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■ 過去の自分発見
過去の自分というのを思いもかけぬ処で発見してそのあまりの言動のマズさに驚愕してしまうといった事は無いだろうか。 たとえば交換日記だ。 私は自分や他人の文章が記されたものをあまり捨てられない性分なので、部屋の整理をしてくると大昔に友人と交わした交換日記なんかが出てきたりする。 そしてついじー、と見てしまうのもイタい癖である。 そこで衝撃を受ける。 何に、か。 自分の書いたことのマズさに、である。 「な、何でお前はそんなに偉そうなんだ、し、しかもなんて図々しいんだ?!」 一体何様なのかと思ってしまう言葉その他もろもろ、今見返すと目もあてられぬ痴態(というか、マズい)ぶりがありありと見て取れるのである。 ぱたりと表紙を閉じて思った。 こんな人間と交換日記してた相手のMちゃんは、私のことホントに何とも思ってなかったんだろーか・・。 閉口辟易して当然な気がするのに、日記を見てみても相手の受け答えはしごく普通である。まるでそう在るのが当然であるかのように。 当然なのか。 これは当然の私だったのか。 衝撃の度合いがまた一つ増えた。
当時としては自分は自分として自然に振る舞っていたつもりだったろうから、確かに意図的になんか悪い印象を与えた、なんて覚えは微塵もない。 だがイタくマズい人間というのは自分の言動のマズさには通常気がつかないものである。 当時の私がそのいい例なんだろう、多分。 というか、今もか。
当時の私に当時の友達はおそらく私に違和感なんて感じていなかったに違いない(日記から察するに)。それに確かに当時は普通に接していたような気がしたからだ。 し、しかし交換日記や手紙を見るにつけ当時の自分て・・。 と、凹む。 私は日常生活や学校でもやっぱりあのくらいの偉そげさだったんだろうか、あのくらいの図々しさだったんだろうかと考えるとちょっと頭が痛くなってくる。 そして気付いていなかったんだろう、当時の自分。
ということは今はどうか。 今私が自然に私なりに振る舞っているつもりでもその言動がイタいという事は充分にありうる。つーかこんなことマジで考えてる時点で既にヤヴァイのか。 未来の自分のみぞ知る、である。 むしろ未来の自分は内面よりも当時(今の)外面を見て衝撃を受けるのかもしれない・・・それも進歩してればの話か。
成長するって、難しい。 というか自分とちゃんと向き合うのが、意外と難しい。 衝撃に誤魔化されてちゃんと向き合うことを忘れなければいいのだが・・・。
2003年02月05日(水)
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