|
|
■■■
■■
■ 『ヘッダ・ガーブレル』当日パンフ文章。
演出の戯言
さてイプセンである。 かの有名なノラを『人形の家』で生み出した、その後の作品である『ヘッダ・ガーブレル』。
稀代の悪女かどうなのか、それが問題だ。 と言われる。訳語の問題もあるけれど、 【わかりにくい】 果たしてそうなのか? 近代演劇の祖が、わざわざ悪女を(モデルがいたとしても)特別に描いたりするのだろうか? 社会や政情やそうゆうものに翻弄された人間の在りようを、色んなモノに縛られる人の有様を、そしてそこでの生き様を描いているのではないのか? ヘッダも周りもイロイロがんじがらめ、国も時代も超えた普遍性を、稽古場は時間をかけて発見した。 あとは、それを上質の人間ドラマとして具現化できるかだが、 これが一番【難しい】
でも、難しいこと、わかりにくいことに挑戦しないで何が若さだ、表現者だ。 人間を見つめないで何が俳優だ。
まだ修了公演の作品を他の候補数品と共に読み合わせていた頃から(一番難解でラストも暗いし演りたくない!が大勢派、私としても本当はラディガンにするつもりでいた(笑))、…難しい…、意味わかんない…、から、面白いっ!となって、難しいっ!となって、でも何とかステキな作品にしたいっ!難しいっっ!!するんだっっっ!と突きつけられ、泣かされ、自分を試されてきた四ヶ月、
芝居は言うまでもなく非常に具体的、実際的な芸術で、だからこそ多くの才能を要する。誰がやるか、どこでやるか、自分に何ができるか、そして物凄いネバリ強さを持って、他人と力を合わせて、創作しなくてはならない。創造は痛みを伴い、痛みに鈍感なままではいられない。 いよいよ本番を迎える。ここまで来るのにアッとゆう間だったかもしれない永かったかもしれない、頑張るなんて表現者として当たり前、その先にあるものを掴めるかー (でも表現者として生きていく時間はこれからもっともっと長い、豊かに、試行錯誤を繰り返し、大きな実を結んでいって欲しい。)
狭い所で誠に恐縮ですが、 2時間45分(!)の彼らの長い旅、どうぞお付き合いください。そして皆様にとってもこの旅の時間が豊かで魅力あるものとなりますように。
藤井ごう
2018年02月25日(日)
|
|
|