ゆれるゆれる
てんのー



 錦帯橋まつり、大名行列について

 錦帯橋まつりに行った。

 こういうの、ただ騒々しいだけで、好きじゃなかった。平日にこっそり出かけていって、静かに風光をめでて帰ってくればそれでよかった。

 だけどなんだろう、今日はそれがイヤじゃなかった。
 むしろ、みんなでめいっぱい大騒ぎして、もみくちゃになって、警官が交通整理しているこの観光地全体の感じが、なんともいえず健康的な感じがして、気持ちよかった。
 ギャーギャー泣き喚くガキとか、デブおばさん団体とか、すっげー健康的に感じた。

 たぶん、写真とかもそうなんだけど、ちょっとこだわり始めたときは、いい構図に人間が入っちゃうのが邪魔でしょうがなく思えたけど、今はどんなにきれいな風景写真を見ても、やっぱり全然物足りない。面白くない。
 ただの記念写真でも人間が写っているほうがよっぽど興味を引かれる。それと同じかなと思った。

 さすがに城下町のまつりだけあって、岩国藩鉄砲隊の復元演習だとか大名行列だとかそれらしい出し物が用意されている。大名行列は、どうせナントカ保存会の爺さん連中がのそのそ歩くだけかと思っていたら、がきんちょやら高校生やらも混じってけっこう真面目にやっていて、かなり面白かった。

 「下に居ろう」じゃなく、「えーおー、あーおー」みたいな意味不明の掛け声を発しながら、長い槍もどきの棒を投げたり取ったりしてそろそろと歩いていくもので、なんとも渋い。好きだなあ。

 真面目なまなざし、ちょっとの恥ずかしがり。沖縄の田舎で何度か参加させてもらった、旧盆のエイサーを思い出した。あれも、地域で実際にやってる本人たちは真面目半分、かったるさ半分だったりして、俺らみたいなよそ者からすればものすごく貴重な伝統文化なのに、とギャップに驚いた。それと同じにおいがした。

「拍手してくれたらここでもう一度やりますで」
まとめ役らしいおっさんが観客に話しかけたりして、見ようによっちゃ緊張感がないんだけど、嫌な感じじゃない。逆にほんとの「まつり」らしい人間同士の「近さ」があって、これは東京なんかじゃ見られないな、とはっきり思った。

 町の規模、まつりの規模もあるのだと思うけど、すごくあったかい、後味のいいまつりだった。

2003年04月29日(火)



 ひゃくまんかい いきたねこ

 中身はともかく、世間的に成功すると「文化人」に名を連ね、その証拠に褒章なるものがもらえるらしい。

 賞なんてもらえない奴に限ってあれこれ心配するもんで、俺なんかも「ケッなんであいつが・・・」などとつばを吐きながら、俺だったら辞退するかな、もらっとくかな、なんて考えてみる。

 日本国政府にご褒美を頂いて得意満面、というのもぱっとしないけど、興味がありませんから辞退します、ってのもなんだかキザったらしくていやだねえ。ぐちぐち。

 ある絵本作家が紫綬褒章を受章していた。あの人のエッセイ、昔の知り合い(彼女ともいう。シャイねえ俺)が好きだったなあ。
 その人のことはまるで思い出さないけど、その作家のことは彼女がいなければ知らなかったはずで、こういうモノとの出会いは好きだ。
 今でも作品がいくつも思い浮かぶ。

 そうやって、俺とその作家の関係のように、いろんな物事が、記憶によって結びついていくんだろう。
 そういうもの全体を、文化と呼ぶのかもしれない。ただあるだけじゃダメで、記憶になって、見る・読む・聴く人の中で生きているもの。一人一人の記憶は、ぜんぜん違うことだろう。

 その絵本作家が今日まで頑張ってくれたおかげで、俺は今日昔の彼女を思い出せた。
 元気にしてますかね。俺もこんなに自分をぶっちゃけられるようになったのは、大人になった証拠なんですかね。どうですかね。

2003年04月28日(月)



 初詣曼陀羅らら

 世間は連休に突入だそうだ。
 あいかわらず世間と何かがずれている俺。苦悩。ああ苦悩(΄д`。o O

 引きこもり気味の帰国一週間で、どうやら自分があんまり成長していないことに気づいたので、地元が誇る神様にちょっと新生活の誓いを立てに行くことにした。

 いい季節になって、宮島はすごい人出だった。なんか東京弁と英語ばかりが耳につく。でもどんなにごったがえしても、初詣に来たのはきっと俺だけなのだ。

 神様。(と、俺はいつものようにメインの女神様、市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]が祭られているところで厳かに手を合わせる)これで26年連続、無事にお参りすることができました。
 2月に京都の北野天満宮に行っちゃったけど、あれはただの観光で初詣じゃないんです。
 だから今年もどうかよろしく。
 とまあ日本の神様の懐が深そうなところが、目下プーには身にしみてありがたいのである。

