく私達は
会う、と約束はしても
もう二度と会えないかもしれない
同じ場所にいるわけではないから
簡単に会えない場合があると思う
特に学生の間は

でももし大人になって、ふとどこかで出会ったら
それは運命の再会であり、新しい出逢いなのだろう
*****



2005年10月12日(水)



 昔の日記1

もうこの「脳内世界」が消し去りたいほどどんどん恥ずかしい代物になっていく中、更に何年か前の昔の日記なんて載せようとしてる自分は軽くどうかしているが今に始まった事ではないので此処は敢えてスルーすることにする。


もう、正直に色々書きすぎだから
そろそろ本気で人格疑われそうな域


******
(中学時代の日記の冒頭部分)

「硯に向ひて、つれづれなるままに…
下手くそな文字を 綴り続ける

******
「一過性の」

時を隔てて冷めやるモノは 
本当に好きなものなのではなく、一過性の情熱に過ぎないのだろうか?
それを無理に持ち続けようとするのは
時間と労力の無駄に過ぎないのだろうか。

一過性の情熱というのはしばしば過去の栄光を伴う
もし過去を追い求める事を愚かな事だと云うのなら
既に消えているかもしれないその情熱を無理に確かめようとするのも又、愚かな事になるのだろうか

しかしそうなると
あの時は何より大切だと思っていたあの気持ちは一体、何だったというのだろう

それを否定したくなくて 又 同じ事を考える


*********
「絶対確信的不安定」

このパズルは間違っているか?
これは空ではなかったのか?
何故 一向に出来上がらない?
何故 はめればはめていくほど不明瞭なものになっていく?
何故「綿菓子だ」と言われて否定できない?

この積み木は間違っているか?
四角だけで積み上げるのがそんなにも不安定か?
何故今にも倒れそうなのだ?
何故次の積み方が判らない?
何故いくらも積んでいないのに次の積み木が見当たらない?

これ以上確かなものはないと思ってたのに
こんなにも不確かだったとは



―――私は何を見落としている?

*********
「意地っぱり」

渇きも 気付かなければ
渇いているとは思わない
無視をし通すと
やがて感じなくなるものだ
それはある意味 救われているようにも思えるが
渇きを知らぬと同時に潤いも知らぬという事なのだ
求められないという事なのだ

渇きを ずっと感じ続けていて
気も狂わんばかりに水をただひたすらに求めたとしても
一滴も 口に入らない事もある
そして
気が遠くなるほど その状態が続いていると
やがて求める気力も無くなってくる
斯くして渇きを感じなくなる
斯くして欲求は凍結される


あとは ただただ 凪が残るのみ

何をそんなに 否定する事があったのか

*******


2005年10月11日(火)



 

どいつもこいつもきっと、
知らない内に責任や出費が増えていくんだろうなぁ





21歳になりました






2005年10月09日(日)



 否定⇒希求

多くを望めば失望も大きいもので
その失望の衝撃を和らげようと
大きな希望を抱いていた対象を矮小化することで
失望、いや、その対象すら何ほどのものでもないと強がってみたところで
何が変わるわけでもない


表面で何者かが勝手に価値を貶めた所で
それは一人が吠えているに過ぎない
誰の言葉もきかぬ者に、一体誰が耳を貸すというのだろう?


否定の言葉に触れれば触れるほど
その存在の、対象への希求を感じる
じゃあ結局どう在れば本当に満足するのかと
本当にそれで満足するのかと
時に腹立たしくさえ思う


否定したからって、何が満たされるわけでもない

2005年10月07日(金)
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