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あまり、Web日記に個人的なことは書かないことにしているが、今日はちょっと、愚痴を書きたい。希死念慮とは自殺願望のことである。
真剣に、死のうと思った。
賞与が支給された。その余りの減り方に衝撃を受けたのである。なんだ、たかがそんなことか、という人は、真剣に働いて、裏切られた事がない人である。
私に、なにか、問題を起こしたり、失敗したり、というマイナス要因はない。それどころか、私が新しく始めた仕事が十分会社に利益をもたらしているというのに、である。うつ病で働きが鈍くなっている頭脳を薬で活性化して頑張ったのに・・・。
企業で個人の努力が必ず報われるわけではないなどということは、わかっていたはずだが・・・。口惜しい。
私だけではなく、他にも怒りに身を震わせている人がいた。私は、あまりのショックにどうやって自宅まで帰ってきたのか覚えていないほどだ。自宅に着くなり、昏倒してしまった。軽い脳梗塞でも起こしたのかも知れぬ。
このまま死ぬなら、それも良かろう。保険金の方がボーナスよりもよほどマシだ。
高度成長期からバブル期にかけてサラリーマンをしていた人は、忙しいことは大変であったろうが、余程のことがないかぎり、毎年順調に給料とボーナスが上がった。人間、苦労が報われれば、我慢する事も出来る。
今の世の中は、企業が個人に甘えている。平気で裏切る。給与計算を複雑にして、算出根拠を分かり難くして、文句がなかなかいえないようにしている。実にいやらしい手口だ。
こんな世の中で常に目標に邁進していく、なんて、アホらしくて、出来たものではない。
2003年06月29日(日) |
「地球温暖化を防ぐにはもはや手遅れである事を、諸々の兆候は示している」国連環境プログラム、1999年報告書 |
◆国連環境プログラムの報告要旨
●地球環境の現状
オゾン層破壊 : フロンによるオゾン層破壊の進行
これまで放出されたフロンガスなどにより、2010〜20年に最大3分の2が破壊され、本格的な被害はこれから(NASA)。
・ 今後、有害紫外線Bが増加し、皮膚ガン、免疫の低下、白内障などが増加。農作物・漁獲も減少。
● 地球温暖化 : 石油などの大量消費で、1990年代後半の大気中の二酸化炭素濃度は過去最高に。
・ すでに温暖化が始まり、異常気象、洪水、干ばつなどが頻発。
・ 先進国の温暖化ガス削減目標を決めた京都議定書の達成は難しく、地球温暖化防止はすでに手遅れ。
● 化学物質汚染 : ダイオキシン、環境ホルモン、農薬、有害廃棄物などの汚染が深刻
・ 世界で年間500万人の急性農薬中毒が発生、さらに空気、水、食べ物、土にも汚染が広がり、ガンや生殖異常などが増えている。
・ このままでは2050年には環境中に出る有害物質の量は現在の3倍以上になる。
● 森林破壊 : 乱開発、商業伐採によって世界の原生林は80%が失われ、熱帯林の破壊はすでに取り返しのつかない状態。
・ 森林破壊や過耕作、過放牧などで世界中の土地で劣化が進み、世界の20%の土地で砂漠化が深刻、農業が困難となり10億人の生活に影響が出ている。
● 生物種の絶滅 : 開発や森林破壊によって、ほ乳類の25%、鳥類の11%が絶滅の危機にあるなど、現状の生物多様性を保つことさえ既に手遅れ。
● 食料危機 : 農業の生産力は水不足や農薬、化学肥料による土の劣化ですでに頭打ち、農地も人口増化、都市化によって減少している。
・ 地球温暖化、森林破壊などで、今後農業の生産力はさらに低下、食糧が不足する。
・ 漁獲量も乱獲によって頭打ち、2050年には需要が倍増し、不足が避けられない。
● 水資源の不足 : 農業や工業、都市化で水が大量に消費、多くの河川が枯れるなど各地で水不足が深刻しており、このままでは2025年に人口の3分の2が水不足になる。
◆将来の予測:
・地球温暖化、森林破壊、砂漠化、水資源の不足などほとんどの環境問題はすでに取り返しがつかない。
・今後50年で人口は30億人増加、このままでは資源消費が増大し21世紀には環境問題はさらに悪化。
・このままでは、資源の枯渇、環境破壊、食料危機は避けられない。―→ 資源、エネルギー、食料を大量に輸入している日本は最も危険。
◆所感:残念ながら、人類は滅亡に向かっている。
地球温暖化だけを取り上げても、2100年までには南極の氷が溶けることにより、海面が上昇し、NY、ロンドン、東京など、事実上殆どの大都市は水没すると考えられている。
工業生産をやめて、エネルギー消費を極小にするために、人間が農耕中心の自給自足的生活へ逆戻りしないかぎり、事態の進行は防げない。実際にそんなことはできないだろう。
ということは、結論はひとつ。人類はそれ程長いこと存続できないであろう。地球上に生まれた生物の99%の種は既に絶滅しているという。人間も例外ではないのであろう。
ちなみに、地球温暖化をもたらす最たるものは、各国が排出するCO2であるが、アメリカ1国だけで、全世界の24%に相当するCO2を吐き出している(日本は5%)。ブッシュのバカは自国が人類を存亡の危機に立たせている事を知らないのだろう。周りの奴ら、教えてやれよ。
2003年06月28日(土) |
英首相府とBBC全面対決 「謝れ」「謝らない」 BBCいいぞ。頑張れ。 |
◆英首相府とBBC全面対決 「謝れ」「謝らない」
【ロンドン26日共同】英首相府のキャンベル報道局長は25日、イラクの大量破壊兵器の脅威を告発する機密報告書を昨年9月にまとめる際、同局長が「もっと人目を引くように」と情報機関に強要したとの報道について、英議会外交委員会で証言し「うそだ」と否定。BBC放送の軍事担当記者を名指しし、ブレア首相とともに謝罪を要求すると述べた。
BBCは同日夜、声明を発表し、報道は「信頼できる高官」の情報に基づくとして記者を擁護。「謝ることは何もない」とはねつけ「サッチャー元首相の最盛期以来、政府からBBCへの最も激しい攻撃」(マー政治部長)とテレビ・ニュースで報じた。
同局長は英大衆紙デーリー・メールの編集長出身で「情報操作の達人」とされ、「閣僚より大きな権力を持つ」(BBC)といわれるブレア首相の側近中の側近。
◆所感:大量破壊兵器を巡る情報操作
イギリスは、アメリカと同調してイラクが大量破壊兵器を所持していることを開戦の理由としたわけである。その根拠となったのは、イギリスの諜報機関が作成したリポートなのだが、ブレア首相の側近のキャンベル報道局長は、諜報機関に対して、「イラクの脅威を(実際以上に)もっと強調しろ」と強要したという。そのほうが戦争に対する国民の指示を得やすいからである。
ところが、このたび、そういうインチキがあったことを、BBCの記者がすっぱ抜いたのである。本当だとしたら大スキャンダルだから、政府は「ウソだ!BBC謝れ」と激怒しているが、真実の報道を目指すBBCは「事実なのだから誤る必要はない」と突っぱねているわけである。
BBCはえらい。権力に屈しない。これぞ、ジャーナリスト魂だ。
イラクの大量破壊兵器(Weapon for Mass Desturuction;海外の新聞では略してWMDと書いている)はいまだに見つかっていない。
昨日の日経国際面にも記事があった。アメリカでもWMDが見つからない事が流石に問題になっている。議会は政府を追及する姿勢になっている。もしかすると、ニクソン大統領時代のウォーターゲート事件以来の最大の政治スキャンダルになるかもしれない。はやくも「WMDゲート」という言葉が作られている。
小泉政権はは、自分ではWMDの存在など勿論確認していないのに、「アメリカが(WMDは)イラクに必ず存在するといっていたから」というだけの理由でいち早くアメリカを支持し、今度はイラクに自衛隊を送ろうとしている。それも、WMDの存在が前提となっているのだ。
日本のマスコミもBBCを見習って、もし、WMDがみつからなかったら、小泉政権はどう責任を取るのか、追求せよ。
2003年06月27日(金) |
5歳の男の子から両親を一瞬にして奪った、酔払いトレーラー運転手 職業人としての自覚 |
6月21日夜、茨城県水戸市島田町の国道51号線で、故障で路肩に駐車中だった乗用車の後に、大型トレーラーが突っ込んだ。修理作業を見守っていた、この乗用車の持ち主とその妻はトレーラーに吹き飛ばされた即死した。両親が死ぬのを5歳の男の子は車の中にいて、見ていた。
このトレーラーの運転手、大久保三喜夫容疑者は酒を飲んでいた。事故直前に、蛇行運転を繰り返す大久保容疑者の車を目撃した人もいる。
5歳ともなれば、事態を把握できる。事故直後、この男の子は祖父母が面倒を見ていたが、食事になるたびにうわごとのように、「ママ・・・ママ・・・」とつぶやき、そして、ついに「ママーッ!」と泣き叫ぶのだそうだ・・・・。
運転手という職業が、本来的にいやしいものであるわけはない。しかし、現実を見ると、職業運転手の中で特にトラック運転手というのは、程度の悪い奴が多い、という印象を、私は、偏見だといわれようが、拭い去る事が出来ない。
車の運転とは何トンもある鉄の塊を時速数10キロで移動させることに他ならない。この鉄の塊のエネルギーはものすごいものである。車を運転するというのはそれだけ危険な作業なのだ。それに相応しい、緊張感を持って臨まなければならない作業なのだ。
ましてや、車の運転を職業とするものは、プロである。プロとはあらゆる職業において、素人よりも優れた技術と識見を持っていなければならない。それが、職業人として社会で働くものの義務である。
しかしながら、現実社会では、職業運転手の中には酒を飲んで運転することなど、日常茶飯事言ってはばからない愚か者がいる。自分の職業をいやしいものに貶めている事に気がつかない、どうしようもない連中だ。
このトレーラーの運転手は、5歳の男の子のこれからの人生を台無しにしてしまった。まだまだ、母親に甘えたかっただろう。父親と遊びたかっただろう。これから、学校に入り、運動会があるたびに、授業参観があるたびに、寂しい思いをするだろう。
私は、酒を飲む人間は運転免許を取るべきではないとすら、考えている。それが、行き過ぎだとすれば、(今の行政処分がどうなっているか知らぬが)少なくとも、飲酒運転によって一度でもこのような重大な事故を起こした人間には、その後一生、運転免許を与えるべきではないだろう。
2003年06月26日(木) |
技能五輪国際大会、日本勢「金」6個で3位 昨日に続き、いいニュース。 |
