2013年07月04日(木)  聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)

「聴力を失って行くというのは、どういうことなのか。皆さん、想像できますか?」
そう問いかける松森果林さんの声は、ご本人には届いていない。

声は出せるけれど、聞こえない。
松森果林さんは、中途失聴者。



講演のはじめに、松森さんは「私の強みは聞こえないこと」と笑顔で言い切った。

でも、今のように、聞こえないことを「個性」として受け止め、「強み」とさえ言えるようになるまでに、長い長い時間がかかったという。

小学4年生のある日突然片方の耳が聞こえなくなり、もう片方の耳も少しずつ聴力を失った。

毎朝、目が覚めると、声を出し、自分のその声が聞こえるかどうか確かめたという。

「昨日まで聞こえていた音が一つずつ消えていく」

聴力を失っていくというのは、そういうことらしい。

高校2年の終わりには、完全に聞こえなくなった。
その日のことを、よく覚えているという。
信じられなくて、何度も、何度も、確かめたのだろう。

小学生の頃、男の子たちに「つんぼ」とからかわれた。
その言葉を知らなかった松森さんは、「つんぼ」の意味を知り、ショックを受けた。

中学生のときには、クラスメイトに名前を呼ばれて気づくかどうかをテストする「遊び」を毎日のようにされた。

聞こえないのは、恥じるべきこと、いけないことなんだ……。
そう思った松森さんは、「聞こえるフリ」をするようになった。

何を言ってるかわからなくても、みんなと一緒に笑う。
聞こえるフリをすればするほど、どんどん自分が空っぽになっていく感じがしたという。

ただでさえ不安定な思春期。
でも、友だちとのおしゃべりや恋愛が楽しい青春の入口。
勉強して、あたらしい世界を吸収する時期。
松森さんは「聞こえるフリ」で忙しかった。

「みんな聞こえなければいい」と周囲をうらんだり、
「自分がいなくなればいい」と思い詰めたりした。

雪の降る日に道端に倒れ込み、このまま死ねたら……と死を待つうちに意識を失い、救急車のランプで我に返った。

その後に、松森さんのお父さんが書いたという手紙に、涙を誘われた。

できることなら代わってあげたい。でも、お父さんだったら乗り越えてみせるぞ。

そんな内容の、愛情と力強さにあふれた手紙だった。

ご家族も辛かっただろうと思う。
原因もわからず、何がいけなかったのかと過去を悔やみ、自分たちを責め、それこそ「代わってやれたら」と苦しんだことだろう。
娘が死を思い詰めていることを知って、打ちのめされたことだろう。
松森さんの知らないところで、たくさん涙を流されていただろう。

お父さんが「乗り越えてみせるぞ」と言えるようになるまでにも、長い長い時間が必要だったのではと想像する。

ちょうど2日前、わたしは実践女子大学で『パコダテ人』の話をしてきた。

映画『パコダテ人』では、ある朝突然しっぽが生えた日野ひかるが、葛藤の末、「しっぽは欠点じゃなくておまけ」と開き直る。いったんアイドルとしてもてはやされたひかるが、今度は迫害される立場になっても、家族は「しっぽが生えても、ひかるはひかる」と、ひかるを愛し抜き、守り抜こうとする。

『パコダテ人』は、障害と偏見について語っている作品だと評価されることも多い。でも、映画だと80分、劇中内時間でも数か月で乗り越えてしまうことが、現実ではその何十倍もの時間を要する。

雪の日に、どん底の底を蹴って、お父さんの手紙に励まされた松森さんは、少しずつ進みはじめた。

「何に困っているかわからないと、何を手伝っていいのかわからない」と学校の先生に気づかされ、授業について行くためにどうしてほしいのかを具体的にお願いするようになった。

視覚や聴覚に障害のある人が学ぶ筑波技術大学を見学し、自分以外の聴覚障害者に初めて会い、生き生きと学ぶ姿を見て「ここで学びたい!」と一念発起。ビリに近かった成績が、猛勉強の末に学年トップになった。

