ゆれるゆれる
てんのー



 船旅わくわく

11月29日

一日、荷造りしてました…
ってこともない。
だいたい農家に弟子入りするのにそんなにモノがいるわけでもないし。

こうしてみると、改めていかに無駄なものにうずもれてたか痛感するね。

もともと旅行でも荷物少ないねえと感心される(実はいっつも忘れ物だらけ)けど、今回はほんとに持っていくものが思いつかない。
前回はしまなみ海道デビューしたけど、高いしあんまり面白くないんで今度は船で渡ってみようと思います。

上海航路以来の船旅、楽しみやわあ。ロマンやね。情緒やね。

2003年11月30日(日)



 宣言、マレーシア行き以来の。

そんなわけで、農家に弟子入りします。
日曜現地入り、月あたまからばっちり働きます。

このへんのことを日記にきちんと書けないのが、俺の文章力表現力の限界なんだなあ。

1時間ほど画面の前でうなってて、結局書けないのでこれだけ。


ネット環境もかなり不透明なので、サイトも閉鎖(または放置)の方向で。
少なくとも掲示板の管理は無理そうなのでそれは外します。
日記は続けていたいんだけどなあ。

2003年11月27日(木)



 どっしり

はいはい生きてますよ。

やれやれ、筋肉なさすぎです。

空気が澄んで、いい季節になりました。

前なら、降り出す前に雨の匂いをかぎとれたものですが、そんな能力が衰えてしまっていることにすこしがっかり。

一個の生命として、生きる力を磨いていくことを、いちばん優先していきたいと思うんです。

生活力のことではありません。
もちろん、生活力を持った人を尊敬しているけどね。

ふわふわして、ステータスや自分の見せ方にふりまわされて、買い物欲求と食欲だけが先走りして、そんな生活、


俺もう飽きちゃったんだよ。
そういうの。

ぜいたくななやみをかかえて、おれはやっていくよ。
学べるって、幸せなことだよ。勉強できるって。
それから、自分の世界を広げる努力もな。

2003年11月26日(水)



 軟弱

晩酌できる生活というのはひとつの夢である。
せこい夢って言わないで。

ここにいるとあっさりそれが叶うので拍子抜けしてしまう。
なんというか、痛風になってしまいそうだが。

それはいいけど、みかんを詰めたコンテナ(プラスチックのかご状のケース)、20kgくらいのやつだが、これを積み上げるのが予想外に大変!
天井ちかくまで7、8段積み上げるのに、2mぐらいの頭上まで持ち上げるんだが、上がらない…。

最初はみんなそんなもんだよと言われるが、あんまり慰められない。

しかし星空がすごい!

2003年11月24日(月)



 収穫

とあるミカン農家に来ています。

むっちゃよくしてもらって。なんか親戚にしか呼ばれてないあだ名で呼ばれたりね。

一日中ミカンを収穫(摘果)してました。
なんと全流通量の0.04%という政府認定有機栽硲テだとか。
力入ります。

携帯から更新なんだけど充電機忘れたからな。節約しなきゃ。

農は早寝早起き。ぐー

2003年11月22日(土)



 おさわりおさわり

広島に国連のとある事務所が最近できたんだが、そこの会議に出席していたアフガニスタンの大学の先生というのが強制わいせつで逮捕された(記事)という話について、ちょっと思うことがあるんです。

ま、せんせーというのは国籍を問わずセクハラに走るもんなのか、で済まされそうな話だけど、記事を読んでいくと、それだけではないんじゃないか、と思ってしまったのだ。

逮捕されたのは46歳と29歳の二人で、なんでも46歳のほうが、自分の部屋を掃除していた女性従業員に抱きつき、従業員は逃げ出したものの、今度は29歳のほうが部屋のテレビの調子が悪いと言って、こいつも触りやがったということらしい。

立派な犯罪行為だが、気になったのは二人とも「問題だとは思わなかった」と話していることで、つまり触ったことは認めるけどそれが犯罪だとは思わなかった、と思っているらしいことだ。

逆に言えばアフガニスタンではたまたま近くにいる女性にぺたぺた触っても抱きついてもノープロブレムらーってことになる。それでね。

マレーシアも同じだったんだ・・・。
あと俺の知る限りインドネシア人とバングラデシュ人も・・・。
大して親しくない人でも、ちょっと話が盛り上がったりするとまー、「バカなこと言ってんじゃねーよー」「うそー」ってな感じで肩を触ったりほっぺたつねったり。男女問わず。