◆記事:スイスのザンクトガレンで開かれていた技能五輪国際大会が25日閉幕した。日本勢は精密機械組み立てや木型など6種目で金メダルを獲得、銀2個、銅3個、敢闘賞9個と活躍した。国別のメダル獲得数は1位が韓国、2位スイスで、日本は3位だった。日本は38の競技種目中31種目に34人が出場。36カ国740人の代表選手と技を競った。同大会は2年に一度開かれており、参加資格22歳まで。
◆世界に誇る日本の技術は死んでいない。
数年前にNHKが、近年このような職人の技量が落ちている。かつての名人の跡を継ぐ若者も減っている、というような、悲観的なトーンでニュースを伝えていたけれども、今日のニュースは大変喜ばしい。韓国、スイスに負けた、という風に考えるのはマイナス思考である。世界36カ国の中で3位だったということに注目するべきだ。
こういう職人さん達には、国家が報奨金を授与するとか、もっと大々的に称えるべきだ。努力が報われる社会でないと、人々ははやる気をなくしてしまう。
2003年06月25日(水) |
ウィ―ンフィルに日本人が入団!信じられないほどの栄誉。 |
◆記事
<ウィーン・フィル>初の東洋人団員にチューバ奏者、杉山さん
世界最高峰のオーケストラとして160年の栄光を誇るウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィルハーモニー)に、初めての日本人団員として、新日本フィルハーモニーのチューバ奏者、杉山康人さん(35)が採用されることになった。フルトベングラーやカラヤン指揮の名演によって歴史に名を残すウィーン・フィルは、オーストリア人を中心にしたオーケストラで、これまで東洋人団員はおらず、「信じられない快挙」と音楽関係者も喜んでいる。同歌劇場の音楽監督に就任した指揮者の小沢征爾さんとともに、ウィーン楽壇に新風を吹きこみそうだ。
杉山さんは、小沢征爾さん主宰のサイトウキネン・オーケストラ公演に来日したウィーン・フィルのバストロンボーン奏者と共演した際、高く評価されて推薦され、オーストリア人、ドイツ人計7人とオーディションを受け、6月20日に行われた4次審査の結果、杉山さん一人の合格が決まった。歌劇場管弦楽団での試用期間1年を経てウィーン・フィルの正式なメンバーになる。今年12月からウィーンでの演奏活動を始める予定だ。
◆所感:信じられぬほどの栄誉
ウィーンフィルに・・・・日本人が・・・入団・・・・。
一瞬、我が目を疑った。がどうやら本当らしい。嬉しい。それは簡単に言葉で言い表すことができないほどだ。
それには理由がある。
ウィーンフィルというのは、世界中見回しても独特のオーケストラである。ウィーンで生まれ育ち、ウィーン音楽大学で現役のウィーンフィルの奏者から教えを受けた者、しかも、男性しか、入ることが出来ない。あくまで、オーストリアの純血にこだわっていたオーケストラである。
ウィーンフィルと並び称されることが多いベルリンフィルは世界中からメンバーが集まっている。全然違うのである。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督には昨年のシーズンから日本人の小沢征爾氏が就任しているではないかという人がいるかもしれないが、棒振りと実際に音を出すのは別の次元の話である。それに、音楽監督といえども、オーケストラ団員の意向を無視して自分の好みの奏者を入団させる事はできないのである。オーケストラのメンバーの選考はあくまでも団員によるオーディションを経なければならない。
オーケストラのオーディションというのは、どんな楽器でも、、チューバであろうが、打楽器であろうが、ウィーンフィル全員の前で演奏するのである。チューバの音色は単にトロンボーン・チューバセクションの問題ではなく、オーケストラ全体の響きに関わる問題だからである。
そして、弦楽器奏者も、木管楽器奏者も、全員が討論して、誰を採るかを決める。普通のオーケストラならば、一番上手くて、そのオーケストラに合った音色を出せる奏者を選ぶ。国籍は問題にならない。しかし、ウィーンフィルだけは、音楽性はもちろんの事、ウィーン人であるということが大前提だったのだ。
世界からは人種差別だとか批判される事もあったが、絶対その点は譲らなかったのだ。そのウィーンフィルが、ウィーン人どころか、西洋人でもない、日本人を採用したということは、クラシック音楽の世界全体が驚嘆するような、世界的な大ニュースなのである。
これは、ウィーンフィルにその「伝統」を崩す決心をさせるほどの高い演奏能力と、音楽性を杉山さんが持っていたから、と解釈するほかはない。繰り返すが、音楽監督の政治的な関与ということはありえない。
大袈裟にいえば、日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士と同じぐらいの快挙である。但し手放しで喜ぶわけにはいかない。オーディションに合格しても、テスト期間を無事に通過しなければならない。この間に、やはり不適格だ、といって、正式な入団を認められない場合もあるからだ。
しかし、やはり私は、これほどの難関を突破した、杉山さんの実力を信じよう。
2003年06月24日(火) |
「<過労度診断>アクセス殺到でダウン 中央労働災害防止協会HP」 如何に皆が疲れているか・・・ |
◆記事
「 厚労省が、働き過ぎなどによる過労度を自己診断できるチェックリストを中央労働災害防止協会などのホームページ(HP)で公表したところ、アクセスが殺到し、24日未明からHPにアクセスできない状態になっている。厚労省は「過労問題にここまで感心が高まっているとは思わなかった。早急に対処したい」と話している。」
◆所感:私も昨夜アクセスできなかった。
そもそもの発端は、昨夜遅く、次のニュースがネットで(テレビなどでも報道されたのかもしれないが、それはわからない)流れたのである。
厚生労働省は23日、働き過ぎ対策として、自分の疲れ方を測る疲労蓄積度の自己診断チェックリストを近くインターネットで公開すると発表した。中央労働災害防止協会は同日公開した。
リストは、疲労度を最近1カ月の「自覚症状」と「勤務の状況」に分けて質問。自覚症状では「イライラする」「することに間違いが多い」「よく眠れない」など13項目にわたっている。
勤務状況は「1カ月の時間外労働」「不規則な勤務」「深夜勤務に伴う負担」「出張に伴う負担」など7項目。
回答の結果、合計の点数によって、仕事による負担度を4段階で判定する。
厚労省のホームページはhttp://www.mhlw.go.jp
中央労働災害防止協会はhttp://www.jisha.or.jp
私もこの記事を見て中央労働災害防止協会のサイトを見ようと試みたのだが、サイトが表示されないので、ははあ、アクセスが集中しているのだなと思った。多くの人は中央労働災害防止協会という組織の名前は初めて聞いただろう。つまり普段はさほどアクセスがあるサイトではないので、昨日はサーバーのキャパシティを越えてしまったのだろう。
しかし、この事実はそういう、テクニカルな問題として、笑い飛ばすべきものではない。
このサイトは、精神的な疲労度をチェックできるという。そににアクセスが殺到するのは、ストレスだらけの世の中だから、という答えを見つけることは簡単だが、人類史上、ストレスの全く無い時代や社会が存在したとは考えられない。
それでは、現在の日本人、特に働いている人々のストレスに何か特異な点があるのだろうか。
以前の日本の社会は、年功序列、終身雇用制という非常にはっきりとしたルールがあって、その流れに乗れれば、仕事は忙しくとも、それなりに報われた。だから、昔はその既成のルールに上手く乗れないことが主なストレス源となった。
しかし、今はかつてのルールはもろくも崩れ去った。いまや、いい学校を出ていい会社に入るといっても、何が「いい会社」なのかも分からない。いい会社に入ったと思っていたら、いつの間にか構造不況業種になってしまい、一生懸命に働いていても、会社の都合で突然失業者になる。しかも、家族を扶養しなければならない人間が。これでストレスを感じない人は余程鈍感な人であろう。
要するに世の中がカオス状態にあって、「どうしたらよいのかわからない」という不安が主なストレスになっている。これが今までのストレスと違うところだ。
人々が過労を自覚して、場合によってはカウンセリングを受けたり、精神科の門をたたくことも有用だろうけれども、世の中がどうなっていくのか、その姿が見えてこないうちは、皆、不安を主とするストレスに悩ませられるだろう。
こういう世の中を変えるといっておきながら、あまり必死に取り組んでいるように見えないのが、小泉内閣総理大臣である。
小泉氏に必死さが無いのは、とりあえず自分はもう死ぬまで食うのには困らないからだ。自分は安泰なのである。他人の苦しみとか、都合の悪いことは自動的に無視する意識構造の持ち主なのだ。この類の人は世間によくいる。しかし、このタイプの人物は内閣総理大臣に相応しいとはいえないだろう。
このままでいけば、年間3万人を数える自殺者は更に増加するに違いない。
2003年06月23日(月) |
6万年ぶりの火星大接近 |
私は特に天文観測を趣味とするわけではないけれども、インターネットには大はNASAの公式サイトから、小は個人の趣味のサイトまで数え切れないほどの天文サイトがあって、大抵、美しく神秘的な天体写真が載っているので、ここ数年少し興味が出てきた。
今年は天文学者や天文ファンにとって、非常にエキサイティングで、重要な年である。地球と火星とが、紀元前57,537年(!)以来の超大接近をするのだそうだ。1番近づくのは8月27日だが、火星と地球はゆっくりと接近して遠ざかるので、7月から10月の間は、「大きな火星」を楽しむことができるという。
どうしてこういう事が起きるのか?全くの受け売りだが、自分の勉強のためにも文章にしてみよう。
火星は、太陽系で地球のすぐ外側にあり(流石にそれは知っていた)、687日で公転する。地球は太陽の内側を約2年2ヵ月ごとに火星に追いつき、追い越してゆく。そのときが地球と火星の接近になる。ただし、火星の公転軌道と地球のそれとは太陽を中心とする同心円になっているのではなくて、火星の公転の中心が少しずれている。
だから、地球の軌道と火星の軌道が一番近づいている所で、地球が火星を追い越すと「大接近」となる。今年は特にその距離が、8月27日に5575万8000kmになる(小接近のときは1億Km以上も離れている)。ここまで近づくのは約6万年ぶりなのだそうだ。
6月に入って、ヨーロッパとアメリカが火星探査機を打ち上げたりしているのはこの絶好のチャンスを活かそうということだ。
一般の人はフーン、それで、何かいいことあるの?とか言いそうだが、学問はすぐ金が儲かるとか、実利をもたらすものばかりではない。純粋に知的好奇心を満たさんが為に研究をするのがもっとも純粋な学問といえよう。そういう、「無駄なこと」をあえて行うのが人間の高等生物たる所以だろう。
