再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 いかない。

週末稽古。
先週に引き続き、全体の進行を進めつつ、
ラストシーンの振り=ステージングに清水さん、在足利してもらって。
そしてここまで黙りしてたけど、
二月から補佐に本城憲さん、なので、進行を見に。
美術も最後詰めで、ノリミネ氏。
製作、佐藤さん。
…相談できる相手がいるのはなんと心強いことか(笑)

無論、稽古の温度はダダアガリ。。。

ラストはやはりとてつもな印象的なシーンになりそうだ。
たったの二日、清水さんお見事。。。
お陰でこちらも間もなく合流してくれる音響、照明さんとも細かく打ち合わせの時間を取れた。

土曜日は来訪者多く、
俳優たちも交えて久しぶりに多勢で杯を。
次の日は最近お奨めすぎる、
佐野は「日向屋」⬅佐野ラーメンの名店、とゆうより、中華そばとして絶品
に大使としてはお連れする…

今日は送りつで東京戻りで、
明日またこっちへ。
行ったり来たりは、まだまだ続く。
一月は行く…





2012年01月29日(日)



 来ないことにしない。

演技って不思議である。
台本に、「来ない」と書かれていれば「来ない」訳だが、実際にその場で演じる場合には、「来ない」を知らない必要がある。(同じように「来る」と書かれていれば「来る」わけで)て、当たり前の事のようで、間違いがちだ。
「来る」と思ったモノが「来なかった」のと「来ない」と思ったモノが「来なかった」のでは人の感情としても多いに違うはずである。
でも、「ここで奴はこないから、で、こうなって、こうなって、云々」と頭で段取りを組んでしまう。で、そのさして「来ない」から重要ではないとふみ、ただセリフを通過させる。これはいけない。

そんな時、打ち合わせなしでその場に誰かを登場させる事がよくある。大概演じ手は「来ない」はずの所に、イレギュラーで「来た」ことに驚き、戸惑う。で、なんで?と突っ込むと、「いや、来ないはずの場所に予想外に人が来たから…」とのたまう。違うのだ、「来る」のが当たり前ならば、「来ない」ことの方に驚きが生じ、実際に「来た」ことについては「当たり前に」対処しなくてはいけない。要はその登場人物(本人の解釈でなく)の肚の据え方なのだが。。。
勿論、上記の場合だけでなく、書かれ方によって違いはあるにせよ。段取りしてないからできませんではすまない。文字面だけを追っているとこうなりがちだ。役の目的を露わにしなくては、自由が利かない。人間味も舞台に乗らない、ひいてはその場に存在できない。
バックボーンとかゆうけど、ある程度表現に直結できる具体性を持たないと意味がない。(ここがきっと、「頭でっかち」と「考えが身体を通る」の境目か…)

文字通りの表層だけで人の気持ちなど動いているわけないではないか(笑)と、言えば当たり前にわかりそうなことが、そこをこだわらずに決まっていくことがどれだけ多いのだろう。書かれた文を読み、言った言わないの揚げ足取りを繰り返し、「討論」とか言っている輩と変わらんでしないかそれでは。。。
まずは「来ないことにしない」ことから始めるしかないのだな…

2012年01月27日(金)



 踏み出せない。。。

月曜日雪予報、そんな中夜半には積もるの報が出ているので、電車は早々に止まるであろう事が予測され、足利行きは車で。(行きは早く着きたい思いもありながら、高速道路三車線、「凍結防止剤」を撒き車が三台ぴっしり横並び、六十キロ。なんか、パレードのようだった、、、)
で、終わり頃しっかりと雪は降り、そして、それでも帰路走らせながら、なんとまあ、走り辛いこと、でもって、途中で情報、チェーン規制。私の車は、見事なノーマルタイヤで、チェーンは生憎持ち合わせていない…

まあ、武蔵野線は早々に雪のためかは知らんがポイント故障につき不通だから、電車を選択してても帰れないわけだが。結果佐野藤岡インター近くまで来たもののすごすごと足利の我が家へ。。。まあ、身体が大事、ですからね。
戻りしな、すっかり雪は止んでいる、、、⇒東京方面だけ?

