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2008年04月29日(火)
収録作品

あたらしい単行本に収録作されるのは、「言葉にできない」「追いかける恋をしよう」「ベストフレンド」「モトカレ」「みがわりキューティ」の5作です。
ちょっと少なくて申し訳ない気がします。
内容はについて思うことは。
「追いかける〜」の先輩の台詞などは、けっこう良かったなあと思うんですが、絵が……(泣)。当時としてはかっこよく描こうと努力したつもりだったんですが、痛〜い。
あとは、飛びぬけたポイントが少なく、物足りない感じかもしれません。ごめんなさい。「モトカレ」など、「昼メロっぽいヤツを描こう」とやけくそでしたし、困ったものです。この後の作品「ムジカ」「希望のオトナ」などが個人的には気に入ってるのですが、そこまで入りきりませんでした。残念。
作品は古い順に単行本入りしていますが、今回、順番通りなら入るはずだった「守ってあげたい」と「ノー・コントロール」の2作品は、お願いして外しました。掲載時の絵や内容が稚拙だったり雑だったりして、手を加えずに単行本にいれるのは、購入される方に申し訳ないと思ったからです。
この機会にと思いきって、以前の自分の作品を読み返したりもしました。でも、昔の作品はヘンな勢いがあります。絵が下手なのはともかく、ネームは今より絞られて読みやすい気がします。退化しちゃったの?ヤバイヤバイ!時間をかけよう!


さて、お願いです。

私の知り合いで、
この日記を読んでいて、
漫画をまだ見たことがないから
買ってみようかな〜なんて思ったみなさん。

読まないでください・・……

と言っちゃうと営業妨害なんですが、
お求めの際は、エロエロぐっちょんな漫画だということをご承知下さい。
内容の性的な描写は、私の現実の生活・恋愛とはまっったく関係がないので、結び付けないで下さい。
「えっ、エロまんがなの…?」と、引かれるのはまだマシですが、「読んでみたいなあぁ〜」などと鼻息荒く言われると、セクハラされてるような気分になり、殴り倒したくなることもあります。
「えっ、オレ、まずかった……?」と不安になったかた、大丈夫です。言われても平気な相手を選んで、自分の漫画の話をしています。でも、偶然や検索でわたしのエロ漫画にたどり着いてしまった知り合いのかたは……そうぞ、そっとしておいてください……弱っちぃエロ漫画家でごめんなさい。



2008年04月28日(月)
さわられたいの

もうすぐ単行本が出るようです。
表紙を描いた時、「タイトルは決まってるんですか?」と編集さんに聞いたところ、「まだ決まってませんが、良い案がないですかね?」とのことでした。
もう収録作のタイトルを使うことはなさそうだし、またエロく興味をそそる感じのタイトルをつけるんだろうなーまあそれでもいいやおまかせー(*1)、と無気力に決定を待っていたところ、

「『さわられたいの』でいこうと思います」

とのお知らせをいただきました。
またこう、痴漢ごっことかイケナイ遊びを連想させるようなタイトルです。

なんでだ!?そんな台詞とかモノローグとか、あったかな!?
……
見返してみると、けっこう「さわって」とか言ってるんだなあ。そうだったのか。なるほど。一応キーワードになってるんだ。
だけど、「さわられたいの」ってのは……どっちかっていうとAV熟女もののタイトルみたいな。なんかオジさんくさい気がする。なぜだろうか。

そういうわけで、編集さんに電話しました。
「『さわられたい』というのは、かっちりとした、文章で書く時の言葉のようで印象が少し古いかもしれません。ふつう、女の子が自然に使うなら『さわられたい』ではなく『さわってほしい』ではないでしょうか」
この意見を聞いていただいて、タイトルは少しだけ変わっています。

注)*1
別に編集さんに不満があってやけくそになってるわけではなく、私が無気力なだけ。本当はもっとこだわりをもって、対案を出したり話し合ったほうがいいんだろうけど。



2008年04月27日(日)
弾くように描く

アコーディオンのコンサートに出ました。
ほんのちみっと。私は全然上手くないんです。が、一観客としてではなく出演者としてコンサートに参加すると、他の人の演奏を聴きながら考えることも、自然と違ってきます。即売会へ一般参加するかサークル参加するかで、会場をまわるときの意識が全く違ってくるのと同じようなことかもしれませんね。

リハーサルで、ものすごい上手い人が軽やかに弾くのを見ながら、演奏することと描くことの共通点を考えていました。
基本を確実に、身につける(身体で覚える)、そして一般の人には想像できないほど多くの量を積み重ねなければ、プロとしてやっていくことはできません。
たとえば、プロ云々よりずっと手前の話ですが、私は#や♭の多い嬰へ長調やロ長調の音階のスケールを、楽譜を見なくても吹けるし、知っている曲を移調して吹けます。頭で考えて整理するのではなく、昔の練習で身体が覚えているからこそ、かろうじてできているのです。
だけど、漫画では?
人の顔や身体を描く時はどうなんだろう?見なくても自然に手が覚えていて、描けるレベルには至っているか?他の楽器との調和、最終的にどう聞こえるかを掴んで演奏するのと同じように、空間を意識して絵を描いたり、他の工程を考えながら描く、ということが果たして身についているだろうか?
ダメじゃん!これじゃダメだ!なんとかしないと!
……と思ってしまったのでした。