6万年ぶりの宇宙イベントが起きるときに、たまたま我々は生きているわけで、非常にラッキーなのだ。折角だから、夜空を観察してみるのも悪くない。
2003年06月22日(日) |
ウィンブルドン・パーク・ロード |
今年もテニスのウィンブルドンが始まる。私はテニスには全く関心が無いが、ウィンブルドンという地名を聞くと懐かしさを禁じ得ない。そこに住んでいたからである。367 Wimbledon Park Road, London,UKというのが正式な住所で、ウィンブルドンのコートと同じ道沿いであった。
イギリスの住所は「何とか通り何番地」という形式で表記される。全ての道に名前がついている。ロンドンのタクシー運転手になるためには、何千という通りの名前と位置を全て暗記しなくてはならない。
先頭の数字が番地で、通り沿いに端から規則正しく各建物に付けられている。イギリスの首相官邸の住所が、10 Downing Streetであることは有名である。「ダウニング街10番地」などと訳すことが多いが、Downing Streetはあくまで1本の道である。
ウィンブルドンといえば、日本ではテニスを想像しない人はいないだろうが、別に、街中が一年中テニス、テニスで盛り上がっているわけではない。普段は単なる閑静な住宅地である(もしも、ウィンブルドンが日本にあったら、さぞやにぎやかな事になるだろう。駅前には「テニスの街、ウィンブルドンへようこそ!」などという看板やら横断幕があふれ、土産屋が建ち並び、「ウィンブルドン饅頭」や「ウィンブルドン煎餅」が店頭に並ぶ・・・)。
ウィンブルドンのテニスコートへ行く最寄駅は地下鉄District LineのSouthfields(サウスフィールズ)である。ウィンブルドン駅という駅は勿論存在するが、ここから、テニスコートへ辿り着こうとすると、かなり長い距離をあるかなければならないことになる。しかし、Southfieldsという駅がまた、何の変哲も無い、というか、むしろ、小さい、薄汚い駅である。「テニスの聖地」ウィンブルドンに相応しい駅や街並みを想像してやってきた人々は、かなり驚くのではないか。
普段は殆ど人通りがないウィンブルドン・パーク・ロードだが、年に一度のトーナメントの期間だけは人であふれる。毎朝、出勤するために我が家を出ると、駅からテニスコートに向かう人々が途切れることなく歩いている。私は出勤するためにサウスフィールズ駅へ向かうわけであるから、人の流れに逆行することになる。向うから歩いてくる人の中には、当然、日本人もいる。
異国で暮らして日本に帰っていなかった私は、そうした日本の人を見つけると、何ともいえない懐かしさを覚えた。こちらは通勤途中だし、向うは早くテニス場に行きたいだろうから、無言ですれ違うだけだったが、「どこからいらっしゃたのですか?」「日本はどんな様子ですか」(と、訊かれても答えようがなかっただろうが)と声をかけたい衝動に駆られた。
今は、当時の自分が抱いた、そのような気持ちが、逆に懐かしい。
2003年06月21日(土) |
<アンマン事件>五味記者を懲戒解雇に 毎日新聞 五味記者は日本に帰れただけでものすごく幸運だ。 |
◆記事:
毎日新聞社は21日、アンマンのクイーンアリア国際空港爆発事件で、禁固1年6月の実刑判決を受け、アブドラ・ヨルダン国王の特赦で釈放され帰国した五味宏基・元写真部記者(36)=東京本社編集局付=について、同日付で懲戒解雇にした。
社内の委員会で検討した結果、五味元記者の軽率な行為によって6人の死傷者を出した結果は極めて重大であり、職業人としての道義的、倫理的責任は大きいと判断。「過失によって重大な事故を発生させた時」「会社の名誉、信用を傷つけ、損害を与える行為のあった時」などの懲戒規定を定めた従業員就業規則に基づいて処分を決定した。
◆所感:こんなに早く日本に連れ戻してもらっただけでものすごく幸運だ。
不謹慎だけれども、皆が思っているだろう。「毎日新聞は、一体誰にいくらカネをばらまいたんだ?」
五味記者はものすごくツイている。これだけの事件を起こしたら、ヘタしたら一生外国の刑務所の中で過ごすんですぜ、普通は。
実際に過失とはいえ、人が死ぬようなことをしでかしてしまったのならまだしも、無実の罪で、海外の刑務所に何年も入れられている日本人がいるというのに、日本の外務省やマスコミは、一体何をしているのだ。
悲惨なのは、某国の空港で、知らない間に自分の手荷物に麻薬を放り込まれて、出国審査で捕まって、いくら身に覚えが無い事を訴えても聞き入れられず、そのまま、実刑判決が下されたという例である。そのまま、何年もとじこめられているのである!
こういうときこそ、母国の同胞を助けるために、現地の日本大使館や領事館はできる限りのことをしなければならない。しかし、現実の大使館員というのはひどいよ。あいつら。
高い、海外駐在手当や家賃補助があるから、私がいたロンドンでも、外交官の奴らはメイフェアとか、最高級の場所の豪華な家に住んでいる。それでも仕事をちゃんとするならまだしも、実際は、彼らにとって海外勤務は「遊び」又は、「休暇」に等しい。
何にも仕事なんかしないのだから。午後4時には帰宅している。たまに外務大臣やら、政治家が「現地視察」と称して日本から遊びにきたときにお守りをすることぐらいなのだ。連中の仕事は。
それでいて、自国民が、自分の駐在する国で刑務所にぶち込まれても面倒はごめんだとばかり、何も、しない。
日本国民が収めている血税は、海外ではこんな連中を養うために、使われているのだ。新聞も、知ってるだろう。それぐらいのこと。書けよ。
2003年06月20日(金) |
「マトリックス・リローデッド」と「寅さん」 |
両方の作品を比べてみると、この2つが同じ「映画」という範疇に属する事が不思議になるほど、対照的である。
マトリックスリローデッドは、巨額の資金を投じ、現代の映像製作技術の粋を結集して作られたものであり、ストーリーの奇抜さも、到底私のような凡人には思いつかないものである。この映画を作るにあたっては、何千人もの人間が関わり、制作に要した延べ製作時間は物凄い数字になったことだろう。
他人の仕事は尊敬すべきだ。
仮定上の話だが、 私がもし、手伝う人間は貸してやるから「マトリックス〜」と同じような映画を作れ、と言われたとしても、多分、残りの人生を全てつぎ込んでも、絶対に作れないだろう。そういう意味では、この作品の制作に携わった人々の情熱は素晴らしいと思う。
一方、寅さんは、全く何の仕掛けもない、特殊技術のかけらもない。画面にいるのはただただ、普通の生身の人間である、役者さんたちだけである。制作費だって、マトリックス・・・の何百分の1であろう。
しかし、寅さんシリーズを見ていると、人の気持ちを幸せにする映画を作るのに、ものすごいコンピューター処理や、巨額の資金は必ずしも必要が無いという事がわかる。
「マトリックス」の映像効果は物凄いけれども、その分、人間の感覚(映画の場合は視覚と聴覚だが)を強引に刺激する。ある意味で、それは、残酷な事である。この映画を作った人たちは、きっと「この映画を見る人が驚くのを見て喜ぶ」だろう。どうだ、参ったか、という押し付けがましさを感じるのである。
寅さんのすごいところは、実際にはいるわけが無い「車寅次郎」という人物があたかも実在するように感じさせてしまう、脚本の妙と、渥美清氏の天才的な演技力と、脇の役者さんの上手さだろう。
山田洋二監督が書いた「映画を作るということ」という文庫本をはるか昔、学生時代に読んで大変感動した言葉があった。それは、山田監督の「映画は、ひたすら、それを見る人の幸せを願って作らなければならない。」という言葉であった。寅さんシリーズに一貫するのは、山田監督の「人間の善意・良心を信じる」という思いであり、それが見るものをほのぼのと幸せな気持ちにするのである。
5月5日の日記に書いたとおり、「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが芸術家に与えられた使命」だとすると、山田洋二監督は、正に、本当の芸術家である。
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全然関係ないが、珍しくテレビドラマを見た。TBSの「ブラックジャックによろしく」だが、バックに流れている音楽に驚いた。バッハの無伴奏チェロ組曲をテナーサックスで吹いている! バッハの音楽というのは不思議で、色々な楽器で演奏してもその曲想が壊れない。つまり、音色という要素があまり影響しない音楽だけれども、チェロ組曲をサクソフォーンで演奏したCDは多分これが世界初ではないか。調べたら清水靖晃という作曲家兼サクソフォーン奏者らしい。とても新鮮な驚きだった。
2003年06月19日(木) |
「アルカイダが日本潜入計画」 何故、アルカイダが日本を狙うのか。 |
◆記事:
パキスタンに潜伏中の国際テロ組織アル・カーイダのメンバー6人が昨年、極秘に日本への入国を計画していたことが19日、わかった。複数の政府筋が明らかにした。
6人は偽造パスポートも準備していたが、身元引き受けを求められた日本人が拒否したため未遂に終わった。政府は、国内でのテロ活動につながりかねないとみて、国際的な連携によるテロ対策を強化する考えだ。
昨年春ごろ、6人の代理人を名乗るアル・カーイダ関係者が日本に住む日本人イスラム教徒に対し、「パキスタン当局のアル・カーイダに対する取り締まりが厳しい。日本は欧米より入国が容易なので入国させたい」とひそかに打診した。この代理人は、〈1〉インドやバングラデシュ、パキスタンの偽造パスポートを6人分準備した〈2〉身元保証人には1人当たり100万円の謝礼を支払う――などの条件を示したという。
公安当局は早くから入国計画に関する情報を入手していたが、日本人イスラム教徒は最終的には受け入れを拒否した。6人の氏名やアル・カーイダでの立場は判明していない。公安関係者は「入国計画が失敗したのは、日本国内のイスラム教徒が大半は穏健な信者だからだ。しかし、組織作りを狙っていたとすれば、危険な兆候だ」と指摘する。
アル・カーイダによるテロの手口は、事件の数年前からセル(細胞)と呼ばれる関係者が支援組織作りを開始し、テロの対象となる施設を綿密に調べて、準備が整った段階で実行部隊が入国し犯行に及ぶ――ケースが多いという。
◆自分の為の覚書:「日本は自分で自分を守れないとまずいよ。」
日本に、対テロ対策などを講ずる本当のセキュリティのプロはどれぐらいいるのだろう・・・。何だか本当に怖くなってきた。
日本国内の施設をアルカイダが攻撃するとしたら、それは如何なる理由によるのか?