大学時代に出会った先生が大のディズニーランド好きで、学生を引き連れて、よく遊びに行ってくれた。

目が不自由な学生、耳が不自由な学生が、現地でアトラクションやショーを体験しながら、どこをどうしたらもっと楽しめるか、具体的な意見を出し合い、提案し、それが採用された。

わたしはコピーライターだった頃、東京ディズニーリゾートの広告に携わっていた。だから、障害のある人も一緒に楽しめるようにと様々な取り組みがされていることは聞いていた。その中に、松森さんたちが提案したものがあったかもしれない。

そして、松森さんの話を聞くと、まだまだ知らない取り組みがたくさんあることに気づかされた。

視覚障害者が建物やキャラクターのフォルムを把握できるようにと作られた精巧なミニチュアが紹介された。

シンデレラ城の塔のとんがり具合も、窓の数も、模型をなぞれば、指で見ることができる。

興味深かったのは、ミッキーやミニーやドナルドやプルートのフィギュアがどれも「片方の手が上がっている」のはなぜでしょうという質問。

答えは、「握手するため」。

キャラクターに手を伸ばし、最初に手に触れるでっぱった部分が握手する手というのは、アメリカらしいし、ディズニーらしい。思いがけず握手して笑顔になってしまう光景を思い浮かべて、微笑ましくなった。

講演の中では触れられなかったが、松森さんは大学卒業後、東京ディズニーランドで美術装飾の仕事に就かれたという。

職場で出会ったご主人は、大量のメモ用紙を持って飲み会に乗り込み、たくさん話しかけてきた人だという。

「手話だと水中でもプロポーズ出来るんですが、残念ながらそれは叶いませんでした」と笑う松森さんは、今、とても幸せそう。

結婚し、現在は中学生の男の子を子育てしながら、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐユニバーサルデザインの提案に力を入れている。

ユニバーサルデザインとは、誰にでも使えるデザインということ。

たとえば、テレビ番組に字幕がついていると、耳の不自由な人が健聴者と一緒に番組を楽しめる。

デジタル放送になったおかげで字幕は入りやすくなった。リモコンの「字幕」ボタンを押せば、手軽に字幕入り放送を楽しめる。

でも、問題なのは、字幕の位置。

PKを決めた本田選手のインタビュー。
字幕が目張りのように顔を横切ってしまっている。
「字幕もど真ん中」
松森さんの鋭いツッコミが笑いを誘った。

見る人のことに、ほんの少し想像力を働かせれば、この位置でいいのか、どこに動かせばいいのか、検証することができるのだけれど。

字幕に限らず、善かれと思ってやったことが中途半端になってしまうのは、もったいない。

それで思い出したのは、映画『子ぎつねヘレン』のこと。

初日動員数も評判も上々で映画が封切られて間もなく、耳の聞こえない方にもこの作品を楽しんでもらえるよう字幕をつけようという話が出た。聴覚障害者の方からの要望があったのかもしれない。

早速やろうという動きになり、すぐに字幕版が用意され、公開された。
DVDにも日本語字幕とともに本編の場面を解説する音声ガイドとメニュー画面の操作を補助する音声案内が収録された。

