年に数えるほどしか会えないけれど、気まぐれにかかってくる電話のせいか強烈なキャラクターのせいか印象が薄まることのない『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんから、昨年の暮れ、一晩に4件の留守番電話があった。かけ直すと、「自転車の映画って今井さん? さっきまで企画売り込んだっていう小豆島のオリーブオイル協会会長と会ってたのよ。こども映画祭をやりたくて、映画のことすごくほめてたよ。じゃあ今度紹介するわ」。省略・飛躍の多い魔女田語を長年のつきあいで使い込んだ翻訳機にかけると、「どうやら『ぼくとママの黄色い自転車』の成立に関わった小豆島のオリーブオイル協会会長さんと益田さんが知り合って、映画の話になり、わたしとつながったらしい。こども映画祭を企画されているその方は、『ぼくママ』の仕上がりを気に入ってくださっているらしい。詳しくは、お会いしたほうが早い」となった。
そして、ひと月たった頃、再び魔女田コールがあり、「21日あけといて。例のオリーブオイルさんと会うから。東映の人も来るって。名前、聞いたけど忘れた」と告げられた。東映の人の名前は「2階にメモがあるから後でメールする」と言われたけれど、案の定メールは来ず、当日電話したときも、「わかんない」という返事で、やはり「行ったほうが早い」と思いながら、指定されたシーボニアメンズクラブへ向かった。
シーボニア〜は、お目にかかるだけで心躍る素敵な素敵な田邊のおじさま、田邊勉社長のお店。仕事で30分ほど遅れて到着すると、わたし以外の皆さんはそろわれていて、「席をあたためていました」と田邊のおじさまがにこやかに立ち上がられた。挨拶を済ませておじさまは立ち去られ、まずは、「木村さんだったんですか」と東映の木村立哉さんに再会。『ぼくとママの黄色い自転車』は東映制作ではないのだけど、木村さんはプロデューサーとして参加されていて、一緒に脚本を作っていた。それから、「オリーブオイル協会会長」は、小豆島ヘルシーランド株式会社の柳生好彦社長。「協会会長」も兼ねているのか、魔女田語録お得意の勘違いなのかは確認しそびれた。新堂冬樹さんの原作『僕の行く道』を読んで、舞台が小豆島ということもあり、ぜひ映画化したい、となったところ、すでに映画化の話が進んでいることを知り、木村さんに連絡を取って映画への協力を申し出てくださったそう。その柳生さんとクレジットロールで相合い傘のように仲良く並んでいる高山里美さんも紹介される。音楽関係のプロデュースを手がける株式会社ソフトウェア・ジャパンの女社長さん。さだまさしさんの主題歌は、この方がつなげてくださって実現したそう。魔女田さんと柳生さんは「こども映画祭」つながりで知り合い、魔女田さん以外の4人は『ぼくママ』つながりで、わたしと魔女田さんは『風じゅー』以来のくされ縁。そんな5人が集まって、話題の尽きない夕食となった。
『ぼくママ』の初号試写でオヤジたちがこぞって涙していた話にはじまり、高知を舞台にした映画『はりまや橋』のこと、柳生さんがあたためているこども映画祭構想、四国といえば先日『子ぎつねヘレン』が上映されたさぬき映画祭のこと。さらに、神戸にある全室スイートルームのラ・スイートというホテルが素敵よと教えてくれた高山さんが「アマゾンで一生分の虫を見てから虫嫌いを克服(超越?)」した話や「布団持ってキャンプに行く」話をし、夏になったら小豆島にみんなで遊びに行きましょう計画が飛び出した。再び話題は映画に戻り、「どんな話を映画にしたら面白いか」「この人の人生はどう?」などと話すうち、高山さんが猛烈に働いて巨額の借金を返した身の上話に。「その話がいちばん映画向き!」と盛り上がる。「あのね、女は非常時に強いのよ」と魔女田さん。今年6月公開予定の劇場版『築城せよ!』では700社からお金を集めたというから、集金力はさらに増強されているよう。「50億持ってる人と知り合って、映画作りたがってるのよ」などとあっけらかんと言うのだけど、どうやってそういう人と次々知り合うの?? 「最近ね、お金出してくださいってお願いしに行くときに、キスがいい? 寄付がいい? って聞くの。そしたら、みんなあわてて寄付にしますって言うのよ〜。中には両方って人もいるけど」と魔女田さん。『キスかキフか』、これ、次の魔女田本のタイトルにどうでしょう。キスカキフカ、お金が集まるおまじないみたい。
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