アルカイダとか北朝鮮の目の上のたんこぶは在日米軍なのである。米国は日本に駐留することにより、米国本土からだけではすぐに駆けつけられない、アメリカにとっての地球の裏側の部分にも、戦力を派遣することができる。これを「前方展開能力」という。
日本には米軍基地が沢山あるけれども、主なものは三沢、厚木、横須賀、岩国、佐世保と沖縄である。これらのうち、沖縄以外の基地に風が届く範囲内に原発がある。だから、原発を襲って放射能洩れをおこせば、沖縄以外の日本が死の列島になってしまう。勿論、在日米軍は機能を停止する。
つまり、米国は大切にしている「前方展開能力」を失うのである。これは、イスラム原理主義者にとっても、北朝鮮にとっても、台湾に侵攻したいと思っている中国にとっても、理想的な状況となる。
だから、ただ、手をこまねいていてはダメだ。日本国内の治安問題なんだから、日米安保もあてにならない、というか、できない。内閣総理大臣をはじめ、国の中枢にいる人々は、国民の生命を守るために本気で対テロ対策を講じなければならない。怪しい奴はちゃんとマークしていつでも捕まえられるようにしておかなければならない。
こういう事は、国家機密だから、実際にどういう対策が取られているのか、知ることは出来ないが、まるでスパイ映画の世界のような状況が現実に存在していて、それに対抗するプロフェッショナル(昔なら佐々淳行さんとかね)がいるのだ。頼むからそういう人々が優秀であってくれますように。総理大臣はこういう本当にヤバいことから、決して逃げないで欲しい。
小泉さんの、のほほんとした表情が毎日テレビに映るたびに心配になる。
2002年06月19日(水) サッカー騒ぎはもうやめ!
2003年06月18日(水) |
「米成人の16%にうつ病の恐れ、米研究グループ試算」 それぐらいありふれた病気だということだ。 |
◆記事:
米国の成人の約6人に1人が生涯に一度は重いうつ病になる恐れがあるとする調査結果を、米国の研究グループが17日公表した。従業員のうつ病による欠勤や作業能率の低下などによって、米企業は毎年310億ドル(約3兆6000億円)程度の経済的損失を強いられているとする試算も示した。
米国立精神衛生研究所(NIMH)のメリカンガス博士らは全米の9090人の18歳以上の男女を対象にアンケート調査を実施。3260万―3510万人の成人が重いうつ病になる可能性が高いと分かった。米国の成人人口の16%強に相当する。
過去1年間には同6.6%の1310万―1420万人が重いうつ病を患ったとみている。これらの人の多くが、自分の症状が薬やカウンセリングによって改善することを知らずに悩んでいたと指摘。米国は日本に比べて不安・悩みへのカウンセリングが普及しているが、研究グループは「うつ病の治療については、もっと啓もう活動の強化が必要だ」と強調した。(本日付日本経済新聞より)
◆所感:驚くには及ばない。
日本も似たような割合である。国立精神・神経センターが2000年1月に発表した調査結果によれば、日本人の約7人に1人が生涯に少なくとも一度はうつ病エピソードを持つ。しかも、24歳から33歳の女性に関しては有病率が実に約30%だということであった。
うつ病は、特殊な病気ではなくて、「そこら中にころがっているありふれた病気」であるということだ。しかし、ありふれた病気ではあるけれども、簡単な病気ではない。
それは、正しい治療を受ければ、少なくともこの程度の文章を書く気力、能力、を取り戻す事ができるところまで回復することは、私が実証している。うつ病は放っておいて治る場合が無いわけではないけれども、ストレス反応性のうつ病(そうではなくて、特にこれといったうつ病の原因となるような出来事がないのに発病したものを「内因性」のうつ病という。要するに誰でもうつ病になる可能性はあるのだ)で、ストレスの源が例えば職場の人間関係にあるような場合は、治療を受けなければ、症状が悪化する可能性の方が高い。
うつ病は、その程度が軽くても希死念慮(自殺願望)を伴い、最悪の場合は本当に自殺するので、あまり軽く考えない方がよい。また、うつ病の患者は「頑張りたい、頑張らなければならない、と思っているのに、どうしても頑張れない」という状態、言い換えれば、身体のエネルギーが極度に低下した状態にある。どんな病気でも罹ったことのある人でなければ、その辛さは分からないが、うつ病も例外ではなく、この「頑張りたいのに、頑張れない」辛さは、体験者しか分かるまい。
ところが、社会にうつ病の認識がないと、こういう状態の病人を「だらしが無い」、「根性が無い」「病気だといって、責任から逃れようとしている」などといって、責めたり、あるいは「頑張れ」と励ましたりする。これは、うつ病を悪化させる最も効果的な方法で、相手を自殺に追い込みつつあるといってもいい。
うつ病は国際的には「気分障害」(Mood disorder)という分類にあたるが、要するに、気分とは脳で起きている化学反応によってもたらされるものであり、うつ病は脳内の科学反応に異変が生じた事に他ならない。何故そうなるかは完全には解明されていないが、うつ病になる人は、傾向的には、もともと真面目で勤勉な人、周囲と協調性がある(ありすぎる)人、完璧主義の人などが多いとされている。逆にいえば、もともと怠け者、いい加減な人はうつ病になりにくいということである。
何故、このようにくどくどと書くかというと、いまだに、このありふれた疾患に対する社会的な認識が足りないと感ずるからである。
もしかして、自分がうつ病かもしれないとおもったら、医者へ行くのが一番良いが、とりあえず、UTU-NETという啓蒙用のサイトがあるから、ここを御覧になられるとよい。より専門的な記事が欲しいという場合は、メルクマニュアルという医学事典(本来、アメリカの医学生のための教科書。これは、家庭版。)でうつ病なり、気分障害という言葉で検索してみるといいだろう。
2003年06月17日(火) |
人々があまりにも不親切、無愛想。これは東京だけの現象なのだろうか。 |
電車に乗っていて、目の不自由な人が乗ってきたら、席を譲るのが常識だと思っているが、世の人々を見ていると、見てみぬふりをする人が実に多い。見てみぬフリをする事が恥ずかしくないのだろうか。
電車を降りようとする人のポケットからハンカチが落ちる。「ハンカチ落としましたよ」と一声かけてあげる。ところが、みんなボケ―ッと見ている。明らかに気がついているのに、気がつかないフリをしている人も多い。アホちゃうか?公衆の面前で声を出すのが恥ずかしいのであろうか?友達と下らない話は大声でしているくせに。酔っ払えば通りで大声を上げるくせに。
仕事の都合で外で食事をする。大抵は早く食べられるところで、大して高い店でない。食べ終わって店を出るときに、店員が元気よくありがとうございましたと礼をいう。ところが「カネ払ったんだから、文句ねえだろ?」といわんばかりに、ムッと無愛想な顔のまま一言も発しないで出て行く人が実に多い。別にいいんだけどさ。「ごちそうさま」ぐらいいってやってもいいんじゃない?