でも、映画が公開されるまで、字幕をつけるということを、わたしも、関係者の誰も思いつかなかった。

『子ぎつねヘレン』は、ヘレン・ケラーのように目も見えない、耳も聞こえない、鳴くこともできない子ぎつねの話。

なのに、耳の不自由な方がこの映画を観るかもしれない、ということに想像が至らなかった。

そもそも「日本語の映画に字幕をつける」という発想がなかった。

外国語で何を言っているのかちんぷんかんぷんな映画を観るとき、わたしたちは字幕に助けられる。

日本語を聞き取れない人たちにとっても、同じこと。

『子ぎつねヘレン』公開から7年。日本語字幕つきの邦画公開は、ふえているだろうか。

松森さんは、映画鑑賞が趣味で、「日本語字幕がついている洋画を観ています」というが、洋画でも邦画でも字幕つきで楽しめることが当たり前になっていくといいなと思う。

話をテレビに戻して。

番組の字幕入れは普及してきたものの、放送全体の18%を占めるCMには、ほとんど字幕がついていない。

松森さんが「CMにも字幕を」と提案をして16年。
ようやくいくつかの企業とテレビ局がトライアル放送に取り組み始めた。

講演では、花王の60秒CMをまず「音声なし」で見せてもらった。

なんとなく、雰囲気は伝わる。
でも、メッセージは伝わらない。

「今のが、聴覚障害者の世界です。まわりの人はみんな口パクなんですね」と松森さん。

続いて、先ほどのCMを「字幕入り」で見てみると、霧が晴れたようにメッセージがはっきりした。

「音声なし」CMを体験してから比較すると、字幕があるかないかでは大違いなのだと実感することができた。

字幕つきCMも、番組と同じようにリモコンで「字幕」を選択すると字幕が表示される。

この字幕を考えるのは、コピーライターの仕事だろうか。その分仕事はふえるし、時間はかかる。納期に終われる広告制作者にとっては字幕なしのほうがありがたいかもしれない。

だけど、字幕をつければ、より多くの人にメッセージを届けられる。

それぞれの企業が、そして広告代理店や制作会社が、少しずつ予算と時間を差し出して、字幕つきCMをふやしていけないだろうか。

現在2社だけというのは何とも淋しい。
最近まで放送していて、やめてしまった企業もあったという。

現在トライアル放送中の花王とライオンも、続けるかどうかは視聴者の反響次第。

「ぜひ見ていただき、一言で良いのでメッセージを送ってみてください。その一言が必ず多くの企業を動かします」と松森さん。

ぜひ、字幕つきCMを観て、感想を届けてください。

花王
「A-studio」(TBS系列)
金曜日 夜11時〜11時30分
「ぴかぴかマンボ」(テレビ東京)
土曜日 夜9時54分〜10時
「あすなろラボ」(フジテレビ系列全国ネット)
日曜日 夜9時〜10時
>>>花王公式サイト 「字幕CMに関するご意見ご感想」へ

★ ライオン
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ系列)
月曜〜金曜 昼1時〜1時30分
>>>ライオン公式サイト「お客様相談窓口」へ
 
「不満や怒りを訴えるだけだと愚痴になってしまいます。どうすればいいのか提案をしていけば、必ず社会は変わります」と松森さん。

あ、「なんで?」と「そんで?」で光らせる、だ!

不満も怒りも、良くしていくためのヒントの石ころ。
なんで困るのか? なんで腹立たしいのか?
そんでどうしたら困らなくなるのか? 怒りがおさまるのか?
蹴り飛ばしてしまうのではなく、拾って、提案という形に磨き上げれば、宝石に化けるかもしれない。

そして、聞こえない世界と聞こえる世界をつなぐには、「想像力」を働かせることがとても大切。

面白いクイズを出してもらった。

一人暮らしの女性の部屋の絵。
「この中に、一つだけ足りないものがあります。それは何でしょう?」
と松森さん。

火災報知器?
ドアホン?
明かり?
壁?
家族?

