ゆれるゆれる
てんのー



 「ところで、村上春樹は滅ぼされるべきである」 / カンボジアの安宿

ちょっとした用事で松山へ行く。
通勤時間の電車に乗るのなんて、いつ以来だ。
ただし、電車は30分に1本しか来ない、のんびりした通勤ラッシュではあるけれど。

意外に早く終わったので、開店したての店なみを冷やかしてあるいたり、久しぶりに本でも買うかとうろうろしているうちに、飽きたので電車に乗って帰ることにする。

村上春樹編訳『バースデイ・ストーリーズ』を、つい買いそうになるが、寸前で思いとどまって棚に戻す。
「またハルキかよ!」
なんて。

現代の文学界というのは「いかにしてハルキ文学から脱出するか」が大きな課題の一つらしい。ハルキ文学、もしくはすばらしき「僕文学」(斎藤美奈子だろうなこういうネーミングは)は滅ぼされるべきものであるらしい。

どんな演説をしていても、
「ところで、カルタゴは滅ぼされるべきである」
必ず最後にこう言って締めくくったローマの政治家、大カトーをなんとなく思い出す。



あっさり帰ってしまったので、遅い昼ごはんを食べてから山へ。



死因は麻薬過剰摂取!? ダイアナ元妃の義理の兄、カンボジアの安宿で死亡しているのを発見される
別の記事を読もうとしたけれど、こっちのほうがよっぽど面白いや。
プノンペンらしいけど、まさかC**ITOL HOTELでは。。
あの危険な雰囲気、退廃的な空気・・・もう一回行ってみたいなと思ってしまう、引きずり込まれるような魅力。

カンボジアは今、環境がめまぐるしく変わっているはずだ。俺が行ったころの雰囲気(赤線に遊びに行った人が帰ってこないとか、警官が白昼堂々と拳銃を突きつけて賄賂を掠め取るとか)はもうないかもしれない。そんな中、どこまでも変わらないダメっぷりを続けているのが、安宿旅行者ってもんかもしれないね。

と、ビビリゆえに1mgのクスリもやらず、女あそびもしないチキンてんのーは(まあ、そんな自分が好きではあるが)わかったような顔をするのでありました。

それにしても、Lady Diも浮かばれませんねー。

2004年04月30日(金)



 さぼり

一回休み
(まじごめん)

仕事は、しております。
弁当もって、草倒し。

2004年04月29日(木)



 

春爛漫。
春草として重宝しているヘアリーベッチの花が咲き乱れ、ミツバチがものすごい。

いよかんとはるみに、花がつき始めた。
今年は多いらしい。

2004年04月28日(水)



 そがーなこと言うても、わしにどうせえ言うんや / 愛媛弁、広島弁、弁

のんびりしていたら獅子の時間になり、帰ってきてぼんやりしていたらそろそろ寝る時間for農家のみなさんです。
休みなのにろくなことしてませんね。

こんづめ(「根詰め」=伊予弁で一所懸命、目一杯の意)草を倒したのにこの暴風でふりだしにもどってそう。

そういえば最近やっといろんな伊予弁、愛媛弁を使いこなせるようになってきた。

うずむ: 運ぶ
まがる: さわる
 ex)「そのスイッチはまがられんよ」:そのスイッチをさわっちゃだめよ
がいよー: いい感じに、うまく(「具合良う」の転)
とんぎょ: てっぺん
〜せんけん: 〜すればいいのに、〜しなさいよ
〜してこーわい: 〜してこよう、〜してくるからね
ほぐる: 放り投げる、捨て置く

愛媛の人は広島弁と愛媛弁を仲間だと思っているようだけど、無理です。
広島弁って特に最近では、単語自体は標準語とほとんど同じになってる気がする。言葉の最後を「〜じゃけえ」「〜なんよ」「〜かいね」にすれば若い人の広島弁になります。