 厳島神社を出て、大聖院まであがると、さすが密教の大寺院、チベット僧が作った砂マンダラというのを特別展示している。

 拝観無料はありがたいがものすごい地味な展示でさすがチベットという感じだ。というか、ご本尊のど真ん前に置いてあるので、ちゃんと参詣に来た信者の人たちが正座して線香を上げる、その前に突っ立つことになり落ち着かないこと甚だしい。

 実は俺の卒論というのが「チベット仏教」関連だったこともあり、ゲルク派だとかデプン僧院だとかいう説明も一人あっさりと納得していくので逆に不審がられた。

 ちゅうか一度もチベットなんて行ったことないくせによくもヌケヌケと書き上げたものだ。これは真面目な話、いま学生に戻れたら、たぶん他のテーマで書いていた代わり、めちゃくちゃ勉強してやる自信があるのに・・・。

 砂マンダラというのはあれですね。砂で書いたマンダラ(曼陀羅)。マンダラは、仏教的世界観を図にしたもので、仏教の世界地図(というか宇宙地図)として、日本仏教にもあるんだけど、チベットでは、この世のすべては空しく、滅び行くことを示すために(諸行無常!)これを砂と塗料だけで仕上げ、完成したらその場で破壊するというすごい強烈な精神性があるものになっている(ほんとは写真も撮っちゃいけないはず)。

 「宗教美術」と呼ばれるものは、文化圏を問わずとにかく美しいもので、美しさの背後には「信じる」という微熱、高熱が強く働いているのを感じる。
 ごたくを言っても空しいけど、特に砂マンダラなんてその場で壊す以上、その場にいない人には「とにかく見ろ」とも言えないのが残念なところ。

 あーキレイダッタ!

2003年04月27日(日)



 雨にとびだせば

 脳みその体温が低すぎて今日は日記なし(と書く元気はある)

2003年04月25日(金)



 雨滴

 雨がやんだら、出かけようと思っているうちに、日付が変わってしまった。つまり出かけなくても別にかまわなかったということで、なんだかどうでもいいや。

 今日も何もしなかった。なんとなく、それはそれでものすごく大事な時間のような気もするし、やっぱりただの人生の無駄遣いのような気もする。意味? なんだ、それは。

 雨音を聴いていると、自分が限りなく小さくなっていくような感覚に陥る。

 くだらないと思っていた日々のあれや、これやが、途方もなく大事なものに思える。

 過去を振り返るのはくだらない。未来はまだやってこない以上、悩んでも意味がない。現在だけを考えていたい。ただし、未来は一瞬にして過去になる。「現在」は空想の観念でしかない。それでもいいか?

 服を試着する。サイズ違いを取り替えて出入りするたびに、カーテンの向こうで、店員が靴をそろえている。これが、日本だ。俺は、すぐに適応してしまうが。(いいことなんだろう。)

2003年04月24日(木)



 旧:マレー滞在記(名前、変えました)

 日本の日本人に逆戻り、ありふれた一人になることができた。
 これを記念して、今日からはありふれた個人の日記をつづっていこうと思う。

 少なからず、読まれることを意識して『マレー日記』を書いてきた。今日からは、気にしないことにする。

 それなら公開しなきゃいいのだが、この日記が自分でも意外なほど長続きしているのは、公開することで自分にプレッシャーをうまくかけられたからだと思うので、だめ人間としてはまたしばらく「見えざる手」に頼っていきたいと思っている。


 強くて正しい人ばかりなので、正直へこむ。

 おそらくは平凡だが立派な大人が、自殺サイトに集って一緒に死んでしまう「未熟な自我」たちを怒る。「あと40年も平凡な生活を送るだけだと思うと、死にたくなった」と、20代のお子様たちは言い残して自殺してしまう。
 強くて正しい大人はきちんと叱り飛ばす、ふざけるな、才能もない人間があと40年も平凡な生活を送れる、それ以上にどんな人生を望むと言うのかね。

