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■ 修了に向けると。
自分のセリフから次の自分のセリフへと感情を繋ぐ事が 俳優の作業ではない。 でもこのスタイルを身につけてしまい、抜け出せないとゆう事態によく会う。 相手の反応、それに伴う行動(セリフ)に出会い、変化を繰り返すしかないのだ。 相手がこうゆうかとうかは、その時点で全てが人物の予想通りに進むわけはないのだから。 よく見て、感じる。 でも、想定して待っている芝居が、 見てる風が横行する。 それはもう、人の行為ではない。 (見て見ないことにする世の風潮はあるとして(笑)) お互いに相手のコトバないし行動が「在ること」にして見ない、感じないまま、重なり合っているかのように結果見せる為の稽古、など稽古ではないし、 それでは奥行など広がる訳がない。 感情の流れの発表ではなく、人物の衝動と出会おうとしているか。 稽古場が発見の場になれるように可能性を開くこと。
セリフが自分のキャラクターの説明の為だけに使われていないか 文字面を保障する為だけに使われていないか 感情を表現する為だけに使われていないか
そして、 それを支える自分の身体(=精神)の準備の在り方にもっともっと自覚的に貪欲に。
「ヘッダ・ガーブレル」 もう一月を切った。 でも、結果をつくるのではない、 あくまで動き続けるしかない人物に眼を向けているかどうか、 その先に人間の真理が垣間見れるかどうかー まだまだ時間はある。 自分自身ならとうするか、 くだらないようで、その事に苦しいけれどちゃんと向き合っているかが、 この先の世界と確実に繋がる。
2018年01月26日(金)
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