ゆれるゆれる
てんのー



 死んだ犬の骨組み

 一ヶ月前、晩飯を食いに行く路上で、白い犬が車にはねられて死んでいるのを見つけた。
 次の日、犬の死体は歩道に寄せられていた。

 週に一度くらいしかそこを通らないので、そのうち誰かが片付けるのだろうと気にもしなかった。

 三週間前、そのままに打ち捨てられていた犬の死体は、毛が茶色く変色していた。縮んでいたが、形は崩れもしておらず、なんとなく不思議な感じがした。

 二週間前、何となく目をそらし気味にそこを通ったとき、犬の死体はなぜか下半身だけになっていた。

 先週の日曜日、誰も片付けるわけがないと悟ったから、妙に期待するような気持ちで、そこを通った。犬の死体は、そう言われなければ分からないほどになっていた。下半身の毛皮だけが、ぼろきれのように歩道にへばりついていた。歩道はそのあたりだけ直径五十センチほど黒ずんでいた。肉の部分はまるで雨に溶けて排水溝にでも流れ込んだようだった。

 今日、またそこを通った。犬のぼろきれは、薄暗い街灯の灯りを照り返して、白く浮き上がって見えた。風の具合だと思うが、毛皮の上に、棒切れがちょこんと乗っていた。

2003年03月31日(月)



 お前が甘いんだぜ、熱いぜ!! (ひゃっほい)

 2ヶ月ぶりにスーパーで買い物をした。めんどくさがりの俺としては賞賛されるべき行事だ。

 気合が入っているので、すべての棚から何かしらカゴに放り込みそうになるのを、なんとか心で制して、厳選された食材のみを厳選された量だけ選び取っていく。

 それにしてはあんまり重くなったので、ちょっと確かめてみたら、マレー風の干し柿500グラムとか、スペシャルプライスのマンゴーとか、不要不急のものもいくつか見受けられたが、まあこの俺がスーパーまで来たのだから許すことにして、帰りはタクシーを使うか・・・と優雅な気持ちでレジに並んだのが、よくなかった。

 マレーシアのスーパーのレジというのはどうして、いつも研修中の新人しかいないのか毎回ながら不思議に思う。無事に新人研修の名札が外れると、すぐにもあのサボリ放題の、客の邪魔しかしない棚出しに回るのだろうか。

 おかげで、こんな日曜の夕方など、切なくなるほどの混雑ぶりである。

 優雅な気分の俺はサイフの小銭が消えていくのにも喜びつつ、不慣れな手つきの店員から2袋を受け取って、珍しくタクシーをかなり値切って家へ帰った。

 物を買って何がわくわくすると言って、自分の部屋に戻ってから買ってきた本の紙袋を破く瞬間と、スーパーで買ってきたこまごまを冷蔵庫冷凍庫に割り振る瞬間、これほどのアドレナリン汁モノはない。

「あれ・・・」

 いやーな予感はあった。冷たいあの手触りがないな、と気づいていたのだ。

 ない。
 買ったはずの、そもそも今日はほとんどそれを買いに行ったはずの、お徳用スライスチーズと冷凍チキンのハンバーグ10枚入りが、どこにもない。
 タクシー? いや、相乗りだったし何一つ手放さなかった。
 そうだ、レジだ。2袋ではなく3袋だったのだ。

 小物ばかり10品たらずの品物を、3つに分けるとは思いもしなかった俺が、それは悪い。
 でも気づいたら呼び止めてほしかった。ってか気づいてくれよ混んでても。

 俺の2ヶ月分のお買い上げ金額のほぼ半分を占める、いちばん軽くていちばん高価な一袋を置いてきてやったのだ。次に行ったときは(2ヵ月後かと思うが)「その節はどうも」ぐらい言ってほしいものだ。

***

 クラムボンの原田郁子(195)氏が、公式サイトに書き込みを寄せて、こんなことを言っている。彼女はツアー先の鹿児島で、桜島から月が昇るのを見て、地球の廻るスピードに驚いて、「・・・N.Y.も、平壌も、バグダッドも、自分も、みんな一緒に廻ってるのを、想像しました。」