 そうやって、俺たちの歴史はここまで来たんだろうなと、頭では思う。きっと数千年をかけて、俺たちの先祖たちは「明日死ぬかもしれない恐怖」を取り除くべく努力してきた。数千年をかけて、「今日と同じ明日を迎える」ためにがんばってきた。

 そうやってきて、「そんなの耐えられないから死ぬ」じゃ、そりゃ報われないよな人類。人類の知識。

 「愚かなるかな、浅はかなるかな、人類よ、猿の親類よ、最後の質問、歴史とは何か。」(『きけ、わだつみのこえ』)

 俺たちは歴史の一部であって、歴史学のなかに歴史があるのではない。同じように、俺たちは今確かに、人生の一部を生きているのであって、人生論の中に人生があるのではない。区別して分類してみても、世界は把握できない。



 午前1時半。

「はいもしもし」
「はーい***(番組名)のXX(DJ)だけど、・・・」

「ちょっと、えっと、どちらの警察ですか」
「え・・・ケーサツ? ***。J−W○VEの。えーと娘さんかな、番組宛にメールもらって、」
「娘って、こんな時間に」
(「ちょっと私、私」)

「いま番組の生放送中なんですよ、それで」
「娘はこんな時間ですからもう寝てます。こんな時間に・・・」
(「寝てない。私、私」 「私じゃないでしょ。なにやってんの」)

「えーと・・・どうなのかな・・・あれ? 切れちゃった? いやあ夜中はコレがあるからなあ。しょうがねえ、次いくか。え? リアルすぎた? 悪いなあ、じゃもう一件・・・」


 なんだか笑ってしまった。DJが言うのと違う意味でのリアルさがこのラジオらしくなくて、とてもおかしかった。

 みんなまじめすぎるよ。勤勉すぎるよ。俺は頭おかしいから、堂々と言うけど、お前ら頭おかしいよ。

2003年04月23日(水)



 日本チェンジング

 携帯電話を買って悪戦苦闘していただけで夜になったのでびっくりした。
 マレーシアでは回線を買ったものの結局使わなかったのに、日本では来た次の日から開通させてしまうのである。なんだか扱いに差があるようで気が引けるが仕方ない。

 あんまりマレー、マレーとわめいていると嫌われちゃうのはいつの時代も同じ。おとなしくにっぽん社会に溶け込むようせいぜい努力したいと思う。海外で出会う日本人ってウソくさいくらい日本嫌いが多いけれど、俺は日本および日本人が大好きなので、たぶん今からも世の中にいらいらしながら生きていくことはないだろうと思っている。

 さて、わが半田舎町はまるで変わってないように見えるが、そんなこともないだろうと思って注意して見渡してみた。

○街が合併して大きくなっていた。

○コンビニチェーンのヤマ○キがばたばたつぶれていた。

○ねこもしゃくしも40和音の携帯だらけで、うっとおしさも40倍近い。といいつつ俺も・・・。他人の着信音は騒音以上でも以下でもないが、自分の(むろんクラムボンの曲)は心地よい日々の音楽である。

○服がすっげー安い。ビールがすっげー安い。いい国だ。いい街だ。

○インターネットで「綾小路きみまろ」「ボブ・サップ」など最新のトピックに付いてきたつもりだったが、どうやらどっちも、かなりどうでもいい存在に落ち着きそうな勢いだ。

 さて、新しい題名が全然思いつかない。お題にひかれてここまで来ていただいた方がいらっしゃったら、ごめんなさい。今はすでに日本だよ。

 あと、数日振りの更新で申し訳ないですが、これからも毎日更新は無理かもです。でも極力ねばるつもりです。来てくれた方々感謝感謝です。

2003年04月21日(月)



 帰国

 パスポートに何カ国のスタンプがあるか数えては自慢するような奴にろくなのはいない、と相場は決まっている。

 そこで自分はそんな人間にならないように用心して、日本一カ国だけのスタンプ集めに走ることにした。FUKUOKAというハンコをもらって、また嬉しくてニヤニヤしてしまう。成田、関空、下関港、大阪港に続いて5カ所目、順調だ。おそろしくセコイ自慢のようにしか見えないがあまり気にしてはいけない。

 あまり寒くない。ただひどく雨が降っている。何かを象徴するみたいな灰色の、汚い町並み、これだ、これだ。これが日本だヨおっかさん。近づくと一つ一つは可愛らしい色使いだったりして、これが日本だヨ。
 なんて、ひねた感想を言うのも、気がきかないから好きじゃない。