多分、殆どの人は意識的に不親切なのではなくて、鈍感なのだろう。そういうことに神経が行き届かないのであろう。些細なことだが、私は、こういうのを見るたびにイライラする。
2003年06月16日(月) |
「オーケストラがやってきた」 山本直純氏の功績 |
人それぞれ好みがあろうが、私は音楽が好きだ。そして、私にとって音楽=オーケストラによって演奏されるクラシック音楽と言っていいぐらいオーケストラが好きだ。
明後日は指揮者・作曲家、故・山本直純氏の一周忌である。私がオーケストラを好むようになったのは、山本さんのおかげだ。これは疑う余地がない。
「オーケストラがやってきた」という言葉を見て、ピンと来るのは、それ相応の年配の人だろう。TBSで1972年から1983年毎週日曜日に放送されていた、30分のクラシック音楽入門番組である。入門番組といっても、内容は非常に工夫されており、山本さんのキャラクターも手伝って、誰でもクラシック音楽に親しむ事ができた。
オーボエ吹きやファゴット吹きは常に葦(あし)を削って新しいリードを作らなくてはならず、そのための工具一式を携帯している事、弦楽器のボーイング(弓使い)を決定するのは、最終的にはコンサートマスターであること。トロンボーンのスライドには何の印もついておらず、スライドの位置は弦楽器奏者と同じように、厳しい練習によって体に覚えこませなければならないこと。
全ての打楽器の基礎はスネアドラム(小太鼓)であり、さらに楽器を叩かせてもらう前に、木で出来た練習台というものを叩いて、1つ打ち、2つ打ち、5つ打ちなどの地道な練習をしなければならないこと、ハープは優雅に見えるが7つのペダルで常に、♯、♭、ナチュラルを切り替えるため、大変な運動神経を要する事。
ベートーベンは「運命」の最初の4つの音から成るモチーフを如何にして全曲に亘って展開していったか。ベルリオーズの幻想交響曲のオーケストレーションが如何に、緻密であるか。ワーグナーは音楽が盛り上がって、これ以上フォルテにならないという時に、実に上手にバス・テューバを用いること・・・・。
私は、オーケストラに関わる、数え切れないほど多くの知識を、「オーケストラがやってきた」という、週に一度、30分だけ放送される、山本さんの番組を通して得ることが出来た。家庭用ビデオなど、存在しない時代である。一回、いや一言でも見逃すまい、聞き逃すまいと全身全霊で、知識を吸収した。
山本さんの大袈裟なアクションやキャラクターを見て、多くの人は彼を芸能人のように考えていたかもしれないが、本当は、幼少の頃から音楽の英才教育を受けた、本当の音楽家であった。数々の指揮者を育てた、斎藤秀雄の門下生としては、小沢征爾氏や岩城宏之氏の先輩にあたる。小沢征爾氏は山本氏がなくなったときに、「初めて指揮を教わったのは山本さんからです」と言っていた。
岩城宏之氏は芸大の指揮科で、いつも山本氏と一緒だった。岩城氏の「森のうた」という著書にはそのころの楽しいエピソードが、沢山詰め込まれている。
そして岩城氏をはじめ、山本氏の実力を知る音楽家は皆口を揃えて、「天才的な耳のよさ」に驚嘆した、と述べている。絶対音感なんて当たり前で、そんなレベルじゃなくて、ピアノの鍵盤を両手でグシャッとたたく。「下から2番目の音の5度上の音を歌って御覧」と指揮科の渡辺暁男教授に、絶対出来ないと思われた難題を出されて、難なく出来てしまった。
山本さんは、そんな、本当の才能をもった稀有な音楽家だが、その一生を「クラシック音楽を大衆に広める」ことに捧げた。小沢征爾さんには「お前は頂点を目指せ。オレは裾野を広げる」と言っていたそうだ。
山本さんのおかげで私を含む多くの人がオーケストラを愛するようになった。偉大な一生だった。
山本直純さん。ありがとうございました。
2003年06月15日(日) |
<規制改革>コンビニで大衆薬販売へ 「自己責任」の意識 |
◆記事
政府が今月下旬に決定する「骨太の方針第3弾」に盛り込む規制改革について、内閣府は14日、コンビニエンスストアなど一般小売店での医薬品販売解禁に関して小泉純一郎首相の「裁定」に持ち込む方針を固めた。首相は規制改革の目玉とするため解禁に道を開く考えだ。コンビニでは99年にドリンク剤などが医薬部外品として販売が解禁されたが医薬品は認められていない。今回は湿布薬や風邪薬などの「大衆薬」の一部を対象に医薬品販売を解禁する方向だ。
政府の総合規制改革会議(宮内義彦議長)が求めている規制緩和の具体策は12項目。コンビニでの医薬品の販売解禁が最後の焦点になっていた。
医薬品解禁問題を巡っては、石原伸晃規制改革担当相が副作用が少なく、各家庭で常備されているような外服薬(塗り薬など)、内服薬(胃腸薬など)の一部解禁を前提に2回の閣僚協議を行った。しかし、坂口力厚生労働相は「薬剤師のいる薬局でないと、副作用は防げない」と拒否。規制改革会議側が「都道府県知事の指定で、薬剤師がいなくても医薬品を販売できる店舗が5000店近くある」と実例を示したが、厚労省は「消費者の利便性ではなく、生命・健康の保護から判断する」として譲っていない。
このため、16日に行われる石原担当相と坂口厚労相の3度目の閣僚協議も不調に終わるとの見方が強く、「消費者の利便性」か「国民の健康」の判定は最後は首相の裁定に委ねられる。
◆所感:コンビニで売ってくれるとありがたいのは事実だが・・・
確かに、副作用のない薬品は無いのである。
薬剤師がいれば、もし、客が副作用について質問をすれば答えられるだろうが、コンビニで売ることになれば、そうした対応は期待できない。
しかし、実際の薬局での光景を思い出すと、単に「この風邪薬をくれ」という(若しくはだまってレジに差し出す)客が大半であって、その薬品に際して詳細な説明を求める人は殆ど見たことが無い。また、薬局も客がこの薬をくれといえば、ただ「はいはい」と言って売るだけで、特に求められなければ、副作用などについて、いちいち客に注意を喚起するようなことはしていない。それが原因で人が死んだ例があるのだろうか。
私はイギリスに住んでいた事があるが、あちらではコンビニエンスストアはないけれども、雑貨屋のような店は無数にあって、そこでは、アスピリン、イブプロフェンなどの鎮痛剤、下痢止め、胃腸薬などを売っている。
また、高速道路のサービスエリアでも同じようなものを売っている。ただし、風邪薬など眠気を催す薬物は置いていなかったと思う(これは確認したわけではない)。それでも、ドライブ中に頭が痛くなったり、同乗者が腹痛を起こしたときなどは、実際に大変重宝であった。
そして、イギリスでは薬局以外でこれらの薬を売ったがために重篤な副作用が起きて、生命に関わったというようなニュースは読んだ事がなかった。イギリス人の一般市民が、日本人よりも薬物に関して専門的な知識を平均して持っているとは考えられないので、実際にはそれほど心配は要らないように思う。
要するに、買う側に「自己責任」の意識があるかどうか、ということだろう。本当に心配ならば、薬剤師がいる薬局でしか市販薬は買わない。いつも飲んでいる薬だから、多分副作用の心配は無く、たとえ何かあったとしてもそれは、その薬の作用・副作用をちゃんと確認しなかった自分の責任である、という意識があれば、コンビニで頭痛薬、風邪薬、胃腸薬、下痢止めぐらい売っても構わないだろう。
いつも、責任を取りたがらない小泉内閣総理大臣がどういう結論を出すのか、興味深い。
2003年06月14日(土) |
「退職金16億円全額を軽井沢に寄付 ソニー大賀氏、」 なかなかできることではない。 |
◆記事:退職金全額を軽井沢に寄付 ソニー大賀氏、音楽施設に
ソニーの大賀典雄名誉会長(73)が、退職慰労金として支払われる予定の16億円の手取り全額を、長期静養していた長野県軽井沢町に寄付する意向であることが11日、分かった。大賀氏は音楽ホールなどの建設を同町に求めているという。
◆所感:なかなか、できることではない。立派だと思う。
ENPITUの「時事・社会」では、世の中の問題を取り上げて、誰かを批判する文章がどうしても多くなる。しかし、他人のアラを見つけて批判するばかりではなくて、善行を称えることも大切だろう。
ソニーの社長、会長を長く務めた大賀さんは、もともと音楽家を目指していた。単に夢見ていたという段階ではなく、芸大とベルリン国立音楽大学の声楽科を卒業した、れっきとしたプロのバリトン歌手なのである。
大賀氏は、芸大の学生の頃から、音大生でありながらラジオの配線図も読めた多才なひとで、そこに目をつけた井深氏、盛田氏(共にSONYの創業者)に、「音楽家と実業家の2足のわらじを履けばいい」とスカウトされ、学生なのに会社の重役でもあった、という大変珍しい経歴の持ち主である。
CDやMDを開発させたり、米国のレコード会社を買収してSONYを世界のエンターテイメント企業にも発展させた。プロの音楽家でもあるから、芸術家との付き合いも多く、カラヤンとは大変親しかった。ともに、車好きだし、自ら自家用飛行機の操縦もする(なんでもできちゃうのである。この人は。)ので話が合った。
カラヤンの晩年の日常を記録した「カラヤン・イン・ザルツブルグ」というビデオでは、カラヤンが新しく買った車の性能を嬉しそうに自慢して、それに大袈裟に驚いてみせる大賀氏の姿が映っている。奇しくもカラヤンが心臓発作で急逝したとき、たまたま現場に居合わせたのも、大賀氏だった。
「2足のわらじ」を履くつもりだったが、どうしても事業家として多忙になり、音楽家としては活動できなかった。一度、社長時代に、盛田氏に「1日だけ音楽家に戻してやる」といわれて、東京でプロのオーケストラを指揮したことがあったが、コンサートの後で盛田氏から「次は10年後にしてくれ」とクギをさされてしまったそうだ。
大賀氏は数ヶ月前、日本経済新聞の「私の履歴書」にその華麗な半生について綴っていた。大半はSONYに関わる話だが、最終回で、自分にはやはり大きな忘れ物がある。それは、音楽だ、ということを書いていた。私は、ああ、やはり大賀さんが本当に好きなのは、なんと言っても音楽なのだな、と思った。世間的に見れば順風満帆の人生だが、人にはそれぞれ他人にはわからない苦悩があるのだ。
「私の履歴書」の最終回で、大賀さんは、だから余生は音楽に貢献するような事をしたいと書いていたが、早くも具体的な行動となって、今回のニュースが報じられた。
無論、今までSONYの社長・会長として十分な財産を蓄えているのだろうが、16億円の退職金を全額、音楽のために使ってくれといって寄付する事は、なかなかできることではない。私が大賀さんの立場だったら、凡人だから、もし寄付するとしても半額、とか考えるだろう。16億まるまる全額という潔さが素晴らしい。
