2013年04月20日(土)  教師失格から時はめぐって…堺・教師ゆめ塾講演

大阪・堺で2日にわたって、講演3つ。
1つめは、堺・教師ゆめ塾の塾生に向けて、授業づくりの講義。

堺・教師ゆめ塾というのは、教師をめざす人たちを対象にしたセミナーで、塾生は半年間にわたり、自分の時間と身銭を切って学びに来る。

教師は、わたしの夢のひとつでもあった。
高校の数学教師の父と、小学校の音楽教師の母を持ち、教育学部に進み、母校の三国丘高校の教育実習にも行った。

その教育実習で受け持ったクラスが、文化祭で『オズの魔法使い』をやることになっていたのだけど、まとまらず、上演が危ぶまれていた。奇しくも自分が高校時代に同じ劇で大成功をおさめたわたしは、演出を買って出て、「ミュージカルにしよう!」と振付けもやり、朝練昼練放課後練習に燃えた。

劇は大成功、舞台の上の晴れやかな生徒たちを見て、ビデオを撮っていたわたしが泣き崩れた。校庭の一角で、生徒たちはわたしを囲み、用意していた花束を差し出した。打ち上げにも呼んでもらえた。

今思い出しても、「青春」だった。

しかし、わたしがやるべきは演劇指導ではなく、英語の授業だった。そちらは予習復習もままならず、black warship(黒船)をblack worshipと勘違いして「黒人崇拝」と誤訳し、生徒に指摘された。

「君は教師には向いていない。君は生徒よりも楽しんでしまうから」
指導教官の的確な一言で、わたしは教師にはならず、広告代理店のコピーライターになり、その後、脚本家になった……そんな身の上話から、話をはじめた。

脚本家になったきっかけは、月刊公募ガイドに連載されていた新井一先生の脚本講座。腕試しに応募したころ、新井先生から直筆のコメントが返ってきて、「面白い発想ですね」と書かれていて、舞い上がった。

自分には才能があると思い込んだ勢いでコンクールに応募するようになったのだが、新井先生が亡くなったことを告げる公募ガイドに、「送られてきたすべての作品にコメントを返していた」とあり、勘違いを思い知った。

と同時に先生の懐の大きさに打ちのめされた。亡くなる前の体調も思わしくない頃、見ず知らずのわたしの腕試しに、本気で向き合ってくださった、この先生が、わたしの脚本の恩師だ。恩師が差し出してくれたものに応えられる脚本を書こうと誓った。

それから運と縁に恵まれてデビューを果たし、しばらくした頃、部屋の隅から新井先生のコメント入り原稿を発掘したわたしは、「面白い発想ですね」の横にある記号に気づいた。よく見ると、それは「B」と書かれてあった。



思い込みが激しく、自分に都合のいいように世の中を見てしまうわたしは、「B」を見落とし、それゆえ突っ走れたのだった。だから、自分を信じる力とチャンスがあれば、誰でも脚本家になれる、と思っている。

思い込みのほかに、わたしが人より勝っているのは「空想」すること。脚本映画デビュー作『パコダテ』人も、はこだて→ぱこだて→おまけ→しっぽ、という連想ゲームから生まれた。

宝石なんか転がっていない。どこにでもある石ころを拾って、磨いて、自分で光らせるしかない。どの石ころを拾うか、石ころのどこをどう磨くか、そこに作り手の「個性」が出てくる……ということを映画『子ぎつねヘレン』と朝ドラ「てっぱん」を例に話した。


ネタの引き出しを豊かにするコツに続いて、昨年、母校・堺市立三原台中学校で行った「中学生のドラマ脚本会議」の話を。学校の授業はどうしても一つの正解に向かって絞り込む思考回路になりがちだけれど、脚本開発では、人が考えないようなこと、人より面白いことを考えたもん勝ち。

そして、枠をはみ出すことにかけては、子どもは大人よりずっとしなやか。「なんで?」「そんで?」と導けば、どんどん面白い発想を引き出せる。



ネタの宝庫である子どもの発想に、今井雅子作品も大いに助けられている。アニメ「おじゃる丸」では娘の思いつきを膨らませ、絵本「わにのだんす」では「お金が目立ちすぎ」という子ども編集部員の意見をふまえて、「何のために稼ぐのか」というテーマがくっきりした。


「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするか、宝の持ちぐされにするかは、あなた次第」は、塾生の皆さん自身に向けた言葉でもあるし、子どもというネタの宝庫を活かせるかどうかは教師次第という激励でもある。学校という教育の場を宝島にできるかどうかは、教師と子ども、さらには保護者の心持ちひとつに掛かっている、とも言えるかもしれない。

その宝を掘り起こす呪文が、「なんで?」と「そんで?」なのだ。

さて、毎度楽しみな質疑応答。教師を目指す人たちの割には、出足はおとなしめだったけれど、「子どもたちから意見が出ないとき、どう引き出せばいいのか」「どうやってそんなに話すのが好きになったのか」「原作とドラマが違ってがっかりすることがあるが、原作をどう変えるかは、どうやって決めるのか」といった質問に頭をかき回してもらえた。


教師に向いていないと言われ、教師にならなかったわたしが、まわりまわって、教師を目指す人を前に、先生として話をしている。あのときわたしの資質を見抜いた先生も、こんな日が来ることは予想していなかっただろう。

講演後、今期の塾生募集案内を見ていると、塾頭で堺親善大使をご一緒している中谷彰宏さんの言葉に目が留まった。〈「たまたま」出逢ったものに全力を注ごう〉〈未来は、「たまたま」の中にある〉。この「たまたま」が、「石ころ」なんだと思う。目の前の石ころを一生懸命磨く。そのことを積み重ねていった先に、きらきら光る未来はある。


ゆめ塾の後は、堺市役所会議室にて、第2回石ころの会脚本教室。「中学生のドラマ脚本会議」がきっかけで始まった、学校の先生と「授業で応用できる脚本術」を磨くワークショップ。第1回>>>2012年10月14日(日)「石ころを宝石に」先生たちと6時間 が大いに盛り上がり、続けていくことに。

今回は新学期ということで都合のつかない先生が多く、参加者は4名。その分、密度の濃い教室に。3時間足らずの間に「ハテナの箱」「好きと伝える」「ドアを開けて」「あやまる」とお題に沿って即興台詞劇を4連発、さらに「台詞だけ・1場面だけ・登場人物二人だけ」の石ころ式脚本術で『桃太郎』の旅立ちの場面の脚本を作って発表するところまで。4人4様の桃太郎が生まれ、その面白さに一同ワクワク興奮。

このままの形で授業でできるのか、さらなる工夫改良が必要か、石ころ磨きは続く。

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