2012年02月03日(金)  泉北会で「堺・歴史ナイト!」と堺カルタ

「なんかカルカル(=お台場カルチャーカルチャー)で面白そうなイベントが」と泉北会のM君が見つけてきた「堺・歴史ナイト!」。

「行く行く」と泉北会で同志が集まり、わたしの高校時代の同級生で脚本仲間の西村有加さんにも声をかけ、五人で参加することになった。

入口で堺の資料を配られ「おおー、仁徳天皇陵や〜」。火曜日に堺から戻ってきたばかりのわたしは、まだ堺気分が続いているので、言葉もすっかり大阪弁。堺市の広報の方や東京事務所の方もいらしていて、ご挨拶。わたしが三原台中学校で脚本の授業をしたことをご存知だったので驚いた。

司会はカルカルのテリー植田さん。
ゲストは歴史アイドルの美甘子(みかこ)さんと堺の歴史博物館の学芸員さん。大仙公園にある大きな博物館を子どもの頃よく見学したのを思い出す。


堺ナイトにちなんだ特別メニューのひとつ「古墳ピラフ」。「グリーンピース敷き詰めてるんかな」と噂してたら、前方後円墳の鍵穴型に抜いただけで、泉北会テーブル一同「ううむ」。堺の職人魂が発揮されていないのが悔やまれる。

剣先唐揚げも、たしかにとがっているのだが……もうひと工夫、あるいは、もう一本ほしかった。

いつしかドリンクもフードもジャンボサイズに。こちら巨大パンケーキ1200円也。


とまあ泉北会テーブルは、食べもん飲みもん何が来てもやいのやいのとうるさく、トークに口々にツッコミを入れてたのだけど、他の皆さんは静かに傾聴。

泉北会の落ち着きのなさをものともせず、壇上の三人のトークは進む。堺ゆかりの人物や場所がスライドで紹介されると、頭の地層をかき分けて、堺歴史スイッチが入った。

「仁徳陵」と聞けば「世界一広く大きな仁徳陵」(正確には「世界一広い大きな大仙陵」)、「ソテツ」が出れば「ソテツさえ泣いて帰ろという堺」、包丁が出れば「昔から堺の包丁よく切れる」と「堺カルタ」の文言が蘇る。発案者の別所八十次先生は、わたしが高倉台小学校に通っていたときの校長先生だった。

子どもの頃に慣れ親しんだ堺カルタが、数十年後のイベントの予習になろうとは!

古い記憶をくすぐられ、懐かしい、だったり、そういう意味だったのか、だったり。堺の歴史が自分の体にある程度しみこんでいるのを自覚すると同時に、新発見もあり、もっと勉強したい気持ちをかきたてられた。

脚本教室と合体させて、堺カルタからドラマを膨らませる授業なんかも面白そう。

来場の方から一言と突然マイクを渡されたので、堺カルタの話をしたところ、美甘子さんも興味を持ってくださった。堺カルタのサイトはないかと探してみたら、あった。これで「あ」から「わ」までバッチリ。

会場には古墳シンガー(!)の「まりこふん」(テリー植田さん命名)さんも参加。「仁徳陵かわいすぎ〜」と古墳愛を語っていた。仁徳陵から数百メートルのところで生まれたわたしは、ちょっと誇らしい。まりこふんさんは「石舞台」というユニットで歌っていて、「旅立ちの石舞台」というCDをいただいた。

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