 マレーシアで福岡人の同居人に勧められた、「福岡アジア美術館」へ行った。アジアはちょっとお腹いっぱいな気もするけど、と思いつつ雨宿りがてら行くと、白洲正子展・・・ちょっと肩透かしだけど、日本もアジアだもんね。

 骨董なんてさっぱり分からんので、こりゃきれいだねとか面白いねとかいうくらいしか感想もないけれど、最近小林秀雄をちょこちょこっと読んでいるので、人のつながりは少しわかって面白かった。
 美術館に付き物のショップは、ふつうのアジア雑貨店と見分けが付かないのも面白かった。

 地下鉄でピーター・フランクルにでくわした。思いっきり大道芸人の格好をしていてうれしかった。

2003年04月20日(日)



 マスクをもらった

 連日、お別れ食事会などを開いてもらって、なんだ俺も愛されてんじゃん、と再確認している。

 もう5ヶ月ほど付き合いのあるクラスの人たちとバクテーを食べに行った。てゆーかこの店昨日も来た。店のおばちゃんに「アイヨーこの兄ちゃん昨日も来たヨー、好きだネ」と広東語で言われた。気がする。

 このクラス、えっらいかわいい女の子ばっかなんです。先生もほいほい付いていっちゃって。写真でも見せられたらねえ。

 それで、お餞別に「マスク」をもらった。
 N95とかいう、いちばん効果ありのやつだそうだ。マスク会社勤務らしい。そういえばこのマスク、定価RM3.5なのに実際にはRM20で売られており、それでも品薄なので市民困る、と南国新聞に書いてあった。

 はあ、おちがない。

 プロバイダ閉めるので、日本へ帰る日曜までちょっと日記更新はむりっぽいです。

 ではではありがとうマレーシア。

2003年04月17日(木)



 俺は紳士 ひゃひゃひゃ

 最後の授業が終わった。あとは土曜日の昼から、初級の試験を一つやって終わりだ。
 わーい3連休。
 とは、行かないよな。まるで荷造りが進まないし。どうして、荷物を出すのと入れるのでこんなに難易度が違うのかとても不思議だ。

 いろいろ考えることはあるが、まださっぱり文章になって出てこない。一生出てこないような気もする。

 この日記を読んで、実際に俺を知っている人は俺についてちょっとイメージを変えたかもしれないし、俺を見知らない人も、こういう人間が世界のどこかに存在しているんだと認めてもらえたとすれば、本当に書いてきた甲斐があったというものだ。

 書きたい放題書いているけれど、一つだけ付け加えると、とにかくも嘘だけは書かずにここまできたことは、良かったと思っている。ちょっと背伸びしたかなというところはあるけどね。
 それで、なんとなく悔しいような、むきになったような妙な気持ちで、まだまだ終わらないぞと思っている。

 帰国したNさんと入れ替わりに、さっそく新しい先生が引っ越してきた。九州人だそうだ。彼女も大変だろうが、俺はこれでまた一人、貴重な経験を(5日だけですが)させてもらえることになる。

 ちょっとはもてるようになったと錯覚しそうだ。今のところ、「人畜無害」すりこみ作戦は順調です。意外でしょ友人諸君。

2003年04月15日(火)



 ××記念日

 ネット接続の調子が悪い。なんでも4月14日は「オレンジデー」だそうだ。「知ってた? オレンジデー」っていう見出しが朝日新聞のサイトにあったのだが、このページがなぜか開けない。だから由来は分からない。

 ホワイトデーにしても、チョコレートのお返しに、という業界の狙いはわかるが、ホワイトでなければいけない理由はなんだろう。「聖アウグスティヌスデー」「聖ザビエルデー」ではなく色の名前を持ってくるあたりに、何かありそうだが。白、オレンジという選択もなんだかいやらしい。

 じゃあ5月14日の名前を当ててみよう。雰囲気的には緑あたりか。「Green Day」あれれ(表記は「グリーン・デイ」がよろしいかと)。しかもその前に4月29日があるし。ていうかあれもなんで「昭和天皇誕生日」じゃいけないのか分からない。ただわかるのは、天皇制さえ続けば1000年後の日本はほぼ毎週祝日があって幸せ(または衰退している)だろうなあということか。

 たしかもうすぐ、ジョルディだかジョルジュだか、なんか人に本をあげなきゃいけない記念日もあったような気がする。あれ今月だったっけ。うざいなあ。なんで名前から何から全部ヨーロッパ人ふうなんだろう。

