脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 心の製本作業

何かの知識について知りたいとき
たとえば図書館を探せば、
たいていの答えは見つかるけれども
自分のことばっかりは
自分の本棚を漁ったってなかなか答えは見つからない
そりゃあまぁ製本されてないんだもんね、あるわけないさ

製本作業とは実に大変なもので
「これでいいか?」「いや、ちがう」「こうすると問題が」
と色々うるさく言う人がいて、
その人たちのチェックを通らないと本になってくれない
それは大変な根気を要するもので、
なかには五年以上かかっても出来上がってない本のもともあったりする
それは一体どうしてか?
本を作るために絶対必要な公式が、未だ出来上がってないからだ
その本のテーマとも云えるべきものを考える段階で、
未だ「あーだこーだ」云ってるからだ
中には姿を見せずに声だけ出して意見を言う奴もいる
はっきり姿を見せやがれと思うのに、
姿を見せない奴はどうしても見せたくないらしい
お前が茶々ばっかり入れるから、
結論がまとまんないんだっつの
でも、その茶々に皆はいちいち考えさせられる


ああ 本なんてもういいから、
せめてテーマだけでもちゃんと決めろよ
ほら、そこ、トランプとかして遊んでないでさ



2005年05月28日(土)



 この世を手放し、あの世を手放し、この世をつかむ






皆が降りたあとに、誰も悲しむ奴がいなくなってから、降りれたらいいのに

いっぺんに周りのもの全てをなくす方と
目の前のたったひとつをなくす方と

どちらがかなしいのだろうか



前者は、かなしみという範疇におさまるものなのだろうか




そういえば生まれるときだって、あの世のものを全て手放してこの世に来ているんだよね
それって、どんなきもちだろう?
魂は、どんな悲鳴をあげるんだろう


この世に生まれてきたときには、その悲鳴はすでにこの世のもので


見事なまでにあの世の片鱗を見せずに居る
ん?でももしかしたらあのしわはあの世の片鱗?
その顔や皮膚が持ち残している最初のしわに刻まれているのは、何だろう

2005年05月18日(水)



 ちいさな自尊心



「あのな、一つ言っておくけどな、お前は馬鹿なんだぞ。
頭いいわけじゃないんだぞ?」

わかってるもん。自分で自分のこと頭いいなんて思ってないもん。


何の冗談も混じってないその父の言葉に、
壮絶な悔しさと共にそう心の中で呟いた小学生のあのころ。
引き裂かれた小さな自尊心。

言われなくても判ってる!
だがかたくなな抵抗感が私を包む。


お前は何か勘違いしてるだろと言う父に、
自分の存在すらも否定されたような気持ちだった。
ちいさな私は、様々な注意の言葉と存在否定の言葉との区別がつかなかった。
どんな些細なマイナスの言葉も、あの人の言葉は私の中で存在否定の言葉に変換されてしまっていた。
いったい私は何処で、そんな余計な気持ちを知ってしまったんだか。


そのうち私は私の基準を私のみにあてるように心がけるようになった。
其処に居るのは私しか居ないのに、あえて客観的に見ようとしている私はおかしなことをしているかしら?
それとも甘えていると人に呆れられるかしら。
自分だけは自分を否定しないから、と自分に抱かれてる自分がいて、それを見てるもう一人の自分はナンセンスな事をと毒づいているが、その三人を見ている更にもう一人の自分はそのままで、といった目でほっとしたような顔をしている。



2005年05月16日(月)



 この世の不公平

「死んでまで不公平があっていいのかな」
って、その「不公平」ってこの世が決めた不公平であって、
もうあの世に行ってしまった人にはさらさら関係ない基準なんじゃないのかな。そういう意味で、死んでからは不公平がないんじゃないのか?
あの世の公平不公平の基準については、この世の私たちが知るところではないけれども。

2005年05月09日(月)
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