空のむこうにみえたもの
美空:misora



 やっぱりCHEMISTRYが好き

冬が近づくと無性にケミの曲を聴きたくなります。

絶妙なハモリとメロディー。

BGMにピッタリなバラードも多くてとても好き。

ちなみに私の現在通勤時のBGMになってます。




さて、話は変わって・・・

今年もついにやって参りました!!!

YOSAKOIさせぼ祭り☆

痛い足をおして、観に行きますよ〜☆

お手伝いは出来ないけど、審査会場に噛り付きで

他のチームの演舞もしっかりと観てこようと思います。

私、来年は踊れるかしら・・・??

と言うか、最近バドミントンやってない。

膝の筋肉がねぇ〜、ど〜も、芳しくないからねぇ。

もうこれはオペの痛みじゃないものね。

両下肢の痛さの具合が違うってのがポイントです。

完全に、筋肉バランスの悪さからくる疲労痛だろうね。

右は筋肉が上手く使えていないことによる筋力不足。

左は右をかばって頑張り過ぎていることによる筋肉疲労。

この分じゃまだまだスポーツは無理みたいです。

トホホ・・・。




それから、学生Iの保護者との面談が本日終了しました。

率直な感想は“とても珍しいタイプの親御さん”です。

人の話しを聞く時は、相手の目を見て聞いてください。

俯いたまま無反応で聞かれても、伝わってるのかどうか

わかりませんから。(空、心の声)

多分、私が同じ態度で話しを聞けば、Iの保護者は

大激怒するんでしょうねぇ。(爆)

親の顔色を伺いながらオドオドしていた学生I。

子が親に気をつかってどうする???

ん〜〜〜ん。

だから感情を表に出さない、いいや、出せない子になる

んですねぇ。

どうしたものか。




あ!!話しが反れた。

ま、いっか。(^^)

じゃ、オヤスミなさい。

2009年10月21日(水)



 あら今日は

母上様のお誕生日ではありませんか。

日記の日付を見て気が付くとは・・・

そうとう参ってるな、私。



母上様、お誕生日おめでとうございます。

これからも元気で、長生きしてください。

2009年10月20日(火)



 Spiritlessness

もぉすぐ午前2時です

夜更かしが続いていてシンドイ日々

眠ろうとは思うんですけどねぇ・・・

首も重い感じがするし

横になるときっとすぐに眠れるはずなんだけど

こういうのを無気力って言うんですかね

日々の疲れが蓄積されるだけで

スッキリしない



何なんだかなぁ・・・



『無気力』

2009年10月19日(月)



 掴みたい何か

最近、これから先の人生について考える時があります。

このまま何も変わらず日々過ごしていくのかな〜と。

多分ねぇ、遠くの知り合いが今週末に結婚するから、

それが引き金になっていると思うわけです。

勿論心から祝福してますよ☆

一日も早く幸せになって欲しいと心底思ってましたから。

言い方は悪いかもしれないけれど、やっと一つ、

肩の荷が下りたような・・・そんな気分なんです。

だからからなぁ?

自分のことを考える余裕が出てきたというか。。。

何かを掴んでみたくなったのかもしれません。

それは、誰かの手かもしれません。

それは、誰かの心かもしれません。

もしかしたら、紙切れに縛られたくなったのかも。

でも何かが違う気がする。

ん・・・。

同じ場所に立って、

同じモノを見て、

流れていく時間を共有して、

二人で肩を並べて居たい。




無条件に信じられる人の傍に居たいのかもしれません。

きっと、真っ直ぐな心を持ち続けたいのでしょう。

苦しいんです。

信頼していた人を信じきれない。

人を疑ってしまう自分と向き合うのが、とても苦しい。

2009年10月09日(金)



 ねぇ、大丈夫??

