執筆中の作品の参考になる試写があり、子ども向け作品なので、お子さん連れでどうぞと言ってもらい、親子で行ってきた。プロデューサーも子連れで、一歳違いの子ども同士はすぐに意気投合。子どもを楽しませつつ親は打ち合わせができるという、初めての経験だった。
子どもの反応から学ぶところも多かった。書きかけている初稿を、もう少し易しくしたほうが良さそうだ。自分の手がける作品のターゲット年齢の子どもがいるというのは、身内にモニターを抱えているようなもので、活用しない手はない。
貢献してくれたお礼に、午後からは好きなところへ連れて行ってあげると言うと、「じてんしゃのこうえん」と荒川自然公園を指名された。電車を乗り継いで、町屋へ出て、駅近くの「ムンバイ」で腹ごしらえ。
キッズカレーというメニューがあり、ドリンクつきで390円という良心的なお値段。インド料理屋は子どもに優しい、と子どもを持ってから度々感じているが、今日もあらためてそう思った。
無性にカレーを食べたくなって、生後数か月のたまをだっこしたまま食べに行った地元の店でも、数か月前に行った名店でも、子どもとその親に注がれるまなざしは優しかった。
中華料理屋でも同じことを感じる。子どもがうるさくしても、「元気があっていいね」と笑ってくれる。中国語で赤ちゃんは「宝宝」。子どもは宝という目で見てくれているのだろうか。
インドと中国。大陸の大らかさもあるのかもしれない。
そう言えば、日本では「迷惑をかけるな」と教えられるが、インドでは「迷惑はかけてしまうものだから、人に迷惑をかけられても許してあげなさい」と教えられると聞いたことがある。誰だって人に迷惑かけずに生きていきたいけれど、なかなかそうはいかない。とくに子育て中は。だけど、自分も迷惑かけながら育ってきたのだ、という自覚があれば、人の子にも優しくなれるかもしれない。
キッズカレーをおいしそうに食べるたまを見ながら、ファミレスでの「事件」を思い出した。
たまが3歳ぐらいの頃だったか、デザートのアイスを親子で分けていたら、わたしのひと口が大き過ぎると、たまが大泣きした。なだめても効果なく、席を立とうとしたところに、客の男性がやって来て、「黙らせろ」とすごんだので、たまはさらに大泣きした。
「黙らせろ」の男性の風貌は、あまり覚えていない。それよりも印象に残っているのは、わたしたちのテーブルのそばで立ち尽くしていた店員のことだ。
その店員の目が泳いでるなと思ったら、「黙らせろ」の声が飛んできた。男性が席に戻ってからも、店員の目は泳いだままだった。「あ、客が怒鳴りに来る。でも、自分には何もできない。あ、怒鳴ってしまった。どうしたらいいのか」と戸惑っている目だった。
荷物をまとめながら「すぐ出ますから」と告げると、店員は、ほっとしたようにうなずいた。
あのとき、わたしが感じたのは、どうしようもない孤独だった。世界中で自分一人が子育てをしているような、世界と隔てられた気分だった。
おとな気なくアイスをたくさん食べて娘を泣かせたのはわたしだし、その泣き声が静かに食事している人たちを邪魔したのは確かではあるけれど、怒鳴り込まれるほどのことをしたのだろうか。
子どもは泣くもので、スイッチひとつで泣き止ませることなどできず、むしろ、見知らぬ男性の怒鳴り声で音量を上げてしまう。そのことを、店にいる人たちは、皆知らないような顔をしていた。それが、わたしを孤独にさせた。
けれど、わたしだって、子どもを持つ前は、「黙らせろ」の男性側にいた。店の中で、電車の中で、声には出さなくても、「黙らせろ」と何度思ったことか、わからない。
あの孤独を知った今、自分にできることは、大勢の中で「たった一人」になってしまった母親(または父親)に、「大丈夫。子どもは泣くものだから」と笑いかけること。インド料理屋と中華料理屋をお手本に。
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