むしろ意気に感じる愛媛の姿勢。その調子で方言貫いてくれ。ただし爺さん連中のおしゃべりは3割ぐらい聞き取れません。リスニングに集中力がいります。ほとんど外国語。

もちろん似とる言葉もようけあるけど(例:「どがーに」「(味が)しゅんどる」「世話無い(せやーない)んかいの」など。意味略)、愛媛はアクセントが関西弁だしね。

広島人の哀しいところは、関西弁に交じると関西アクセントに、東京へ行くと東京アクセントに流されてしまうナイスな弱さです。そのせいで東京の人なんか、広島弁を関西弁の一種だと思ってます(山陽のアクセントは近畿でなく、東京と同じ型)。
おかげで広島出身の芸能人は、それはそれはきれいな標準語をしゃべりますどいつもこいつも。俺も自信あります。東京出身の友人に「お前、高校んとき何組だったっけ」って普通に同級生だと思われてたぐらい。影うすいだけですが。

高橋是清が一英語教師だったころの言葉を思い出します。
「英語なんて簡単なもんだ。ニワトリの鳴き声をまねてみろ、馬鹿ほどうまいはずだ」(『坂の上の雲』)

おかげでえせ関西弁、えせ東京弁、マレーシアなまりのえせ英語(Manglish)、えせウチナーヤマトグチ(沖縄ふう標準語、「楽しいさー」など)、などなどレアなバイリンガルキャラに育ってしまった。全部、現地の人にほめられたことあります。お前もう仲間な、みたいな。

最近広島に電話するとアクセントがごっちゃまぜになってあせる。
頭の中で考えて直してる間があるので、えせ広島弁をしゃべってる気がして・・・。



愛媛といえば例の「坊つちゃん」で、〜ぞなもし、〜ぞなもしとしつこく聞かれた先生が、菜飯は祭のときに食ふもんだとぷんぷんするシーンがあるけど、ありゃ松山だけの、遠い昔の言葉みたい。かなり聞きたかったんだけど。

2004年04月27日(火)



 日記も書かないでなめ子の

辛酸なめ子の日記を読んでいたらあまりの面白さに自分の日記などどうでもよくなった。
仕事が人の目ん玉を磨き上げるのか。視点の持ち方、文章の書き方。日記なのだから、それをさらさらっと書いているんだろう。
すごいっす。
辛酸なめ子。こと池松江美。

明日はお休みー

2004年04月26日(月)



 ELECTRIC PROPHET

今日は今ひとつ刺激に欠ける一日だった。
ただ働いただけ、というのはこんなにも空白感が漂うものなのか。

ジャンクスポーツのエンディング、「金曜日のライオン」なんですね。今日初めて知った。
ってわけで、ちょっと遅れたけどTMネットワーク20周年おめでとう。
ということは、終了からも10年(俺はなんとなく再結成を認めていない派)。10年・・・だよお。



TM NETWORKからTMNに至った全てのプロジェクトを予定通り終了します。
今後、TMNあるいは、TM NETWORK名義の新作が発表されることはありません。
当然、コンサート及びイベント等々の活動を行う事もありえません。


これは1984年4月21日、TM NETWORKがデビューした時点から想定していたプログラムの実行に他なりません。
ビデオクリップやレーザーディスク等のAUDIO&VISUAL感覚に支えられた、
ニューメディア第一世代を意識した、本プロジェクトは今公演を以て全行程を完了します。
ユニット、終身雇用的なバンドではなく、独立した個性の連帯という形態のTM NETWORKは、デビューから斬新な存在でした。
その精神をTMNも継承し、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登を中心としながらも、有機的な拡散を行ってきました。
また、ヴィジュアライズされたショーに於いても、ストーリー性を持つコンセプチュアルなステージに於いても、
賛否両論はあったにしても、それまでのコンサートとは一線を画すエンタテイメントを提供できたと自負しています。
そして、音楽的にも後続するアーティスト達にインパクトを与え、アイディアを供給し得たのも事実である、と認識しています。
彼等のヒット曲の中に自分達のオリジナリティーを見い出すことで、本プロジェクトの意義の大きさを客観的に位置づけることも出来ました。
従って、TM NETWORKからTMNへの10年間で日本の音楽シーンに、何らかの形で一石を投じられたものと考えます。
そして、本プロジェクトは当初の予定通り終了します。
10年間にわたり協力、応援、激励して頂いた、全ての方々に、心からの感謝を贈ります。


今後、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登は、各々が独立した個性であることを前提に新しいプロジェクトへ移行します。
21世紀対応のエンタテイメントとカルチャーを提供し得る存在でありたい、と思います。
今後の活躍にご期待ください。


