三楽の仕事日記
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2009年03月22日(日) |
「まじめの崩壊」を読む |
「まじめの崩壊」(和田秀樹著、ちくま新書)を読む。著者は、メランコ型人間は、進んで努力をし、失敗したら自分を責めるタイプで、シゾフレ型人間は、おもに周囲に合わせて広く浅くの人間関係を築き、失敗しても運が悪かったと簡単にあきらめるタイプであると定義して、マスコミの影響でシゾフル型人間が減ってきたことを「まじめな日本人」が減少した第一の理由として挙げている。
昔の日本は教育熱心な国でしたが、当時から競争教育や受験競争には批判が多々ありました。メランコ人間に競争や強制を勧めると確かにヒートアップするので、その弊害が心配されます。しかし、いまはシゾフル人間多数派の時代です。競争や強制がなければまわりのふまじめに合わせる人が増えるだけですから、このような批判は少なくともいまは当てはまるようには思えません。 ふまじめが当たり前になっている今は、むしろそのことが批判されてしかるべきです。「まじめ批判」ならむ「ふまじめ批判」をすべきで、そうでなければ日本の社会はどんどんおかしな方向に進んでしまいます。
昭和の終わり頃に「生徒会長や級長として認められるタイプが変わってきましたよね」と先輩教師と会話したことを思い出す。和田風に言えば、「まじめな生徒=メランコ人間」から「ふまじめな生徒=シゾフレ人間」の方へタイプが変化した時代であったような気がする。市内ではいくつかの中学校が荒れていて、教師でもなかなか抑えきれない生徒がいたが、そんな傍若無人な生徒にもきっちりと物が言える生徒会長や学級役員が認められ活躍をしていた。そういう生徒がいたのも、周りに「メランコ人間」が多く存在していたからこそ。いつしかこのタイプの生徒は減り、仲間の悪戯に対して堂々と注意できる生徒が影を潜め、生徒間からリーダー候補として名前が上がるタイプが変化していった時代が昭和の終わり頃。本を読みながら、荒れた中学校勤務時代にいた何人かのリーダーを思い出す。
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