 名前自体を「好きな人に本を贈る日」にしてしまえば、すっきりすると思いませんか。それで、「由来: 実は聖ジョルディが昔・・・」ってうんちくを書いておけばみんな賢くなった気がするし。

 全部そうでしょう。わけも分からずに「クリスマス」「クリスマス」って祭りの一種だと思い込んで、国中でムード満点を演出しようとするから、エッチするためにプレゼントに頭を悩ませるような(俺のことじゃない、と思いたい)ことになっちゃうわけでして。

 初めから「馬小屋であの幼子が生まれた日」「東方からあの三人が贈り物を持って来た日」とか、思わせぶりな名前にすれば、みんな毎年「何だろう?」と考えるきっかけができるわけだ。

 だから例えば「終戦記念日」って正しいネーミングだと思う。もし「平和記念日(or平和祈念日)」なんて適当な名前にしていたら、みんなとっくに忘れてると思うよ。

 だから「勤労感謝の日」「海の日」なんて、ネーミングにうそがあるから日付さえうろ覚えでしょう。民主主義・平和国家の祝日に「大嘗祭」「海軍発足記念日」とは名づけられないもんね。

 えーと結局、オレンジデーはなんなんだろう・・・。ホワイトデーは今やマレーシアでも広まりつつあるからなあ。ビジネスってこわい。

2003年04月14日(月)



 それでも、マスクをしない

 同居の一人、Nさんが帰っていった。久しぶりにKLIA(クアラルンプール国際空港)まで出かけると、いるわいるわ、マスク人間だらけ。

 そのくせ、空港のスタッフはほとんどマスクなどしていない。危機管理は大丈夫かKLIA。ちゅうか、人は空港へ来ると過敏になるものなんだろうか。飛行機に乗るときだけマスクをしてみてもあんまり意味がないような気がする。

 よく、誘拐事件とか起こったりすると犯人が捕まった後もしばらく集団下校になったりするでしょう。あれを思い出す。意味あんのかよほんとに・・・という類だ。気休め、責任逃れ、うんぬん。テロに懲りてハサミで警報。あつものに懲りてナマスを吹く。それでもテロはやまない、この不思議。集団下校していると、その列にトラックが突っ込んできたりして、かえって大惨事を招いたり。

 それでも地球は回る。それでも風邪は伝染る。ううう、鼻水がつらい。

**********

 昨日の日記、たった一行にして一日で過去最高(たぶん)のヒットを頂いてしまいました。申し訳ないです。
 気合を入れなおします。よろしくね・・・

2003年04月13日(日)



 今日はこれが精一杯

 あーつかれた。

2003年04月12日(土)



 君、失敬だナ!

 信じられない言い方をされ、あんまり腹が立ったので、よっぽど今日はその一部始終を実名入りで書き込んでやろうかと思っていたけれど、今はもう落ち着いたのでいちいち書くのはやめにする。

 今週に入って、一年やってきたことを全否定されるような言葉の暴力を受け続けて精神的に参っている。昼過ぎまで、あまりの怒りで本当に体が細かく震えていたのだが、学生たちの笑顔にずいぶん救われた。大人だネ俺ってば。

 人を傷つけたことにさえ気がつかないような、頭の悪い人を相手にしている時間は、俺にはない。

 ああもう、いるだけ無駄無駄。帰るなら早く帰りたい。食いたいものも別にない。金も経験も語学力も、何一つ手に入らなかったけど、それは他力本願の俺の根性に問題があっただけのこと。

 海外で働く希望を持っている人がこれを読んでいるかもしれないが、日本人がやっている会社なり団体なりで、日本人の同僚とちまちま働くのなら、海外である必要性は何にもありません。むしろ日本でなら受けられるいろんな保障がなかったりする分、無駄だしね。往復の時間と金も。

 安易な仲間意識とか、安心感に寄りかかろうとするから、そうなるので、ほんとうに世界を見ている人は、はじめっからそんなことはしない。「日本のココがイヤだから、飛び出したい」なんて、野暮ったい失礼なうわ言は、言えば言うほどアホをさらけだすだけなので、やめたほうがいい。
 と、これだけは学びますた!

