脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 believe yourself

そういえば私さ、気付いてなかったよ。


「自信」って
「自分を信じる」って
書くんだってコト。


今ならわかる。
彼女の云ってた、
「自分を信じて」って言葉が
どれだけ力強いものだったかって事。


2002年12月18日(水)



 御身御大切に

・・・ていうかね、「受験勉強にホントに命かけ」ちゃ駄目だよね。
(↑おまえは手間かけなさすぎや)
そんな尊い命をかけるホドの大学なのか?
今は企業だって雇ってる人間の身なんか省みちゃくれない時代だってのに、大学が如何ほど他人(学生)の身や将来を省みてくれマスカ。
そんなものに人格崩壊するほど精魂傾ける必要ないです。やめとけ。って思っておりマス・・・。
頑張るな、なんて云わんけどね。「その人」がコワれちゃったらイミないよね。
何のために頑張ってるのさ、ってカンジ。
もっと自分の身を大切にしてくれぃ。
つかむしろそんなに頑張れるんだったら上層部の腐ったあんまり将来性のない日本の大学なんか行かずにUSやUKとかの、海外の大学行きなはれ、と云いたいですな・・・。
実際使えるところなんてほんの一握りでしょう。あとはみんな十把一からげ。
「命かけるかどうかの価値」なんて本人が決めるものだし私がどうこう云うものでもないけどさ。
それが大学受験なんて、早すぎだと思わない?
むしろスタートすらきってないってのに。
スタートなんてほんとは何処できってもいいんだよ。ゴールまでにゃまだまだあるんだから。ゴールにたどりつく道はどんなのだっていいんだよ。って思うよ。
ただひとつ言える事はさ。
スタートダッシュが遅かったりかなり遠い場所からだったりしてもゴールに辿り着く可能性は絶対にあるけど、
走るアスリートが居なきゃゴールなんて絶対にない、って事だよね。
それから、自分の思っていた場所から列車に乗れたからって安心すんのもどうよ、ってカンジよ?レールに乗りさえすりゃ勝手にゴールがやってくるから必死にレールにしがみつくんだ、とか、そんなことするからヘボ私鉄に轢き殺されるんだって。(比喩が飛躍しすぎです)
適度に走り続けていたほうがドーパミンでて気持ちいいしね。あ、二つ言っちゃった。
でもさ、ほんとどこに重きを置くか、よく考えなきゃ。


・・・・・・なーんて、エラそうなこと言っておきながらセンターでボーダー取れずに落ちたりしてね(汗)あわわわわ。シャレにならんな・・・。
なんだかんだいっても「努力もせずに落ちた?馬鹿じゃないの、あったりマエ(皮肉笑い)」とか思われるようなのが一番カッコ悪いやね(汗)

・・・一応ね、私もヘタレなりにやってはいるんですよ。
いるんですけどね、「自分」コワす気は無いし、世の同年代の人達にも、コワしてほしくないな、って思って。
・・・せっかくこれからなのにさ、人生台無しになってほしくないな、って思って。
・・やっぱ厭じゃない。そういうのはさ。
せっかくの若い命なんだ、散らすなよ。

2002年12月15日(日)



 両親へ。

もしさ。私が近くの国立大受かったとしてさ。
大丈夫なワケ?
300万以上の出費がこれからそっちは必要になるだろうってのに、
4年間も大学通わせられるワケ?
厭だよ、私は。
もし受かったとしてさ。通ってる間中さ。
お金の要るごとに国立大でさえ目くじら立てたり愚痴ったりするんならさ。
国立目指せとか云うな?
別に看護婦は専門(看護学校)行ったってなれるんだからさ。
ずっとずっと、ヘタしたら200万くらい浮いちゃうような安いトコ知ってるからさ。私そっちにした方がいいんちゃうの?
お願いだから受かった後に後悔させるような真似だけはしないでよね。

「もし将来他の職につきたいと思った時四大出の方が」
とかさ。
「専門は3年だから相当ハードだろうし就職口とのつながりが狭い」
とかさ。
判るけどさ。
もう、優先順位の問題じゃん?余裕無いんだったら。
とりあえず私は看護婦になってちゃんと働くようになって、自立することが目的で。
お父さんたちは本当に日本経済が崩壊して物価が○百倍以上に高騰した時や、年金もらえなくなったときに路頭に迷って野垂れ死なない為に畑付きの土地と家買って最低限の食料を自給できるようにするのが目的なんデショ?
だってもうこの国ちょっと信じられないもんね。不気味なくらい静かに、崩れていくのが判る。ただ「在る」だけの国家になりつつある。
どっちも死活問題で、どっちも外せなくて。
でもそれ以上する余裕ないんだったら、切り捨てるしかないじゃない。
最低限のものをくれれば、あとは私の問題だよ。頑張るから。
だから、私に構わずしようとしてることを完遂してクダサイ。
私だって、今まで頑張ってきたお父さん達が惨めに死んでいくのを見るのは厭だからさ。

2002年12月10日(火)



 この身ひとつがあれば

「私」というこの身ひとつがあれば。
何も失うものなんか無い。
何を惜しむ必要も無い。

私が私であるために必要だと思っていたモノたちが
突然私の周りから無くなる事になったって
私が私でいられなくなる事なんか無い。
絶対に無い。
だって始まりはいつも「私」しかいなかった。

私を支えていると思っているモノが
無くなったとしても
私がここにいる限り
私は何かを見つけられる
これは決して終わりじゃない
悲観すべき事なんかじゃない
私は何も失わない


「私」というこの身ひとつがあれば。
何も失うものなんか無い。

2002年12月02日(月)



 弱さ

精神病だったりする人を、「自分が弱かったからそんなことになったんだろ」

切り捨てるお父さん。
でも、コトはそんなに簡単じゃあないと思うよ。
ねえ お父さん。
もし私が同じように精神病になっても、同じことを私に言うのかな。
人って、強くなくちゃいけないのかな。
弱かったら駄目なのかな。
私は
弱くなってもいいと思う。いつも強くいることなんて、実際無理だ。
強いときも弱いときも、バランスよくあるのがいい。
「強さ」なんて、持続する必要性が上がれば上がるほど危険で脆くなるものだ。
軟らかい棒と硬い棒、最後に折れるのは硬い棒。
一回壊れたっていい。
折れたっていい。
崩れたっていい。
フニャフニャになったっていい。壊れても再生するから、人はモノと違うんだ。
そういう過程を踏んで初めて、人はまた強くなれるんだ。
「強さ」は「弱さ」を内包している。
「弱さ」を知らない「強さ」なんてない。それは単なる虚勢でしかない。
弱さを責めてはいけない。否定してはいけない。
同時に存在してこそ。

2002年12月01日(日)
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