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■ 良性の腫瘍
が、あったそうだ。家の父の舌の血管に。 良性の血管腫瘍。 妹からのメールで父が手術したことを知って、いてもたってもいられなくなって実家に電話をした。
私は今まで気付かなかった。 他の人のそういう話を聞いて、自分の家族にもあることだと思ってたつもりでいて、判ってなかった。 無意識的に、家の家族にはそういうのは起こらないと思ってた。 何故かって、そのことを知った時ショックだったからだ。
もうひとつ気付いた事があった。 「良性は大丈夫で、悪性は危険」 なんて思ってた自分が如何に浅はかだったか、という事だ。 良性だろうが何だろうが、そういう事についてのショックや不安はあるに決まってるのだ。こういうものに相対的な価値観がいかに無力かなんて、言葉では判ってるつもりだった。その実態を頭にガツンとくらった感じがした。 もし自分が病院にいて、「でも良性だから大丈夫ですよ」なんていわれたってショックや不安は拭えないのだ。
お父さんから電話越しに色々聞いていて、色んなことが頭の中を駆け巡った。血管の腫瘍ってことは転移しやすいんじゃないか、いやでも良性だから転移の可能性は無いのか・・・でもまた再発したら?再発を繰り返したらそのたびに手術、そしたらお父さんは舌をどのくらい切除されてしまうんだろう。幸い今回はレーザーでよかったみたいだけど、再発を繰り返して手術を繰り返したら舌を切除する可能性だって出てくる。しかも再発は繰り返されるごとに悪性腫瘍発現に近づいていくんだ。あの人の中で「食べる事」っていうのは生きていく中で最も大切で楽しい事のうちのひとつじゃないか。舌を大部分切除することになって口腔から摂取するのが難しくなったら、それだけでお父さんの寿命は縮まりそうだ。もともとあの人は明るく振舞っているように見えてストレスを内に溜め込むダウナーな人種だし・・・そういえばそういう人が癌になりやすいんじゃなかったか。
厭な予感がする。 何か重いものを患って病院に来る人は、その前に何か軽いものにかかっているような気がするからだ。 これは何かの前兆のような気がしてならない。 これで終わりのような気がしない。
人は何かの理由で死ぬのは判ってる。判ってるけど・・・ ・・・判ってないんだろうなぁ、やっぱり私。
せめて私が働くまで、働けるようになるまで。 お願いします、神様。
2004年03月01日(月)
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