1994.4.21
小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登




疑いなく、少年という時代が俺にとって終わったという、マイルストーンの一つとなった日付である。
10年、そして20年ですか。

遠くまで来たんだな。そして、最近ではTMを聴くことも全くない。

2004年04月25日(日)



 ツキコさん、デートをいたしましょう

家の前にある川沿いの畑には、ヒル(カワビル)が潜んでいて、なめくじをちゅーっと吸ったりしている。
株元に潜んでいる毛虫の数も一気に増え始めた。すべてが活動の勢いを増している。

土日は獅子の練習もないので、ひさしぶりにゆったりした夜。



「センセイの鞄」を少しの物足りなさと意外なほどの満足をもって観る。
原作とはまるで雰囲気が違っているけれど、あるいはわざとかもしれないぶつ切りの感じが、心地よかったのかもしれない。

原作の透明感は岩井俊二にでも監督を頼まなければ難しいだろうが、せめて、せめて居酒屋のシーンはもうちょっとがんばってほしかった。
もっとさっぱりして居心地がいい店のはずだし、何より食べ物は文章だけでもほんとにおいしそうに描いてあったのに、画面からそれはちっとも感じなかった。

川上弘美の『センセイの鞄』は、過去5年間に読んだ恋愛小説でいちばん美しい。
本をふわりと抱きしめたくなるようないとおしさを、読んだあとに感じるような本は、そうそうあるものじゃない。

ドラマ、それでもけっこうよかったな。



そういえば日記がいつのまにか2周年を迎えていた。
帰国してからだって1年たっている。
それにしても、過去というやつは。
時間の流れというやつは。
まったく、ねえ。

2004年04月24日(土)



 みつけるもの

今日発見したもの。

ウシガエル。
小指ほども太さのあるミミズ。
野いちごの初なり。甘酸っぱくて、日なたくさい味。
黄色い蜘蛛。


きのう発見したもの。

セミの初鳴き。
ネズミの水死体。小屋に置きっぱなしのバケツに浮かんでいた。

2004年04月23日(金)



 18時間

こんにちは。
今日も農作業をして、夜は獅子の練習をして、がっつりと一日を終えたてんのーであります。
以上であります。なんか文句あるなら言って。

2004年04月22日(木)



 写真屋さがして / 当世浮世床、くるくる棒の問題

今日も朝6時からのお仕事。
朝露がどかっとおりていて、いつの間にか地下足袋も中までびっしょり。

ここは目立たない田舎町だけれど、隣には県内2位の大都市(人口10万)があって、ちょっとした用があるとそこまで出て行くことになる。
朝早かった代わり、昼休みを長めにもらえるので、証明写真を撮りに街まででかけた。たかが証明写真だと・・・。

1軒目、某大手小売店、つーかサティにある写真屋。
「ごめんなさい、ちょうど今機械が故障しちゃって、修理を呼んだとこなんですよー。お昼過ぎになっちゃうんですけど」
却下。広い通りを駅前方面へ。

ちなみに、ここまでチャリを20分以上走らせているが、写真屋はこのサティの一軒だけ。

2軒目、駅前の○○写真館。
古ぼけたシャッターが下りている。
却下。繁華街方面へ。

3軒目、〜銀座と名のつく、地方都市にありがちなアーケード街入り口にあるカメラ屋。
緑のシャッターに張り紙、「貸物件」の文字。却下。

4軒目、同じアーケード街中ほどの写真屋。よくある、「現在時刻」「お渡し時刻」2つの時計が並んでるやつ。
普通につぶれてる。キャッカ。
つうかこの「銀座」、空き店舗がどう見ても全体の半分を軽く超えている。

5軒目、アーケードを横切る路地にある、こぎれいな感じの瀟洒な写真館。
「定休日 毎月第三水曜」
今日決めたんじゃねーのかコラ
ここまでこの街のメインストリートを走り続けてきたが、他には写真屋が見当たらない。

はあ。。駅ビルのスピード写真で犯人ヅラとるしかないのか。。
と、覚悟を決めた帰り道、ありえないぐらいささやかな写真屋を発見し、無事とることができた。

ていうかですね、ふつう写真屋なんてめっちゃガラガラで(だからつぶれるんかも知れんが)、証明写真なんて頼むと店員さんすっごい嬉しそうな顔したりするじゃないですか。
この小さな写真屋、昼時ではあったけれどもえらい込みようで、証明写真も俺の後ろに4人待ちだったぞ。