マレーシアも、もちろん一緒に廻っている。なぜだかしらないが、いい気持ちがする。そして、郁子氏は「そっから、月を見上げてる人達を、想像してみました。」

 ツキミストからの提言、たまには月を見よう。
 上空を見上げる目が、誰にとっても、恐怖のそれでなく、安らぎのそれであるように。
 爆弾でなく、白銀色の静かな光が支配する空であるように、たまには祈らせてほしい。


2003年03月30日(日)



 シャクレの兄ちゃん

 いつも世話になっているエコノミーライス(ぶっかけ飯)屋の店員がまた「元気?」と聞いてくる。あごがとんがっているのでシャクレの兄ちゃんと呼んでいるその店員は、どこからともなく日本語を仕入れてくるらしい。

 今日は僕のほうから「元気?」と聞いてみたら「元気じゃよ」と答えていた。
 返事は「元気じゃよ」でOK? と聞いてくるので、OK、OKと答えておいた。

2003年03月29日(土)



 僕は一生懸命郷に従おうとする

 さてどうすれば利するだらうか、とか
 どうすれば哂
(わら)はれないですむだらうか、とかと
 要するに人を相手の思惑に
 明けくれすぐす、世の人々よ、

 僕はあなたがたの心も尤もと感じ
 一生懸命郷に従つてもみたのだが
 
 今日また自分に帰るのだ
 ひつぱつたゴムを手離したやうに

 さうしてこの怠惰の窗の中から
 扇のかたちに食指をひろげ

 青空を喫ふ 閑を嚥む
 蛙さながら水に泛んで

 夜は夜とて星をみる
 あゝ 空の奥、空の奥。

中原中也 「憔悴」V、『山羊の歌』所収



 詩人は世間に適応しようと手を尽くして、夜にまた自分に帰る。ちょうど引っ張ったゴムを手離すように。
 僕はこの歌詠みのように、発狂してこの世から消えうせてしまうほどの強力な自分を持っていないし、自分であるために一生、貧乏でいてもいいとも思わない。
 世の中は金じゃない、と言う君よ、ならその金を私の前に全部出してみろ。
 そんな歌も、以前目にしたようだ。

 ああ、空の奥、空の奥。何があるというのか? まさか偵察衛星の軌跡じゃあるまい。

2003年03月28日(金)



 0.90

 一時間弱もパソコンの前でうなっていたが、まるっきり書くことが見つからないので、今日は何もなし。
 黙って、明日の授業の準備でもします。
 と言いつつ、電話線を差し込んでいる俺がいるわけだが・・・。
 一時間接続しても電話代は90セン(27円)、アヘンをただでばら撒くようなもので、危険極まりない。

2003年03月27日(木)



 一青窈を知った日、と、明け方

 まずお知らせ。この日記専用の掲示板をつけました。 画面左下でございます。飛べない人は[こちら]からぽちっと。
 感想、反論、意見、突っ込み、など考えられる反応はたいてい歓迎します。中傷とかめんどくさいことしないでね。荒らさないでねっ。チュ。

 ちょっとサイトを更新しようとしたら明け方。頭すべて使い切った、もうだめぽ
 とか日本語教師がだめだめな日本語を使ってみるテスト!

 今日初めて一青窈とかいう人の歌を聞いた。読み方も当然今日知った。「よう」はともかく「ひとと」って何だ。
 ふーん、人気なんだ。

 どっかで聞いたような、と思っていたら、にわかに北京語で歌い始め、一気に謎が解けた。うーむ、チャイニーズポップスの王道的コード進行&エフェクトではないか。
 うーむ、そんなら始めからチャイニーズ聞いてりゃいいか。マレーシアには浴びるほどあるんだし・・・。

2003年03月26日(水)



 じゃあ、俺に何ができる? 考えてみますた。

 暇だからって、わざわざイラクへ行って「人間の盾」だなんてふざけんな、と戦争が始まった日に書いたのだが、どうも問題は単純じゃないらしい。

 本を読んでいても、広いとか広告とかとにかく「広」という漢字にいちいち反応してしまうくらいの広島人なので、反戦運動には(自分は参加しないけど)もちろん敬意を持っている。
 こんどの開戦でも、出るだろうな・・・と思っていたらやっぱり出た。
 手をつないで原爆ドームを囲んだそうだ。
 人の列は二重にもなったそうだ。ヒロシマは許さない・・・。
 同じ安全なところにいても、いやだいやだ、おおこわい・・・と一人で縮こまっている俺と、ソレ鬼畜ブッシュがやりやがった、いくぞ野郎共! と、てきぱきと企画して原爆ドームを取り囲んでしまう活動家ならびに反戦市民と、どっちが行動的かは、言うまでもない。
 飛ぶ前に見るタイプの俺は、ひそかに思うのだ。
 ねえ、囲んだのは分かったけど、だから何なんだ?

