先日のご近所仲間の会で映画と鉄道をこよなく愛するT氏に贈呈された『シネマ大吟醸』(「魅惑のニッポン古典映画たち」と副題)を朝から読む。T氏は「今井さん、もっと昔の映画を観て勉強してください」とばかりに名画特集の案内や参考図書をせっせと寄越してくれるのだが、著者の太田和彦氏セレクトによる「昭和の原風景」と題した映画特集のチラシも先に届いていた。
「シネマ大吟醸」という面白く味のある言葉の精神は、本文の『大学の若旦那』のページを締めくくる「映画は作られた当時よりも、時を経て良くなる。それがビンテージ、大吟醸シネマである」というくだりがうまく説明している。あとがきには「ウイスキーやワイン(洋画)もいいけど、日本酒(邦画)もいいぞ、その大吟醸だ」とある。太田氏には『完本・居酒屋大全』『居酒屋かもめ唄』『東海道居酒屋五十三次』といった著書もあり、酒を語る語彙が実に豊か。酒にたとえての映画紹介は、名調子で気持ちよく酔わせてくれ、わたしも一杯という気分にさせてしまう。
そんなわけで「昭和の原風景」を上映中の神保町シアターを初めて訪ねる。こんなに立派で快適なミニシアターを本の街に作った小学館さんはエラい!と興奮するような環境(雰囲気よし、椅子よし、設備よし)で、紹介を読んだばかりの『絹代の初戀』(「恋」ではなく、糸ふたつに言がはさまれた「戀」というのがいい)をフィルム(16mm)上映でつかまえる。「姉であり母」という田中絹代演じるヒロインの設定が朝ドラ「つばさ」に重なる気がして、興味を持った。
昭和15年(1940)年、松竹大船の制作。松竹のロゴは富士山ではなくダイヤモンドみたいな形。「1947」と数字が入っていた気がするが、見間違いだったか。冒頭のキャストクレジット(エンドロールはなく、最後はプツンと終わった)は「キャスト」ではなく「役と人」。その縦書きの名前が無数の細かい線で分断される。フィルムの劣化で、外の雨がスクリーンになだれ込んだかのように画面も音もザーザー。ときどきびっくりするような破裂音も混じり、「これがずっと続くのか」と最初は戸惑うが、映画の世界に入っていくと次第に雨が気にならなくなる。雨は同じように降り続けているのに、見たいものを見、聞きたいものが聞こえるようになるのが面白い。
野村浩将監督は松竹のホームドラマを多く手がけた人のようで、とても見やすくわかりやすく作られている。家からお弁当を持って行ったことがきっかけでヒロインの妹(これがデビュー作の河野敏子)は社長の御曹司(『シネマ大吟醸』に何度も登場する佐分利信。色気のあるイイ男。ダメ息子がはまっている)の目に留まり、結婚話に発展するが、彼はヒロインが一目惚れした初恋の相手だったという話。脚本(池田忠雄)の力なのか、台詞がチャーミング。弁当のおかずを御曹司が尋ね、妹がつっけんどんにあしらうところも、弁当が縁結びとは「安上がり」だと姉妹の父親が感心するところも、生活感があってよかった。妹の母親役として自分の恋を封じ、御曹司に恥じない女性として妹を嫁がせようとするヒロインの親心が切ない。
ヒロインが御曹司に一目惚れする歌舞伎座前の場面、打ち合わせで通い慣れた松竹界隈の70年前の風景にハッとなり、胸を打たれた。現在松竹本社が入っている東劇は当時すでにあったのだろうか。一瞬映った歌舞伎座から東劇を望むアングルの引き絵は、様変わりしたようで今に通じる風景だった。これなら画面の中に迷い込んでも方向を見失わずに歩けそうだ。歌舞伎座の雰囲気は今と変わらないように見え、少し前に新聞で見てげんなりとなった高層ビルの「新・歌舞伎座」の完成イメージ図を思い出し、あれはイカンとあらためて思った。家に戻って調べてみると、歌舞伎座は過去にも大改築や漏電による焼失があり、現在の建物の原形である奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂が落成したのは大正13(1924)年12月のこと。それも昭和20年の空襲で焼失したが、昭和26年に復興し現在に続く建物の外観は大正版を受け継いでいる。ならば、今回の改築でも守り伝えて来た形に敬意を表すべきなのではと思ってしまう。今の最先端はどっちみちすぐに古くなるのだから、中途半端に新しくして伝統を断ち切る必要はない。映画人でもある石原都知事に『絹代の初戀』のこの場面を観て考え直していただけないものか。
『シネマ大吟醸』のなかにある「失われた風景を見るには映画が最適だ。しかも記録映画と違い作家の感性が入っているから、映画こそがその時代の最も美しい記録となる」にしみじみと同意しつつ、日本は失うスピードが早すぎるのではないかと思ってしまった。
『絹代の初戀』は4月15日(水)16:55、4月16日(木)13:45、4月17日(金)19:00にも上映あり。他にも味わい様々な大吟醸をそろえた「昭和の原風景」は5/8まで。『シネマ大吟醸』あとがきいわく、「日本映画は大まかに、映画誕生からサイレント期までを『大トロ』、以降戦前の作品を『中トロ』、戦後の白黒作品をまでを『レトロ』と分けられ(笑)、狙い目は昭和10〜20年の中トロだ」。その中トロ中心のラインナップ。それにしても酒にたとえたり、肴にたとえたり、太田氏は相当食べることが好きな人のよう。この人と日本酒飲みながら映画の話をしたら楽しいだろうなと想像するが、「今みたいなお粗末な勉強量では話についていけませんよ」とT氏にしかられそうだ。
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