一番すごかったのが、バトゥパハって街でホテルに泊まったときのこと。
シングルに泊まってたんだけど、テレビの調子がおかしくなって、仕方ないからおっさんのスタッフを呼んだのね。
すぐ直ったんだけど、なぜかおっさん、なかなか出ていこうとせず、なんかやたらにからんでくる。
「日本人はみんな親切だ」「兄さんハンサムだね」「いい体してるね」とか言ってやたら触りたがる。
しまいに「ホントいい体してるよ、きっとこっちも・・・」ついに股ぐらに手を伸ばしてきた・・・

本気で怖い時って叫び声も出なくなるんだね。
もう毛が逆立って。
のどカラカラになりながら、「わかった、わかった、俺もう疲れてるから・・・」とだけ言って、追い出したけど。

こんな特別なご趣味の人じゃなくても、若い人でも普通にぺたぺた触る。
にもかかわらず、なぜか「間接キス」は絶対にダメ、らしい。
同じストローで回し飲みなんかしてると変態を見るような目つきになるし、コップの飲み物を一口もらうときでも必ず「口つけたとこ」をずらして飲む。
なんか小学生のころを思い出しちゃうんであるが。

何が言いたいかっていうと、これってカルチャーショックの一番悲惨な例なんじゃないか、と。
俺の場合は小学生の頃「うわ〜間接キッス〜」とか騒いでたのを思い出すだけだったが、このアフガン先生は逮捕されてしまったわけだからね。

記事を書いた中国新聞の記者(と、ほとんどの日本人)はたぶん「言い訳すんなボケ」としか思っていないだろうと思うけど。



「探偵ナイトスクープ」見ながらこれ書いてるんだけど、ルー大柴が亡くなった依頼者のおじいちゃんを演じるっていう桂小枝のやつ、よかったなあ。
ナイトスクープ見て泣きそうになったの、何年ぶりだ。

しかも、別の依頼だけど、VTRに俺の親戚が出てきたんですけど。。。
めちゃめちゃびっくりした!
(依頼者じゃないです。念のため。)



明日からちょっと、みかん農家に弟子入りしてきます。

2003年11月21日(金)



 ガルシア・マルケス『十二の遍歴の物語』

ガルシア・マルケスの本を読まなきゃと思い始めてずいぶん経つ。
つっても『百年の孤独』という1960年代のベストセラーを書いた人、くらいの知識しかないんだけどね。
僕が今のところ、最高の焼酎だと思っている宮崎の銘柄「百年の孤独」はこの本から付けられたらしい。

で、肩慣らしというか、手に取った『十二の遍歴の物語』。
94年の本だけど、これ、ちょっとどうだろう。
非常にぶっちゃけて言うと、「大作家」「巨匠」の名に甘えただけの短編集ではないのか。

12の短編が並んでいる。というか「十二の死の物語」とでも言うべきで、ただの寄せ集めではなく統一感があるんだけど、序文でマルケス自身言い訳しているように何十年かの創作メモを捨てきれずに拾い上げたというのが、どうにもあきらめが悪い感じがしてすっきりしない。

ケチつけるのは簡単で、安易だとは思うけど、それにしてもちょっと読者をばかにしていないかい? と思った。
ストーリーテリングの力量です。
それともガルシア・マルケスなんていっても、せいぜいこんなものなのか?

あるいは、こっちが村上春樹式のオハナシに毒されすぎてるだけか?

ただし、ただし、12の短編の中で一つだけ、「悦楽のマリア」は、素直に圧倒された。
たった一人の主人公、老いたマリアのことが、読む人間には最後までよくわからないままなのに、それでいてマリアの心の動きがさらさらと流れ込むように伝わってくる。

マリアの哀しさや、驚きや、価値観が、そんなものどこにも書いていないのに、寄り道せずまっすぐに伝わってくる。
この台詞がいいとかここの描写がどうとかいうより、「悦楽のマリア」の後ろに流れている空気や、音や、世界がいい。
それを感じられて幸せだった、と言ってもいい。

短い作品だし、最後まで一息に読んでからほおっとため息をつくような短編なのでストーリーは書かないでおくけど、「悦楽のマリア」に出会えたことは本好きにとってひそかな自慢になりそうだ。

2003年11月20日(木)



 だまされたと思ってやってみ

「アボカドを薄く切ってわさび醤油で頂くとマグロ味」と力説する友人の言葉を信じ、実行。


貧しい一人暮らし時代を思い出した。

しかも気合入れて「マグロ丼じゃ!」などとやったのでドツボ。

2003年11月19日(水)



