実家のある大阪府堺市高倉台の最寄り駅、泉北高速鉃道の「泉ヶ丘」駅前に、その市立図書館はある。「泉ヶ丘図書館」から名前を変えて、今は「南図書館」。
そこでの思い出は、妹の友だちに誘われて行った、演劇の出演者を募る説明会。作品に込める想いを演出の方が熱く話されたのだけど、集まった十名足らずの温度は低く、揚げ足を取るような質問が相次いだ。「せっかく張り切って説明会を開いてくれたのに、気の毒」と思いつつも、わたしはその冷えた空気をどうすることもできなかった。
わたしは応募しなかったし、妹も、誘ってくれた妹の友だちも応募しなかった。オーディションをやると言っていたが、選べるほどの応募が集まったのか、無事上演できたのか、わからない。正義感は強いけれど人前で発言する勇気はなく、気持ちと行動が噛み合わずに空回りしていた十代前半のわたしを覚えている。
あれから三十年ほど経って、同じ図書館のホールで、講演させてもらえることになった。同郷・泉北ニュータウン出身の西川俊充さんの絵本レーベル「エンブックス」で作った『わにのだんす』を売り込みたくて、堺親善大使の縁で堺市の広報課に「講演させてもらえませんか」と相談したところ、図書館につないでいただき、「子どもの読書週間記念講演」が実現したのだった。
十人足らずの前で何も言えなかったわたしが、二百名近い人の前で、しゃべる。前日の堺・教師ゆめ塾講演での質問で、「どうしてそんなにしゃべるのが好きなのか」と聞かれ、「好きなことは、いくらでもしゃべれる」と答えたが、予定していた1時間半を過ぎ、質疑応答を終えると2時間を過ぎ、交流サイン会で並んでくださった一人一人と言葉を交わしていたら、2時間半を過ぎた。
『パコダテ人』も『子ぎつねヘレン』も『てっぱん』(BSプレミアムで夜19時から再放送中!)も、それぞれで講演一本できるほど、しゃべりたいことがあるから、いくら時間があっても足りない。
お膝元の母校・三原台中学校でやった「中学生のドラマ脚本会議」での「大人組」「1年5組」「1年3組」の三者三様のドラマ版『魔女のパン』は、合計3時間分の授業を10分に凝縮して披露。
大人組は新キャラひろこの登場で、失恋の痛さが倍増。1年5組は小道具のりんごを巧みに使ってハッピーエンドに。1年3組は片想い・建築家という縛りをあっさり取っ払って若さ爆発の恋バナに。ひとつの正解へ向かうのではなく、みんな違って面白いのが、脚本作りの醍醐味。
子どもは、なんで?とそんで?の天才。「なんで?」と聞かれて「なんでも」で片づけると、せっかくの石ころを磨くチャンスをムダにしてしまう。「なんでやろ」と一緒に考え、「おもろい」「そんで?」と子どもの言葉を拾ってつなげていけば、石ころは転がり、磨かれる。そのようにして、わが娘・たまのネタの思いつきが「おじゃる丸」のエピソードに化けるまでの裏話も披露した。
ツイッターでつぶやいている「たま語」 @tamago_bot822 のことも紹介。
子育ての何気ない一瞬、ドキッとする一言、笑ってもらうしかないトホホ話、それらをどこかの誰かと共有することで、どれだけ子育てがラクに、楽しくなったことか。
また、「ぼうのついたくつ」(=ハイヒール)「むかしやさん」(=骨董屋)など、持てる語彙で何かを伝えようとする姿に、自分もこんな風に世界に名前をつけていったのだなと追体験できた。
生まれてから出会った人や出来事すべてがわたしの日本語の先生だったのだと感謝の気持ちを抱き、たま語は「娘のたまの言葉」にはとどまらない「言葉の卵」なのだと思い至った……という話をした。
もちろん、絵本『わにのだんす』の売り込みも忘れずに。
この絵本を出版したエンブックスの「子ども編集部員」に下書きを見せたところ「お金が目立ち過ぎ」という意見が上がった。削るのは簡単だけど、一見ダメ出しに見える意見が、石ころを光らせてくれることもある。
「なんでお金が目立つと思われたのか?」と検証することによって「それはお金がじゃらじゃら出てくる絵本が少ないからでは?」「だったら、お金が目立つのは『わにのだんす』の個性では?」と思い至り、「もっと目立たせよう!」となった結果、「何のために稼ぐのか」というテーマが際立った。
そんな創作秘話を通して、「なんで?」と「そんで?」の連想ゲームで「削るのではなく彫刻」することで作品を豊かに膨らませられる、と訴えた。
うれしかったのは、堺市で昭和62年から活動を続ける人形劇団シャボン玉の皆さんが、前の晩に完成したばかりという「だんすわに」の人形を携えて駆けつけてくださったこと。
団員の丸山芳美さんは、昨年の母校・三国丘高校の同窓会講演によんでくださった方。『わにのだんす』を人形劇にしたい!と講演のときから言ってくださっていたのだけど、それがいよいよ動き出した模様。
一攫千金をもくろむ目つきが、なんともだんすわにっぽい!「目の下にオレンジ色をさしたら、ぐっと似ました」とのこと。きらきら光るシルクハットもできていた。きらきら光るせびろは、これから。完成して上演されたら、いっしょに踊りたい。
「なんで?」と「そんで?」で石ころを磨いて光らせる連想ゲームは、ネタの引き出しが命。というわけで、ネタ(石ころ)を仕入れるコツも時間をかけて話した。
ネタはどこにでも転がっていて、「頭のビデオカメラ」を構えて、アンテナを張っていれば、どんどん集まる。講演タイトルや内容の入れ替えを繰り返しても不動のレギュラーを譲らない「心と傘は開いたときが一番役に立つ」は、この日の講演でも人気を集めた。
「隣のテーブル」は何する人ぞ、「隣のレジ」は何買う人ぞ、という人間観察もネタの仕入れには打ってつけ。
前日のゆめ塾では、「それまでサッカーのコーチに敬語でしゃべっていた母親が、息子が席を立った途端、ため口に。これはただならぬ仲か!?」と妄想が膨らんだ話をした。今日の講演前に、父親とランチをしたお店でも隣のテーブルの男女の会話にそれとなく耳を傾け、二人の関係を想像していたら、その二人が席を立ったとき、男性がこちらを向いて「ひょっとして、今井雅子先生ですか?」。
まさに不意打ち!