作品は、土曜日日曜日かけて粗立ち状態で頭から最後までやったことは前記したけど、なにしろ、時間をじっくりとかけられるのは週末しかない。そして、あと週末は本番まで二回、舞台を使えるのは一回きりである。
正に産みの苦しみと、でもって、この先は「忘れても指示してくれる」を最終的に待つことで、「自分が(役が)今どこにいるのか」を見失うことのないよう、「自家発電」(と蓄電?)「対照化」これが大切である。
「自分はこうする」とゆう自覚があって初めて。大転換や、細かい転換、そしてそれを演者で進めていかざるを得ない選択は、過重がかかりすぎることは重々承知、そんでもってかけられる絶対時間数が足りない今回、「今舞台で何が進行していて、自分は「これ」をし、で、「役」は…」と色んな頭と身体が必要、使う回路はひとつじゃないのである。
それも全て、最終的に客席と「物語を届け運ぶ」為に。役の人生を体現しながら、作品を全体で捉えることは、全部舞台の魅力を表現することに繋がるわけである。目一杯で向かって欲しい。せめてただ漠然と他人任せにしないよう、足並は各々が一歩踏み出せば自然と合うのだから。

と、雪のせいで一歩も踏み出せなくなっている私である。。。

2012年01月25日(水)



 ちょっと思う。

ドーフマンの「谷間の女たち」芝居を創りながら、色んなことに直面する。
取材を受けたりしても、どうしても「チリ」においての話、とゆうだけに限定されがちだ(そりゃまあ、確かに題材だからそうなんだけどさ)、だから南米のそんなことなんて知らないし、難しい。とイコールにされたりもする。
稽古していてもその部分を感じる事はあるんだけどさ(稽古を重ね、識っていくなかで現場は大きく変わっていることは確か)
ここに作者の前書き(抜粋)を載っけてみたりして…(しかも別の戯曲からだったりするが、ドーフマンの場合は、書いている作品の根本は同じだから)

どうしたら、抑圧が深い傷になっている国を、はっきりと発言する恐怖が今も強くはびこる中で癒すことができるだろう。どうしたら、嘘が習慣になっている国で真実にたどりつけるだろう。どうしたら、過去の囚人とならずに、過去を生かし続けられるだろう。どうしたら、将来、また繰り返す危険を冒さずに過去を忘れられるだろう。平和を守る為に、真実を犠牲にするのは、正当だろうか?過去と真実が私たちに囁きかけ、呼びかけてくる時に、それを抑えつけると、どんな結果になるのだろうか?そうした状況の下で、暴力は避けられるのか?そして我々すべては、最も苦しんだ人々のなめた辛酸に対して、どれくらい有罪なのか?そして最大のジレンマは、国全体のコンセンサスを破壊せずに、こうした課題とどう対峙するかでる。


以上。
…別に、特殊な国の特殊なことを特殊な人たちがやっている訳ではないとゆうことを、僕は言いたいのだ。


2012年01月23日(月)



 通う2

土曜日から今回は会館近くのマンスリーマンションに。
七年前は(もうこの時点では六年前か)も少し離れた所で、そこはそこで良かったのだが、便はこちらの方が楽。
店も近所に多数あるし。