明らかに写真屋の対人口比率がおかしい。

ついでに言うが、この街は床屋の対人口比もおかしい。異常に多い。
多すぎる。

東京の下町で
かばん屋そば屋金物屋そば屋食堂ふとん屋そば屋

といった具合にそば屋が頻出するのと同じように、

電気屋……床屋床屋…携帯ショップ…美容院ラーメン屋床屋…(以下同様)

と、完全にスレッシュオールドおよびレインジ(おっ経済地理学用語)を無視した床屋ぶりなのである。
だいたい商店街が死にかけてるくせに、恵比寿(だっけか)の松屋吉牛戦争みたいなことを始めるんじゃない。

しかも。
床屋といえば赤青白のくるくる棒(なんて名前なんだあれ)がありますが。
この街の床屋は、あれを2本3本つけてるのは当たり前。
俺の行きつけの店など、4本でタテにひし形を作り、その中に1本また付ける、つまり

/\

\/

これが各々くるくるしている、という古代の魔除けみたいなことになっているのである。
一番ひどい店は8本使っていた。むろんミニサイズではなく2メートルぐらいのノーマル(?)である。どういう形かはご想像にお任せする。

地元の人が言うには、2,3年前からこの街だけで流行りだしたそうである。
とにかく少なくとも散髪にかける気合は、感じ取らないわけにはいかない。

「ナニ、2丁目の理容室サイトウは4本で倍速回転だと。それならうちは七色に光るきらめきイルミネーションタイプを7本入れるぞ、来月からだあ!」
といった椎名誠スーパーエッセイふうストーリーがいくつも展開されているに違いないのである。

ちなみに、俺の行ってるひし形くるくる棒の床屋は、忌野清志郎みたいなオーナーのもと、けっこうかっこええ兄ちゃんたちがやってくれて、なかなか上手いです。建物も明るくておしゃれなのでくるくる棒がいっそう異様です。

2004年04月21日(水)



 きたー

書くことがないので、

地震キター

と、地味に書いてみる。現在22:27。

2004年04月20日(火)



 継ぎ獅子の練習にいく

今日から毎晩、獅子の練習に行くことになった。
ちょうど一ヵ月後の八幡大神社祭礼が晴れの舞台である。

地区に古くから伝わる(ちなみに、地区のことをみんな「部落」と呼んでいる)奉納行事だが、見た感じかなりすごい。

2体の獅子舞が主役なんだけど、こいつが変幻自在に行ったり来たりする。
二人でやる普通の獅子舞、何人もが列を作ってどんどん先頭が変わる獅子舞、そして手で操るのではなくかぶる獅子を使って、大人の上に子供が乗るバージョン。
子供とはいえ、相当派手なアクションが要求され、下の大人はそうとうきつそう。みんな消防団員やら農家やらで基礎体力はかなりあるのに、一回終わるとふうふう言ってる。

さらに、下から順に大きい大人→普通の大人→身の軽い大人→子供(獅子の頭をかぶる)、なんて気合の入った「四継ぎ(よつつぎ)」ってのもやるらしく、これはまじできついらしい。
おまけに、というのもあれだが、この集落にしかない「五継ぎ(いつつぎ)」ってのもあるらしく・・・
ま、まあ、新参者にはやらせてもらえないし。
つーか無理。。

とりあえず、子供も一緒にやる普通の獅子舞、「サンバソウ(三番叟)」の振り付けを練習する。

ちょっとだけ、沖縄の小さな村の集落のエイサーを必死に覚えた大学のころを思い出した。
うまい人はやっぱり、リズムが体に染み込んでいる。
リズムで体が動くようにできている。

2004年04月19日(月)



 EMとは有用微生物群だと繰り返す

どうも、一般論を吐き出すだけの恥ずかしいオヤジです。
基本的に、世の中バカばっかりだと思ってる人間なんです。正直ね。日記を正直に書かなくちゃどうすんだって。言ってみる。