2003年04月11日(金)



 勝手にどうぞ。俺は帰らせてもらうよ

 日曜日に帰国を控え、同居のNさんは一日中荷造りや掃除に忙しそうだった。僕もそろそろ準備を始めないといけないのだが、腰が上らない。むしろ、借りたVCDも焼いて持って帰ろうかなどと荷物を増やすことばかり考え付いて、悩みは深まるばかり。船便でも、けっこう高いのよね。

 だいたいサイトを作ったのは、家族への「元気でやってるよ」という連絡代わりのはずだったけれど、いっこうに見てくれている気配がなく、それに帰国してしまえばそんな目的も無意味になってしまうわけで、ここ2,3日ちょっとサイト運営について考え込みがち。

 手続きそのほかでバタバタして、いらいらして、人の態度にいちいち腹が立って、まあ正直「結局マレーシアへ何をしに来たんだろう」と落ち込んでいる。

 彼らにとってはどうでもいい奴のどうでもいい帰国なんだろうけどさ。はっきり言って。人との付き合い方に不満がありすぎて、それが帰国直前のここにきて自分のなかで爆発している感じ。

 広い世界のなかの、狭くて涼しい部屋で、いつまでもだらだらと他人の評価を続けていればいいんだよ。

 どんなに正確に日本語を話していても、まるでコミュニケーションが円滑に成立しない。もちろん自省を込めて言うけれど、これじゃ語学の先生なんて百年たっても低く見られたまんまだよ。

2003年04月10日(木)



 衣食足りて戦争を

 タイスキを食べて、また存分にスヌーカーを楽しんで、1時過ぎに家へ帰ってみると、バグダッドが陥落していた。
 騒いだって、えらそうなこと言ったって、俺にとっての戦争と平和なんてそんなもんだ。
 誰にとっても、そんなもんか?
 さあ、今日のニュースは何だ? SARSで何かあったか?

2003年04月09日(水)



 わいは・・・ビリヤード ((c)『ついでにとんちんかん』)

 いや、やり残したことありました。一番残念なこと。
 それは、スヌーカー。ビリヤードですな(厳密には違うらしいが、俺には違いが分からん)。いや、笑っちゃいけません。

 世代的にもずれてるから、日本ではほとんどやったことがなく、始めは「は! ビリヤードなんか流行ってんの?」てな感じでしたが、実際連れて行かれるとまた別の話。

 スポーツ、勝負事の上達のコツは「悔しい! むかつく!」っていう気持ちだと心から思いましたね。
 マージャン? けっ、身内で金賭けあうくらい勝負事のうちにも入らねーや(弱いけど言い訳)。

 いや逆に、金賭けない分、負けたら悔しいのなんのって。さすがに一人でシコシコ練習するほどじゃなかったけど、何度か連れて行ってもらううちに逃げられなくなった自分を発見した。
 それなりに、狙ったとこに放り込めたりしてしまうともうダメ。夢に出てきます。

 僕をスヌーカー道に引きずり込んだ先輩の一人はもう帰国してしまって、日本でもちょくちょく行こうと思ったら周りにビリヤードをやる人なんていなかったらしい。でもやはり思い断ちがたく、しかたなくサークルに入ったところが、すごいおっさんばっかりで、しかもたいして上手くもなく、失意の日々を送っておられるとか・・・心中察するに余りある。
 その人は関東だけど、俺は地方だからなあ。ますます期待できない。

 いやー無念。やっと、面白くなり始めたところなのに。くう。

2003年04月08日(火)



 長い休暇、の、終わり

 日本へ帰ることになりました。

 いつ言おうかと思ってたんだけど、日にちが決まったので今日書いてみた。隠してたわけじゃないんだけど、やっとマレー日記も軌道に乗ってきたのに、こんなこと書きたくねーよなあ。
 二週間後です。急でしょ? 来るときと同様。

 帰るとなると、いろんなことが心配になってくる。
 例えばこの日記。やめる気はまだないけど、タイトルどうするよ? 「元・マレー滞在記」・・・うーむ、誰も読みたくないと思ワレ。

 例えば、やり残したこと。
  山: きっついの一つと、普通のいくつか登った。「優」
  川: 半日だけど下った。「良」
  海: ライセンス取ったときの一度だけだけど潜った。「可」
  街: 東海岸行けなかった。ここからでも遠いのに、もう行く機会なさそう。
     ただし、西マレーシアの古い町は一通り訪れた。「可」かな。
  人: 友達少なすぎ。「不可」
  女: 言うまでもなし。不可、というより評価対象外「否」
  物: ほとんどないが、マラッカで買ったニョニャ様式の茶器は
     けっこうお気に入り。「優」
    (「ニョニャ」は16世紀とかに移住してきた中華系の人たちとその文化。)
  言: 最近やっと、マレー語日常会話の初歩を少し聞き取り始めたところ。
     一番残念かも。「不可」
  職: あの、クビとか、飽きたとかじゃないです。
     でもとにかく中途半端で残念。評価できず