 大国のエゴで、核実験は繰り返され、原爆慰霊碑の前ではもう何百回となく「座り込みの抗議」が行われている。全国ニュースはいざ知らず、広島の地域ニュースはどんなにこの抗議のニュース価値がゼロに近づこうと、そのたびに必ず取り上げて報道する。
「最高気温が36度を記録した今日、アメリカの核実験を受けて高齢の被爆者たちが炎天下の原爆慰霊碑前で座り込みを実施し、無言の抗議を繰り広げました」
こんな感じで、原稿もフォーマット通り読んでほとんど問題ないと思う。
 申し訳ないとは思いつつ、でもどうしても思ってしまうのだ。
 ねえ、ご苦労様、でもそれがどうしたんだ?

 シンプルな主張のもとに集まった集団は団結しやすい。難しい問題について集団を作ろうとすると、どうしても少しづつ違うけれど似たような集団がたくさん出来上がる。
 そして、主張のある集団は思想性を帯びる。しかたのないことだ。
 広島の、いや日本の被爆者団体は不幸な歴史をたどった。
 今の状況から考えると、くだらないとしか言いようのない路線対立をきっかけに、大きく二つに分かれてしまい、核兵器に対する強力な反対運動ができる数少ないブランド「ヒロシマ」「ナガサキ」は世界の中で、まるで力を失ってしまった。
 そして今では、自分の口で意見も言わず、黙りこくって自分の町の地べたに座り込むことしかできない。

 初めて「座り込み」抗議を思いつき、実行した人は、えらかった。
 おそらく、僕などでは想像もできないほど、世界に与えた衝撃も大きかったと思う。
 ガンジーの非暴力・不服従を下敷きにした、力強いメッセージがそこにはあった。
 だけど、毎度毎度の「座り込み」は、いつのまにか安易な「反戦してます」記号になりさがり、しかも、その跡を受け継ぐはずの世代の「反戦運動」に、決定的な欠陥を引き継いでしまった。つまり、どうして座り込むことが戦争反対の意思表示になるのか、という根本のところについてまで、だんまりを決めこんでしまったのだ。
 おかげさまで、「それらしいマーク(ノボリ、横断幕など)」と「それらしいシンボル(原爆ドーム、赤ちゃんの写真など)」があれば、主張など二の次でよくなったのだ。少なくとも、メディアの扱いで言えば。
 右を見てごらん。左を見てごらん。原爆ドームを取り囲もう。広島から長崎まで歩いてみよう。「ピースウォーク」とか、若者が寄り付きそうなヨコモジにしとけばテレビも来るだろ。

 日本の平和団体やらNGOやらがこぞってカタカナ名なのが胡散臭くてならない。
 ほんとに主張があれば、ほんとに目的がはっきりしていれば、音の響きだけで適当な英語名をつけたりはしないと思うのだ。平和を求める名前が米英語というのも皮肉としてはアリだろうが。

 みんなで手をつなごー?
 顔あらって出直して来い。

2003年03月25日(火)



 雨粒のdot 偶然鳴らしたoto

 最近ほとんど毎日かなり強い雨が降る。常にいいかげんなマレーシア人もさすがに「雨季だろう、たぶん」と言っている。

 今日の、昼過ぎから降り出したやつはこの1年でも指折りのすさまじさで、ハリウッド映画みたいに目の前にビシャビシャバシバシと稲妻が降り注いだ。そうするといろいろなことが起こる。