朝6時からEM散布をする。
EM散布の手順。。

1:ジェット機のエンジンみたいな散布用マシーン(笑)を起動する。ちなみに、買うと1000万ぐらいで、実は農薬散布用。

2:ため池or散水栓につないだホースから、マシーンのタンクに水を注入。1回約600リットル。

3:各種資材をタンクに投入。入れるのは、米のとぎ汁発酵液・みかん酢・ストチュー・糖蜜(各1リットル)、EM−X120cc、キダチアロエ原液120cc、スーパーセラC(60gまたは300g、場所によって違う)、にがり半カップ。

4:発射。ぶおーんとな。

20分ほどで空っぽになるので、また繰り返す、と。
有機農業知らない人には謎の物体がいくつかあると思いますが、まあ、どれを全身に浴びても死にはしないし、むしろ健康になるらしいです。
おっさんなんか毎日必ずEM−Xを味噌汁やらお茶やらにぶちこんでます。

ストチューって何の薬品名かと思ったら、「酢+焼酎」すとちゅー、だって。なめてやがる。

5時半、雨も降りそうだし帰ってきた。
よく働いたので、部屋に帰るやいなやビールをぐびっと飲む。旨。

2004年04月18日(日)



 自己責任論 (検索されるかな(笑)) / イメージのばか

EM散布。
ずいぶんよく働いた。くたくた。

明日は朝6時からお仕事である。
ということは・・・寝よ。



自己責任論とやらがかまびすしい。

こいつら本気で、海外なんかパックツアー以外では行ったことないんじゃないのか、と思わせるマヌケっぷりだが、笑ってばかりもいられない。
別に個人旅行したからエライわけじゃないし、日本国内でだって緊張感を持って毎日を過ごしていればそんな寝言は言わないはず、だけどな。

政府内部からさえも自己責任うんぬんの意見が出てくるのは、世間知らずが多い業界だというのを割り引いて考えても深刻な事態かもしれない。

と思っていたら、俺の言いたいことをまるごとスパッとまとめてくれた人がいた。今日の朝日新聞に寄稿している富山大学のセンセイである。
往々にして政府に批判的なNGO(NGOなんて、政府に頼ってちゃ話にならないってんで立ち上げるわけでしょう)の活動を、いかにバックアップするか・・・民主主義の成熟度が問われる、というのは鋭い。

渡航禁止だなんて、いつまで「民衆はか弱きもの、保護すべきもの」というお上感覚を引きずるつもりなんだ。ナイフ突きつけた場面をガンクビ揃えてカットしたマスメディアもこの感覚から抜け出せないでいるけど。

彼らは自衛隊派遣を批判し、日本政府のイラク政策を批判したおかげで解放された。逆だったら殺されていた可能性はずっと高いし、少なくとも32歳のフリージャーナリストは他の2人の支援活動のおかげで助かっただけだと思う。

自己責任なんていうのは、人間社会の一番基本的なルールの一つなんで、今さら強調されること自体がものすごくおかしいんでさあ。
俺がものすごく違和感を感じたのは、ある時点を境にして被害者家族が会見のたびに「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と最初に必ず言うようになったこと。

何一つ悪いことをしていない家族が、なんで謝るのか――しかもあそこまで申し訳なさそうに。まあ、俺も日本人だからなんとなくは分かるけど、きっと日本社会以外の人には理解してもらえないな・・・と思ったが、まあ、それが日本社会のルールのようだからそれはいい。ただ、

「謝れ」という圧力が、ものすごく家族にかけられていたのを感じずにいられなかった。それが恐ろしかった。
自己責任論もその延長にあるものだ。順序がみんな、まるっきり逆さまになっているんである。

俺は彼ら3人がとりたてて素晴らしいことをやっていたとは思っていない。少なくとも18歳のコは状況認識がすべての面で甘すぎるし、あのフリージャーナリストはそもそもジャーナリストと名乗る価値もないと思っている。ああいう活動はジャーナリズムという単語とは程遠く、むしろ野次馬と呼ぶべきものだ。きっと、センセーションさえあれば、イラクでなくてもいいのだ。「海外にいるときの俺は、生きているって感じがする」・・・真性の勘違い野郎である。
あの女性だけは、地味だけど確かな活動をやっていたんだなとわかるけどね。「でもイラク人のことを嫌いになれない」、重みのある言葉だなと思った。

それでもなお、彼らのような日本人がイラクの地にいることは大事なことだと思う。自己責任なんて陳腐もいいところの言葉をふりかざして、えらそうなことを言ってんじゃねえよ。

