ゆれるゆれる
てんのー



 おばあ来たる

 さすがに5月の台風はそんなにたいしたことなかったな。
 あれ。なんか藤沢とかでたいへんなことになってるけど。

 一週間ほど前から家にばあちゃんが来ている。
 この人が一人来ただけで二倍はうるさくなるのだが、本人は気付いていないのがイカスところ。耳も遠いのでこっちの声も二倍うるさくなるし。74歳にして、今食べた食器を洗いながら次の下ごしらえを始めるような、マニア的な主婦でもある。

 ばあちゃんは伯父さん(俺の母親の弟)と3世代同居なんだが、近所に話の通じないおじさんがいるらしく、グリルで魚を焼いても、ちょっとたくさん洗濯物を干してもいちいち文句をねじ込んでくるので、もういらいらして毎日よく寝られない、らしい。。。

 わけわからんおじさんのせいで、ばあちゃんが来ると毎回決まって焼き魚が晩飯のテーブルに並ぶのである。魚でいいなら思う存分、焼きまくって帰ってほしいものだ。

 今日はまた、こっちにいるうちに「豚の角煮」を作りたい、とのたまうのでスゲーなばあちゃん、と思ったけれど、よく聞いてみると「チャーシュー」の作り方を講釈しているのだった。

 どっちにしてもすごいけどね。
 そういえばみんなチャーシュー、チャーシューと騒ぐけれど、ラーメン屋とかで評判のチャーシューって「焼豚」ではなくて「煮豚」だよね。

 すると角煮もチャーシューも、違いはサイコロ状か薄切りか、程度のような気もするが。

 どうなんだろ。

 ばあちゃんは明日あたりやる気マンマンである。

2003年05月31日(土)



 堕落する堕落論。

 さっきひさしぶりに坂口安吾の『堕落論』を読み返した。

 なんだか可哀想なおじさんで、同情してしまう。
 40過ぎてから、寒いギャグひとつ書かずくそまじめに青春だとか日本文化とかの「論」を展開するなんて、確かにそのへんのおっさんとは違うだろうが、かわいそうに、「永遠の青年」のまま死んでしまったのだろう。

 とことん、常識に毒された「大人」になることを拒否した坂口の姿は、一つの答えにはなっているかもしれないけれど、おかげさまで、未成熟のままでいるということがどんなに情けなく、他人には不快な存在に映るかということがよくわかる。

 坂口は精神と肉体、というテーマにこだわった。気付けよ、精神を置き去りにして、肉体が古びていく醜さに。言葉ばかりもてあそんで、言っていることはガキの論理でしかない。

 戦後の出発点(標題作の「堕落論」は昭和21年)に、みつかるのはガキの論理ばかり。こんなエッセーで一躍、旗手として注目されたというのがすごい。

 だいたい憲法制定でもそうだし、現代かなづかいも、安保論議も、はじめっから目先しか見ていないレベルの低い意見が多くて、このへんの論争とか、今から見るとあぜんとする。

 いまでも、『堕落論』はけっこう読まれているけど、まさに50年かけて“白痴”にでもなってたんじゃないの、日本のワコウド。

 当時は『堕落論』さえもなかったんだからいいとして、いいかげん新しい『堕落論』が出てこないとおかしいわけで。

 人間は堕落するもんだ、とことん堕落してみろよ、

っていうまともな感覚さえも、なくなってきている感じさえする。閉塞感とも違うけれど、やっぱり保守的になってきてるんだろうなあ。
 まともって何だよ。ね。



 いつも12時までには更新しようと思うんだけど、どうしても書いてるうちに1時ぐらいになっちゃう。早い時間に来てくれるみなさん、ごめんなさいね。たいしたこと書いてるわけじゃないのに。

2003年05月29日(木)



 雲ゆき同盟通信

 気分を上向きにしたいときに聞くクラムボンの曲ランキング~。ぱふぱふぱふ
 ① Re-雲ゆき (Re-clammbon)
 ② 風邪をひいたひょうしに (JP)
 ③ EPIC (まちわびまちさび)

 っていうかマイブームな曲を書いてみた。詞とメロディの最高のコラボレート。
 つくづく、詞が生きているアーティスト好きなんですね。

 ①「Re-clammbon」のアレンジはいい。たいていのセルフカバーと違って、原曲がさらに生き生きしてる。そのなかでも鳥肌的に響く、歌詞を聞いて恋をしたくなる。
 ②ひょうひょうと元気にやっていこうという気になれる、実際に救ってもらった歌。マイナーだけどね。「今ごろみんな、何してるんだろ? こっちとあっち、うらやましいのはどっち?」
 ③名曲なんかじゃない。でも好きになっちゃったらおんなじ。「ガラスごし外は雨上がり テーブル挟んで、話はまだ尽きない」

 そう、どっかで誰かが読んでくれることを願って、書くわけです。
 他人に音楽の好みを押し付けるのとか大っ嫌いなiwammyさんの独り言でした。

2003年05月28日(水)



