2003年11月30日(日)  小津安二郎生誕百年

「オズ映画」と聞くと1939年のアメリカ映画「The Wizard Of Oz」を想像してしまうほど、小津映画にはなじみがなかった。恥ずかしながら一度も見たことがなかったのだが、見なくてはと思っているうちに小津安二郎生誕100年の今年を迎えた。最近親しくしているご近所仲間の間で「小津を観る会」が企画されたので、渡りに船とばかりに参加表明。言い出し人は映画と鉄道が大好きというT氏。いちおしの「東京物語」とこれまたおすすめの「麦秋」を男女6人で観る。

国立近代美術館フィルムセンターにて、各回1300円。普段は500円で貴重な昔のフィルムを見せてくれる場所なので、企画上映とはいえ通常の2倍以上の鑑賞料金を取ることに不満の声も上がっていると聞くが、半世紀以上前の作品を上映してもらえるのはありがたい。今回はじめてコンビニでチケットを買ったが、コピー機にPコード入力すれば後は画面の指示に従ってスイスイ。存在は知っていたけど、これほど便利なものだったとは。使い方を教えてくれ、Pコードも調べておいてくれたT氏に感謝。時刻表マニアだけあって調べ物を厭わず、細かいとこまで気の回る人である。

「東京物語」は昭和28年、「麦秋」は26年の作品。ニ作品の出演者がかなりかぶっていて、最初は「東京物語で老いた父だった笠智衆が、麦秋では若い息子になっている!」とほんの2年で一世代も飛び越えてしまったことにびっくりしたが、すぐに慣れてしまったのは、役者の力量なのだろう。原節子はどちらの作品でもおいしい役どころで、かわいく、強く、よく食べていた。何ともいえない上目づかいと「〜なんですの」という言葉遣いが気に入った。真似してみたいが、周囲に心配されるだけだろう。

女優さんたちはきれいで品があり、とくに「麦秋」の淡島千景の愛らしさに惚れ惚れした。杉村春子の存在感に目を見張り、昔は嫁に行くことを「片付く」と自然に言っていたことに衝撃を受けた。物語そのものは淡々としすぎているほど事件が起こらないのだが、なぜか最後まで引き付けられる。登場人物たちの心の動きを丹念に追っているからだろうか。昭和二十年代の日本の風景も興味深く、SLが煙を吐いて走り抜ける姿にはT氏ならずとも心が躍った。

近くのナイルレストランでインド料理を食べながら、余韻に浸る。最近は一人で映画を観ることが多いので、他の人がどう観たかを聞けるのは楽しかった。女性たちには「私、年は取らないことにしていますの」という東京物語の紀子(原節子)の台詞が印象に残り、男性たちは両作品のしめくくりに登場した「これでも幸せな方だよ。他の人よりもよっぽとマシだよ」」というしみじみした台詞に共感していた様子。ご近所仲間のみなさんはどんな話題にもついてくる好奇心旺盛なメンバーなので、「小津映画は人物の出入りに日本家屋の特長をうまく生かしているんです」「あのシーンに出ていた建物はお茶の水のニコライ堂だ」「十朱久雄さんは十朱幸代さんのお父さん」などと面白い指摘や話題が尽きなかった。

銀ブラしながらの帰り道、この辺も映画に出ていたなあと思う。昭和二十年代の和光の辺りは時代の最先端だったのだろう。当時すでに「地下鉄」の入口があったことに驚いたが、日本初の地下鉄は昭和2年に浅草〜上野間が開昭和14年には渋谷までの銀座線全線が開通していたらしい。

2002年11月30日(土)  大阪のおっちゃんはようしゃべる
2001年11月30日(金)  函館映画祭1 キーワード:ふたたび

<<<前の日記  次の日記>>>