 「ヒバクシャ 世界の終わりに」

あったかかったね。秋天好日。

朝っぱらから電車に乗って、出かけていった先は平和公園。
は、素通りして国際会議場へ。
どうでもいいけど国際会議場で国際会議をやってるという話を一度も聞いたことがない。ほんとどうでもいいですが。

ヒバクシャ 世界の終わりに」っていう自主制作映画、もといドキュメンタリーを見てきた。

まじめぶっちゃってヤナ感じ?
でも入場無料だし。映画選びに気を使わないでいいのは一人もんだけの特権でもある。

予想通りというか、同年代の姿など見当たらない。
つーか普通にガラガラ。1500人は入るホールに、せいぜい150人がいいとこか。
JICAとかの国際交流デー(?)と抱き合わせのイベントらしく、ほとんどが国際交流マニアのざーますババア風(偏見失礼)

映画は、鎌仲さんという女性ジャーナリストが監督。
イラクの劣化ウラン弾汚染地域、アメリカのプルトニウム精製施設、そして広島と長崎の4ヶ所が登場して、「今もまさに進行している放射能汚染」をとりあげている。

それにしても。
あまりにもひどい、なさけない、くやしい、かなしい現実ばかり。
同時に、マスメディアがいかに「本当のこと」を伝えていないかを思い知った。悪意があるとは言わないが、彼らも知らない・知らされない現実が多いのだろう。

ドキュメンタリーといって、身構えてしまうのは僕だけじゃないはず。
どうもあの「正義の押し売り」みたいなノリが苦手なんだな。
でもこの鎌仲さんは、ヒステリックに主張したりせず、淡々と話を進めていて感じがよかった。

この映画で初めて知ったこと。
イラクでは湾岸戦争以来、経済制裁で薬が不足しているけど、中でも放射線障害で治療に必要な抗がん剤はまるで足りない。その理由が、

「抗がん剤の物質は大量破壊兵器に転用できるから」。

・・・なんですとー?
ちなみにロケ時期は98年。今年の戦争が「終わって」半年、いまだにそんな兵器なんてカケラも見つかっていないわけだが。

それどころか、「大量破壊兵器」って皮肉でも言ってるつもりか。
今年の戦争で、新たに2000トンの劣化ウラン弾を投下したアメリカさん。

アメリカのハンフォード核施設のことは、たしか中国新聞の連載「負の遺産」でも取り上げてたな。

核兵器用のプルトニウムを造っていることすら40年間機密で、その結果施設から半径1マイル以内(“死のマイル”)の女性は全員流産を経験し、どの家族も半分以上をがんで失っているという事実。
それでも彼らはその土地に生きるしかなく、ジャガイモをつくりリンゴをつくり、できた作物の一番の買い手はわれらが日本。

放射能から来る障害は、症状に「定型がない」ことが唯一の定型なのだという。だから、政府側はいつだって「因果関係は不明」と逃げることができるというわけだ。

そして、最近の研究で、劣性遺伝の要素が強いことがわかってきたらしい。
劣性遺伝、つまり放射能を直接浴びたAさんの曾孫に、濃縮されて放射能障害が出る確率が高まるのだとか。

にわかに他人事ではなくなってきたのでびびる俺。

俺の祖父母は被爆者である(祖父はかなり前に亡くなったが)。
二人とも、あと2分投下の時間がずれていれば即死していただろう、というぐらいのバリバリの原爆体験者だが、幸いうちでは特に体の異常を感じる人間はいない。

でも、曾孫に出る確率が一番高いということは・・・
俺の子供だよ(その前に結婚しろってツッコミはおいといて)。


もしそんなことになったら、アメリカ人もみんなトモダチなんて相変わらず言っていられるかどうか・・・まったく自信がない。

んなわけねーじゃん、と思う一方で、もしも・・・という気持ちはずっとついてまわるんだろう。
子供の子供にも、その子にも、またその子供にも・・・。

核兵器が悪魔の所業という、その意味はたぶんここらへんにあるのだ。


放射性物質ウラン235、半減期は45億年。
4,500,000,000年。

2003年11月16日(日)



 てきれいき

だいぶサボったもんですね。
4日ぶりとは、今年初めてじゃないかな。

まあ、忙しすぎてどうにもこうにも・・・ってわけでもなく、さりとて充実しまくりで日記どころでなかったというわけでもなく、要はサボってたわけだ。

そういえば今日はまた、年下の知り合いの結婚祝いパーティの日だったな。
ってなんでこんなとこで遠い目してるんだ俺。
東京まで駆けつけてやれよ!