大賀氏の、音楽への思いは、本物なのだ。
2003年06月13日(金) |
「TBSが特集放送を約束 障害者団体の抗議で謝罪」それはいいんですが、発言した医者本人は何故謝罪しないのか? |
◆記事
「TBS(東京放送)のワイドショー番組で、名古屋市の連続通り魔事件に関連し、精神障害者差別と受け取れる発言があったとして「京都精神しょうがい者の人権を守る会」(京都市、多芸正之代表)が抗議、TBS側が謝罪していた問題で10日、TBSは精神障害に関する特集企画を放送することなどを約束した。
この日はTBS本社の社員が、取締役の謝罪文書を同会に持参。社員教育の徹底や、問題となった番組の中で、精神障害に対し正しい知識を持ってもらえるような特集を放映すると約束した。
問題の番組は、4月4日に全国放送された「ウォッチ!」。出演した大学助教授(精神医学)が通り魔事件の犯人像を「恐らく20代に発病している統合失調症の可能性がある」と発言していた。
昆洋隆TBS広報部長は「同じ番組で精神障害者に関する企画を放送することが一番誠意ある対応だと認識している。今後こういったことが起きないように、現場での配慮を徹底したい」と話した。」
◆所感
この問題については、4月13日の日記で採り上げた。その中で、私は、「TBSがただ謝って、なんとか、騒ぎを鎮めれば一件落着、と考えているのであれば、無責任である。ちゃんとした医師を呼んできて、統合失調症にかんする客観的情報を改めて、報道するべきである。」と書いたのだが、奇しくもTBSが同じ結論に達したようで、それは、良しとしたい(もしかしたら、TBSの誰かが私の日記を読んだのかな、などと、一瞬自惚れたが、まあ、それはないだろう)。
しかし、丁度2ヶ月前に書いたとおり、一番責任を問われるべきなのは、統合失調症患者に対する偏見を助長するような発言をした医師本人であって、公平に考えて、TBSだけが責任を負うのは、おかしい。その意味では、TBSに文句を言った精神障害者の団体もピントが外れている。また、当の医師も何らかのコメントを出すべきである。それが、普通に考えて妥当な反応だろう。
本件は医療過誤ではないけれども、いつも疑問に思うのはどうしてこういう問題が生じたとき、医療関係者の氏名は表記されないのか、ということである。
日本のマスコミは、一般人が交通事故を起こして、人を死なせてしまった場合などは、実名報道するのに、医療ミスで人が死んでも、当事者である医療関係者の名前は伏せる。どちらも法的には業務上過失致死なのに、医療従事者とそれ以外の人の扱いが違うのは、変だ。というか、逆であるべきだ。
例えば、某県某村で、軽トラックを運転していたじいさんが、原付に乗っていたばあさんをはねて死なせてしまったとしても、そのじいさんの名前を全国に言いふらす必要はないだろう。それを知ったからといって、国民に何らかのメリットがあるとは考えられないからである。
一方、医療のプロがミスを犯して人を死なせてしまった場合、それが誰なのかを知らせないのは、おかしくないか?医師も人であってミスをすることもあるだろうが、中にはリピーター(何度もミスをする医療従事者)がいるという。こうした人物の名前は、市民にとって重大な情報であるから、知る必要がある。
つまり、日本のマスコミ報道にはは伝えても意味の無い事を伝えて、伝えなければならないことを伝えない、という実に奇妙な特徴があるわけだ。これは、改めるべきである。
2003年06月12日(木) |
「大量破壊兵器が発見されなかったら、首相は世界に向けて、国民に対して謝りますか?」(菅直人氏) 誠に適切な質問である |
国会で、小泉内閣総理大臣が気色ばんでいた。人間は、痛い所を付かれた時に、しばしばムキになる。今日の小泉首相がまさにその状態であった。
民主党の菅直人氏の質問は、論理的に考えて、極めて適切に要点を衝いていた。
「日本政府は、イラクが大量破壊兵器を持っていることを前提として、自衛隊をイラクに派遣しようとしている。もし、大量破壊兵器が見つからなかった場合、日本政府の判断は誤りだったと、国民に対して、また、国際社会に対して謝罪するのか?」という趣旨の質問である。
小泉首相は、「私は、大量破壊兵器はいずれ見つかると思っている。」と述べた。答えになっていない。小泉氏はしばしば、この種の問題のすりかえを行う。
また、「見つかると思う」のは主観である。反対解釈をすれば、イラクが大量破壊兵器を所持している、という客観的な証拠が無いことを物語っている。
私は、この件に関しては、くどいようだが、何回でも書くつもりである。真理に関わる問題だからである。
私は、アメリカの示した状況証拠だけを無条件に信じて、いち早くイラクに対する武力攻撃を支持した日本政府の態度は、誤りであった、という歴史的批判をくださざるを得ないだろう、と考えている。
2003年06月11日(水) |
「金融庁、監査法人の査定に介入か」小泉首相も知らぬフリをしてはいけない。 |
◆記事1:
民主党の大塚耕平参院議員らは4日、記者会見し、りそなグループが公的資金注入に追い込まれた契機となった「繰り延べ税金資産」の査定について、金融庁担当者とりそな幹部のやりとりを記録したとされる「面談メモ」を公表した。大塚議員らは、このメモの記述が本当なら、金融庁が繰り延べ税金資産の自己資本参入をめぐるりそなと監査法人の協議に関与していたことになる、と説明している。
◆記事2:
りそな監査への金融庁の介入、監督局係長以上になかったこと確認=金融相
竹中金融・経財相は4日の衆院財務金融委員会でりそなグループの2003年3月期決算の監査過程について「金融庁の監督局の係長以上全員に介入がなかったことを確認している」と関与を否定した。ただ、「一般論として金融庁が『監査の内容がおかしい』ということがあってはならない」と述べた。仙谷由人氏(民主党)への答弁。
◆所感:(介入が)あったことは、みなわかっているのに・・・。
この記事は、1週間も前のものなのだが、いまだに真相をはっきり究明できていない。
金融庁の役人は勿論、竹中金融相もそんなことをしたと認めたら、大変なことになるから、一切、そういうことをなかったことにしようと、決めたのだろう。マスコミもこういう大スキャンダルになると、圧力をかけられるのだろう。もっと大々的に問題にされてもおかしくない話なのに、いまひとつ、逃げ腰である。
しかし、最初に民主党議員が証拠となるメモを国会で公表した時点で、みんな、金融庁が監査法人に圧力をかけたことは本当だろうと分かっている。なのに、気がつかないフリをしている。まるで、裸の王様だ。滑稽な事、この上ない。
この件についても、いずれは真相が暴露されて、金融庁は「すいません、良く調べたら、内部でそういうことをしていた者がいたことが分かりました」といって、下っ端に責任をおっつけて、逃げ切ろうとするのであろう。
こうした一連の動きは全て小泉首相の耳に入っているわけだが、彼は、この件について全然コメントをしない。金融庁の不祥事も、当然、最終的には内閣総理大臣の責任になるのに、「竹中君に任せてありますから」とか何とかいうんだろう。
任せたこと自体が、小泉君の責任においてやっていることなのに、厄介そうなことには、知らぬふりをする。そういうところが、この首相のずるいところだ。
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【追加】
◆記事:金融庁の介入否定、衆院委でりそな2監査法人理事長
衆院財務金融委員会は11日、経営悪化で1兆9600億円の公的資金注入が決まった、りそなホールディングス(HD)の問題で、勝田泰久・前りそなHD社長(前りそな銀行頭取を兼務)など5人を参考人招致した。
りそな銀行の監査を担当した新日本監査法人の竹山健二理事長は、不良債権処理で前払いした税金が将来戻ることを前提に資本に算入する繰り延べ税金資産の算入額について、「5年(分の算入を)認めるのはこういう経済状況では難しく、総合判断で3年(分)とした」と述べた。
一方、りそな銀行に対する共同監査を4月末に辞退した朝日監査法人の岩本繁理事長は「りそな銀行は繰り延べ税金資産を除くと非常に過小資本の状況にあった。将来の収益力で資本充実するには時間がかかり過ぎ、短期の増資計画もないため、繰り延べ税金資産の計上を非常に厳しく見ざるを得なかった」と述べた。りそなが債務超過状態だったかどうかについて、竹山理事長が「債務超過であったことはない」としたのに対し、岩本理事長は「監査をしていないので答える立場にない」とした。
監査を巡って金融庁と相談したかどうかについては、両理事長とも「全くない」と述べ、金融庁の介入疑惑を否定した。
◆所感:
まあねえ・・・。こういう場所で、「金融庁から圧力を受けました」とはいえないよなあ・・。それぞれの監査法人は、大勢の社員を抱えている。うっかり、本当の事を言って、大口顧客を失いたくない。
この辺が監査法人の難しいところで、監査というものは本来利害関係のない者がやらなきゃいけない。しかし、監査法人は、監査をする対象から手数料を貰って、それで食っている。だから、癒着が起き易い。
それはさておき、新日本と朝日というのは、日本で一番大きい監査法人であるが、まったく対照的な結論を出しているわけだ。
問題となっているのは繰延税金資産というもので、要するに先払いした税金が一定の条件を満たすと将来戻ってくる(還付される)「可能性がある」それを自己資本に組み入れるかどうかということなのだが、朝日の方は全額否認している。そして、りそなは債務超過だったか?と訊かれて、途中で監査を降りたから何ともいえないといっているが、朝日がりそなは本当は債務超過だとみなしていることは、ほぼ明らか。
金融庁、やばいんじゃないの?こういうことしては。銀行(だけではないが)の自己資本の査定なんて、厳格な方を採用するのが常識というもの。それを甘い方の査定をとって、必死に「債務超過じゃない」と言っている。ダメだよ。こういうことをするから、金融機関の信用が怪しげになるのです。
ここ数日、株が急激に値を戻しているが、そうなる根拠は全く無い。福田官房長官は「自然な値動きだ」なんて、例によって悠長な事を言っているが。こんなの、売っていたヘッジファンドの買戻しか何かだろう。テクニカルな戻しだ。いずれ、ドスーンと下がるだろう。
司馬遼太郎さんが、なくなってから随分たつ。
