99745..チェリー
地震とか、大雨とか。
2007年07月17日(火)
昨日の地震…。。。
新潟には、お友達が2人暮らしてるのですが、1人とは連絡が取れないまま…。
お家の電話は繋がらないし、携帯は持ってない子なので…。
避難所暮らしになってるのかな…。
3年前の、中越地震の時は、後日に、必ず連絡をくれたので、待とうと思います。
こんな時に、何もできなくて、歯がゆいですが…。。。


話は変わりますが…、最近、在宅医療スタッフと接するのが、心労を感じるというか…。
スタッフ側に、何か嫌なことされたとか、言われたとかは、ないんです。
でも、何だか、あの救急車事件以来、関係がしっくりこなくなってしまいました…。

詳しいことを書くと、長くなるし…、愚痴になってしまうから…、書きませんが…(あと、書くのが、大変というのもありますが…汗)。

どうも…私についての印象が、在宅医療スタッフに、誤解を与えてしまったようで…。
言葉の端々に、そういう意味合いが、聞こえてしまう…。
あくまでも、私の受け取り方に問題があるのかもしんない…。
相手は、何気なく話してる言葉に、一々、気にし過ぎなのかなぁ…?

そういうわけで、在宅医療スタッフとの、コミュニケーションの取り方に悩んでて、何だか、気が重くなり…。
(実際に、訪問診療や訪問看護の後は、気持ちがズトーンと、落ちます…。)

医療スタッフなんだから、一番、きちんと自分の体の病状を、伝えないといけない人達なのに、ありのままを言えない…。
症状を、きちんと正直に、伝えられません。
もっとひどくなった時に、「いつもしんどいとばかり言ってる人だから…。」とか、誤解されて、対処してくれなくなったら困るので、よほど悪い症状にならないと言わない、言えない…。
医療スタッフの前では、無理しても、作り笑顔を作ってしまう。
(ほんとは、心は、かなり辛くて、泣いてる。)

そして、医療スタッフからは、「いつも元気そうで、どこも体の苦痛や、精神的な悩みはない人だ。」と、誤解されてしまう。
「チェリーさんは、歩けないだけだしね。」と、言われたことある…。

陰では、辛い症状も抱えてるし、眠れない日も多い…。
それなりに、悩みもあるんだけどな…。
特に、体の症状については、在宅スタッフには、理解してもらいたい。
だけど、医療スタッフは、何日かに1時間しか滞在しないし、私の性格や生活がわかってるわけないし、わかって!とも、私は、言えないんです…。

医療スタッフとしては、我が家での、滞在時間内で、私や家族の会話や、これまで、医療スタッフと、積み重ねてきたコミュニケーションから、「チェリーさんは、○○な人だ。」と、印象付けられるわけで。
だから、その医療スタッフが、私という人について抱いてる、固定観念というものと、私のほんとの思いとの間の、ズレというものに、私は、「そうじゃないのに〜〜〜。」と、どんどん悩んでるような気がして。
これ以上、そのズレが大きくなるのが、怖いから、頭で考えれば、どう話したらいいのか?わかんなくなってきて…、素直に言葉にできなくて、自分を出さないようにして、ほんとをどんどん見せられない…みたいな?

それが、症状とか、病状に繋がることだから、医療スタッフに伝わった方がいいのにな…という思いがあるから、よりしんどい。
精神的な理解は、私は、医療スタッフには始めから求めてないのだけど…。
(今の環境では、医療スタッフ側にも、時間がないだろし、そもそも、私の人生について、他人である医療スタッフに、悩みに関わらせるのも、私にとっては、負担に感じてしまう。ほっといてくれ!とも思ってしまう…。いわゆる、甘え下手なんやけどねぇ…。)

そもそも、私は、誤診の経験があり、医療者からの散々な言葉に傷付けられたので、元々から医療には、全信頼してないから、心まで理解してもらおうとは思わない…。
きちんと診断治療してくれれば、OK!と思う。
まぁ、きちんとした診断と治療というのが、望んでも難しい現実がある…。
医学に、絶対や、100%はなく、まして、難病だから。

言葉が、キツくなってしまったけど…。
何か、私って、結局は、同じ悩みにたどり着いてるような…。

甘え下手。
弱みは見せない。
我慢強い。
他者に頼らない。
そういう表面から、誤解を生んでしまいやすい。
誤解を解けるように、話し合う努力とリスクは、踏まない。

医療者が、例えば、私についての、固定観念(誤解)を抱いてるとして、それを解くには、リスクと向き合わないといけない。
医療者が、チェリーさんはこんな人だと思ってる(形)を、私が、「そうじゃなくて、こうなんです!」と、違った形を伝えるには、「そんなことあるわけないでしょ?こう見えるから、こうなはずよ。」と言われたら、私が話す、私についての真実はいったい何なの?と、思ってしまう…。
人からの印象が正しくて、私のほんとの気持ちは、きちんと伝わりもしないのか…と凹

