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2003年03月29日(土)
さよなら

 今日の午前中、わたしの漫画の師匠である千葉毅郎さんが亡くなりました。最後は眠るように穏やかに息を引き取られたそうです。心からご冥福をお祈りするとともに、献身的に看護にあたってこられたご家族に敬意を表します。

 私の人生の分かれ道には、いつも千葉さんの姿がありました。
 仕事を辞めようと決心したのは、4年半ほど前、千葉さんに沢登さんのライブに連れていってもらった夜の事。自分の好きなことを仕事にして、厳しくても誇りと覚悟を持っている千葉さんと話していて「私もこういう人になりたい」と思えたのです。
 それよりも、もう少し前。絵里鈴さんと2人で研究の為の取材として千葉さんの仕事場にお邪魔しました。帰り道、私と絵里鈴さんは「漫画描きたいね…描こうか」と、同人誌をつくる相談をはじめたのです。
 さらに前。私の彼氏が行方をくらました時には、電話で励ましてもらいましたね。『お前、電話番号変えてみろ!そうしたらあいつも心配になって戻ってくる!きっと』
 初めてお手伝いしたのは、ホラー漫画。あるページにホワイトをこぼしてしまって、泣く泣く描き直したんでしたね。それも、下描きなしで!千葉さんのお部屋、特に机まわりは「漫画家として生きていく」という強い意志にあふれた空間でした。効率良く作業をすすめるために必要な道具が必要な場所にセットされていたからです。私はあの机を見るのが大好きでした。
 千葉さんのデビュー作は、スタジオシップが発行していた青年誌に掲載されましたね。大学で友人達と読みました。爽やかでキュートな恋愛モノ(エッチはなし!)。本当はあのスタイルの作品を、青年誌で描きつづけたかったんじゃないかな。その美しい絵柄と爽やかな作風は、後に女性向Hコミックの分野に新しい風を送りこんだはずです。
 力のある人でした。明るい下ネタが大好きで、でも恋愛に対してすごく真面目な人でした。誰に対しても真剣に接し、親身に相談にのってくれるので、たくさんの人から頼りにされました。目標は高く、心は熱くて、でも態度や口調は柔らかく穏やかでした。

 私に出来ることは?千葉さんが机に向かう後姿を、いつまでも追いかけ続けること、後悔しない生き方を選び、前に進んでいくこと。私はがけっぷちにたって、覚悟を決めましょう。かつて、千葉さんが家を出て自活し、大学を捨ててまで漫画を選んだ強い強い意志の少しでも受け継いでいきたいと思います。

 いつの日か、私もこの世を離れたら、あの優しい夜の国でお会いしましょう。その時には千葉さんの新作漫画をお手伝いさせてくださいね。