司馬さんは、歴史小説家という以上に、現代日本を代表する知識人だった。晩年は、小説よりも随筆を書く事の方が多かった。どれをとっても、真理を鋭く射抜き、適格な評価を平易な表現でつづっていて、それ自体が芸術作品である。
そんな、司馬遼太郎さんが、晩年に小学校の教科書のために書き下ろした文章がある。「21世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」である。子供のための文章とはいえ、ご本人は「小説を一本書くよりも難しかった」と述懐されていたという。
私はどちらの文章も、大変好きだが、特に、緒方洪庵のことを綴った「洪庵のたいまつ」は、何度読んでも感動する。その書き出しは次のように始まる。
「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。
ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。
緒方洪庵のことである。
この人は、江戸末期に生まれた。
医者であった。
かれは、名を求めず、利を求めなかった。
あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである。
といって、洪庵は変人ではなかった。どの村やどの町内にもいそうな、ごく普通のおだやかな人がらの人だった。
病人には親切で、その心はいつも愛に満ちていた。・・・」
最初の一言のなんと透明で美しい事か。
「世のために尽くした人の一生ほど、うつくしいものはない。」・・・・。
昔は、人は「世のため、人のため」に尽くすことが立派だと誰もが思っていた。
それが、いつからか、「そんなのは、偽善だ。所詮、人間は自分が可愛い。ならば、正直に『自分さえ良ければ、世の中がどうなろうが、しったことではない』といってしまったほうが良い」、という考え方に取って変わられてしまったような気がする。
私の半生は大したものではないけれども、司馬遼太郎さんがはっきりと書いてくれた、「世のために尽くした人の一生ほど、うつくしいものはない」ということばは、いつも、自分に言い聞かせている。
2003年06月09日(月) |
池田小児童殺傷事件から早や2年。 |
昨日で丁度2年が経過した。このことについて、書くべきか迷い、昨日は書けなかった。
私は既に人の親であるから、無念にも残虐に殺された、8人のお子さんのご両親達のこの2年間の苦しみは、まさに地獄のようなものだったであろうということは想像に難くない。多分、一瞬たりとも、脳裏から、この事件が消えることはなかったであろう。
私なら、発狂していたに違いない。或いは、あまりの悲しみに生きていけず、自らの命を絶ったかも知れぬ。
しかし、8人のお子さんたちのご両親方は、今日まで生きてこられた。それだけでも、ものすごく立派なことである。
あまり、世に知られていないけれども、この親御さんたちが管理している、Webサイトがある。大阪教育大学教育学部附属池田小学校における事件にて旅立った8人の天使達のHPである。感情に身をゆだねず、精神力の限りを尽くして、冷静に事件のことをつづっておられるのが、却って、読むものの胸を締め付ける。
ホームページの最初の文章のなかにある「どれだけ時が経過しましても、子供をこのような事件で失ったことの心の傷は癒えないと思います。」ということばには、本当に、打ちのめされる。しかし、こういうサイトは皆が読むべきものであろうと思う。
2002年06月09日(日) 向精神薬
2003年06月08日(日) |
「<オウム>元幹部の新実被告が結婚 連絡役の確保狙い?」 まだ、反省していないようだね。 |
◆記事:
オウム真理教(アーレフに改称)元幹部の新実智光被告(39)=1審で死刑判決を受け控訴=が、面会した関係者を通じて教団側に「結婚相手を世話してほしい」と依頼し、婚姻届を出していたことが警視庁公安部の調べで分かった。刑務所に移された場合、接見は妻などの親族に限られる。公安部は、アーレフ幹部との連絡役の確保を狙った結婚の疑いがあるとみている。
◆所感:まだ、反省していないようだね。
元オウムの信者で死刑や無期懲役が確定した者の中には、完全に「目が醒めた」奴がいるようだが、一方で、この新実みたいな奴もいる。
控訴しているというだけで、腹立たしい。この上にまだ、外部と連絡を取り合って、何を企んでいるのか。こんな奴、さっさと死刑が確定して、処刑してしまいたい。
今回の件は、計略があって結婚したらしいとのことだが、昔、死刑確定囚と本気で結婚しようとした女性がいた。
昭和30年代に「メッカ殺人事件」という大騒ぎになった犯罪があった。何故、大騒ぎになったかというと、犯人が、東大法学部を出た秀才だったからである。
第三者から見た場合に、この正田昭という犯人は、特に、大きな問題を抱えていたわけではないのに、非常に計画的に、「メッカ」という東京の某所にあった喫茶店の閉店後の時間と場所を利用して、何の罪も無いセールスマンを絞殺した。そして、公判中、動機を訊かれて、この被告人は「私は、破滅を望んでいたのでございます」と本心を告げたところ、「不真面目だ」と裁判官を怒らせ、死刑が言い渡されたのであった。
しかし、この被告人には生い立ちに複雑な事情があって、彼の書いた手記を読んで、心を動かされたのか、本気で結婚を申し込んだ女性が現れたのである。正田死刑囚は、獄中で洗礼を受けてクリスチャンになっていたが、この話を信頼していた牧師(だか、司祭)に告げたところ、反対されて大いに落胆したという。
何故、そのような事を私が知っているかというと、この正田という人物を描いた小説を読んだ事があるからだ。
加賀乙彦という作家の「宣告」という作品である(新潮文庫にある)。
加賀氏はもともと精神科医であり、東京拘置所に勤務していた時期がある。この間、何人もの死刑囚と出会い、その心理状態とか、獄中で、死刑確定囚人がどのように行動しているのかをつぶさに観察していた。多くの死刑囚のなかでも、この正田昭という人物が非常に印象的であったらしく、小説は彼の心理の内部まで細かく描写されている。
この本では、主人公がとんでもない犯罪を犯した人間だとわかっていながらも、それなりの悲劇があることがわかり、読者が次第に、死刑囚である主人公に感情移入してゆき、最後に死刑が執行される場面では、なんとも悲しい気持ちになるのである。
今回の新実被告人とは、対照的である。今日のニュースを聞いて、真っ先に、「宣告」を思い出した。一読を薦める。
2002年06月08日(土) あの事件から1年
2003年06月07日(土) |
ハチャトゥリアン(「剣の舞」の作曲者)生誕100年 |
正確には、昨日である。1903年6月6日に、旧ソ連グルジア共和国で作曲家・ハチャトゥリアンが生まれた。
私は特別にハチャトゥリアンが好きというわけではないけれども、生誕100年という、区切りの良い記念日なのに、新聞の文化面など見ても取り上げられていないし、何か行事があった様子もないので、一応書いておこうと思う。
といってもさほど詳しい事は知らぬ。
ハチャトゥリアンといえば、組曲「ガイーヌ」の中の一曲、「剣の舞」だけが突出して有名である。彼が生まれた場所は南カフカス地方と呼ばれるが、この近辺は色々な人種がいて、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三つの共和国がある。ハチャトゥリアンは生まれたのはグルジア共和国なのだが、人種としては、アルメニア人なのである。
「剣の舞」はクルド人の民族音楽から題材を取った作品だが、半音階的な旋律と、その後にくるトロンボーンのグリッサンドが、聴く者に強烈な印象を与える。
「組曲」ガイーヌと称されることが多いけれども、もともと、バレエ音楽である。ガイーヌは本当は「ガヤネー」と言うのが正しいらしい。アルメニア地方で起きた事件を題材としたバレエなのだが、「ガイーヌ」はその女主人公の名前である。
当初はバレエ音楽、つまり、伴奏の音楽だったのだが、音楽自体の出来があまりに良いので、後にオーケストラのコンサート用の組曲が作られた。今では、その組曲全曲が演奏される事は殆ど無く、専ら「剣の舞」がアンコール・ピースなどとして演奏される。
他に、コンサートで採り上げられるのは「ヴァイオリン協奏曲」だが、なにしろ、ヴァイオリン・コンチェルトには名曲がたくさんあるので、それと比較した場合、超一流の作品とは言い難い。私も聞いたことはあるが、あんまり印象に残らなかった。
これらの他にも、3曲の交響曲を初めとして作品自体は沢山あるようだが、私は聞いたことがない。しかし、世の中には必ずいるのである。ハチャトゥリアンの曲なら殆ど知っている、などという人が・・・。
確かにクラシックの曲は数え切れないほどあるから、人があまり聞かない作曲家の作品から名曲を見つけるというのも、面白いかもしれない。クラシックには、そういう楽しみ方もある。
2003年06月06日(金) |
<集団自殺>車の中で男性4人死亡 車内に練炭コンロ 静岡・・・・いい加減にしろよ・・・ |
◆記事:<集団自殺>車の中で男性4人死亡 車内に練炭コンロ 静岡
6日午後1時10分ごろ、静岡県富士市大渕の丸火自然公園近くの山中で、山菜採りに来た同市内の男性から「車の中に4人の男が倒れている」と110番通報があった。静岡県警富士署員が駆け付けたところ、大阪ナンバーの乗用車の車内で、男性4人が死亡しているのを確認した。
調べでは、車内の運転席に1人、後部座席に3人が横たわり、助手席下に練炭コンロが置かれていた。乗用車のドアは内側から粘着テープで目張りされ、4人に目立った外傷もないことから、同署は集団自殺をはかったものと見て身元を調べている。
乗用車がとまっていたのは同自然公園近くの林道で、4人はいずれも20〜30代とみられる。発見者の男性は同日午前9時半ごろ、車内に横たわった男性たちを見て寝ていると思ったが、その後再び近くを通り掛かった際、不審に思い通報したという。(毎日新聞)
◆所感:「いい加減にしろよな・・・・」
私は以前、こうした集団自殺のニュースは真似をする者が出てくるから報道しない方が良いと書いた。その考えは変わらないが、余りにも安易な自殺には流石に腹が立つ。
大の男が4人連れ立って死ぬなんて、気色悪い。誰も同情しないだろう。4人集まったら、何か4人で仕事を見つけて、食っていけばいいだろう。
全く我慢が不要な世の中や、ストレスが無い世の中なんてありえない。
私だって、気の弱い人間だが、何とか頑張っているのだ。
会社に入りたての頃は、ヘマばかりして、バカだとか、辞めちまえ!なんていわれたけど、我慢したぞ?20年頑張ってきたぞ?
