掛川奮闘記

2008年10月03日(金) 081003_ベネズエラ大使館に招かれる

 今日は南アメリカ大陸のベネズエラ共和国(人口約2500万人)の大使館に招待されました。

 

 ベネズエラ駐日大使は石川成幸(いしかわせいこう)さんという日系二世の方で、まだ35歳の若さです。35歳で一国の全権大使とは!

 今日ベネズエラ大使館に招かれたのは、毎年6月に参加している伊豆天城での富士会議がご縁です。

 実はこちらの石川大使もその会議に招待をされていて、今年の6月に参加をする予定だったのですが直前になって仕事の関係でキャンセルをすることになってしまいました。その埋め合わせというわけでもありませんが、ご縁ができかけた人たちとベネズエラの距離を埋めたい、というのが今日の趣旨でした。

 【大使は左の方です】
 

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 ベネズエラ大使館は、港区の閑静な住宅街の一角にあるマンションの一室。富士会議からは十数人が集まって、ワインを始め地元のお酒に囲まれた立食パーティです。 

 

 石川大使はご両親が日本人と言うこともあって、家庭の中ではもっぱら日本語で会話をされていたので日本語はぺらぺら。でももちろん母国の公用語のスペイン語の方が得意です。

 石川大使は現地の大学を出た後ハーバード大学へ留学し、その後母国で外務省の輸出促進企画に参画し、やがて2001年からは3年ほど商務担当官として駐日大使館で勤務をされたのでした。

 2004年に日本を離れスペイン大使館に異動になったときに、空港でチャベス大統領を迎えたことが転機だったのだとか。

 ご本人は「チャベス大統領はものすごく頭の良い方で、一度会ったことのある人のことは絶対忘れないのです。大統領には日本で一度お会いしたことがあるのですが、それがスペインで空港へお出迎えに行った際に声をかけられて、『おや、君は今ここで何をしているんだ?』と言われました。まあスペインで商務関係の仕事をしていますと答えたのですが、それがやがて再び日本のそれも大使として再び日本に舞い戻ったのです。そのときは32歳でした」とおっしゃいます。
「32歳ですか、それはお若い。しかし大使館の職員の方は驚いたでしょうね」
「ははは、そうでしょうね。出ていったと思ったら今度は全権大使として戻ってきたわけですからね」

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 大使の思いは、ベネズエラという国をもっと日本の人たちに知って欲しいこと、もっと訪れて欲しいということ。

 ベネズエラには世界遺産にもなった300万ヘクタールのカナイマ国立公園があり、テーブルマウンテンや、世界最大の落差978メートルの「エンジェルの滝」などが知られています。また石油の埋蔵量が世界で5位という石油大国でもあります。

 日本人の移民はそれほど多くはありませんが、スポーツの世界では知られた選手を多く出しています。巨人軍のラミレス、西武ライオンズのカブレラ、ちょっと前ではペタジーニなんて選手もいました。みんなベネズエラの選手です。

 チャベス大統領は、最近反アメリカ運動で有名になりましたが、これはやはりベネズエラという国柄として目指す民主主義の形がアメリカとは違うということのよう。
 それぞれの国にはそれぞれの歴史と価値観、そして目指す理想の姿があるのです。

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 石川大使は、「日本人にも通じる信頼や協調などの価値観は家庭でたたき込まれました」と笑います。日本語の上手な日系の大使ですので、これからも両国の親善に大いに活躍されることでしょう。

 こうしたご縁があると、今まで考えもしなかったベネズエラという国についても調べてみたりします。観光に行くときもつてができましたね。

 そうそう、パーティで出た珍しい料理がチーズを小麦粉で巻いた「テケーニョ」というスナック。ベネズエラのパーティには必ず出るそうですが、ワインにあって美味しかったのです。

「中に巻くチーズを探すのに苦労しましたけど」と大使は苦笑していましたが、どうやら使えるチーズを見つけ出されたようです。

 

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 パーティを失礼してから南米に詳しい参加者のMさんからは、「若かろうがなんだろうが、小さな国は使える人材をどんどん登用しないとやって行けないんですよ。ボリビアやパラグアイも日系の大使でしたよ。」とのこと。

 ベネズエラを中心に中南米の地図を見ながらカリブ海に思いを寄せてみましょう。こんなにベネズエラのことを考えるとは思いませんでした。これもなにかのご縁なのでしょう。

 南米にもちょっとした足がかりが出来ました。


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