空のむこうにみえたもの
美空あいり



 DOUTOR

久しぶりに、本当に久しぶりにドトールに来てみました。
初めて見たネーミングの“本日のコーヒー”を注文してみたら案外口に合ってビックリ。(笑)
やはり基本的に苦目が好みのようです。

うん、なかなか美味しい☆



ちなみに、今、店内には単独で来店したと思われる女性が6名しか居ません。
ある意味安全だけど、この時間でこの少なさはどうなのかしら・・・?(苦笑)

2008年05月29日(木)



 つれづれ

今日は検定の監督でした。

夏から週2回の夜間講座(半年コース)が始まります。
受講生が現れたら忙しくなりそうです。苦笑
宣伝(宣伝)はどうするのかしら?

現在雨はやんでいます。
明日は晴れるといいけれど。

久しぶりにストレッチをやったら腹筋が筋肉痛です。爆
継続しなくちゃダメなのね。


アイタイ。

2008年05月24日(土)



 足跡

20000HITの件ですが・・・
案の定踏んでしまったのは自身でした。


先ずはお知らせまで。

2008年05月23日(金)



 20000HIT

もうすぐ20000HITです。
凄いなと自分でも驚きです。

どなたが20000HITを踏むのでしょうか。
よかったらお知らせください。

案外、自分だったりして。。。爆

2008年05月22日(木)



 カウンセリングを仕事にする

今期2回目の講座は久富先生とおっしゃる先生の講義でした。
この先生のお話は聴いていてとても興味深いし、面白いのでとても好きです。
今日も「問題」と「言葉」についてのお話で、問題を問題と定義してしまうことによる人間関係の歪みと、とある固定観念が生み出す偏見と弊害について、身近な例を元に講義してくださいました。

1つ目。
一個人の意見は、本質を理解する上での一側面であるということを忘れないようにしなくてはならないと、先生は何度もおっしゃっていました。
“何か”が発生した場合に、Aの意見も、Bの意見も、Cの意見も、それらは全て“何か”を知る上で重要な要素ではあるが、それが唯一の真実ではないので、真に“何か”を理解しようと思うならば、自分の感性と言葉を使って“何か”を心底知ろうとすることが大切である。と。

2つ目。
ここにでてくる「言葉」は、人によって認識も違うし理解度も違うので、全ての人が同じ尺度で「言葉」を理解していると思ってはいけないともおっしゃっていました。
この「言葉」については私自身にも同じような経験とその上での認識があるので、皆が同じように認識しているとは思っていないのですが、希望的観測から同じように理解していてほしいと思うことは時としてあります。

3つ目。
解決策を見出しアドバイスすのではなく、出来ている時と出来ていない時の差を本人が少しでもいいから認識していくことが、本人の心を軽くするのだともおっしゃっていました。
相談をされると、ついつい解決策をアドバイスしがちになるが、それが度重なると相談者の自立を抑制するばかりか依存をも引き起こす原因になる。なので、アドバイスをするのではなく、本来本人が持っている力を引き出せるように共に考え、小さな変化に周りが気づき励ますことで本人が出来ることを認識し、心の力を蓄えていければ良い。のだそうです。

カウンセリングを行う上で、これら3つが全てというわけではありませんが、これらを理解し応用することは、コンサルタントするにせよ、カウンセリングするにせよとても意味のあることだと思いました。


技法(技術)が全てというわけではありませんが、その技法を知り理解した上で行うカウンセリングが、「仕事」と呼ばれるのだろうなと思いつつ帰路についた空でした。

2008年05月21日(水)



 そこは遠すぎるから

朝から雷が鳴っていましたね。
おかげで、仕事する気が微妙に失せました。
ま、それは言い訳でしょうが。。。w

今日は『社会的地位』の話をしながら帰りました。
ウィキペディアによれば、

社会的地位(しゃかいてきちい)とは、社会の中に確立された、人々の名誉や威信を伴う位置。近代社会では、職業が地位の主な規定要因と考えられている。職業は、収入や生活水準や学歴や人間関係、日頃の生活などの情報も含む総合的な地位の指標だからである。

とのこと。
また、同じくウィキペディアにある『地位の非一貫性』の説明の中では、

地位の非一貫性とは、各種の社会的資源の保有量が、すべて多いわけではなく、収入が高くても学歴は低いなど、一貫しない状況のこと。あるいは、個人の社会的位置が、社会的地位に対して、正と負の両方の影響を持つことである。例えば、教師とは、肯定的な社会的イメージ(尊敬、威信 respect, prestige) を持つので地位の上昇につながるが、収入は少なく地位の低下につながる。地位の非一貫性とは、個人が複数の地位にある状況ともいえる。これは社会学における重要な研究テーマの1つである。