いろんな答えが飛び出し、松森さんが「壁は省略しました」「明かりは描き忘れました」「彼女は一人暮らしなんです」などとユーモアたっぷりに返し、なかなか正解にたどり着かない。

「どこにもあるものです。この教室にもあります。でも、彼女の部屋にはありません」

そう言われて、ますます皆が考え込み、焦れた頃に、正解入りの絵に差し替えられた。

吹き出しのように、あちこちに書き込まれた擬音語。
スイッチを入れる音。換気扇の回る音。ドアの開け閉めの音。掃除機の音……。

答えは「音」だった。

音がないと、機械が動いているのかどうか、わからない。
最近は静かな家電がふえて振動も少なくなったので、ますますわかりにくくなったという。

松森さんは、コンセントが抜けているのに掃除機をかけ続けてしまうことがあるらしい。

音カタログ
のサイトでは、「聞こえない世界」と「聞こえる世界」の違いを「音なしの絵」と「音ありの絵」で見比べられる。

音がなくて「困る」「使いにくい」というときも、松森さんは「こうすれば使える」「こうなれば誰でも使いやすい」と提案に転換する。

音のかわりに「わさびのにおい」で危険を知らせる警報器の開発にも関わられたそう。

また、松森さんも関わったという羽田空港の国際線ターミナルは、「設計段階から障害者や外国人などが意見を出し合い、設計に取り入れた」そうで、ユニバーサルデザインの宝庫とのこと。

子育てのお話も披露された。

ご主人と息子さんの三人家族の中で、聞こえないのは松森さんだけ。
息子さんには赤ちゃんの頃から手話でたくさん話しかけた。

最初に覚えた手話は「いっしょ」だったそう。

「赤ちゃんって一度覚えたら忘れないんですよね」

うちの娘のたまがまだ言葉が拙かった頃にベビーサインの本を読み、「ちょうちょ」「ほん」「たべる」などを使って簡単な会話を試みたことがあった。

ベビーサインが役に立ったのは、たまがカタコトを話すようになるまでのほんの数か月だったけれど、「伝えたい」という気持ちをのせる乗り物があったことで、「伝えあう」喜びを分かち合うことができた。

ベビーサインも手話も外国語も、「伝えたい」「つながりたい」相手がいてこそ出番がある。

松森さんの息子さんは、ママと呼んでも振り向かないことを学ぶと、床をたたいてママを呼ぶようになったという。

同じマンションの人たちが「手話で話したい」と言ってくれて始まった「井戸端手話の会」の話もとても興味深かった。

聞こえない人にとって、井戸端会議で何を言っているのかわからない、加われないのは、不安でもありストレスでもあると思う。じゃあ井戸端会議を手話でやりましょうという発想が楽しい。

「コミュニケーションをあきらめるのではなく、コミュニケーションを楽しめる環境を作っていけばいい」と松森さん。

迷惑、と思うのか?
協力、と思うのか?
当然、と思うのか?

同じことでも、受け止め方は、人それぞれ。
楽しい、とお互いが思える関係を作れると、いいなと思う。

生活で不便を感じるのは「障害のせい」なのか「聞こえない自分が悪い」のか。

「健康で元気な普通の人を基準に町づくりがされてきた」からではないでしょうかと松森さん。

「でも、普通って何でしょう?」

松森さんにとっては「聞こえないのが普通」。
そして「聞こえる耳を持っていても、話を聞かない人っていますよね」と笑う。

たしかに、何不自由なく生活できることが「普通」だとしても、それがずっと「その人の普通」であるとは言い切れない。

少なくとも、赤ちゃんのうちは、一人で電車に乗ることも買い物することもできない。

子どもを持った親は、少なからず「バリア」を体験する。
今まで当たり前にできていたことが、こんなに大変で、こんなに人に迷惑をかけてしまうことなのかと。
ときには心ない言葉をかけられ、外出するのが怖くなったりする。

年を取ってからも、同じことが起こるのかもしれない。
レジでまごついてしまうお年寄りを待てない人だって、それがいつか自分の普通になるかもしれない。

「どんな普通にも対応できる」こと。
それがユニバーサルデザインなのかなと思う。

「普通」は、人それぞれ。
その、「それぞれの普通」に想像力を働かせられるユニバーサルな人でありたい、と思った。

ユーモアあふれる松森果林さんのブログはこちら。
>>>松森果林UD劇場〜聞こえない世界に移住して〜

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