 やっぱり平和について。つまんない意見。

 今日はまた、地に足のつかない話。

 正義が揺らぐ時代。自由もまた、揺らぐ。

 「テロリズムは自由社会への挑戦であり、断じて許されない。」
 そのとき、挑戦する自由というのは認められない。テロを認める自由もない。

 謙遜について謙虚に語る人は少なく、貞節について純潔に語る人は少ない、とはパスカルの言葉だそうだ。つまり懐疑主義について疑ってかかる人は少なく、子どもについて天真に語る人は少ない、と、小林秀雄。

 たいていの人間はマイクを使って胸を張って「謙遜について」の講演を開き、「自由」という議題でCM入りまでにいかに論争相手をとっちめるか、朝まで六本木のテレビ局でがんばっている。

 自由について、自由な物の見方で語る人は少ない。


 たとえば、ひとつ。
 イラクの戦後処理で、国連決議でもアメリカの一人舞台だったという。
 最後まで武力行使に反対し、国連総会では拍手喝采を浴びていたフランスやドイツは、決議に関してほとんど何も影響力を持てなかった。

 今となっては、フランスやドイツのほうから、アメリカと関係を修復したいとすりより始める始末で、彼ら「協調路線」は完全に敗北したといっていい。

 そう、「僕らの自由」にとっての問題は、結果的に日本が「勝ち組」に入った、ということにある。

 勝ち組もへったくれもない、小泉さんは現時点で外交的に一番大成功している指導者の一人になってしまった。
 このまま「悪の枢軸」をつぶしにかかる勢いかもしれない。

 イギリスのあるメジャーな週刊誌は日本、アメリカ、イギリスを「善の枢軸」と呼んだそうで、さすがにイギリス人のブラックジョークはキレがあって鋭い。

 United Nationsをどうして「国際連合」と訳せるのか知らないが、結果的に「国連」を無視する戦争大好きな国と一緒に「枢軸国」入りを果たすなんて70年ぶりの快挙じゃないか。

 戦争反対、戦争は野蛮で不必要な人殺しだ、と良心的に叫ぶ人よ、じゃあ、今の日本の立場と、フランスの立場と、どちらが大きな発言力がある?

 もちろん、僕は戦争なんて絶対に経験したくない。今の憲法は、なんだかんだ言っても胸を張って世界の友人に自慢できるものだと思っている。

 その上で、聞きたいのだ、武力行使に反対するだけで、世界から戦争がなくなるか、と。
 フランスのように、発言力がなくなってもいいのか、と。


 そのフランス、パリに平和学研究所がある。
 いつか、戦略的平和学を勉強したいと思っている。ただ、ハンターイと叫ぶだけでは、絶対に戦争は続くと思うから。

 広島市長の秋葉さんはいつも言うのだ、「ヒロシマ、ナガサキに続く第3の核攻撃を今まで避けられたのは、被爆者たちの声があったから」

 やっぱり、その意見には限界があると思う、もしアメリカが実際に戦術核、小型核を使っても、小泉さんは「アメリカを支持する」としか言えないだろう。
「うなだれる広島市民」といった記事が新聞に載るだけだろう。

 それじゃ、あまりにも情けないじゃない?
 もっともっと、戦略的に行こうよ。と思う。
 ハイ、夢を一つばらしちゃいましたネ。黙って実行するようなかっこいい男になれたらなあ。

2003年05月27日(火)



 まじかよ

「にんにく」が歯にはさっちゃって。

2003年05月26日(月)



 アリエナーイ

 はあありえないありえない。

 うちはISDN回線である。何年か前に「ダイヤルアップはもう古い」ってんであわてて何万も出して(ルータ買ったりね)やり変えたらしいんだが、古いのはどっちやねんという話になってしまった。

 しかもありえないことに、その結果接続スピードは56.6kbps、ただのモデム接続なみ。

 どうやら、パソコンをルータにつなぎながら、あえてモデムを使ってネットにつなぐような謎の設定にしていたらしい。

 と、いちおうヘルプデスクみたいな仕事に行きはじめた弟がオタク口調で解説していた。

 じゃあ直しとけよヴォケ

 と言ったら、昨日直った。

 そしたら、今度はわしのノートPCでは接続できなくなってしまった。
 なんでも、ナンタラというケーブルのポートがないからプリンタポートに変換してつながなきゃならんのだが、通信ポートの設定上わしのにはLPTしかないからだめなんだそうである。??????。

 とにかくダメったらダメ!
 なのだそうで、つまり今うちのパソコンから接続している。
 メールとかどうしてくれんねん。
 ありえないありえない。

 しかもうちのPC(でかいVALUESTAR)、フォルダを開こうとすると「不正な処理を行ったので強制終了・・・」とかなってしまうのである。右クリックの「開く」でもだめ。

 ウィンドウズのエクスプローラそのものの問題、とヘルプデスク見習い氏はのたまう。

 さらにオフラインでいじっていても、ときどき勝手に接続しようとしたりして、あやしいことこのうえない。こりゃ再インストールじゃのう・・・

 しかししかし。そうすると唯一あとから組み込んだ「最強の囲碁2」も消えてしまう。本体のCDROMが行方不明な今、消してしまうわけにはいかない。

 あーありえないことだらけ。
 おっと、日曜日は囲碁中継の日。教育テレビ見んと(じじいとの対局者望む)。。。

2003年05月24日(土)