 マレーシアの車は、遠隔操作でドアをロックすると「キョキョキョッ」と妙な音を発する。そして下手に動かすと「ぴよーんぴよーんぴよーん!!!」と天地をつんざくようなサイレンを発する。どちらももちろん盗難防止のサービスなのだが、どうも感度を上げすぎたのか、雷雨が降ると街のあちこちからこの「ぴよーんぴよーん!」が鳴り響いてくる。ローカルの人に聞くと、雨と風で車が動いたせいだというのだが、持ち主がいつまでも現れず数十分間も甲高い悲鳴のようなサイレンを聞いていると、なんだかやるせなくなってくる。

 特に夜中の大雨だと、適当に停めてある車があちこちで叫びだし、しかも金輪際持ち主など来ないわけだから、むしろ俺自らが鉄パイプなど持って犯罪に走りたくなってくる。こないだも夜中の3時前にこれで起こされて、本気で考えてしまった。

 意味ないじゃん警報サービス! と言いたいのはもちろんなんだが、ここで愚痴を言うほうがもっと意味ないじゃーんということで言わない。

 そんなことより、ひどい雷雨のときまず心配しなければならないのは停電。停電にならなくても、電圧が不安定になるから、例えばパソコンのコンセントを挿しっぱなしにしていると、まるで雷が伝ってくるかのように本体を直撃し壊滅的な被害を受けることになる。

 今日はさっさと避難させ、楽勝だと思っていたら外のほうが停電で、信号がきれいに止まっていた。あらためて言う必要もないと思うが、交通整理など現れるニオイすらなく、自分さえ良ければ・・・のマレーシア人気質全開で、割り込み逆走車線無視のあげく手の付けられない混乱になったのに巻き込まれて、俺はまたタクシーの中で無常観にひたった。そんな午後でした。

2003年03月24日(月)



 F1マレーシア・グランプリだった

 いつも行くレストランがやけに混んでいると思ったら、今日はF1のマレーシア・グランプリだった。店員までじっくり観戦していて、目の前で突っ立っているので邪魔くさくてかなわない。

 画面は日本のフジテレビでやるのとまったく同じもので、テロップ嫌いのマレーシア人制作じゃないので分かりやすい。ワールドカップの時なんか、前半の途中から見始めたら結局最後まで得点が分からなかった、なんてざらにあったからな・・・。

 フジテレビのF1では、個人的に、いつも鈴木保奈美の旦那がやってるピットリポートが大好きなんだけど、さすがに英語のナレーターだけで残念だった。

 ミヒャエル・シューマッハは「マイケル・シューマッカ」と発音される。マレーシア人に「しゅーまっは」と言っても通じない。このへん何となくコンプレックス的なものが感じられて面白い。カトリーヌ・ドヌーヴは絶対に「キャサリン~」にはならないだろう。と同時に、日本人は絶対に「ミヒャエル~」と発音し続けるだろう。

 だいたいGermanyは「ドイツ」だと教えても、マレーシア人はなかなか納得してくれない。彼らはJerman(ジェルマン)と呼ぶ。Deutcheだからとか説明しても「?」が頭の上に飛んでいるのが見える。中国語は「徳国」だよね? おなじ語源だと思うのだけど。

 そのくせ、オランダがBelanda(ブランダ)、フランスがPerancis(プランチス)など、歴史関係で何かイワクありそうな呼び方をしている。
 ついレースの結果が分からないまま帰ってきてしまった。

 あと公道で自分がシューマッカになりきるのはすぐにやめていただきたい。死ぬ。

2003年03月23日(日)



 ミスチルマンセー

 あんなに好きだったMr. Children。さっぱり聞かなくなったのは、いつからだったか。
 そんなことも忘れていたころに、「It’s a wonderful world」のCDがふと回ってきた。いまさらですが。
 病気のせいで何か思うところがあったのか、明るい昔ながらのミスチル節が全開で、ひさしぶりにJ-POPの王様ぶりを発揮していて、なんだか嬉しかった。

   忘れないで君のことを僕は必要としていて
   同じようにそれ以上に想ってる人もいる
   あなどらないで僕らにはまだやれることがある
      ("It's a wonderful world", Mr. Children「It's A Wonderful World」より)

 すいませんあなどってました。
 すいませんあなたのことを僕はまだ必要としているのかどうか、よく分かりませんが。
 ミスチル万歳。

2003年03月22日(土)



 なに、日本は連休??

