2009年02月05日(木)  焼き鳥屋で会社の同窓会

広告会社のコピーライターをやめて、3年半。会社を辞めていちばん淋しいのは、飲み会が減ったこと。残業が毎日のことだったから、晩ご飯は大抵同僚と食べていた。残業中の残メシのこともあれば、仕事が終わってからの帰りメシのこともあり、何日かに一度はお酒が入り、仕事の打ち上げやら歓送迎会やら飲み会はちょくちょくあった。会社をやめてフリーになったとき、そういうつきあいがバサッ、ドサッとなくなってしまった。

だから、保険会社や冷凍食品協会の仕事で組んでいたアートディレクターのフジモトさんから飲み会の誘いが来て、飛びついた。恵比寿にある牛タンと焼き鳥のお店『りん』に集まったのは、フジモトさんとわたしの他に、オオツカ君、オバタさん、イシワリ君とフジモトさんの5人。オバタさんとわたしが女性、オオツカ君とわたしがコピー出身で、あとの3人はアート。同じ頃に会社にいたけれど、今は全員辞めて、あちこちに散っている。

フジモトさんとわたしは誕生日がひと月違いで、10歳違い。2月9日にわたしが29歳になった翌月の3月9日にフジモトさんが39歳になった年、保険会社の仕事でロサンゼルスへロケに行った。「空でスカイ?」「雪でスノー」「砂糖でシュガー」などと英語ダジャレを言い合って、笑ってばかりの毎日だった。10年も前のことなのに、昨日のことのような気がする。わたしのダンナが年下だと思い込んで「フジモトくん」と呼んだほど見た目は若々しいくせに、オッサン化炭素(CO3)の放出量は半端ではなく、「地下一階は近いかい?」「墓地にぼちぼち行くか」などとぼやいては、周囲をオッサン化炭素中毒に陥らせていた。

フジモトさんとは、冷凍食品協会の仕事で中国の冷凍食品工場をマイクロバスで訪ねて回ったこともあった。当時はほうれん草の残留農薬問題で大騒ぎになっていたけど、去年の餃子事件に比べたら、まだ警戒レベルは低かった。工場を案内してくれた人たち、皆さんどうしているだろう。

同窓会をするたび、自分の昔を知っている人は、脳みその出張所だなあと思ってしまう。本人が覚えてないことを覚えていてくれ、何年も忘れていた名前を思い出させてくれる人たち。脳みその奥深くに沈殿していた記憶がかき回され、ゆっくりと浮き上がってくるのが面白い。

元同僚との同窓会で盛り上がるのは、思い出話ともうひとつ、今の会社の噂。広告業界はかなり厳しい時代になっていて、われらが古巣も例年になく苦労を強いられている様子。脚本家でなくなって、もう一度会社員になるとしたら、またあそこで働きたいと思うぐらい好きな会社なので、頑張って欲しい。

フジモトさんが年末に行ったコスタリカのリゾートの写真を見せてもらったり、「確定申告は青色と白色とどっちでやるべき?」話をしたりするうち、5時間が過ぎて、終電の時間になった。5人の中で、いちばん最近会社を辞めたのがオバタさんで、「話し相手がいなくて、毎日淋しいのよ〜。また相手にしてよ」と言うのを聞いて、わたしも辞めたとき、そうでしたと話す。一日に使い切るべき言葉が使い切れなくて、生ゴミみたいに腐ってガスがたまっていく感じ。時間が経つと慣れるけれど(言葉分泌量が減るのか?)、やっぱり飲み会でワイワイやるのは楽しい。

【今日のおやつ】古賀音だんご みたらし

いただきもののみたらし団子。幡ヶ谷にあるふるや古賀音庵というお店の名物「古賀音だんご」のみたらし味。説明書きに「たった一日しかもちません(中略)本物が持つ美味しさは一日のはかなさのなさに、と拘り続けてまいりました」とある。その姿勢にほれぼれし、昨日いただいたのだから、急いで食べなくては、とまず3本。止まらず、ひと箱5本ぺろりと平らげる。だんごもたれも上品でやさしくて、これは危険。ブレーキがかかりません。

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