今日から明日にかけて、泊りがけの仕事。娘のたまが生まれて以来、離れて夜を明かしたことは一度もないので、子どもを連れて宿泊することになる。さらに、わたしが打ち合わせしている間は堺の母にベビーシッターを頼むことになり、母の宿泊も必要になった。広告会社に勤めていた頃、このようなことをする外注先に遭遇した記憶はないから、わたしがしていることは、かなり厚かましいことなのだろうと想像する。母と子どもとともに現地に乗り込んでいる安心感があるからこそ仕事に打ち込めるわけだけど、そのわがままを聞き入れ、対応してくれたプロデューサーや理解を示してくれた他のスタッフの方々に感謝する。
晩ご飯用の離乳食は、宿泊先の沿線に住む妹の家に立ち寄った際に持たせてもらった。家ではフローリングの床に遠慮なく食べこぼせるけれど、ホテルのカーペットを汚すのははばかられ、ユニットバスのバスタブの中で食事に挑戦。赤ちゃん相手とはいえ二人で向き合うにはスペース的に無理があり、しかも床がすべるので、あえなく断念。カーペットにピクニックシート代わりにバスタオルを敷く作戦に変更した。
打ち合わせが終わり、10時頃に部屋に戻ると、打ち合わせとタイミングを合わせるように眠ってくれたたまが目を覚まし、その目がらんらんとなり、完全に覚醒してしまった。大阪の実家や鎌倉のセピー君の家で外泊経験はあるけれど、ホテルに泊まるのは初めて。生活感のない空間に、これまで体験したことのない空気を感じたのか、落ち着かない。幸いぐずるのではなくハイになっている状態で、スプリングのきいたベッドの上で跳ね回り、歓声を上げ、枕投げでもはじめそうな勢い。まるで修学旅行先の小学生のようだ。
心配したのは、ベッドのこと。落下をおそれて家では床に布団を敷いて寝るようになったが、和室がないということで、ベッド二つのツインの部屋を用意された。二つのベッドをつなげようと試みたけれど、動かないので、椅子を二脚向かい合わせにして置き、ベッドとベッドの間を塞いだ。二つつなげた椅子は、たまにはごきげんな乗り物に見えたらしい。目にもとまらぬ勢いでベッドから乗り移ってきた。椅子の背につかまり立ちし、得意げに「オー」と雄叫びを上げる姿は、大海原を見つめる船乗りのよう。ベッドの足元付近には万が一落下したときのクッション代わりにとベッドのコンフォーターを敷き、わたしの眠気が限界なので、一向に寝てくれそうにないたまを無理やり抱きかかえて眠りについた。たまは無事朝まで眠ってくれ、ベッドから落ちる事態は避けられたけれど、足元をすくわれたり落ちたりする悪夢を立て続けに見たわたしの眠りは浅かった。
2003年07月09日(水) LARAAJI LARAAJI(ララージララージ)
2002年07月09日(火) マジェスティック