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■ 言語は
失われていく言語とか、ラストスピーカーっていうのがあって、 その民族が失われていくのと同時に失われていく言語がある。
日本語って、最初に主語とかが来たりこなかったりで、最後のほうに文章の核があって、たとえば英語は、かなり最初のほうに文章の核がやってくる。 それは文章構成だけじゃなくて、スピーチの中の組み立て方もそんなかんじだ。 比喩表現が7-8割の日本語は、とてもあいまいに聴こえることがある。 更に、表音文字と表意文字を組み合わせて、時制の一致もなんかあいまい(なんなら古代文のほうが正確だ)なこの言語、さぞかし他言語のスピーカーには難解なことだろう。
このあいまいな、まわりくどい、でもなんかどっか適当な、さらに他文化を取り入れ続けているごっちゃな言語を使い、存在をゆるしているのが日本の民族だ。 それは宗教観につながったり、この国の人たちの「察する文化」を体現していたりする。
言語というのは、それ自体が概念であり哲学であり、文化であると思う。
だから、失われていく言語があるっていうことは、失われていく概念、哲学、文化があるという事だと思う。 それは一種の宇宙が失われるのと同義のように感じる。
その民族が使うその言語でしか、あらわせない概念がある。 微妙なニュアンスや慣習、文化がある。
言語学者の中には、なくなっていく言語なんて放っておいて、皆英語を話したらいいという学者もいるらしい。
記録に残さなければ、それは忘れ去られて、存在しなかったことと同じになってしまう。 なんと惜しいんだろう。ロマンの欠片もねーな。
言語は、それ自体がひとつの世界、ひとつの宇宙みたいなものだ。
なんと奥深いんだろう。いとしすぎる。
2014年01月23日(木)
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