昨日今日稽古場の広さがないので、
車座になって頭から最後まで「関係性重視」で稽古。
とは言え、読み合わせではなく、動きたい人は動ける、荒立ちよりも一歩も二歩も進めた稽古。
どうしても平日は時間が短く、
土日はホールを使わせてもらっている関係上、段取りを説明しながらが多くなり、
かつ集まりの悪いところもあるので、
なかなか「通」せる形ができていなかったのでこれを機に。
今後もおそらくこんな機会はない…
「コントロール」と「先読み」が見事に垣間見えるので、
そこを指摘しながら。
…しかしまあ、エネルギー量のハンパない芝居である。
そのエネルギーを軽々乗りこなすには、いかに稽古で「それ以上」を経験しておくか、しかないのだ。
今日は、衣裳アドバイズで宮岡嬢が来てくれたので、
衣裳合わせも。
女性の多い座組はいつも思うが、「格好」に対する興味は果てしない。
ほの決まって、さあ、次は小道具関係…

帰りは宮岡嬢を送りがてら、色んな話。
明日も東京⇒足利⇒東京である。


2012年01月22日(日)



 通いながら。

修了公演、舞台の構成案ほぼ固まる。
クローズアップすべきはやっぱり「ひと」で、
そのささやかながらの気づきだったり変化だったりするものを大切にする方向で。
モチロン、基本は「楽しく」。
最初にそこに存在する瞬間から二時間とゆう舞台上の旅をして、
同じ状況、同じ場所に立った時に、どんな風に「ひと」は成長するのか。
見るものが変わるのか、立ち方が変わるのか…

稽古はやはりただの「指示待ち」感が強い。
自分の役の変化とか、変わり目とかそうゆうものにもっと「自分で」こだわっていかないと、素人ではあるまいし…
そうゆうことをお互いに許しあっていて、はて、修了公演いいのかい?
…波風立てたくないのだろうが。
少なくとも、自分が「言われるがママ」やっていてそれをただ「よし」としているようでは、結局毎現場、同じことを繰り返すだけ。それは「表現者」ではないのではないかい、また養成所いく?
自分の表現に対して、観る側がいるのだとゆう自覚、そしてその興味をちゃんと継続させるだけのエネルギー、魅せきる責任。
そんなことをあーだこーだ言いつつ。
…言えば変わるんだけどさあ(苦笑)
大体、毎年この時期に訪れる風物詩のようなもの、と言えばそうなんだが…

風邪だかインフルだか急性胃腸炎だかが流行り始めている…

2012年01月19日(木)



 通う。

週末は足利に居座って稽古。
少しづつ、衣裳や小道具なんかも揃いはじめて、
一歩づつ階段を上がっている印象。
今回はメインテーマをお願いした大西玲央くんも稽古に合流。
制約の多い中だが、乞うご期待。

そんなわけで
「趣茶」で湯豆腐と担々麺を
次の朝、相変わらずカラカラのホテルを出て、巨石群⇒佐野の美味お蕎麦。
…観光大使のようである。
今週末は、誰か来るかな、
再来週末は、振付と美術も来るのできっと…

日曜日終わりでしっかり玲央くんをお送りし、
また本日足利に。一日はさんでまた来ますけどね。

もう一月後には終わっているのだな、
時間を有効に、二度手間三度手間に陥って、先の世界が覗けなくなることのないように。。。
二十一日から足利で住む所も決まって、
そういう意味では(?)順調。


2012年01月16日(月)



 13日。

養成所、今週から再スタート。
どうも…のバラつきがあるな。
どうしても、文字面を追う状況から進まない。
自分の演じる(?)人物が、どうデコボコ、紆余曲折しながら進んでいくのかとゆうことへの当たり前の興味が薄いのか、結果だけを求めてしまう身体になっているとゆうことか。
稽古見る側、やる側、お互いに変な「これくらいでいいよ感」とでも名づけるべ空気が垣間見えて⇦モチロンそんなつもりはなかろうが、水は低きに流れていってしまうものである。作品の性質もあって、全体の自由度の高さと笑いを良しとするのと、ダラダラと過ぎて行く時間をよしとするのは違う
少し話す。
ま、正月開けだから、、、とも言えなくはないのだけれど。

