花巻に泊まって、明日どこ行こうかと検索してたら偶然見つけた釜石の復興まつり。海のすぐそばの魚市場に海の幸山の幸が集まり、ふるまいの秋刀魚や牛カルビのほか、釜石ラーメン、骨つき肉、海の幸山の幸を焼いたり加工したり、試食もたくさん。食べた、食べた、食べた。潮風に吹かれて食べた生ほたて150円。焼ほたて250円。ほたても漁協青年部のお兄さんたちも活きが良かった。ほたてラスクなど珍しいおみやげも買えた。わたしがときどき買う「東京ラスク」の工場が釜石にあるのだという。そのことを教えてくれたのは、秋刀魚の列で後ろに並んでいた女の人で、うちと同じ一年生の女の子がいた。「一人一匹もいただくのは申し訳ない」と一家3人で一匹の秋刀魚を分けようとしてるわたしたちに、「せっかく来たんだから、おいしいの食べて行ってよ」ともう一匹頼ませた。3人で2匹の秋刀魚を分けていたら、「もう一匹食べて」とわざわざ届けてくれた。「私は、いつも食べてるからさ」と。どうやらご自分のを回してくれたらしい。結局一人一匹。すみずみまでおいしくいただいた。食べもののために並ぶことも、仮設トイレも、釜石の人たちは、震災の後、何度も、長い間、体験されたのかもしれない。お祭りのさなかに、その頃のことが、ふっと蘇ったりするだろうかと思ったりもした。震災のことは聞かなかったし、地元の人たちも話題にしなかった。好きな物を食べられる今を楽しんでいる人たちがこんなにいる、ということを実感として持ち帰った。残念だったのは、告知不足。釜石の駅に着いて駅員さんに聞いても、知らなかったし、駅前にもポスターも看板もない。駅まで帰るタクシーの運転手さんもそのことを嘆いていた。運転手さんによると、新日鉄の工場が動いていた頃、釜石は、今よりずっと活気があったという。「今は、通り過ぎられる町になっちゃったんだよね」と、ぽつり。震災後も、釜石を視察しても宿泊は別な町、ということが多かったそう。偶然見つけてお祭りが、釜石へ足へ運ぶ理由を作ってくれた。一度訪ねた町には情が湧く。これからは「釜石」という地名を見聞きすると、今日の情景が思い浮かぶ。>>>今日の日記をTweetする 2011年09月22日(木) 座布団舞う舞う大相撲九月場所2010年09月22日(水) 「てっぱん」と「たまえ」に反応!たま4才1か月2009年09月22日(火) 小豆島5日目は香川県三木町の渡邊邸で妖怪三昧2008年09月22日(月) 「せつない」が言葉になった、たま2才1か月2007年09月22日(土) マルセル・マルソー氏死去2006年09月22日(金) マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年2005年09月22日(木) innerchild vol.10『遙<ニライ>』 2003年09月22日(月) 花巻く宮澤賢治の故郷 その3
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