 書いてみるとくだらん心配しか見つからない。

 たしか初めの頃に、このマレーシア暮らしを「2年か3年になるだろう、長い旅行」と書いたのだが、「1年」に短縮されたとはいえ、長い、そして深い“旅行”だったと思っている。

 俺が例えば、年譜を編まれるような大物になって死ぬとしたら、この滞在は「青年期のiwammyに多大な影響を与えた」と注意書きがされるのだろうか。いやだなあ、そんなまとめられ方。

 長い旅行。

 いま、借りてきた『ロングバケーション』のVCDを見ているのだが、若かりしキムタク君がだめだめピアニストを演じているのを、なぜかめっちゃ熱い気持ちで眺めている(いや〜実は初めて見るんですわ)。

「なにやってもうまくいかないときは、神様がくれた、ながーいお休みなんだって、思っちゃだめかな」

 俺、うまくいかなくてもいいから、死ぬまでお休みがいいよ〜神様あ。

 荷造りしよ。

2003年04月07日(月)



 さむーいシャーアラム行き

 隣町シャーアラムへ行った。一人でさむーいセンチメンタルジャーニーもどき。

 4年ぶりだ。前回は、マレー半島縦断の旅行で立ち寄った。初めての海外旅行で、なんか手ェつないで見物したような記憶が・・・。かゆい。

 街の真ん中にPKNSっていうショッピングセンターがあって、セントラルマーケットを始めKLのバッタモンみやげ店なんかよりよっぽどましなマレーグッズが手に入る。日用品限定ではあるけれど。

 そんなことは前来たからもういいんだが、しかししょっぱい町だった。
 いろんなものが何一つ変わっておらず、ただ4年分の錆が増えたり、ほこりが付いたり、古びていた。なんとなく、自分のことを言われているようで、街を見て回るのが少しつらかった。

 観光地というのは彼女と行ってこそ楽しいものですな。うははははは。
 カメラを持っていった自分が正直、悲しかった。

2003年04月06日(日)



 SARSが街にやってきた

 マレーシアでもついに、例の「SARS」感染者が出たらしい。シンガポールでは死者だって出ているのだから、遅かれ早かれとは思っていたが。まずシンガポールにくっついてるジョホールバル(JB)、それからイポー、ペナンなどで、何人かから見つかったのだとか。
(と書いたところで、速報を読んだ。肺炎で死んだジェラントゥットの男性が、マレーシア初のSARSによる死者と確認されたらしい。今日の話。)

 KLではまだいないらしいのだが、どうもネット上で「バンダル・サンウェイ(=学校の近所)で感染者が出たらしい」と情報が流れたらしく、なんとなくみんな不安げだ。風向きはよろしくない。

 こういう状況になると、すぐ過敏になって騒ぎ出す人間がどこにも必ずいて、深く考えもせずにパニック状態を作り出して喜んでいるようにも見える。最近もニュースで見たが、香港から帰国の飛行機に乗っていた人が咳き込んでいるのを見て、「香港 + せき + 流行のネタ = SARS」だ!! とパニックに陥る。まことに論理的な頭脳回路をお持ちである。

 そりゃいいけど(俺に関わりのない限り)、おかげで既にシンガポール発広島行きなんていうレアな路線が運休になったし、これからぼちぼち影響が及んできそうだ。

 これが今日の新知識の一つ。

 それから、今週は、中華系マレーシア人が、ご先祖に祈りをささげる時期だったらしい。受付のジーナが田舎へ帰っているのもそのためだそうで、なんというか日本で言う「お彼岸」のようなものらしい。

 これがもう一つの新知識。やっと謎が解けた。

 今週のあたまくらいから、御用達レストランの「ミーヨーク」(中のエコノミーライス屋に、例のシャクレの兄ちゃんがいる)、「サクセス」(ときどき行くとハトの糞を食らったりする)ともシャッターを硬く閉ざしていて、郊外の悲しさ、俺は他の店まで行く気力もなく、食いっぱぐれの欠食児童みたいになっていたのだが、別に店じまいしたわけではなかったのだ。

 現に、今日は久しぶりにサクセスがオープンしていた。
 実はどっちも同じ経営者の店で、荷物をまとめて田舎へ帰ったんじゃないか・・・と一度は悲しみに暮れたんだけど、「お彼岸」ももう終わりだそうで、来週は真人間の食生活に戻れそうだ。