まぁ、簡単に言うと、人にわかってもらうのは、大変なことだし、「わかってもらわなくていいよ。」と思って生きてるわけなんだけど(医療者にね)、それが、病状になると、理解してもらいたいとは…、患者としては切実に願うものだし…。
だって、きちんと病状が伝わり、正しくこちらの症状を、理解してもらえないと、治療に支障が出るもん…。

医療も、しょせんは、人間関係で、そういうの、苦手な私は、同じ悩みをグルグルしてるんだなぁ…。

あと、どうして、私って、誤解されやすいんだろ?
自分でも、わかんない…。
自分の何か、どこか、話し方や、性格に、原因があるのかな…(たぶん、そうだ…。)。

「えーーーなんで、言葉の意味を、そう受け取ったん?」

と、日本語が通じてない時がある…。

あと、「痛そうに見えない。」とか、よく言われる…。。。

お母さんは、しょせんは、全てなんか、他人に伝わりようがないんだから、誤解だと思っても、とりあえず、反論はするな。
医療者は、プライドが高いから、患者が、「そうじゃない。」と訴えたら、よけいに理解してもらえにくくなる…と、言うんやけどね。。。
確かに、私の話を聞いてもらえなくて、医療者の話を聞く時間の方が長いというのはある…。

誤解されても、とりあえず、聞き流せばいいんだろか…?
でも、「大して痛そうに見えないけど…。」とか言われたら?
ほんとは、私は、すごい痛いのに…。
痛く見えない程度なんだから…と、我慢しないといけないんだろか?

あと、やはり、医療スタッフは、健康な人達なんだなぁ、と思った。
あくまでも、仕事なんだなって。
まぁ、現実は、そうなんだけど、あまりシビアには、そういうの、感じたことなかった。

今回の地震で、うちの母が、「在宅医療してると、台風でも地震でも、訪問休めないですねぇ。」と言ったのだが(どんな状況下でも、待ってる在宅患者がいるという意味)…。
訪問看護師さんは、「小学校みたいに、台風だから、お休みとかなれば、うれしいんですけどぉ。」と…。

在宅患者は、頼れる医療スタッフは、訪問看護師さんや、在宅スタッフしかいないわけだけど。
たぶん、毎日、訪問を待ってる患者さんも、多いんだろうけど…。
訪問看護師さんにとっては、単なる業務(仕事)であって。
私達が(在宅患者)、在宅スタッフに頼ってる(医療や精神面)部分と、訪問看護師さんは、仕事であるだけという部分とで、かなり距離があるなぁ…と感じた。

ぶっちゃけ、私は、台風や地震の中、動けない体で、助けてもらえるとも、助けてもらいたいとも、傲慢なことは感じてないが…。
だって、歩ける人だって、災害下では、弱者になるわけで…。

だけど、地震に怖がる気持ちとか、ちょっとは、心配してくれてるかなぁ…とも思ったりもするけど。
この人達は、仕事が終わったら、医療から離れて暮らせる人達なんだなって。
(これは、入院中も、白衣を脱いで、帰宅する看護師さん見て、感じてたけど…。)

地震で、歩ける人達に、先に逃げられたとしても、私は、人を憎む人間にはなれないし、なりたくないと思う。
だから、医療者とか患者とか、健康とか病気とか、健常とか障害とか、日常から、分けたくないけど…。
分けないわけにはいかない時も、あるのかもしれない。

何か、「同じような年やのに、この差は、何なんだろか…。」と、よく訪問看護師さんを見て、思う…。
痛みとか、ありのままが伝わらない悔しさより、痛みさえなかったら…とか、何で、この人には痛みは感じてないのに…!!!!!!と思ってしまう。
私が今ある苦痛を持ってない人で、理解してくれない人と比べてしまう…。

今、お世話になってる、医療スタッフは、みんないい人ばかりなんよ。
だから、余計に、誤解されても、訂正しにくかったり(まっいーか、とか)、それが、積もり積もってきたんかな…。

とにかく、何で、私にも、辛いことあるのに、何でもないよ〜と、平気なふりしないとならないわけ?

と思って、苦しい…。

病気に負けるわけではない。
だけど、チェリーさんは、乗り越えられて、当然!みたいに、思われたくない。
乗り越えられる人とか、何も苦労してないとか、思われたくない。

あーーー人に何かを求める生き方は、ナンセンスやと、日頃から思って生きてるのにーーー。
幸せは、自分のチカラでしか、掴めないと思い込んで、これまで、生きてきたのに…。


結局、精神論になっちゃったね。
女性的脳視点で、論理と、感情を、ごちゃまぜに書いてしまった、今日の日記でした。。。


すみません…ペコリ。。。

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