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2011年03月25日(金)
停電しないんだ

仕事がこの間ようやく終わりました。
確定申告もギリギリで他のパンフのレイアウトとかもあって、
もうダメだーと思いましたが、超有能な家族の皆様のおかげで助かりました。
特に妹!私がグリグリ塗った水色の影にトーンを貼っていくスピードが。
何でそんなに早いの!?

身内を持ち上げるのはうぜーかも知れませんが
妹は漫画素人なのに、なんかすごい。
うちにやってきて、私がやってもらう仕事の段取りに迷っていると
「いいから。適当にやっているから。」と
まず床に散らばったバラバラのネームや下書きをかき集め
順番に整理し、下書きはファイルに入れる。
箱に詰まれた原稿用紙を取り出して見ながら
「これ、消しゴムかけていい?この裏のは?」と聞いてくる。
私がようやく服のトーン・ベタの指定を決め始めると「これとこれも同じでいいの?
あ、でもこっちのコマは大ゴマだから薄くするのかな?まだ貼らないほうがいいの?」
私の作業が停滞し指示が出せなくなってくると
トレペをかぶせ下書きを見ながら台詞を書き込みチェック
かゆいところの作業をテキパキ判断して、やってくださいます。
おいしいご飯もありがとう。ダメな姉です。

さて、今回一番恐れていたのは計画停電だったのですが、うちは免れました。
第一グループで、初日停電時間に寝てやるぞと徹夜したのに
早朝に遠くからアナウンスが聞こえ、明かりもラジオも消えなかったのです。
そして今日まで一度も消えません。
細分化される26日以降も、当面計画停電の対象から外されました。
正直なところ仕事中に停電しなくて本当にラッキーでしたが
関東近郊の大都市、市街地が停電におびえる中で
タヌキが出る片田舎のこの辺が、インフラの関係で停電しないと言われても
釈然としません。自衛隊の基地が2つも近所にあるからなのかな。
埼玉の友人は、明かりのない町で信号のない道に不自由しながら
余震に怯えています。そのストレスを全然知らずに私たちは暮らしています。
あんな「細分化」したところで、
不公平はまっっったく解消されないんだね!
そりゃ、うちは停電しないほうがありがたいけど
正しくないよな?と、停電情報を後ろめたい気持ちで見ている日々です。



2011年03月13日(日)
あいまいなしあわせ

「幸せって何だろう」と、辞書で調べたことがあります。
前にも日記に書いたっけ。
「運がいいこと」と書いてあって、びっくりしました。


父の病が再発しました。3年前に患った、悪性リンパ腫です。
最近首のリンパらしき腫れ物ができ、先週検査しました。
金曜日に、父は結果を聞きに、有明の病院に向かいました。
昼過ぎ一時ごろ、自宅に電話してきました。
たぶん再発したらしい。来週詳しく検査入院、
その後も治療のため入院することになるだろう、とのこと。

母は、「3年だしね。覚悟はしてたけど」と、
さすがにショックを隠せません。
でも、医学は日々進歩しており、3年前だって深刻だったのに
あっさり寛解へ向かったのでした。
腫れ物以外にまったく不調はないし、きっと今度も大丈夫。
暗く考えるのはやめて、とにかく仕事しようと机に向かっていると

……

件の地震です。

私も母も無事で、壊れたのはワイングラスくらいでしたが、
大規模な地震だったらしく電車が止まっています。
「お父さん、帰れないんじゃないかな。
あのまま病院にいたんなら、あったかいしトイレもあるしひとまず安全だろうけど、
帰ってくる途中だったら…大変だよね」
携帯も繋がりません。心配になってきました。
パート先の工場で地震にあった妹も、実家にやってきて
テレビの放送を見ていました。津波の映像に衝撃を受けつつ、
父は今日中には帰ってこられないのでは、心細い思いをしていないかと
心配していましたが・・・

夕方6時ごろ、あっさり帰宅しました。
満面の笑みを浮かべて、「いやーすごい体験しちゃったよ!
不謹慎かも知れないけど、お前きっとうらやましがるよ!」
聞けば、新木場から飛び乗った武蔵野線で、西船橋を過ぎてから、地震。
当然電車は高架線路上で、立ち往生してしまい、
乗客たちは電車を降り、船橋法典駅まで線路を歩いたのでした。
「ほら、顔はまずいから後ろから撮った。」と、
携帯の写真を見せてくれました。
線路の上を、人々が歩いていきます。
確かに不謹慎だけど、いいなあ!と思いました。
駅からは、数人で北へ、東松戸を目指して歩きました。
「地元に詳しい人が、「こっちが近道」って言って、
へんな裏道いっぱい通ったよ。面白かったなあ」
その後運よくタクシーがつかまり、相乗りで帰ってきたそうです。

「お父さんよかったね〜!貴重な体験したね」
「お父さん運がよかったよ!
その電車に乗り遅れてたら、ぜったい今日中に帰れなかったよ?」
一同ほっとして、父は嬉しそうだし、ラッキーだったなあという
感じになり、
再発の深刻さはうやむやになりました。
この絶妙のタイミングも、「幸せ」のうちなのでしょう。

被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
つらい時間ですが、どんなときも明るさと希望を忘れないで。




2011年03月10日(木)
イッキよみ

IKKIを送っていただいて、よみました。
うれしくて泣いちゃいます。
この話が逆に、ふらふらしてる私自身への羅針盤になってくれそうです。
芳崎さん、本当にありがとうございました〜!