 同期の動機、探検する彼とよどむ俺

 今年、カープの2番は木村拓也だ。也の字に注意。
 本人がどう思っているかはともかく、メディアでの通称は「カープのキムタク」である。まあ仕方ないと言えば仕方ない。

 ひょろっとした体で、微妙に足が速く、守備もそつがない。バントとかきっちり決める。
 全身から「カープの選手です」というのがにじみ出ていていい感じだ。上岡龍太郎が一番嫌いなタイプである。

(何年か前テレビで上岡龍太郎が「カープは昔からセコイ野球しかしませんからね。そこまでして勝ちたいか、ゆう野球ですもん」と言っているのを聞いて、じゃあてめえら阪神は300年ぐらい負け続けてろよ勝手に、と広島人同士でののしったことがある。その後カープも阪神も毎年のように最下位争い。今年は・・・)

 さて、カープのキムタクはちょっとまえ、ローカルの正月番組でインタビューに答えて言っていたことがある。

「・・・そのうち、僕が『キムタク』で、向こうが『スマップのキムタク』と呼ばれるようになりますよ」

われらが「カープのキムタク」に乾杯。「漢」を感じた。そんな彼ももう30代。


『岳人』6月号に、探検記が一本載っている。

 西チベット最奥部、ヤルツァンポ河流域の単独行で、一部は初踏査だそうだ。この人は同じ大学の出身で、76年生まれだからあるいは同期かもしれない。まあそんなことはどうでもいい・・・とは、言えないんだな俺が俗物なせいで。

 なんというか、「高校野球の憂鬱」に近い、とでも言うか。
 小さいころ、暗くなってボールが見えなくなるまで近所で野球やってたころ、テレビに映る甲子園のお兄ちゃんたちは、ものすごく立派で、大きくて、かっこよく見えた。

 ふっ、と気づいた時には、「おう、こいつガキみたいな顔してエエ球投げるじゃん」とか言っている元・高校生の俺がいた。はじめて、あれ、いつのまに追い越しちゃったんだ・・・と思ったとき、なんだか恐ろしく寂しいような気がした。

 それに近い、ああ、俺はこういうことができる歳だけど、実際には何にもできていないんだな・・・と実感させられるような、うっすらとした焦りと諦めのような感情。

 つまりは嫉妬しているんだろうと思う。

 しかも、歳の問題だけじゃない、俺はもしチベットを旅行することはあっても、断崖絶壁を一人で潜り抜けていくような、探検と呼ばれる種類のことをすることはないだろうと半ば確信して、だから彼の探検記に嫉妬した。

 ものすごい発見をして、英国王立地理学協会で輝かしい講演をするオレ。日本へ帰ってコーヒーのCMに出たりしてるオレ。違いのわかるオレ。

 なんていう、いかにも俺らの世代が言いそうな微妙なボケを、読んでやりながら、やり場のないイライラを抱え込むのだ。

 イライライライライライライライライライライライライライライライライライ

 何がコーヒーじゃ。何がダバダ~じゃ。21世紀を生き抜くためには、マキシムのCMで歌っているのがクラムボンの郁子氏だということがわかっていればそれでいいのである。

2003年05月23日(金)



 出会いのヒケツ

 びっくりするぐらい今月の携帯代が安かった。
 いかん。まるで社会不適応みたいじゃないか。

 といって、用もないのに「おう。久しぶり~」と言うだけの半イタ電など、小心者の俺にはかけられるはずもない。だいたいメールにしても返事ならいくらでも書くが、自分から送るなんて絶対無理だ。
「久しぶり~!今なにやってんの?」なんてしらふで送ったメールとは思えない。

 だから、というわけじゃないが、もっと建設的な使い方に手を出そうと思い考えてみた。

 そう出会い系サイト。なんて前向きな使い方だろう。

 広島ぐらいの規模なら、けっこう微妙なバランスでいけるんじゃないか(←何が)と思ったのだが、いや・・・打ち返された。

 なんかね、いろいろ条件で検索できるじゃない。
 だけど件数自体が少ないから、「男女」以外は「こだわらない」にしないと出てこないのね。

 これがすごい。ほぼ全員「体型:ぽっちゃり」「体型:太っている」

 これってすっごい正直ってことなんだろうか。それとも広島の出会い系業界ではぽっちゃりが成功の秘訣なのか。わずかにいる「体型:普通」は43歳とか15歳未満とか。まあたしかに「体型:スリム」は選びづらいとは思いますが。スリムって。自分で言うかい。

 メッセージに笑いを期待したけど、なんか切実さがひしひしと伝わってきてあんまり面白くなかった。なんかやだガツガツしてて。

 けっこう大変そうです。みんなさみしいのね。日本人民。

 情報料かかるのに、わざわざ入会してまで送るわけないんだけどね。

 あーあ。楽しい出会いないかなーーー(笑

2003年05月21日(水)



