2012年08月03日(金)  堺市立三原台中学校ソフトボール部同窓会

心斎橋の中華にて、堺市立三原台中学校ソフトボール部、はじめての同窓会。

わたしたちが入学した年に3年生でキャプテンだったY先輩が、関わりのある上下2代ずつに声をかけ、わたしたちの学年から上に5代までが集まった。

男子バスケ部が同窓会をやっているのを知って、「うちらもやろう」となったそう。男バスには、東京泉北会のメンバーが何人かいて、その中にY先輩の弟や同級生がいる。そんなわけで、東京泉北会は今回の同窓会開催に一役買っている。

初めましての先輩もご無沙汰してますの先輩も、皆さんパワフルで、自己紹介の声も大きくて、さすがソフト部出身。中学時代は、わたしも先輩方も表裏がわからないほど日焼けしていたから、誰を見ても「きれいになった、女らしくなった」と思ってしまう。

自己紹介とともに現役時代の思い出を紹介していく。わたしが印象に残っているのは、「M.S.B.C.ファイト〜ファイト〜」というかけ声。Miharadai Soft Ball Clubの頭文字だろうか。

「サンダー」とあだ名がついていた体育の杉山先生が顧問になってから、練習が厳しくなったそうで、わたしはサンダー時代しか知らないのだけど、たしかに厳しかった。

サンダーの作戦で、一秒でも早く一塁に進めるようにと、わたしたちの代から「全員左打ち」に切り替わった。「ヒットの構えからバント」「バントの構えからヒット」など4種類のサインも駆使して、勝ちに行った。

わたしの学年は20人以上いて、わたしの背番号は後ろのほうで、試合に出してもらえたことは数えるほど。休みのたびに応援に出かけて、なんのためにやっているんやろ……と思ったりしたけれど、それを察した母が、「強い人にもまれてたら、知らんうちに強くなる」みたいなことを言い、引退まで続けさせた。

「部活は途中でやめない」というのが今井家の方針でもあったのだけど、今思えば、まめが破れるほどバットを振り、筋肉に悲鳴をあげさせ、体を痛めつけたあの3年間で学んだことはとても大きい。

部活じゃなかったら、サンダーにどやされなかったら、あんなしんどいこと、絶対にやらない。

サンダーは「勉強もしっかりせなあかん」と、夏休み中は廊下に机を並べて勉強させた。勉強、練習、弁当、勉強、練習。朝早くから日が暮れるまで、よくつきあってくれたものだと感心する。

あの頃鍛えられた体力と忍耐力と学力が、今のわたしを助けてくれている。

そのお礼をサンダーに言いたかったのだけど、残念ながら欠席。でも、第2回もやろう、今度は紅白戦やろう、と盛り上がったので、お礼を言う機会はありそう。

もう一人の顧問だった女性の松下先生は、出席。右も左もわからない新任で顧問に就いたもののノックしても球が飛ばず……という思い出話で爆笑を誘った。学校の先生というのは、驚くほど印象が変わらなくて、話がうまい。

わたしたちの代は5人出席。いちばん下っ端のくせにビールを注いで回りもしないで、積もる話に花を咲かせた。同期だけで同窓会をすることもなく、3年間一緒にいた割には、まとまりのない学年だったのだけど、会えば一瞬で盛り上がり、「みんなも来れば良かったのに〜」。

絵本『わにのだんす』もお買い上げアリゲーター。

2次会3次会と喫茶店をはしごして、そのたびにお店に迷惑がられ、7時前に解散。6時間近くしゃべり続けた。

この日は偶然夜から難波で高校の3年6組の同窓会。長くなるので、日付を分けて明日の日記に。


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