来週頭には舞台も決めて、しっかりと時間をかける。
何せの完全ダブルキャスト、費やせる時間は、絶対的にシングルの場合の半分しかないのである。その時間に何をするかを自分に課すのは大切。
もっと、自分の役について、またはその役をやっているもう片方について、興味を持ってもらいたいものだ。
で、その人物たちが、見ている正にその目の前で変化していくこと、
影響を与え合うこと。化学反応していくこと。
そんな舞台の基本を改めて思っている13日の金曜日。

明日はまた朝から足利へ。楽曲提供で巻き込まれてくれた大西玲央くんを途中車で拾って。


2012年01月13日(金)



 決戦の水曜日。

車も続くと移動はしんどいし、
電車も連続あうるとこれはこれでなかなかにしんどいものである。

先週、今年の足利稽古初日(五日間の初日)は諸事情により東京との行って来い。
移動なく過ごせればいいが、そうもいかないわけで。
大体車で二時間半、
電車は乗り継ぎ上手くいって二時間半弱(特急などに乗ると)、夜など特急もなく乗り継ぎ待ち合わせなどあるとへたすれば三時間強である、そして、この時期の乗り継ぎ待は非常に寒いわけで。
二十二時まで会館で稽古させてもらって、二十二時十分の最終浅草行きに揺られ、ここからが問題である。遅れなければ新越谷まで行って武蔵野線「南越谷」駅に乗り換え⇦とは言え乗り継ぎに時間がかかる、遅れそうならば、そのまえに久喜で降りてJR東北線に乗り換え⇦この乗り継ぎはえらく待たされる。知らない頃、乗り継ぎホームに上がる階段の前に集団がいて、何だ?と思いながらホームに…寒い、つまり特に暖を取れるわけではないが、風よけしているわけですね。
で、赤羽、池袋と回ってグルリ。⇦これだと休日なら宅まで三時間半…
日々、決戦である。
呑んでもないのに、これは結構こたえる。
ま、そんなことはないだろうが、
下手をすると、新越谷から先がなく、そこで宿泊、なんてことになったら目もあてられない。なにしろ、先方から「泊ります?」と聞かれているのを「いえ、帰ります」とわざわざ断った上、所縁のない半端な土地に自費で泊まるなんて…
だから、走るのだ。
先週は東武の改札をヒラリと乗り越え、JRの改札をヒラリと乗り越える羽目になった。(なんのことか皆までは言わない)間に合ったから良かったものの…こういう時に限って、チャージがたりなかったりするものである。ああ無情、それがだっても「人間だもの」(足利所縁の人)
今日も走るのだ。
呑んでないから走れる、とも言える。
選択は、新越谷である。

決戦である。

平日の僅かな時間を目一杯稽古詰め込む決戦の後。。。

…どうでもいい話、である。


2012年01月11日(水)



 強く思うこと。

足利五日連続稽古(とはいえ平日は19時過ぎからだけど)
年末追っていったところから先に進め、全体の話もしながら…
ただ構造的にも(舞台のね)複雑なので、一回ではなかなか伝え切るのは難しい。
時間の欲しいところだけれど、、、
集中度、向かう姿勢、十二月から大きく動いた。
全体波及にはもう少し時間が必要、
どうしてもいたりいなかったりが(皆さん普通に昼間、及び夜勤など仕事をしているので)あるので、且つ、七年前(ていうか、もう七年もたつかあ(笑))からようしょでいた面子と、今回初対面の面々ともいるので。その体験、経験の差を上手く引っ張ってもらわないとね。降りるんじゃなく。
来週辺りから、音楽もかけて、
一歩一歩。
結局どんな仕事、現場であれ同じ。
集中度が高いので、この期間中グッと伸びた個人なり関係性なりが、次回に活かされていけるかが重要。
こちらはあくまであるレベルを要求するのだ、と思っている。


