2012年11月01日(木)  龍馬からの手紙(2000年)

坂本龍馬を最後にかくまった木工屋の「酢屋」さんが募集したコンクールで2000年度の最優秀賞を射止めた「龍馬からの手紙」を発掘。賞品の一枚木の文机(酢屋さんの作品)に置いてパチリ。



ニュースで「観光客が龍馬の目の高さまで梯子で登って対面できる」という龍馬像を見て、今の日本人の目は龍馬にどう映るのかなと考え、こんな手紙をしたためた。

 毎日毎日たくさんの「目」に出会う。日本諸所に立つ私の像を見る目だ。様々な視線を受け止めながら心がかりなことがある。未来を楽しみにさせる目の持ち主を、めっきり見かけなくなった。
 射るような鋭い視線の若者に「国を背負って立つ大人物になるかもしれぬ」と期待を寄せる。熱っぽく語りかけるまなざしの紳士に「同じ時代に生きていたら、開国の夢を分かちあえただろう」と好ましく思う。引き込まれるような澄んだ瞳の少女の成長した姿に思いを馳せる。そんな心躍る出会いに、近頃なかなか恵まれない。
 目をのぞき込むと、その人間が内に秘めている思念が見えてくる。ところが、私が出会う目たちは何も訴えない。そこに映っているのは私の厳しい顔だけで、空っぽなのだ。希望も野心もなければ、怒りも焦りもない。そんな目の持ち主がどこへ進もうとしているのか考えるとき、私は日本の行く末を案じずにはいられない。国を動かすのは人間であり、人間を動かすのは情熱や野望だからだ。
 人生とは魂が肉体を与えられ、地上に暮らすことを許された期間である。その短い旅の道標を見失い、立ち往生している日本人を見ていると、歯痒くてならない。大抵の物は難なく手に入る豊かな時代になって、自ら進んで求めることを忘れてしまったのだろうか。私が出て行って檄を飛ばしたいところだが、それは叶わぬ。
 現代の日本を生きる諸君、ひとつだけでも良い、自分をつき動かす何かを持って欲しい。一人ひとりの目に宿る力が合わさったとき、この国は再び生き生きと動きだすのではないか。かつて私と仲間たちがいた頃、日本は夜も眠れぬほど面白い国であった。
                                                                    坂本龍馬


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