どうしてこう、イメージだけのふわふわした言葉しかしゃべれない奴らがえらそうにしてるんだろうな。

ネット、ウェブ上のことばたちも、「ホントか嘘か」で分けられるものじゃないんだよ。「イメージで語っているか、五感で語っているか」で分けられるものなんだ。
俺がここに来たのも、イメージで決め付けていては何も分からないから、まずナニカをやってみようと思ったのが始まりだったけど、とにかくイメージで何かを断じるのは絶対に良くないよ。

だから、こんなに長いことを書くんだよ。
ほんとに、良くない流れだよ。

2004年04月17日(土)



 イノシシがワナに / 獅子舞の中の人 / 萠 / 鯉

今日でボカシ散布が終了。はーよく働きました。

おっさんの知り合いが、イノシシをワナで捕まえたってんで、もも肉を頂いて焼肉にする。
25キロぐらいの子供だそうで、昨夜とれたばっかだし意外に柔らかくておいしかった。



集落で5月の祭りにやる、獅子舞に参加させてもらうことになりそうです。
どんなものか全然知らないけど、こういうのってやりたくても部外者には絶対やらせてもらえない類のものだし、面白そうなんで、オファーに二つ返事してしまった。
来週から土日以外は毎日練習だとか。

中 の 人 も 大 変 で す ね 。
なんて。。



鷺沢萠さん、ずっと「萌」だと思ってた。基本的には同じ字だと思うが。



今年のカープは・・・どうしたんですか!
ま、鯉のぼりの季節までか。どうせな。

2004年04月16日(金)



 哀悼。

鷺沢萌さん、どうしちゃったんだろうねぇ。
いろんな仕事やって、充実してるのかと思ったんだけど。
心不全なんて原因じゃなくて結果みたいなもんだからな。何があったのか知らないけど、突然という感は否めないですね。

いろんな意味で、バブルを引きずったおねーさんという感じだったけど(ダビンチだったか、佐藤正午との対談は笑えた。そのまま平成元年の雑誌に載せられそうだったよ)、あの文章の力強さはとにかく天性だったな。

ご冥福をお祈りします。



すごいスピードでボカシをふる。



見学のK氏が帰っていった。
来るのやら、どうするのやら。



ビールでも飲もう。

2004年04月15日(木)



 あめのちはれ

今日は、お休み。
何にもしておりません。本も読む気しないし。

2004年04月14日(水)



 快感についての短い考察 / 蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』

昨日来た見学の兄ちゃん(30歳男、以下K氏)と一緒に野良へ。
また草倒し、というかしつこい草ばっかなので「草引き」をしてから、午後はボカシ散布。
くそ暑いと思っていたら雨が降り出し、気持ちいいなどと強がっていたら本降りになってきて参った。

こうやって俺たちの先祖たちは来る日も来る日も畑に出て、黙々と、あるいは下ネタかましながら、単純労働にひたすら励んでいたんだなあということが、不思議な重みを持って実感できる。
1列終わればまた次の列、次の段、次の園地。日が高くなり、影が移り、だんだん太陽が黄色っぽくなって傾き、「ぼちぼち帰るか」といって家路につく。

同じような毎日、と思ううちにも季節が移ろい、収穫を迎えて、落胆したり喜んだりしているうちに、次の収穫への準備が始まる。
ひたすらひたすら。
ひたすら、という言葉が痛いほど似合う、そんな日々、そんな年月。

そして、いつか世代が替わって、一農民は死んでゆく。
歴史書に刻まれることもなく、うた一つ残さず、今ならせいぜいNHKのお昼の番組の片隅に1回映るか映らないかの証拠だけ残して。
なんとまあ!・・・そして、墓石が増え、歴史に埋もれ、忘れられてゆく。

入社式なんかの映像を見るたびに思う。
映っている彼らの表情、そしてそんなニュースを流す側の人間にも、「所属する快感」が漂っているのをひしひしと感じる。
所属するということ、それはまぎれもなく、快感ですよ。
そして、そのことを強調するために、大企業だとか一流企業だとか、そういうシールが効果的なんだということです。どんな中小企業、零細企業でも、その快感は確実に存在してるし、無職であることは不安と同義だし、フリーターには常に「漠然とした不安」という枕詞が冠される。