こんばんは、そらです。
今夜はつれづれに。


何だかこのところみんなオツカレモードみたいです。
そういう時期なのかなと思いもしましたが、
こんな時期はさっさと過ぎてもらいたい。
だいたい、頬があんなにこけるほど何があったのやら。
「痩せてないよ!」とか言ってましたが、
目もますます窪んじゃってねぇ・・・
顔色も悪くて頬の辺りは暗色でしたよ。

私のは多分後期が始まったからだと思う。
来月受ける検定の対策授業の準備が半端ないから。
頑張るけど、頑張りすぎるとまたダウンしそう。
来年の予定も未定だし。
そういうのが精神的にジワジワきてる気もする。
興味がある方へは関わりたいけど関われず、
その反面、外野がうるさくて集中できないしさ。


まー、ボチボチやるだけなんですけど、
性格上ボチボチってやつが案外苦手。苦笑

というか、ゆっくり話す時間が欲しいなぁ。

2009年10月05日(月)



 人間、失格。

今日、太宰治の『人間失格』を読み終えました。

しかも、検診で受診していた整形外科の待合室で。w



結構本は読むのですが、純文学というものに触れたのは

今回が初めてでした。

中学の頃からタイトルだけは知っていた「人間失格」。

到底読む気にはなれなかった一冊。

まず、タイトルが読むことを拒ませていましたね。

マイナスイメージしか持てないタイトルでしたから。

この年になって、やっとそんなマイナスイメージな本を

手に取ろうと思ったきっかけは、集英社文庫がやって

いた夏の一冊「ナツイチ」のおかげですかね。

ブックカバーが小畑健さんが書かれた挿絵になっていて

“これは読まなくては!!!”と心底思いました。

(この時一緒に夏目漱石の「こころ」も購入)



感想は、『中学の時にこれを読まなくて良かった。』

というのが正直な感想です。

多分、読んでも意味があまりわからず、特に何かを考える

でもなく、「読んだ」という事実だけが残ったことでしょう。

この年になって読むことであれこれ考えながら読むことが

出来たのですから、やはりタイミングだったのでしょうね。

一番印象に残っている一文がコレ↓です。

(以下引用文)

いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。
いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。
一瞬間といえども、狂った事はないんです。
けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそういう
ものだそうです。
つまり、この病院にいれられた者は気違い、
いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
 神に問う。無抵抗は罪なりや?
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も
抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れてこられて、
狂人という事になりました。
いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、
癈人という刻印を額に打たれることでしょう。
 人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。

(引用終了)

とてもショックでした。

文中には“脳病院”という呼び名で主人公が静養する

場所が登場してきます。

“脳病院”に入った人は狂人とみなされ“人間失格”の烙印を

押されるらしいのです。

ボーダーライン。

それが、明治・大正・昭和、そして現代へと受け継がれてきた

日本の文化なのかもしれません。

これは人間の悪い習性だと私は思います。

奇しくも、1909年、太宰治が誕生した年に、青森を含む

5県にハンセン病(当時:ライ病)患者の隔離施設として

公立療養所が設立されたわけですが、太宰治もそのような

時代に生を受け、生き抜いたわけです。

世の中は、こういった“自分達とは違う”何かに対して過剰に

反応するように方向づけられていき、ボーダーラインを引く

ことで安心してきた感がありますが、この人間失格の中にも

色濃くその風潮が見え隠れしているように、私は思います。

巻末に書かれてある解説文や鑑賞文を読むと、もちろん

私のような解説や感想はなく、父・子・女・死などの文学

としての要素についてのみ触れてあります。

(ま、勿論、文庫の解説や感想などに私のような意見を
 書いても出版社が差替えを依頼してくるのでしょうけど。)

ボーダーラインの向こう側に居るということは、人間では

なくなることだと書いた太宰治。

私には、この「人間失格」が世の中の不条理を書いたように

見えてしまう。

じゃ、一体どうあれば“人間”なのでしょう。

見た目ですか。

言葉ですか。

それとも個体構造(例えばDNAとか)で判別しますか。



もし仮に、この本を中学の時に読んでいたら、私はもっと

違う人格の人になっていたかもしれません。

ボーダーラインを引くことに何の疑問も抱かず、感じない、

“人間”になっていたかもしれません。

初めての純文学がこれでよかったのかどうなのか、今でも

よく判りませんが、次に控えるは夏目漱石の「こころ」です。

この「こころ」もブックカバーに惹かれて読んでみることに

したというのは言うまでもありませんが、はてさて・・・

どうなることやら。

また何か、他の人とは違う感想を書いてバカにされそうな

気がしてならない空なのでした。(苦笑)

2009年10月01日(木)
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