2008年10月26日(日) |
081026_古典と品格 |
昨日の大琳派展に関してもう一つ。
展示されていた作品の中には、大物のふすま絵や屏風などが目立ったのですが、小物としては扇子や団扇、掛け軸に色紙など多彩な品々が並んでいました。
絵のテーマは、日本の豊かな四季折々の草花や風景、動物などが多いのですが、それ以外にはやはり古典の一節を絵で表現するというものが目立ちました。
伊勢物語や平家物語、新古今和歌集や三十六歌仙、漢詩にまでその範囲は広がっています。
昨日の記事で、こういう芸術をもった子孫の末裔であることが誇らしい、と書いた私です。しかし同じような文化財産であるところの古典に触れていないということも改めて恥ずかしく思いました。
伊勢物語のワンシーンを描いたもの、と解説が付いているから良いものの、絵を見て「ああ、この場面ね」と思うことも出来ないとは。
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現代は書物が次から次へと出版されて、追いついたり本当によいものを見つけるのに苦労するのですが、古典は増えるわけがなく数は限られています。そして本当に良いものが古典とされているわけですから、質の低いものであるわけがありません。
落語や古典の中にすでに、古典の知識があるからこそ理解で生きるユーモアや諧謔の表現もあったりします。
また流れるような筆の文字が読めないのも悔しさのタネの一つ。和歌が書かれていても、読むことも出来なくてこれまた情けなくなりました。
こんなことは、現代を生きる上ではほとんど必要のない技能なのですが、敢えてそれを身につけることこそが「品のある生き方」なのでしょう。
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ある男性の先輩から言われたことは「博物館や美術館は作品も良いけれど、来ている女性を眺めるのもこれまた面白いんだよ」ということでした。
「え?どういうことです?」と訊き返すと、「彼氏連れで来る女性の中にはミーハーな人もいるんだけど、そういうところへ一人とか二人連れで来る女性の中には、本当に品のある女性がいるものさ。そういう女性の品格をさりげなく見るというのも実に目の肥やしになるんだよ」
決してストーカー的な男の視線ではなく、品の良さとはどういうことか、ということに触れられるのもこういう場ならではです。実は男性陣も女性からそういう目で見られているのかも知れませんが。
この日も確かに男女とも品のある方が大勢いらっしゃいました、はい。
【ロダン作 カレーの市民】国立西洋美術館前にて
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