|
|
■■■
■■
■ 嘆きは、ぜいたく
行けるはずだったディナーに行けなくなってしまったりとか、 Dr.がナースに買ってくれたケーキを、私は勤務の都合上食べられなかったりとか(深夜明けの今日、病棟にケーキが届いて、私は明日午後3時ぐらいからの勤務だ。ケーキはかけらも残っていないか、食べかけのきたねーケーキしかないだろう…いらんそんなの)、 今日友達とふつうにホームパーティーできるはずだったのに友達の仕事が夜9時すぎまで長引くためにそれもできなくなったりとか、 年末やっと、一年に1,2回しか家族全員で集まることのできない帰省が、上司に勝手に非常時待機勤務をすり替えられて私は帰れなくなりそうだとか、
職場のレポートの資料作成のために図書館に行ったけど、すでに閉館していた。クソ寒いなかただナチュラルな寒風摩擦を受けにいっただけだ。 図書館すらしまっている…神は私に何を言おうとしているのだ、 何かをアテにしたり期待するのが愚かしいとでも言っているのだろうか。
なんというか、上げて落とされることが多くて最終的に泣いたのだが、 今は通り過ぎて落ち着いている。
考えてみれば、何かを嘆くって、結構ぜいたくな事なんじゃないかと思う。 何かTreatがあったから、何かを持ち得ていたから、それがなくなったときに嘆く。
本来だったら、
別にディナーなんて行く予定を入れなければ無かったものだし、 クリスマスケーキも今年特別だったみたいだし、 ホームパーティーも約束しなければ存在しなかったものだし、 年末に勝手に帰省しようと思っていただけの話だ。
うっ でも涙がでてくる…
そういうエクストラな幸福を持っていた、ということ自体が、ぜいたくだったのだろうと思う。
それがなければ、嘆けなかった。
極端な話、 大切なものがあったから、失ったときに嘆いた、 大事な人がいたから、いなくなってしまったときに嘆いた、 ゆずれない信念や想いがあったから、それを捻じ曲げられたときに嘆いた、
そういうことなのかなと思った。
図書館のかえりみち、真っ暗な空を見上げた。 月と星がきれいだなーとぼんやりと思った。
ある、ものの状況でなんとかしよう。 とりあえず、資料ナシでもレポートつくるとこから。
それから、21時を過ぎて帰ってくるであろう友達のために、ごはんも用意しよう。
たとえそれもダメになっても、もう大丈夫、それはそれとして仕方ないから。
2012年12月25日(火)
|
|
|