「初見で弾くように
見たものを そのまま描けるようになること。

暗譜して弾くように
見なくても 覚えて描けるようになること。

細かく弾くように
ディテールも 美しく描けるようになること。

積み重ねなければ 描けない。

楽器がなくても
電車の中で 譜を見て練習できる。

ペンがなくても
目と頭で描く練習はできる。
口ずさむように 鉛筆を動かすことができる。」

余談。今日聴いた、アコーディオンのものすごい上手い人のことを、私は、こっそり描いたことがあります。
何年も前、勤めを辞めて間もない頃、池袋の「ライオン」に連れていかれた時のこと。
お店の女性スタッフや歌手の可愛らしい衣装と一緒に、彼が軽やかにアコーディオンを弾きこなす姿も、こっそりスケッチしました。今見返すとすごい下手くそですが、あの頃は前向きに、がむしゃらに頑張っていたんだ。同じくらい、いやもっともっと努力しなくては、と思い出すのです。



2008年04月24日(木)
ダ・ヴィンチに載ってましたね

「そういえば、『ダ・ヴィンチ』に載ってましたよね」と、昨日会った某社の編集さんに言われました。
某○声喫茶のことが載ってたのかと思ったら、私のマンガのことでした。
「はあ?」と素っ頓狂な声を出してしまうほど、びっくりしました。

載ったっていってもほんの小さいのらしいです。「ピンクっぽい表紙で、人物が二人いた」とのことなので、たぶん昨夏に出た単行本『あなたでめいっぱい〜重量オーバー(仮題)』でしょうか。

え〜どうゆうふうに載ってんの!?やっぱり見てみた〜い!と思ったので、編集さんと別れたあと、本屋さんに行きました。
雑誌の棚を見て、つい「日経ウーマン」の表紙を眺めてしまいます。次にコミックスの棚に向かいました。
『GDH!』1〜3巻が、新刊の棚に揃ってる。今、注目作ってことかな?
おっ、『乙男〜オトメン』5巻が出てるじゃん!買わなくちゃ!
と、レジに持って行って、購入。ホクホク。地元で買ってきた分厚い別マもカバンに入っているので、今晩帰りの電車で読むものには困らないぞ。


なんて思いながら本屋さんを出てしまったため、「そういえば『ダ・ヴィンチ』……」と思い出したのは、1時間以上経ってからでした。ですから本当に載っていたのか、未だに真相がわからないままです。



2008年04月19日(土)
男筋(おとこすじ)

背中の本棚に、何年もそのままになってる漫画の単行本の中から
なんとなく1冊、取り出しました。
山本直樹『Blue その他の短編集(ナオキ青春寓話シリーズ)』光文社、1991.12発行

そうか青春物だったのか。
90〜91年頃に「ビッグコミックスピリッツ」などに掲載された「Blue」「ヒポクリストマトリーファズ」「なんだってんだ7Days」を中心にした短編集。過激な性描写が問題になってか回収騒ぎが起こり(スピリッツに載ってたのになあ)、のちに弓立社、太田出版と版元をかえて出版された。

平凡な男子高校生の主人公は、閉鎖された屋上の天文部室小屋に忍び込み、クラスメートの女の子とセックスにふける。「ブルー」というドラッグを飲んで、ちょっとした幻覚症状の後遺症が残る。
だけど、この軽いドラッグがあってもなくても、あんまり変わらないのかもしれない。10代後半のヘンな衝動と性欲と虚しさは、ドラッグの軽いトリップのようなものなのかも知れない。
山本直樹の視点はドライで、いいとか悪いとか、エロとかグロとか、そういう基準を飛び越えた何かを見せる。光でも闇でもない混沌が、ひとの本質であり、見えてない大部分なのかなみたいな(うまく文が書けなくてごめんなさい)。でも全部が終わった後に、混沌にむかって叫びたくなるような、独特の読後感を残す。最新作「RED」も読みたいなー。そういえば「Blue」と「RED」ってタイトルが揃ってるけど。「Yellow」は?
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ところで、この「Blue」に「付録読み物」として載っている、「男筋」という2ページのエッセイがあるのですが。男の子の『こころ』と『きんたま』は目に見えない一本のスジ(男筋)でつながっており、何かの拍子で筋が引っ張られると、『こころ』が『きゅん』としたり、『きんたま』が『きゅん』としたりするんだって。でも、どちらが引っ張って『きゅん』となるかはわからないんだって。「男筋は体液の排出によってその緊張を緩めるという不思議な性質をもっていて」、『こころ』が敏感で『きゅん』とする男子は涙を流し、『きんたま』が敏感で『きゅん』とする男子は精液を流すことでスカッとする。「『文化』というものは、男筋を伸ばすために発達した〜」「体液を流さないでいると、ついには男筋は切断され、男子は自爆する。」などなど、興味深いことが軽妙な語り口で書いてあります。
ところで、エッセイの筆者、数馬 踏騎先生(人間連帯永久精神衛生安心理論科学研究所所長)とは、実在の人物なのでしょうか。
……なんて聞いてみたくなるような、混沌として怪しい、だけど前向きな1冊です。