名刺がステータスになるのは、社会的にはごく当たり前のことになるわけだ。だから孫請け代理店の社員が「電通」の営業用名刺を持っていたりするし、逆に自然派気取りの脱サラ就農者が「百姓」って書いた名刺を配り歩いたりするわけで、みんな「便利だから」なんて言うけど、ほんとは気持ちイイからってだけなんだけどね。

快感や快楽は、あからさまに見せずに隠すのが大人の対応、ですものね。

そしてこの快感こそ、歴史に埋もれていくという恐怖への精一杯の抵抗に他ならない、と思う。
俺はそんな人々を愚かだとは思わないし、俺だって自分の人生にはほんの少しでも意味があると思いたい。
農民として生きていくのはつらい、それはその作業のためだけではなく、本質的につらいことだと思う。昨日と同じ今日、今日と同じ明日を迎えるために――そのためだけに、日々恐ろしい想像と向き合わなくてはならないこと。

今日は昨日と同じで、明日は今日と同じである・・・みんな、否定するけどね。俺が死んでも、世界は何一つ変わりはしない・・・これも、みんな否定するけどね。
必死に否定する、むきになって「そうじゃない」と言う、それはその命題に、否定しがたい何か、思い当たる何かがあるからに他ならない。

なんか自殺する人の日記みたいだな(笑)
俺は、世界の仕組みを知りたいだけです。
『指輪物語』のゴクリみたいなもんです。



蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』読了。
加速度的につまらなくなる物語を読みたい人は、どうぞ(笑)
ものすごく頭の良い女性の長い手紙ということだが、哀しいかな、作者の脳みそのほうが彼女に追いついてない。

すさまじく頭が良くて、仕事ができて、しかもかっこよくて、前向きで正直な(自分のだめな部分だけでなく、いい部分についても正直に肯定する、すごい)女性の日記なら、毎日webで読んでますけども。

2004年04月13日(火)



 草田男氏の草倒し / 研修希望1名きたる / けいじばーん

今日も、昨日に引き続き草倒し。

どうでもいいが、「くさたおし」の変換候補1位が「草田男氏」ってどうかと思う。

降 る 雪 や 明 治 は 遠 く な り に け り
萬 緑 の 中 や 吾 子 の 歯 生 え 初 む る

ってか。
今日はまさに万緑の中、すさまじい熱気と草いきれの一日でした。
ふー・・・つかれて言葉も出なかった。



夕方、研修希望ということで、一人見学者が来た。
数日滞在して、お互いどんな感じだろかって見極めるらしい。

彼が滞在する部屋は俺の部屋の隣。
というか、ガラス戸で仕切られただけの続きの一間で、何やってるかぼんやり見えちゃうんですけどこれじゃ。
小さな流しと冷蔵庫(私物!)がその部屋にあるので、使うときはいちいちお邪魔しなければならない。

昼間はともかく、夜のあいだの自室(離れなんです、すごいよね)での時間が、貴重だったのになあ。
もしほんとに研修に来ることになったら、こんな24時間監視体制(笑)に俺は耐えられるんだろうか。
まあ、もともと住み込みにプライバシーなんか期待してはいないけどさ。

はー。我ながらそういう環境に縁があるというか、なんというか。
マレーシア時代の女性2人との暮らしも、ほぼ24時間のノンプライバシーだったし。でもあれはどっちも美人だったからな(おい

ぼちぼちやっていきましょうわい。



日記の掲示板また変わりました。(誰も書かないのに
変わったというか、去年使ってたヤツに戻ってます。

2004年04月12日(月)



 おひさ。 / ごちそう=キジ生肉

生活に一所懸命で(笑)日記どころじゃなかったのさ。

今日の特記事項は。
キジが犬かなにかにやられて死んでた。もう内臓のあたりは食べられていたんだけど、そいつをめぐってトンビ2羽とカラス数羽がバトル・・・トンビってやっぱ強えーんだな。
間近で見ると、けっこうでかい。翼長1メートル以上はあるか。

暑かったなー。昼には温度計が26度さしてたよ。
こないだから暑いのに我慢できず、Tシャツで作業するもんで腕とか引っかき傷、ミミズ腫れだらけです。

2004年04月10日(土)