なーんて思いつつ。

“「いいよなー、俺なんかそれ以前に相手探せって話だよ」とか言ってる奴に限って実はさっさと結婚する説”を唱えているので、俺はそんなことは言わないでおく。

素敵な家庭をつくって、「あー結婚してえ〜」と思わせてくだされ。TとN。

2003年11月15日(土)



 冬がはじまる

暦はいつのまにやら冬になっていて、当たり前のように来年の年賀はがきが売られていたりする。

なんとかオブザイヤーのノミネートとか、流行語大賞とか、なんだとか、とにかく人って他人より季節を先取りしたくて仕方ないんだな、と思う。

日曜からずっと、変に生暖かい雨の日が続いていて、一年で一番心地いい時期なんじゃないかと感じる。春は気持ちはいいけど、夜寒いからね。

そういうことが幸せじゃなかったら、いったい何が幸せなんだ、と。

それでもやっぱり季節ははっきりと移っていて――鉛色の海。すっかり冬の海を装っている。

人間は、みんなそろって、にこにこしながら嘘をつく季節。
相変わらず、日記にさえ登場させたくない人たち。
ま、そんな日記じゃないのは百も承知か。

横川シネマでは沖縄映画特集がそろそろはじまる。
全部は無理だけど、なんとか都合つけなきゃなあ。
これとは関係ないんだが、中江裕司監督(「ホテルハイビスカス」も「ナビィの恋」もこの人)のデビュー作って、「パイナップルツアーズ」っていうらしいんだな。
見たら体に悪そうだな。禁断症状で。

2003年11月11日(火)



 イベント大好き

たまには時事っぽく日記つけてみるか。

俺が投票した候補が当選したの、初めてだ(笑)
メデタイメデタイ

天気悪かったので特に何もせず、東京1区の「唯一神」又吉イエス氏の動向に注目してみたりね。

さてと。
東大法学部→東京三菱銀行→退職・民主党新人・・・(選挙区ばれちゃうなこれ)って、この兄ちゃんに何があったんだろうか。
いや、何もないエリート生活に腹を立てて、政治に身を投じたのか??

近所のスーパーで見かけたが、人生いろいろだのう。

2003年11月09日(日)



 まったくのふとしたことで泣く

人によっては、すごくすごくすごく嫌なこと、というのがある。
「なんで?」って、そういうことに対して聞き返しては、いけないのだ。

いやなんだ、と、本人でも気付いていないことだってある。
わけも分からずいきなり涙が出てきて、たまねぎを切ったときほどにもツンとはきていなかったりする。

わけもわからず、涙が出てきた。
なんとも、こまるこまる。
ま、原因は想像はつくのだが、なんでそれで泣かなきゃいけないのかが自分で分からない。
きっと自分で自分のことを分かろうとしていないのだ。

「泣く」なんてのは究極のエゴ。
エゴだからこそ、便利なこともあるのだろう。ストレスの解放行為でもあるしね。

今まで当たり前だと思っていたこと、みんなが当たり前だと思っていることが、自分にとって当たり前じゃなくなったとき、人は泣く。

そこにあるのは強い・弱いの差ではなくて、想像力の差、だろう。
別に、どっちがいいと言うのではないよ。想像力があればいいってもんじゃない。

日記に書くのもストレス解放のエゴ行為か。
えらいすんませんな。

2003年11月08日(土)



 Cの(赤き)福音

なんとなく野球の日本―中国(China)というのを見ていた。

どうも気になることがある。

赤い。なんだ、この既視感は。

中国代表


赤い野球チームといえば言うまでもなく広島東洋カープ(Carp)である。

カープ坊や


カープの赤は情熱の赤。
紺色の地味な弱小チーム(今も弱小とか言うな)に情熱の赤を持ち込んだのは1975年のルーツ監督だが、そのアイデアは大リーグのシンシナティ・レッズ(Cincinnati)からもってきたことは有名である。

ケン・グリフィーJr.