 五月のクローバー

 今日はちょっとまじめな日記。あ、熱は下がったので妄想ともおわかれ。

 っていうのがね、最近ちょっと毎日更新ができてないでしょ。
 もうええわ。腹の中のことさらけ出してすっきりするのが日記の役目なんだし、がんがん書いていこ。

 もちろん、今は求職中の身なんだけど、なんで辞める前から計画的に動いてなかったかというと、できなかったから。

 家庭の事情で、突然帰ってくることになったのもあるけど、地方である地元に帰ってきたことで、ちょっとね、自分の設計が根本的に狂っちゃったというのがあるんですわ。

 あきらめた夢を語るのは、さすがに未練たらしいので控えるけど、一ついえるのは、広島なんか帰るつもりなかったってこと。正直に言えば東京へ「帰る」つもりだった。

 というのは、その夢を叶えていくのに、広島じゃ難しいことがあったから・・・。

 とにかく、それで、広島で生きていくんだとなったときに、何をしたいのか、その根本から、考え直さなくちゃいけなくなったので、こうして「立ち止まって」しまっているわけです。

 それでも、ゼロから将来を考え直して、大体の方向性はつかめてきたのだけど、毎日毎日・・・正確には、毎晩毎晩、自分は本当にそれでいいのか、堂々巡りの自問が続いてしまう。

 こないだ、広島の5月は8年ぶりだと書いたけど、高校を出てからとにかく、自分勝手でわがままし放題に過ごしてきた。まるで当たり前とでも言うように大学に進学して、しかも私立で、東京で、典型的にすねをかじった挙句、良く言えば夢を追うだとか、野望があるとかいうことになるだろうが、海外へ日本語を教えにいく・・・その先に続くはずだった計画も、結局は単純に自分のことしか考えていなかった。

 それができたのは、その環境を周りが、特に親が、与えてくれたからなのだ。

 家庭の事情、これはしゃれにもならないので自分の中で整理がつくまで書かないが、この事情がつきつけたのは、そんなごく当たり前のことだった。

 気づいたとき、自分の頭を殴りたい気がした。

 俺は、俺一人の力で、世界と出会い、すてきな友人たちと出会ってきたんだとばかり思っていた。

 おかげさまで、ちっとは自分の頭で考えられる人間になったように思う。あいかわらず金の稼げない人間ではあるけれど。
 もうちょっと立ち止まるかもしれないが、少しだけ待ってほしい。



 夢を追う、には意味が二つある、どこかにある宝物を探すのは、一つ目の夢追い。二つ目は、
 足元から世界を変えろ、ってね。

 決まったら、また報告するよ。それまで、アルコールも飲まないし。

2003年05月19日(月)



 だうん

 日記を書くような頭が働かん。むり熱さげてくれ
 「OL銭道」おもろいな

2003年05月16日(金)



 広島人が読む『灰の庭』

 体調最悪。21世紀はじめての風邪だ。

 あきらめて、本を読んだりしてすごした。デニス・ボック『灰の庭』。新刊の本を買って読むなんていつ以来だろう。しかもジャケ買い。 ←本でもジャケ?

 マンハッタン計画に加わった科学者と、子供のとき広島で被爆した女性。科学者の妻。出会っていた二人が、女性が映像作家になったことで、50年後カナダで再び出会う。

 カナダのトロントの近くに住むという著者は、一度も日本へ来たことがないそうで、調査と想像力はすごいもんだが、読んでまずは「これだからヨーロッパ人は・・・」(ごめん固定観念)。

 どうしてあのヨーロッパ人というのは(作者の親がドイツからの移民)、ものを言う、話を書くとなると、さもワタシ頭いいんですみたいな「ウィット」とか「エスプリ」とかいうのかね、ああいうのに引きずられちゃうんだろう。

 かなり興味の持ちづらい人間の内面とか、象徴とかについて観念的に語りすぎ。

 頭でっかちで、しかもそこから話がぜんぜん膨らんでいかないのは恐れ入る。

 小説として面白いかどうかは別にして、この作品は「広島」という存在についておもしろい石を投げ込んだとは思う。情景のディテールとか、日本人の描写の不自然さとか(この人はかなり上手だが)は、問題じゃない。

 いやね、いわゆる「原爆文学」という一群のうち、ほとんどは読んだことがないんだけど、それは理由もへったくれも、読む前にすでにつまんなそうなんだよね。

 それこそ、原民喜の原爆三部作(『夏の花』あたり)の迫力や井伏鱒二『黒い雨』の執念で十分だと思う。

 『はだしのゲン』という、もはやマンガの域を超えた傑作だってある。

 ただ、『灰の庭』で新鮮だったのは、アントンという科学者が、自ら一員となって生み出した原爆の惨禍について、自己弁護もしなければ卑下もしないという、かなり毅然とした態度だった。