とも書かれています。
このところ釈然としない日々が続いていたのですが、この説明書きを読んで何となく気が晴れたと言うか、私が感じていたジレンマのようなものが薄らいだように思います。

雨が降ったらいつもこんなこと(答えが何処にあるのかわかりにくいようなこと)を考えています。
雨が降ったことによる憂鬱がなせる業なのか、それとも単なる気まぐれなのか、それは私自身にもよくわからないけれど、他人に言わせると、こんなことを考えるのは“時間の無駄”らしいです。


『無駄』かぁ。
私は『無駄』なことをしている時間が多いのかな。。。
不要なこと(私にとっては重要なこと)を考えては「答えが見つからない」と思い煩い、それを誰かに話せば『無駄な時間』だと言われ、先がないかもしれない事(私は、先があってほしいと切に願っている)を続けるにあたっては『無駄なことはやめなさい』と言わてしまう。

別に私のことを理解してほしいとか言ってるわけじゃないんです。
このコは変わったコだなと思われても、それはそれで構いはしないんです。
私は私だし、これ以上にもこれ以下にもなりえませんから。
ただ、時々振り返ってほしいんです。
今はどの辺に居るのかなと。
もしかしたら元居た場所から知らぬ間に明後日の方向へ移動してしまっているかもしれません。
そうしたら、ちゃんと呼び戻してほしいんです。
「そこは遠すぎるからこっちにおいで」と。
そうしたら多分私は何の疑問を抱くこともなく戻ってきます。
(ま、呼ばれた相手にもよりますけどね。。。)


こんなだから危なっかしいと言われるのかしら。

2008年05月19日(月)



 ダルイ・・・

今日は一日中ダルかった。
頭痛がするし、食欲もない。
何も食べないわけにはいかないので、夜9時頃にお味噌汁(夕食の余り)をお椀に一杯だけ食べたけど、吐き気がして逆に辛かった。
夜11時に最後の気力を振り絞ってお風呂にだけは入った。
スッキリはしたけど、疲れは更に増した気がする。

疲れた・・・



2008年05月18日(日)



 蛙の子はカエル

このところヒシヒシと感じていたこと。
『蛙の子はカエル』であるということ。
鰤(出世魚)のように成長とともに変わっていくわけではない。
(ちなみに九州では、ワカナゴ→ヤズ→ハマチ→メジロ→ブリ→オオウオ、と変化する)

良くも悪くも、セレブの傍にはセレブ、庶民の傍には庶民が集まる。
これはまぎれもない事実だ。

これが“超えられない壁”というやつだろうか。

2008年05月14日(水)



 選択の余地

職場の方向性が確定しました。
自分で選んだわけではなく、周りが敷いたレールの上を歩くのです。
もう後戻りは出来ません。
どのように変化していくのでしょうか。
結果は後からついてくるので、それは誰にもわかりません。
ただ言える事は、目の前のことを一つ一つ処理しない限り先は見えてこないということです。

明日も日は昇ります。
今日と同じように。

2008年05月13日(火)



 無駄な時間

非現実的であったり
不可能なことからは
時間の無駄だから
さっさと手を引いた方が良い
『でも』や『もしかしたら』はあり得ない



そう言われて、朝から結構凹んだ。

2008年05月12日(月)



 膝の様子

もう5月なのに、北部では雪が降っているそうな。
この頃は気温の変化が激しくて、昨日はもの凄く暖かくて半そでのシャツでよかったかと思えば、今日はうって変わって長袖のシャツでも肌寒いくらいでしたね。
こんな感じだから体調を崩すんですよね。
ってわけで、相変わらず右膝が痛いというわけなのです。
あ、右肩は使っていないので痛みはなくなりました。
腕を回してみたところ、不思議な音(痛かった頃から聞こえていた音)はまだありましたから、完治したわけではなくて痛みがひいただけなんでしょうけどね。

この膝、市販のグルコサミンとコンドロイチンを購入して飲んでみることにしました。
サプリに頼るなどとは、ひどく歳をとったような気分ですが背に腹はかえられません。
と言うか、しばらく飲まなくちゃいけないのでしょうねぇ。。。
定期的に薬を飲むのが非常に苦手な私ですから、きっと飲み忘れが出るのでしょうし、目安は30日分でもきっと40日ぐらいかかって飲むんだと思います。苦笑

寒くて膝が痛くなったのか、それとも日頃の歩行(仕事柄立っている時間が多い)が負担なのか、1キロ増えた体重のせいなのか、どこに原因があるのかわかりませんが、全てが誘引となって痛みがひかないのでしょう。
ガソリン代も上がったので通勤を公共機関に切り替えようかと思っても、膝の調子がこんな風だと、立ちっぱなしの通勤は更なる負担を呼びそうでなかなか思い切れません。

