| 2008年10月12日(日) |
081012_「小江戸」 川越見物 |
今日もうちの奥さんと町見物。今日は足をぐんと伸ばして、埼玉県の川越まで行ってきました。
川越市は人口約33万人の都市で、戦国時代は東北と関東のせめぎ合いの要衝であり、江戸時代は川越藩の城下町として舟運による貿易で栄え小江戸とも呼ばれた文化あふれる町です。
特に数回にわたる大火の後で、蔵作りの建物を建てることで火事に強い街並みを形成し、それが現代には江戸時代の名残を今にとどめる伝統的景観の街並みの残る観光都市としても光を放っています。
今日は電車の往復切符と市内の循環バス乗り放題がセットになったお得なチケットを購入して、市内の観光資源をぐるりと巡る贅沢なツアーを試みたものです。
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市内の循環バスはボンネット型と最新の箱形があるのですが、我々が乗ったのは昔懐かしいボンネットタイプでした。

このバス、乗る前は「お〜、かっこいい!」と思ったのですが、いざ乗ってみると乗車定員は少ないわ、窓の高さが低いので立っていると外の景色が見られなかったりとあまり乗っていても愉快ではない感じ。まあレトロな風景の演出としては絵になりますがね。
さて、まずは中院、喜多院などと由緒あるお寺を回りました。このあたりは天台宗の古いお寺が多く、歴史を感じさせる風情です。

そしてその後で行った、今日の私のお目当ては三芳野神社です。
ここは「とおりゃんせとおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ…」で知られる童歌「とおりゃんせ」の歌詞が生まれたところと言われていると知って興味津々だったのです。

実際に言ってみると、なんの変哲もないお社で、近くには川越城本丸御殿がありこちらの方が観光客にははるかに人気の施設となっています。
しかし実はこの、川越城本丸の近くにある、ということが「とおりゃんせ」の歌詞のポイントなのです。
…と言うのは、この三芳野神社は江戸時代川越城本丸の敷地の中にあって、川越城の天神曲輪(てんじんくるわ)にあったことから、「お城の天神様」と呼ばれたのだそう。
しかもお城の中にあったことから、一般の参詣者には時間を区切っての参拝しか認められず、それも南大手門を始め、お城の門をいくつもくぐり、警護の見張りににらまれながらの参拝だったのだとか。
帰るときも密偵と疑われて調べられることもあり、「行きは良い良い帰りは恐い…」に繋がったという説もあるそう。
最初の歌詞で、「ちょっと通してくだしゃんせ、【御用のないもの】通しゃせぬ…」の【 】の中は【手形のないもの】通しゃせぬだったという話もあるようで、普通の神社へお詣りするのとはだいぶ訳が違ったようです。
お詣りの後に行った川越博物館には江戸時代の街並みの模型があって、三芳野神社のところはほんとうに川越城の城内にあることが見て取れました。

短調の悲しげな調べと恐ろしげな歌詞の雰囲気が伝わって来そうです。
またこのことから境内の中には「わらべうた発祥の碑」が建てられていました。これは言ったもの勝ちということでしょうか。また一つ勉強になりました。
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人気の観光スポット、菓子屋横丁や蔵通りは今日もたくさんの人手で賑わっていました。
関東三大祭りとして知られる氷川神社による川越祭は来週の土・日ですからもっとたくさんの人で賑わうことでしょう。
こちらの祭の山車は四輪の牛車タイプで、今や江戸では廃れてしまった昔ながらのお囃子と共に江戸時代の文化を今に残しており、文化的にも貴重なものと言えます。
文化のある町が上手にそれを景観やまちづくり、商売に活かしている素晴らしい事例の小江戸川越。
日帰りではちょっと物足りないかも知れませんね。 【写真は「時の鐘」】
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