 彼は簡単に言う、「戦争を終わらせるために必要だった。だから仕事を遂行した」。

 エミコという被爆した女性は、顔に負った大やけどの治療のため、思春期に醜く焼け膨れた顔をマスコミにさらしながらアメリカに渡る。これは「原爆乙女の渡米」という、実際の歴史に基づいているが、このとき数多い負傷者の中で彼女が特に手術を受けられる「幸運」を手にした背景に、アントンが関わっていた・・・という話が、だんだん盛り上がっていく(読む予定の人いたらごめん)。

 そして、日本人であるエミコ(と僕)は「文明の衝突」の小さな、しかし明らかな例にぶち当たる。冒頭から散りばめられた暗喩と一緒に。

「困っている人がいた。だから助けた。」
「ささやかなプレゼントだよ。」
「私は自由をあげたんだ。それだけだ。」

 エミコは反発する、それは私が選んだ選択じゃない。私の人生の問題だ。
 彼女は決して、偽善者などと彼をなじりはしない。たぶん、その表現は間違っているし、彼もそんな罵声など気にしないだろう。

 自由をプレゼントする。この発想こそが、世界を滅ぼす言葉なのに。

 労働が、自由をつくる(Arbeit Macht Frei.)
 帝国からの解放、大東亜共栄圏。
 独裁者の追放、民主国家の建設。自由と正義に栄光あれ。

 この小説が最初に出たのは9・11の前だ。なのに、なんと今これを読む僕に衝撃と恐怖を与えてくれることだろう。いやいや、できの悪い冗談でなく。

2003年05月15日(木)



 弱い子

 プーのくせにいっちょまえに体調を崩してしまった。
 プーだからというべきか。ええ緊張感に欠けてますとも。と日記を休んだ言い訳をしてみる。

 喉がひりひり痛い。痰がからむ。頭がじくじくと痛い。ノートPCの液晶なんか見るだけでむかつく。今日なんか寒気がする。

 鼻炎もちだから、風邪の引き始めを感じるのがいつも遅れるのだ。

 なんとなく、中国行ってきたんだ~と言ってみたくなる。

 ふと考えてみると、広島で5月を過ごすのはなんと8年ぶりだ。大学に5年もいたりするからいけないんだが、なんとなくすげえ。ちょっと周りの風景をいとおしく眺めてみた。

 広島の雨って、やさしくてすごくいい。

 ああ体も頭も弱ってきてるらしい。オンマニペメフン。南無観世音菩薩。

2003年05月14日(水)



 首吊り夢、飛び降り夢・・・

 なんかすぐに疲れる(年寄りみたいな書き出しだな)。周りにちょっときいてみたら、姿勢が悪いといわれた。

 右と左で肩の高さがぜんぜん、ちがうのが、内臓にも負担をかけているんだそうだ。

 それで2か月ほど前から、寝る前に横になって腰をふりふり(例の通販のやつみたいに)する体操を、すすめられるままやっているんだが、まるで利いてきた感じがしない。

 ヨガのなんたらという体操で、毎日欠かさず半年やったら姿勢がまっすぐに直った、という知り合いの体験談だけを頼りにやってきたのはいいけど、考えてみたら毎日というのは俺にはかなり無理。

 酒飲んだ日はまちがいなく休んでるし、女の子を連れ込んで別の方向に腰をふりふりの夜も・・・あ、これはやってねえや(鬱
 ↑
 って一人ボケが真剣に鬱

 だいたい、しょっちゅう居間でぐえ~、と寝入ってしまう人間に効き目があるとは思えなくなってきた。

 証明写真なんか撮ると、露骨に右に傾いていて、見るたびにへこむし、ちょっと距離を歩くとまず右足の付け根がこすれるように痛くなってくるしで、傍目には老人歩きみたいとか言われる。

 首から体をぶら下げて、水平に保たせて体のねじれを「ぐきぐきっ」と直してもらう、という夢をよく見る。すっげー気持ちよさそうなの。その後の自分の姿が、どう見ても首吊りそのもので、しかもうれしそうな顔をしてるから夢としては気持ちよくないのだが。

 整体でやってもらうのと同じなんだろうが、痛そうだし行きたくないなあ。でも利いたらその後は気持ちいいのかな。

 夢といえば、去年ぐらいまでは遥か下の地面めがけて落ちていって、激突して体がぐちゃぐちゃになる瞬間に目が覚めるというやつをよく見たが、最近なくなった。あれも妙に気持ちのいい夢だった。

 書いてみるとなんだか嫌だなあ。やばい奴みたいじゃん。

2003年05月12日(月)



 親戚と遊ぶ 翌日

 昨日は気取ったような日記を書いたが、実際にはお寺での法事が終わるや否や、豪勢な弁当を食らいビールを浴びるようにいただき、久しぶりに会った親戚のガキンチョ(これが全員そろって女の子)に「ヨッパライの兄ちゃん」呼ばわりされる始末だった。

 結局夕方焼肉屋に行っちゃビールを飲み、戻ってきてまた飲み、子供組でボーリングに行っちゃ飲み、風呂上りにまた飲み、とくれば、ヨッパライ以外の何者でもないけど、きっと名前さえ覚えてくれなかったと思うのだ。泣。

