2008年02月06日(水)  『看護』4月号に「玉稿」掲載

日本看護協会出版会の雑誌編集部より寄稿依頼のメールが届いて、日本看護協会の機関誌『看護』を知った。広告会社勤務時代に業界の数だけ機関誌(紙)がある(『日本たばこ新聞』、月刊『砂と砂利』など)ことを学んだが、看護専門の機関誌が存在するのも当然である。届いた見本誌(1月号)を開いてみると、特集もコラムも広告も見事なまでに看護一色。看護というテーマでこれだけ書くことがあるのかと驚かされる。特集のひとつが「看護を社会に発信する」となっていて、「メディアを活用する」(テレビドラマ)という見出しがあり、テレビドラマの看護指導をされている方が「看護の心を伝えたい」と語っている。「現実とフィクションの狭間で……」「ドラマが生む効果」という小見出しからも想像をかきたてられる。放送文化基金のパーティーで知り合って以来親しくしている余語先生も医師の立場からいくつかのドラマをアドバイスされていたが、「フィクションであっても、心をもって誠実に」見せたいとおっしゃっていた。「ドラマの中の医療者」という連載もあり、一脚本家にとっても読みどころ満載である。

前置きが長くなったが、お願いされたのは、「今月のことば」という見開き2ページのコラム。見本誌では、あの『女性の品格』の著者で紅白の審査員もなさった坂東眞理子さんが執筆なさっていて、その3号後にわたくしめが同じ場所に登場させていただいてよろしいのでしょうかと恐縮する。声をかけてくださった編集部の男性は、池袋シネマ振興会のフリーペーパー『buku』に連載中のエッセイ「出張いまいまさこカフェ」で今井雅子を知ってくださったのだという。自分の書いたものの反響を聞くのはうれしいが、読んだ人から次の原稿を依頼されるのは、何よりのほめ言葉だ。

bukuのエッセイは約1,000字だが、今回の依頼はその2倍。1,000字だと勢いで書け、プロットのように1万字クラスだと思いつくまま書きちらせるのだけれど、原稿用紙5枚でまとめるというのは思った以上に大変だった。書いては寝かせて仕上げた原稿をメールで送ると、編集部氏より「玉稿、拝受しました」の返信。あたたかい雰囲気が伝わってきたとのことで、声をかけてくださった期待には応えられたようで安心する。

自分の原稿を「玉稿」と呼ばれたのは初めてで、「玉稿とは何と気持ちのいい言葉か」と舞い上がる。「玉のような赤ちゃん」と同じく「玉のようにすばらしい原稿」という意味だと合点したのだが、新明解国語辞典を引いてみると、「相手から受け取った原稿、の意の尊敬語」とあり、無知を思い知る。以前、とある有名な脚本家の原稿を「国宝です」と受け取るプロデューサーの噂を聞いた。「玉」で「宝」に一歩近づいた気になったのだが、それ以前の問題。「恵存」(保存してくだされば幸いです、の意。自分の書いた書籍などを贈るときに書き添える)も知らなかったし、尊敬したり謙遜したりの語彙が品薄だなあと反省。エッセイの仕事もふえてきたことだし、日本語を使いこなせるよう勉強しなくては。「玉稿(!)」は3月20日発売の4月号に掲載予定。

2007年02月06日(火)  マタニティオレンジ73 ひろくてやわらかい床を求めて
2004年02月06日(金)  ミニ同期会
2002年02月06日(水)  電車にピップエレキバン

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