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■ 存在は「作られる」
「私が月を眺め、月がそこにあることを認識したときにのみ、月の存在は事実となる」コペンハーゲン解釈byボーア
「私が見る前は何も云えない、見えない」と量子力学は云うらしい。 不変の真理と信ずるものすらも、我々が意識して初めて存在すると云うのだ。 真理すらも、私達の意識に依っている。 これにアインシュタインは激しく反論する。 「真理は意識の外にあるはずだ」と。 私がそこにある椅子を意識しなくても、椅子は存在する。 自然は我々の思いに関係なく存在している。 真理は絶対の存在であらねばならぬ。と。 だがそれに、東インドの哲学者タゴールはこう答える。 「だが意識の外にあるはずの物質でも、誰かの意識に必ず存在している」。 我々が椅子と認識しているものでも、我々全てがそれを「椅子ではない」と認識するとそれはもう椅子ではない。 そして更にボーアは、我々が月を「見て」初めて、月が存在することが真実となる、というのだ。 「存在するから認識できる」 ではなくて 「認識するから存在できる」 のだという。 それはもう既に不変ではない。 そう考えると、この世界というか何というかは、実に不思議なもので成り立っている事になる。
とはいえ、私は全くのど素人なので恐ろしい勘違いをしているのかもしれないが。
2003年08月24日(日)
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