 朝起きると、見知らぬ兄ちゃんにもさすがに慣れてきたのか、今度はおんぶとだっこの催促。同年代の男というのがいないので、哀れな騎馬は姫君を乗せて、「行け~!」「左~!」「二階~!」「今度サオリ、サオリの番~!」とご命令のままに、駆けずり回ったのでありました。

 一時間近く「馬車馬のように」働いたところで、26歳の腰は「ピシッ」と物悲しい音を立て、限界をさらけ出して引退した。おい、今もいてーんですが・・・。

 僕が一番年上だから、つまんねーなあどいつもこいつもただのガキで・・・と思っていたのだが、いつの間にか二番目の年上は18歳になっていて、びっくりするほど美人になっている。大学に入ったり働き始めたりしていて僕などよりしっかりしている。
「26歳には見えんね」というヨイショに単純に喜んでいると「でもプーじゃね・・・」。はいすいません。泣。

 疲れたけど楽しかったような、やっぱり年をとるのに落ち込んだような、微妙な週末ですた。

2003年05月11日(日)



 祖父の三回忌

 祖父の法事に行った。まだ3回忌だからたくさんの親戚が集まった。

 祖父はほとんど10年間、パーキンソン病で寝たきりが続いたから、最期のころは骨と皮ばかりになっていたが、意識ははっきりしていたようで、時々涙を流していたのがつらかった。

 命日は6月8日だったが、おととしのその頃、僕は一ヶ月あまり韓国と中国をうろついて帰ってきたばかりだった。なんとなく、僕が帰るのを待っていてくれたような気がした。

 戦前、子供のころの祖父は上海に住んでいた。立派な家並みが続いていたこと、中国人の子供の家へ遊びに行ったこと、近所に住んでいた「青い目の」フランスの女の子がそれはそれは可愛らしかったこと・・・。

 祖母以外の人には、自分のことなどほとんど話さない人だったけれど、たった一度中国の思い出を話してくれたことがあった。

 蘇州へ日帰り旅行に行って、初めて大陸の大きいのに驚いたこと。道がまっすぐで、広うて、ずっと向こうまで続いとる。・・・空が広うてのう・・・中国はええ所よ・・・。

 四十九日が済んで、祖母は「中国のころのことは、私ゃ分からんが、おじいさんの人生で一番楽しい思い出じゃったんじゃ、思うよ。いつか、一緒に行こうね、言うとったんじゃがねえ」としみじみ言った。

 祖父の身寄りは早くに亡くなったから、その後上海暮らしを覚えている人はいない。身内で上海を訪れたという人もいない。僕が中国旅行の最後に上海の地面に立ったとき、「うちの一族でここに来たのは、じいちゃん以来だ」と思うと、なにか高揚するものがあった。

 もちろん、旅行に行ったころは、じいちゃんの具合がそんなに悪いとは思いもしなかったから、そんな話を思い出したのもたまたまだった。でも、日本へ帰ったら、じいちゃんに見舞いがてら自慢しに行こうと思った。

「じいちゃん、行ってきたよ。上海、見てきたよ。ええじゃろ!! 船で上海から帰ってきたんじゃけ、じいちゃんとおんなじじゃ。」
それが、亡くなるほんの一週間前のことだった。

 旅の途中、急に、その週の船で帰ろうと思ったのだ。
 今でも、帰ってこい、そして話を聞かせろ、という祖父のメッセージだったと思っている。そして、僕を待っていてくれたんだと思っている。

2003年05月10日(土)



 「二つ玉低気圧の森林(限界)」

 雨は当分やみさうもない。
 彼奴のことを考へたつて、こんな夜には無理ないことです、
 だつて彼奴と別れた朝を、好く晴れてゐたと覚えてゐるのだ

 彼奴を尊敬してゐたなんて、
 是れつぽつちも思やしませんが、

 唯、思ふのは、お前は誰? そのときお前は何だつたのだ?
 いつたい、お前は誰なのだ?

 「こんな二つ玉低気圧の通過する日には、山に登つてはいけない、
 稜線はきつと台風なみの悪天が支配する、冥王Hadesの領域になつてゐる。」
 閉塞前線は正確に我々を絶望させやうとするでせう。
 だが、彼奴のニュースを聞いたとき、東京の空は晴れてゐた、
 彼奴の稜線に低気圧はゐなかつた

 この雨の森は生命の匂ひ
 Hadesなんかはゐやしない
 まだ見たことのない一服剱で、そのときHadesの空は晴れてた。



**********

[以前書いたのが出てきた。いまでも、本気で彼のことを悼んでいたのか、疑問に苦しむときがある。]

2003年05月07日(水)



 ゴーヤチャンプルーのチャンプルーは、マレー語。

今日は鬱屈する気持ちをゴーヤチャンプルーにごっつり盛り込んだ。
ほめられるのをいいことに何度も作っているうちに、いつのまにか一番の得意料理になりつつある。

 料理で人柄が分かるというのはきっとその通りなんだろうが、他に得意なものといえば星洲米粉(シンガポールビーフン)、特製キムチ焼きうどん「オール巨人」(昔テレビでオール巨人が作ってたらしい)、鍋で炊くふっくらご飯、あたりなんですけど、これでどんな人柄だって言うんだろ。