なんということか、頭文字が「」のチームはなぜかやたらに赤い。

中央大学


箱根駅伝の中央大学(Chuo)

キューバ代表


野球のキューバ代表(Cuba)

韓国代表


これはちょっと反則気味だが、ワールドカップ中だけなぜか綴りを変えたサッカーの韓国代表(Corea)

Cの福音よ高らかに。
(ほかにも、高校野球の中京商(Chukyo、現中京大中京)も赤かったという説あり)
この中で、文句なくナンバーワンといえるのはキューバ代表くらいだが。

地球を赤く染め抜く日まで。
がんばれ、すぃー。




追記:::
そういえば、「赤い彗星」シャア・アズナブルさんもChar Azunabul。んー。

2003年11月05日(水)



 天気予報よりうそつき

昨日:晴れでしょう。降水確率は0パーセント。
今日:晴れでしょう。降水確率は0パーセント。

連休中ずっと立ち込めていたこの重たーい濃霧はなんだつたのでせうか。
夜になるといかにも陰険な感じで降り出す、針のような雨と。

「感動巨編!」と強調する映画でけっして泣けないように、「今だけのお買い得価格」がじつは年中安売りの品物であるように、「皆様のために、皆様とともに」という人間がまず間違いなく自己中であるように、文化の日にちなんで行われることはことごとく文化的ではない。
ていうかほんとの文化なら、いちいち文化文化と強調するわけがない。

まあ、どうでもいいけどな。もにゅ。(っ・A・)っ

といいつつ今日は「ロードオブザリング 2つの塔」をおさらいで見る。
いやん俺、文化的だわ。
日本語字幕で見ると・・・苦笑くしょう。
なさけないけど、日本語字幕があると、急に台詞が聞き取れるようになるんだね・・・。
まあ、
「佛羅都大哥!」←"Mr.Frodo!!"
なんてな中国語字幕で話を追っていた俺はそれ以前な気もするが。

どうでもいいがなんで「ロードオブザリング」なんだろう。
「指輪物語」のなにがいけないんだろう。
配給会社の人たちまさか原作読んでないなんてことは・・・。

それから俺のパソコン、なんでいつも「ロードオブ坐リング」って変換するんだろう。
俺なにか悪いことしたのかな。


題名がミスチルの歌詞って気付いたあなたは同世代。

2003年11月03日(月)



 覚え書き、メディアの謝罪のやり方と日本語

不愉快と不適切。「しぜんにそうなる」と「意図を持ってそうした」の選び方

差別表現(放送禁止用語)を使ったとしても、謝罪は「不適切な表現がありました」。決して、「障害を持つ人を不快にさせました」とは言わない。まるでどこかに「適切な表現」マニュアルがあるかのような言い方をする。

それは、そんな決まりごとがある、と思わせておいたほうが楽だから。「ルールを破ってごめんなさい」ということ。「嫌な思いをさせてごめんなさい」のほうが謝り方として本筋だが、あくまで「ルールを破った」ことに対してのみ謝る。責任を負わなくてすむ楽なやり方だから。

これでは言葉狩り、言葉狩りといって反発があるのも当然で、よく考えていくとそうなる。

「しぜんにそうなる」(自動詞的用法)という言い方が、丁寧で礼儀にかなっているとされる。

日本語の中に、ほとんど先天的にこの発想が組み込まれている。

「迷惑に感じるお客様がいらっしゃるので、携帯電話のご使用はおやめください」よりは、「お客様のご迷惑になりますので、携帯電話のご使用はご遠慮いただいております」のほうが丁寧。

はては、同じ発想で「迷惑に感じるお客様」より「ペースメーカーを使っているお客様」を強調して利用することになる。迷惑だと思うのは主体的な感情(=他動詞的)だが、病気でペースメーカーを使うのは「そういうことになっている、しかたない事情」(=自動詞的)だから。


規則なんだから守りましょうね

みんな我慢してるんだから我慢しなさい

払い戻しはできないことになっております

などはみんな、婉曲な言い方をして丁寧な印象を与えようとした結果。多用して婉曲どころかただの無責任に過ぎなくなっている。なっておりますって、あんたらが決めた規則だろ? とか、じゃあなんでそんな規則をつくったの、なんて聞き返すといいが、すでに答えられなくなった人間も多い。

婉曲が丁寧、は最大の日本語的意識。あいまいだから良いとか悪いとかではなく、あいまいじゃないのは日本語じゃない。


1000円からお預かりします

お名前のほうご確認いただいてよろしいですか

「〜とか」「〜的」「みたいな」なんていうこれらの表現のすべては、単に新しく出てきたあいまい表現なだけで、2000年間あいまいな言語を育ててきた先輩たち(言葉の乱れを嘆く年寄り含む)にあれこれ言われる筋合いはない。

むしろ彼らとしては、これらの「若者言葉」が恐ろしいほど「日本語的」であることを、喜ぶべきなのにね。

2003年11月02日(日)



 

うー。
なんなんだ。
体調管理? できてないですともさ。

空は秋色から、もう冬色にかわりつつありますね。
力ない咳を繰り返している間にも、11月はやってきたのか。

2003年11月01日(土)
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