バドはダメ。
踊りもダメ。
階段はおろか普段の歩行も注意が必要。
正座なんて論外。
ん〜〜〜、ストレスがたまる。

2008年05月10日(土)



 繋いだ手と手

二十歳の頃から一つだけ変わらないものがある。
それは希望であり夢でもある。

何歳になっても手を繋いで歩きたい。

たったそれだけのことなんだけど、案外これが一番難しいことなのかと思ったりしている。
若ければ恋人と手を繋いで歩くことは平気であろう。
でも年を重ねるごとにその行為は少なくなっていくように思う。
実際、40代や50代の夫婦が、繁華街を手を繋いで歩いている光景はほぼ見かけない。
これが老夫婦ともなればなおのことだ。

寝室を分ける夫婦が多いと聞く。
無論、基本的にお風呂は別々に済ませるのだろうが、食事を別々の時間に済ませる夫婦も増えていると聞く。
私に言わせれば、これらの行為はお互いの距離を測るバロメータのようなもので、これらを別々にしようと思い始めた時から心が離れだすのではないだろうかと思う。
大喧嘩をしても寝室を分けてはいけないと思うし、出来ることなら基本的には同じベットで眠った方が良い。
食事だって、たとえ嗜好が合わなかったとしても、同じ時間に会話を交えながら摂った方が良い。
何ならお風呂だって、何歳になっても一緒に入る時間はもうけても良いと思う。
そういう行為の積み重ねから信頼関係が出来あがっていくのではないだろうか。


人前で手を繋いで歩く。
それは私の老後(は、まだ随分先の話ではあるけれど)の楽しみの一つだし、それを実現可能にしてくれる人と一緒に居たい。
(絶対に手なんか繋いで歩かないぞ!!と言われてしまえば、この先、その人と一緒に居ることはないのだろう。)
老夫婦が手を繋いで歩道を歩いている光景はとても微笑ましく、私もあの光景(空間)に溶け込みたいと思う。

繋いだ手から伝わる思いやりを忘れたくはない。

2008年05月06日(火)



 −残響−

今日は、長崎で開催されていた福山雅治さんの写真展−残響−を観るべく、遠路遥々片道3時間もの長旅をしてまいりました。
とても盛況で、次々と人が目の前を歩いて横切っていくので、ゆっくり観ることは出来ませんでした。

正直、運転はとても疲れました。
なかなかテリオ(新車)に慣れなくて、長崎は路面電車が走ってることもあり、神経を使って運転したからかもしれません。
最後の方は眠たくて眠たくてウトウトしかかったので、すっきり目が覚めそうなガムをほおばりつつ帰りました。
(一応無事帰り着きましたよ)

毎年終戦の日になるとTVで式典の模様が流れてますが、その場所を見てみたくなり、せっかくココまで来たわけだしということで、平和公園にも立ち寄ってきました。
意外と観光のお客さんが多くてビックリしました。

と言うか、今日の目的地は本来なら博物館だったんですよ。
でも何故か美術館へと変更になってしまいました。
ま、その変更は別に構わないんですけどね。
変更になったおかげで−残響−を観れたわけですし、ついでに“医学史展覧会”なるものが開催中で、それも観ることができましたしね。
私的には、副産物のような医学史展覧会の方を観れたことの方が嬉しかったです。

この展覧会、正しくは「第108回日本外科学会定期学術集会特別企画展示“医学史展覧会”」というもので、シーボルトが持ち込んだ医療器具や当時の資料、その他にもメイン会場では“長崎から現代医学への系譜”という副題の元に、各分野の医療用機材(検査用・オペ用)を年代ごとに展示してあったり等して、興味深く見学することが出来ました。
HONDAのASIMOくんがステージイベントを行っていたようなのですが、時間の関係で会えなかったのは残念でした〜。

ん〜〜。
ガソリン代が上がったので、この連休は地元で大人しくしておこうと思っていたのに、なんやかんやとひっぱり出されています。
明日はお天気が下り坂らしいので、部屋でジッとして勉強でもしたい気分なのですが、多分そうは問屋が卸さないのでしょう・・・泣

ついでに、このニ・三日、目が非常に痛いです。
またドライアイが進行したのかも。
目薬もらいに行かなくちゃ。

2008年05月04日(日)



 ありきたりですが

ガソリンが値上がりしましたね。
と言うか、元に戻ったと言うか・・・。

私のテリオ(♂の様ですが・・・)はリッター10しか走らない、軽自動車にしては燃費のよくない車です。
ま、それはさておき・・・こうもガソリン代が高騰すると、通勤をバスにしようかと考えなくてはならなくなります。
一分一秒を競わなくちゃいけなくなるバス通勤。
朝の余裕を奪われるのかと思うと迷うわぁ・・・。


2008年05月01日(木)
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