 ご飯は、これだけでビールを飲んでしまったくらいで、かなり自信がある。
 山に行ったときにはもちろん役に立つけど、電気を止められたときでも飯が食えるという安心感は何ものにも換えがたい。
 暗闇でご飯を炊くあの倒錯した快感、たまりませんな。そんな日は冷蔵庫のものも処分がてら全部食ったりして、妙に豪華な晩飯になってますます倒錯にふけるのだ。
 今は実家だから俺も味わえないけどね。

 何の話だっけ。あーゴーヤチャンプルー。
 おいしいでした。おしまい。

 今日の発見、「やおい」って「ヤマ無し、オチ無し、イミ無し」の略だったのね。俺はてっきり矢追かと。

2003年05月06日(火)



 作者の心配

 きょうはあなごめしをくったぞ。だんだん短く飛び飛びになる日記。

2003年05月05日(月)



 リコリス

 登りましたよ、山。
 里山あるき好き、ほとんど爺さんです。今回のターゲットは広島市内の呉裟々宇(ごさそう)山、600メートルぐらい。

 通ってた小学校の校歌に出てくるぐらいで、子供の頃は庭にしてた山だけど、引っ越してから寄り付きもしなかったので、えーと13年ぶりか。バスに乗って、あそこまだ残ってる、あれがなくなってる、とかひとしきり騒いでから、小学校の頃住んでたアパートの裏山に取り付く。

 山道は、やっぱり10年20年じゃそうそう変わりもしない。作りかけちゃあ上級生にリャクダツされ、ハカイされた秘密基地の場所を、全部はっきり覚えているのはわれながら笑えた。

 直射日光の登山道はとても暑かった。早くも、セミが鳴きわめくのが聞こえた。毎日のように山道で遊んでいたけれど、山頂まで行くのはかつて大冒険だった。だけど、今日は1時間もしないうちに着いてしまった。

 隣町の府中町のキャンプ場に降りて、バスで中心部に戻ると、今日もやってる広島フラワーフェスティバルが大盛り上がり。
 なんだか巨大な学園祭にしか見えなかったけれど、これで3日間で140万人集めるって言うんだからすごい話だ。
 ちょうどday after tomorrowとかどっかで名前を聞いたような人たちがステージでライブをやっていた。
 他に島谷ひとみや夏川りみも来るんだそうで、おととしの島崎和歌子などよりは地味に進化している感じがする。

 さてdayなんとかは、歌うまいんだけど、ふーん売れるんじゃないの、程度で、あんまり響かなかった。
 そのとなりのステージで隠れるようにやっていたリコリスというユニットに心を動かされた。まばらな聴衆に「こんなに集まってくれてうれしいです」という謙虚さがいい。
 歌が響いてギターが物静かでキーボードが起きてんのか寝てんのかわからないところがいい。
 彼らのステージについてコメントなんて誰もしてないだろうから、俺が代わりに言っておこう。全部コピー曲だったけど、オリジナリティすごくでてたよ。終わりの頃にみんなが足を止めて、人だかりになったのは実力だよ、「思っても見ませんでした」なんて謙遜せずにまた頑張ってねー。以上。

2003年05月04日(日)



 天国の口、終りの楽園。

 日々は続く。

『天国の口、終りの楽園。』(“Y Tu Mamá También”)を観た。

 ネタに事欠いて観たビデオを持ち出すなんてかなりよくない兆候だ(しかも延滞)。ま、ネタ切れじゃなければいいんだよね。書くことはいろいろあって困らないけど、今日は映画ネタで。ふふ。

 メキシコシティーの、おくすり吸いまくりの兄ちゃん2人が、ねえちゃん一人連れ出して「伝説の海岸」めざして出発・・・ロードムービーと呼ぶんだろうが、なんとなく映画評論家の憂鬱を覗いた気がした。

 こういう映画が、こぞって評価の上位に来るというのがいかにも訳知り顔な匂いがしてあやしい。本気で心を動かされた、面白いと思っているんだろうか。

 話自体は、そんなに派手でもなければまとまりがいいのでもない。あんまり人物が書き込まれている感じもしない。

 青春もの、に入るらしい。こんなとこでネタバレすんのもあまりに気が利かないので詳しくは書かないが、エンディングはひいてしまった。
 唐突に咳き込むみたいにして終わるところは、なんとなく日本映画みたいだ。
 ただ雰囲気としてはあの隠れた名作『渚のシンドバッド』を思い出す
(ブレーク前、黒髪太まゆの浜崎あゆみがイカシタ映画だった。話はぜんぜん違うけどよかった)。