相手は以前講演したことのある学校の先生。「先ほどからお話をうかがっていて、そうかな、と」。お互い、同じことをしていたわけで……。もちろん、講演で早速ネタにさせていただいた。ほんま、世の中、ネタだらけ。
また、「隣のレジ」にアンテナを張っていたおかげで、今朝、facebookを見ていて「レジ打ちを天職にした女性」の記事が目に留まった。
何をやっても長続きしなかった女性が、スーパーのレジ打ちも続かず、実家に帰ろうとした。だが、子どもの頃の夢がピアニストだったことを思い出し、レジのキーをピアノの鍵盤だと思って打つようになったところ、顔を上げて客の顔やまわりが見えるようになり、客との会話を楽しめるようになった。ある日、彼女のレジの前だけに行列ができた。空いている他のレジへと店長に促された客が「ほっといてちょうだい。私はこの人に会いに来てるの」。それを聞いて彼女は泣き崩れた……という話。
このレジの女性も、何をやっても続かなかった頃は、最初から光っている石を探して、どこにもないと嘆いていたのかもしれない。目の前にある石ころを地道に磨いて、ついに宝石を手に入れた。
わたしという石ころも、「書く」という好きなことを続けていたら、色んな人からの励ましや感想が「やすり」になって、磨いてくれた。作品を重ね、自信や勇気を授けられて、今日のようなきらきら光る日がある。
図書館での講演ということで、娘のたまが図書館で借りたCDの歌詞カードに落書きしてしまった事件(>>>2013年03月11日(月) としょかんのだってこと、わすれてたの(完結編))のことも話した。「起きてしまった物語は変えられない。でも、物語の続きはあなたの手の中にある」(朝ドラ「つばさ」玉木加乃子)「人生、失敗したもん勝ち」(朝ドラ「てっぱん」松下小夜子)といった台詞にあるように、起きてしまったこと(失敗)から何かを得て、次につなげて、進んで行くしかない。ここでも「なんで?」と「そんで?」が合言葉。
質疑応答では、「これまでに住んだ大阪と京都と東京の違いは?」「脚本の元のアイデアを提供した原案者の位置づけは?」「脚本家出身で面白い時代小説を書く人がいるが、時代小説は書かないのですか?」「経営する会社あてのクレームに、どう応じればいいか」「親しくしていた人に避けられている。どうすればいいか」といった回答反射神経を試される質問ぞろいで、後半は人生相談のようになった。悩みを打ち明けるほど、聴いてくださった方々の「心の傘」が開いたのなら、とてもうれしい。
サイン会で、一番後ろに並ばれていた方が「3つお礼を言わせてください」とおっしゃった。
ひとつ目は、「わたしも電車の中でキョロキョロ他人を観察してしまうんですけど、それがいいことなんだって、気づかせてくださり、ありがとうございます」。
二つ目は、「わたしの娘が三原台中学校であなたの後輩にあたります。娘は三年生のときに、卒業式を前にして病気で亡くなりました。娘の名前は忘れてしまっても、娘のことが、何かの形で人の心に残っているのかもしれない、と思わせてくださり、ありがとうございます」。
三つめは、「その亡くなった娘が交流していた人形劇団の方が今日見えていて、ひさしぶりに再会できました。その機会をありがとうございます」。
講演の中で、「中学一年のときに同級生を亡くしたときの心の揺れを綴った日記を読んで、こんなことがあったのか、と思い出したけれど、すっかり忘れていた。けれど、あのとき、同級生の死をきっかけに、はるか未来に思える死を自分の問題として考えたり、友だち同士で話したりしたことが、その後、生死について書くときの根っこになっていると思う」と話したのだが、その話をご自身の娘さんと重ねて、聴いてくださったのだった。
「握手させてください」と力強く手を握られ、その余韻とともに、東京へ戻った。
頭のビデオカメラを回して、脳味噌の出張所(=外付けハードディスク)の日記やブログに綴ったり人に話したりしても、記憶は薄れ、消え行く。それでも「なんで?」「そんで?」と想いを巡らせた分だけ、心に根っこを張れる。その根っこは、ネタとネタをつなげるだけでなく、わたしと誰かの人生をつなげてもくれる。
講演という石ころは、聴いてくれる人がいてこそ、磨かれ、光る。今日の講演で何を聴いたかは忘れられてしまっても、心の片隅を照らす仄かな光を残せたら、と思う。
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