結婚して、子供が生まれてからは、何としても食わせていかなければいけないから・・・病気で会社休んだ事はあるけど・・・何とか復職して、薬飲みながら、働いて・・・生きているのだ。楽になりたいと思ったことがないわけじゃないが、家族を養うっていう責任は、岩のように重いんだ。
それに比べれば、まだ独り身なんて、楽なものなのだよ。とりあえず、自分だけ食えればよいのだから。簡単に死ぬな。とにかく、迷惑なのだ。死なれると。周囲の人や、警察、病院、その他諸々に迷惑がかかるのだ。
だから、死んではいけない。本当に死にたくて仕方が無いのなら、病気かもしれないから、医者へ行け。
2003年06月05日(木) |
「大量破壊兵器に関して、アメリカで政治問題化」 だから、前から言っているだろう。 |
◆記事:イラク戦争開戦理由となった大量破壊兵器が米軍制圧後のイラクで見つからないことから、開戦の判断材料となった情報の取り扱いや情報の精度が米国で政治問題化し始めた。
この問題で、米紙ニューヨーク・タイムズ4日付は、米中央情報局(CIA)が、開戦決定に大きな影響を与えたとされるイラクの大量破壊兵器に関する昨年10月の機密情報文書の内容について内部検討を本格化させたと報じた。
報道によると、同機密文書は、イラクが生物・化学兵器をすでに保有、核開発計画の再開も目指していると断定。同文書は、各情報機関の調査担当者、分析官などが兵器ごとに所見を表したもので、ブッシュ大統領が開戦に向けた最終決定を下す際にも、重要な判断材料になっていた。
大統領は5月末、ポーランドのテレビとのインタビューで「すでに大量破壊兵器は発見された」などと発言。しかし、その後、やはり明確な証拠は見つかっていなかったと判明したことで、上院有力議員や主要メディアの間では「大統領の拙速な判断」(ワシントン・ポスト紙)に対する批判だけでなく、CIAなど情報機関が、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張、わい曲したのではないかとの指摘まで出始めている。
これに対して、ダグラス・ファイス国防次官(政策担当)は4日の記者会見で、政府高官が情報機関に圧力をかけたりしたなどの可能性を指摘した一部メディアの報道を全面否定した。
◆所感:「だから、言っているでしょう」
私は、イラク戦争が開始されてから少なくとも4回、3月25日、4月7日、5月2日そして、6月1日大量破壊兵器が見つからないのに、そのことにアメリカが言及しないのはおかしい、と述べた。アメリカで政治問題化しつつあることは先週ぐらいから(もっと前かな?)報じられているのに、先週末のエビアン・サミットでは、いずれの参加国もこの問題に触れるのを避けていた。その間に、ブッシュはサミットを途中で退席して、中東へ行ってしまった。
サミットでは、米国をもっと吊るし上げるべきだったが、今更言っても仕方がない。本当は、戦争を起こしてしまった事自体、取り返しがつかないことなのだ。
アメリカやイギリスで政治問題化しているというが、当たり前である。あれだけ、大量破壊兵器をイラクが所持している、ということを、戦争を正当化する理由としてブッシュは述べていたのだから。
アメリカの情報機関が何を伝えたにせよ、アメリカの最終責任はブッシュが負わなければならない。
日本は、いち早くアメリカの武力攻撃を支持したのであるから、アメリカの情報が嘘だったということになった場合、盲目的にアメリカを信用した小泉内閣総理大臣にも政治責任が及ぶことは免れない。
日本のマスコミだって、それぐらいのことは分かっているだろうに、何故、もっと現政権の責任を問わないのか。怠慢である。
2003年06月04日(水) |
タクシー運転手さんの脳神経細胞は普通の人よりも発達している。 |
昨年、糸井重里と薬理学者の池谷裕二(いけがやゆうじ)という人物との対談集という形で出版された、「海馬」という緑色の本があり、随分評判になったようなので、私も読んで見たが、どちらかというと糸井重里の発言量の方が多くて、脳に関する知識を得るには、少々、まだるっこしい。
そこで、池谷裕二が2001年に講談社ブルーバックスに書いて注目された、「記憶力を強くする」を読んだ。こちらの方が、専門的な情報が詳しく分かる。但し、実務的、特効薬的な効果は期待しないほうが良い。これを読んだからといって、記憶力が強まるわけではない。
記憶には、短期記憶と長期記憶があって、短期記憶はとりあえず、脳の一番奥のほうにある海馬という部分に蓄えられ、そこで、情報が選別されて長期記憶になった情報は側頭葉という部分に収まるらしい。パソコンのメモリーとハードディスクになぞらえることもできる。パソコンは情報の選別はしないが。
脳の神経細胞は1000億個もあるが、生まれたときが、一番多くて、その後は毎日何万個と死んでゆく。そして、死んだ神経細胞は生き返らない。ところが、海馬の神経細胞だけは、使えば使うほど、増殖する事が、近年わかってきたのだそうだ。
タクシーの運転手さんの神経細胞を調べたら、ベテランの運転手さんほど、海馬の神経細胞が発達している事がわかったという。一般に信じられている「年を取るほど脳は衰える」というのは、間違いなのだそうだ。
科学が進歩するほど、従来常識とされていることが、次々と覆される。真理はなかなか見えない、しかし、そこが面白い。科学には、ロマンがある。
2002年06月04日(火) サッカーぐらいでガタガタいうな!
2003年06月03日(火) |
医療観察法案を強行採決 委員会可決、今国会成立へ |
◆記事:
参院法務委員会は3日午後、殺人など重大事件を起こした精神障害者らの処遇を裁判官と医師が合議で決める「心神喪失者医療観察法案」を一部修正の上、与党の賛成多数で可決した。
野党の質問終了後、与党側から審議打ち切りの緊急動議が出され「強行採決」となった。
同法案は昨年の通常国会に上程され、秋の臨時国会で衆院を通過。参院で継続審議となっていた。6日の参院本会議で可決の上、あらためて衆院に回され、今国会で成立する見通し。
同法案は、殺人や放火など重大事件で心神喪失や心神耗弱を理由に検察官が不起訴にした場合や、刑事裁判で無罪が言い渡されたり、刑が減軽されたりした場合、裁判官と精神保健審判員(精神科医)が合議で加害行為者の処遇を決めることができる内容。
◆所感:
重大な犯罪を犯した所謂触法精神障害者の措置を新たに定める法律である。これに対して、精神障害者の団体は「精神障害者は人間ではないと言われたようなものだ」と抗議しているそうだが、それは、ちょっと的外れではないかと思う。飽くまで、「重大な犯罪を犯した」にも関わらず「不起訴になっ」たり、「無罪が言い渡され」たりした人物に対する法案なのであるから、そう、いきりたつことは無いと思う。
但し、強行採決、つまりよく話し合わないで、いきなり決を採った与党にも問題はある。そんなことをすると、何か、この法案は、詳しく審議されるとヤバいことがあるのか、拡大解釈して、危なそうな奴は予め隔離してしまう、所謂「保安処分」のような運用をしようとしているのではないか、と、思われてしまう。こういう問題こそ、よく話し合うことが肝要である。非常に世間の誤解を招きやすい問題だからである。
私は、うつ病の治療を受けるために、精神科に通っている。しかし、医学的に、うつ病は「気分障害」という分類に属しており、「精神病」ではない、ということを知っているし、法を犯してもいないので、何ら後ろめたいことはない。だから、この日記でも、何度もそのことに触れている。精神科に通っている人の大部分は実は、ごく普通の人なのである。
精神科に通う人間といえども、普通の思考能力と、表現能力、感情をコントロールする能力がある、ということを身をもって証明するのが、やや大袈裟に云えば、自分の使命(?)だと思っている。あえて、「闘病」や「心・苦悩」のジャンルを選ばないのはそのためである。
そのような、私の日記をMyに登録してくださる方も、大勢いらっしゃる。誠にあり難い。この方々は、物事を冷静かつ合理的、客観的に判断なさる方なのだ。この場で心から御礼申し上げます。
しかし、一方で、世の中には、なかなかきちんと知識を蓄えて、合理的にものを考えることができない、あるいは、あえて考えようとしない人が必ずいる。そういう人にとっては、精神科に通う者は全て「危険な」人間なのだろう。
今回の法案が、そのような人々の偏見を強めるかもしれない、ということだけが、ちょっと、気になる。
2003年06月02日(月) |
腸閉塞の子供と、消防隊員の死 |
どうして、この世はかくも理不尽なのだろうか?
東京では、腸閉塞で病院に担ぎ込まれた子供が、無責任な医者に放置されて、何時間も苦しみ、死んだ。私がその子供の親なら、医者を殺すだろう。
神戸では、火災現場で、人を救出しようとした若い、勇敢な、使命感にあふれた消防士たちが命を落とした。何故、こういう善意の人々が死なねばならないのか。
何故、世の中嫌な事ばかり起きるのか。もう、たくさんだ。
私は神の存在を信じない。いるとしたら、それは、神ではない。悪魔だ。
2003年06月01日(日) |
「和平以外に選択なし」=中東問題で米大統領 で、イラクの大量破壊兵器は見つかったの? |
◆記事:
ブッシュ米大統領は31日、週末恒例のラジオ演説で、6月4日に予定され るシャロン・イスラエル首相、アッバス・パレスチナ自治政府首相との3者協議に関連し、「これから先は困難な決断と指導力が要求されるが、他に選択肢はない。良心のある指導者は、屈辱や殺害、悲嘆がさらに数カ月、数年続くことは容認できない」と述べ、中東和平実現を目指す決意を改めて表明した
◆所感:
イラクに対するアメリカの武力攻撃が開始されたのは、3月20日である。それからまだ73日しか経っていないとうのに、世界は、既に、遠い昔の出来事とみなしているようにさえ、見える。
この間、SARS騒ぎが新聞の紙面を賑わせ、日本に限って言えば、りそな銀行への公的資金注入があり、大事件が次々と起きた。
人間は、どうしても目先のことに関心が向かうけれども、イラク戦争におけるアメリカの責任は、うやむやにしてはいけない。
アメリカは、「イラクが大量破壊兵器を所持しており、それがテロリストの手に渡って、アメリカが明日にでもテロの標的になりかねない」と主張して、国連決議を得ずに、つまり、国際法を無視して、単独でイラクを攻撃した。
その後、今日に至るまで、イラクで大量破壊兵器が発見されたという報告は得られない。イラク戦争では多くの人命が失われたが、アメリカはこの責任をどう考えているのか?中東和平など、口にできる立場ではない。
サンクトペテルブルグでは建都300年を祝う祝典が開かれて、各国首脳が集まり、続いてフランスのエビアンでサミットが今日から開催される。
アメリカの説明を聞いてみたいものである。