 『天国~』で、途中さりげなく映りこむメキシコの風景は素晴らしい。
 撮り方が独特で、メッセージがあるようなないような、微妙な感覚は、アングロサクソン人には撮れまい。
 伝説の砂浜などより、通り過ぎる軍の検問や、故障で立ち寄った小さな町の老婆の姿に、ぞくぞくさせられた。
 これだけでも正直、観たかいがあった。

 観た人、いますかねえ。とくにスクリーンで。
 きれいだろうなあ。感想聞きたいなあ。

2003年05月02日(金)



 へ考

「はーいジョンさん、しばらくですね~。お元気ですか~」
「あー。こちらは恋人ですか? これからどこへ行きますか? ・・・そうですか、デパートへコンピューターを買いに行きますか。いいですね~」

とまあ、初級のうちは日本語教師自らもこんなヘタレ外国人みたいな日本語しか使ってはいけない。教科書に出てくる文型限定だから。教科書語彙・表現はたとえば

 (お)ひさしぶり → しばらくですね
 彼氏 / 彼女 → こいびと
 パソコン → コンピューター
 卓球 → ピンポン
 ~なきゃいけない、~なくちゃならない、~ないといけない → ~なければなりません

 などなど、わざわざ使わないほうを選んだだろう的語彙で統一しているので、あんまり長いこと学習者と仲良く話していると、日本人と普通に話していても「あいつの自動車がさあ」などと口走って一人赤面する、という罠にはまる。たぶん先生たちはたいてい食らってると思う。

 それでも、学習者相手につい「~なければいけません」なんて言ってしまうと混乱必至、おおごとなので、けっこう早いうちに、あっさりとこのティーチャートークを会得してしまうものだ。

 たとえば教科書によって「東京に行く」「東京へ行く」という違いがあって、人によってテキストが違ったりすると気を遣う。授業中は間違えないからいいが、街中で偶然会ったりするとドキドキもん。

 それはともかく、「に」と「へ」は違う。

 「に」が目的地なのに対して(新宿に着く、シュートがゴール右隅に突き刺さる)、「へ」は漠然と方向を指し示すだけ(東へ向かう、奥のほうへどうぞ)。「へ」には「辺」という、れっきとした漢字がある。「ここら辺」て感じで。ここまでは調べりゃわかる。

 はっきり目的地を言うのなら、「に」が正しいんだけど、「へ」も使ってきたのは、「あいまいに言うのが礼儀」という日本の伝統が大きいからだと思っている。ここからは俺の考えね。

 礼儀というだけじゃなく、露骨な表現は「罰が当たる」という感覚がある。遠まわしに言わないと、対象の「霊力、みたま」にアテられる、という感覚は、今でも根強くあるはずだ。

 縁起でもないこと、言わないで! なんて言われたら「古臭いなあ」と思う人でも、「実は先週祖父が交通事故で亡くなりまして」とは言わないはずだ。身内に不幸がありまして、ぐらいが自然だし、周りを心配させるのは最小限にしたい、と思うはずだ。

 畏れ多いものやヨクワカラナイもの(例の場合は「死」、他にも目上の人、初対面の人や特に「よそ者」、災害、事故や犯罪などなど、つまりヨクワカラナイゆえに自分に危害や悪影響が及ぶ恐れがあるもの)は、目に見えない精神的エネルギーを持っている。

 そのエネルギーを刺激しないように、ことさら遠まわしに、あいまいに言ってきたのが、文法だけじゃ説明できない「実際に使われてきた日本語」というものだ。

 身内に不幸がありまして、と言う人は、「人が死んだ」という事実がもつ強いエネルギーが他の人に影響しないよう、遠まわしな表現をして「気を使っている」。

 たぶん、昔は「☆☆神社に行く」とか「江戸に行く」なんて言わず、「ちょっと☆☆さんへ」「☆☆さんまで」とか、「主人は江戸へ行っとりまして」と言ったはずだ。神社や、江戸は、恐れるべき対象だった。だから、露骨に指し示さず、ぼかして言う必要があった。

 同じように、今でも目上の人(部長とかお客様とか)に対しては、「へ」を使ってやわらかく言うのが、一般的だ。
「本社にお帰りになりますか」は敬語としてやや失格なのだ。「これから本社のほうへお戻りですか」ぐらいで釣り合う感じで、文法で言えば「へ」には元々「のほう」という意味があるから過剰敬語のような気もするけど、これは「感じ」というしかない。

『チーズはどこに消えた?』『ジョニーは戦場に行った』なんて、翻訳だからこそ「に」が使ってあるので、これを「へ」に換えたら、微妙に(しかし明らかに)意味が違ってくるのが分かるだろう。

 「に」「へ」を使い分けている人は(日本語教師はともかく)少ない。でも、アナウンサーにはたまに意識しているな、という人もいて、それに気づくと個人的にその人のことがすごく好きになる。俺はこの一点でアナウンサーを判断しているといっていい。

 助詞に比べれば、よく言われるガギグゲゴの鼻濁音なんてミミズのうんこみたいなもんなのにね。

 多いんだ、ほんとに頭わるそうなアナウンサー。向上心ないんだろうな。あと、新聞やさんもね・・・


2003年05月01日(木)
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