宿泊のホテルは、スタッフの心遣いもよく、居心地もよいのだが、
空調が集中管理の部屋は、
「弱」
「強」
「切」
しかない。
冬場加湿器はホテルは絶対(乾燥するのでね)だが、今泊中、貸してもらえる加湿器が全て出払っている中、風呂に湯をはり、扉を開け放つも
どうにも寝辛く、「弱」にしているものの、
喉が乾き飲料を買って戻ると、熱帯。。。
そりゃ寝辛いわ!と
仕方なく「切」ると、
獄寒。。。
すっかり喉をやられる。
で、そんな時に限って常備漢方をも忘れる。
幸先のよいスタートである(汗)。

ま、そんなこと現場には一切関係なくやってますがね。
来週の泊まりは先に加湿器をゲット、である。

大人しくスーパーで半額の刺身を買って夜ご飯とする日々⇦稽古後に行くと、弁当関係は売り切れている、、、
醤油、とか、箸、とか、忘れて、ホテルで借りる。。
そんな私は、あったかいもの、食べたい。
「強」く、そう思っている。



2012年01月08日(日)



 三賀日を過ぎ。

正月はいつもの通り、
着物きて、一年の豊富を言って、おとそ呑んで、初詣。
からの、温泉、ご馳走、美酒、と続くわけである。
駅伝はやはりそのドラマ性のすっかりやられ、
やろうとして持ち込んだもののほとんど手つかずの資料、宿題などを再びカバンにいれこみ、
帰郷から帰京して、己の実家に一瞬寄ってさて、
机に向かっているものの、それは年賀状を返す、とゆう実務に時間を取られているだけだったり…
気づけば「笑ってはいけないエアポート」をくだらんとか言いながら、しっかり見ていたり(録画済み)、ちがう、そんな場合ではないのだ、ましてこんなところに自分の状況を説明している場合でもなく、「きずな」は実際「ず」じゃなくて「づ」なのか考えている場合でもない、
今年は暦的にも自分的にもスタートが早い。
明日から足利へ。
慌てるつもりはないし、焦っても仕方ないけど、
新年スタート五日間は結構重要だったりするのである。
四月の台本も左斜め前に置きながら…

新党「きずな」名称変更「きづな」
…hoんと、どうでもいいな…



2012年01月04日(水)



 新年。



あけましておめでとうございます。

「現在をどういう意志をもって生きていくか」
ということが大事なんだと、二年前の元旦に発信しておいて、果たしてそうゆう風にできてきたのかと、ふと振り返って、
改めて思うこと、再確認、イロイロな年明けである。
広く情勢もそうだし、
個人としても。
それは去年の3・11が、とかじゃなくて、基本においておくべき事なのだな。

そんなことを二年前と変わらず炬燵で熱燗を傾けながら
たわごとの様につぶやく正月…
芯の疲れ、みたいなものが抜けていない(笑)



本年は、例年通り、二月下旬、三月下旬と養成所の修了公演。
で、より先に二月の頭には「谷間の女たち」を所縁の地、足利にて。
面子も七年前演劇大学初年度の関わってくれた方々多く、相当に難しいが先立ってしまうが、魅力的な作品を生み出す為に年初から行ったり来たりが決まっていて、
四月に元教え子の(とはいえ、助手などイロイロしてもらっている)劇団旗揚げに相乗りし、
五月、「修学旅行」最後の旅スタート。(今メンツのね!…と強く言う)
リバイブ休止状態の中、色んな意味で支えてもらった作品。
集大成である。
七月には中間発表。
下半期は、「普天間」の再演と旅公演。。。
そして諸々…

着実に、色んな余所見もやっぱりしながら、
客席と作品を繋ぐ素晴らしい仕事ができたらと思う。
んでもって、自分の地力を蓄えつつ。

本年もどうぞどうぞ、宜しくお願いいたします。
感謝の気持ちを忘れずに、やっていきます。

2012年01月01日(日)


2012年01月01日(日)
初日 最新 目次 HOME