 うひゃほ。

午前中、どこぞから仕入れてきていた「生ごみ堆肥」をばらばらとまいた。といっても量がないので、苗木と若木だけに重点的にまく。

昼からはこないだ作ったボカシを全力で散布。ってほんとは内緒なんだけどね。前にも言ったようにボカシは1ヶ月ほど寝かせないと、微生物の活動もおきないし、「ほんと」ではないのです。



AirH"さいこーです。うひゃほ。うひゃほ。

2004年04月06日(火)



 休みの諸問題 / この日記、ばれちゃう / 草倒し

休まないのが当たり前になってきた日曜日。するとやっぱりテンションの下がる月曜日。たとえ休みでもどうせ6時過ぎには目が覚めちゃうんだけどね。

果実の出荷がすべて終わり、ここぞと週1は休みをもらえるように交渉して成功。
行政の支援施策をうけるという予定が、詳しくは言わないけど俺に有利になっているわけで。これで6月ぐらいから収入が数倍に(2倍とかのセコイ数字じゃなく)!・・・うまくいけば。



ある知り合いが開いてるサイトに「あなたのサイトは知り合いにばれてますか」って記事を書いてる(・・・)のを発見し、面白く読んだ。

いや、ほんと、かなり大事な問題だよ。
家族になんか教えちゃったら、日記なんて書けるわけねえよって、なあ。
ま、俺の場合はがんがん教えたし、しかも全然気にせず書いちゃうんだけど。

教えてまわった結果人畜無害な日記を書くのも自由、秘密日記を黒地に赤文字なんかでつけて悦に入るのも自由と。

なんかこうやって書いてると、我ながら裏表が少ないなあと半ば呆れてしまう。
前から言っているように、目標は3年日記を6冊書き上げたうちのばあちゃんである。それ以前はチラシの裏に書いていたんだから、到底かないっこないんだが。



今日は春の日差しの中、草倒し。春草は樹に直接害は与えないから抜きはしないが、幹に絡まるとテンギュウ(ゴマダラカミキリムシ)が入りやすくなるので、株元をあけてやるわけです。

棒を1本かついで、えんやこら。なんというか、ミステリーサークルを偽造している気分。

2004年04月05日(月)



 朧月夜に

自転車を飛ばして、冷たい4月の宵をぬけて。
さて、何をしていたのでしょう。

月にむらくも、花に風。
なんと美しい春の宵でしょう。



数ヶ月ぶりに、ネット環境に復帰しました。
言ってみれば、明治の昔、村に初めて電気が灯った日の喜びですね。
照らされた。文明に、情報に。
enlightened、文字通りに。

2004年04月04日(日)



 『漢字百話』

ほんとね、12時までに携帯で日記を書いてアップロードするのがつらい最近の日々。
さぼってるわけじゃないと思いたいんだが。。。

白川静『漢字百話』読了。
老知識人(と敬意をこめて呼ばせていただく)の積み重ねてきたものの結晶であり、とても重たくてそして興味深い。

漢字というものについて、ぼんやりとおもっていた疑問や不思議さのいくつかが、間違いなく解消されました。
俺たちの文化の、おおもとをつくる存在だよ。漢字は。
そしてこの文字について、現在日本最高の造詣をもつ人からのすばらしいプレゼントだと思う。こういうものを読めるのは。

なんつうかね、この人の文章って、現代っぽくないのね。極端に言えば「論理学」(ヨーロッパ的な)を無視しているというか、自由自在というか。
戦前の科学者の文章(寺田寅彦みたいな)を思い出させる。
論証、根拠、なんてのに脅迫されたような、現代の「科学的文章」ばっかり(新聞記事なんかもそうだけど)読まされてると、懐かしいの一言。

老先生すてき。

2004年04月03日(土)



 花見とボカシ

ごぶさた。
今日はお花見でお休みだった。このへんいかにも農家だなーと思うんですが。

最近2日はボカシ肥料づくりやってました。
米ぬか、魚かす、菜種油かすなどなどを撹拌しつつ、例のEMの活性液なんてのを投入する。
それを20kgぐらいずつ袋づめして。百何十袋か作ったんかな。
これをひと月ほど寝かせるらしい。

来たばっかりの頃、ボカシまきをやってかなり大変だったのを思い出した。ふう。

2004年04月01日(木)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加