2003年04月05日(土)



 ハッピーバースデーェ2

 今日は胸の大きいN尾さんに会えてハッピーな一日だった。
 照れ隠しあり。

2003年04月04日(金)



 どや? 気持ちエエか?(ぐふ)

 「”Good morning.”は日本語で「おはようございます」です」というのをやった。宿題で質問を書かせる。いろいろと聞いてくる。初級って疲れるなあ俺が。でもAnnさん(かわいい)よ、

「"angry”は にほんごで なんですか」

「"Please calm down.”は にほんごで なんですか」

あんた、これをいつ使う気やねん。

 やっと、リンゴを食べますたばこを吸いません、って言えるか言えないかの女の子に「まあまあ、落ち着いて」とか言われたら切ないやろうが。

 でもそれがマレーシアにあふれる日本語の現状かな、と思う。

 ドラマのVCDか、日系企業のだみ声おじさんの日本語しかリアルに耳に入ってこないことを考えると、やっぱりどっちかだろうな、と思う。

 そういえば先週も、まったく始まったばかりのクラスで、「それはボールペンですか、いいえこれはボールペンではありません」なんて授業が終わったあと、一人の女の子に「先生、“やろう”は何ですか」と聞かれた。

 「やろう」? マッチョです、と答えようかと思っていると「"キモチイイやろう?”の”やろう”は何ですか」。

 知るか。

 こういうの、げんなりと疲れる。でも授業中じゃないだけましで、俺も優しいから方言ですとか、いちおう教えてあげた。

 厳密には「気持ちエエやろ?」です、とは、ごめん教えませんでした。「どや? エエか? エエか?」です、とも言えませんでした。彼女がアドバンスクラスまで進むことを切に祈るばかりです。

2003年04月03日(木)



 負けるな! 新パパイヤ

 雨季か、と覚悟を決めたのに最近三日ほどさっぱり雨が降らなくてちょっとがっかりしている。
 新社会人、新入学生のみなさんオメデトウ。
・・・日記に書くことじゃないか。まあ言っちゃイカンということもないだろう。

 そう言えば去年の今ごろは俺も、1浪1留1プーの輝かしい経歴を経てマレーシア行きが決まったころで、つまりそろそろこの日記も一周年を迎えるということになる。

 まあ始めの半年くらいは非公開だったし、毎日1ヒット(俺)だったけど、とにかくいままでお付き合いしてくれた皆様には感謝の言葉もありません。My登録してくれた方々、どうもありがとうございました。これからもよろしく。もちろんこんなヨタ日記、つまんねえと思ったらいつでも解除しちゃってください。

 邦字紙『日馬プレス』で読者人気ぶっちぎり一位だったコンテンツ、四コママンガ「うたま」が、作者の「いさと」さん一家の帰国により幕を閉じてからしばらくたつ。新聞の一押しコンテンツが四コマというのもどうかと思うけれど、とにかくその後、まるで2代目をしょって立つかのように、ライバル紙(?)『南国新聞』で「パパイヤ」という4コマが始まったのだが、これが散々の悪評。

 内容は「うたま」と同様、駐在員妻のドタバタ日常という王道路線だが、絵がすごい。

 ほとんど殴り書きである。字もかなりのミミズ悪筆風だ。

 おかげで、記念すべき第一回では、電球を替えようとしたらバリッ! バラバラバラッ!(マレーシアでは普通に、電球が砕けて降ってくる)という図が恐ろしいまでの筆圧で、逆に妙にリアルに描かれていたのだが、「うたま」のヘタウマに慣れていたせいか、とにかく下手すぎ。汚い。むかつく。などなど評判が悪い。

 まあ、まず「うたま」直後という時期が悪かった。それから、駐妻の日常というネタじゃ、140回続いた「うたま」とかぶりまくるのもしょうがない。かわいそうに・・・と思う。

 俺はあの殴り書きにむしろ開き直った強さを感じたぞ。がんばれ「パパイヤ」。今日発行の最新号では「紙面の都合により」姿を消していたけれど、あくまでページのやりくり上の問題だと願っている。負けるな「パパイヤ」。めざせ単行本化。

2003年04月02日(水)



 誰にも嘘をつかれなかった素敵な一日

つまりざーんねん。今日は何もなしだよん。ごめんね。
4月か。はえー。はえー。

2003年04月01日(火)
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