なぜかテンパッテるので、今日は何もなし。
あした、21日のこのページも入れ替わってるかも・・・
見てくれた人ごめん

2003年03月21日(金)



 僕ら、戦争ダイスキッ

 国営のチャンネル、TV1は殊勝にもCNNの緊急特番を生中継で流していた。

 マレーシアのテレビ番組は、どうも運営に問題があるのか、カメラ自体が足りないのか、ニュース特番とかサッカー特番とかをしょっちゅう組むくせに1時間ひたすらコメンテーターがしゃべり続けるだけ、というパターンが多いので、こういうときはこれからも「丸投げ」で行ってほしい。

 内政の報道にいろいろ制約が多いせいもあると思うのだが、国際政治の話題について、マレーシア人は実に良く話す。それぞれ一家言あるのが当然と思っている節がある。

 以前ヌグリ・スンビラン州セレンバンのバスターミナルで、チケットカウンターのおっちゃんに「日本人か。お前は『対テロ』戦争についてどういう意見だ」と唐突に突っ込まれてうろたえたことがある。一泊ででかけた帰りの夜のことで、疲れていてあまり覚えていないが確か「お、お、俺はあの戦争には反対だ・・・」とかニューホライズン的英語で社民党みたいなへっぴり答弁をひねりだしてバスに逃げ込んだような覚えがある。

 彼らが知り合いなんかこの話題でつかまえたらえらいことになりそうだから、今日などは極力時事ネタに係わり合いにならないようにおとなしくしていた。

 思えば湾岸戦争は、中2の三学期だった。当時の2倍近くも年をくったのかと思うと、90年代は遠くなりにけり・・・と遠い目の一つもしたくなる。冬らしくどんより曇った寒い日だった。あの戦争のときは、「CNNの人って唯一バグダッドに残って世界に報道するなんて、えらいなあ」と純粋に思ったもんだ。そして「あっという間に」戦争は終わり、すぐにニュースステーションあたりで重油まみれの水鳥などを見て「結局戦争なんて弱いものいじめなんだよな、現代の戦争なのに残酷なんだな」と純粋に納得したもんだ。

 安全な場所から、なに遠い目で知ったかコイテやがる、と言われそうだ。いま現実にイラクの庶民がばしばし殺されてるのに、と。そのとおりです。

 ただ一つ、ニュースサイトで日本人が何人か「人間の盾」としてイラクに乗り込んでいる、というのを知ったが、俺はこういう奴ら、こういうニュースが一番きらいだ。ふざけんじゃねえぞ。人間という存在を何だと思ってやがるんだ。イラクという土地に生きるしかない、家族もろとも殺されかねない人たちの人生を、何だと思ってやがるんだ。自分の命を、何だと。ふざけるな、まじで。

 人として誇り高く生きようとするなら、すぐに安全な場所に避難しろ。安全な場所から、反戦運動でもタマちゃん捕獲作戦でも、やれることはたくさんあるだろうが。命を粗末に考える奴が、戦争反対なんて笑わせるな。もちろん、彼らだけに言ってるんじゃない。

 見えないわけじゃないだろ、盾は、俺たちの心の中にしっかり用意されてるのが?

 中に24歳の男子大学生もいるという。ご無事の帰国後、合コンやれば最高の話のネタになるだろうね。これぞパックス・ジャポニカ、パックス・マクドナルド! ガソリンは値上げだから気をつけてね!!

2003年03月20日(木)



 ハッピーバースデーェ

 今日はY先生の誕生日、狭い人間関係の中(笑)、夜はサンウェイのイタリア料理屋で例のキタムラさん(ラフティングの項参照)たちを交えて遅い夕食。はっきり言って全然おいしくなかった。まあサイゼ○ヤ並みと言っておこう。
 でもそこは大人として、おしゃべりなどで楽しい時間を過ごす工夫はみなさん持ち合わせている。
 赤ワインを飲んだらずいぶん気持ちよくなってしまった。はあ。。。

2003年03月19日(水)



 また一つ、マックの進出国が増えるね。

 今日も百閒さんにのめり込んだせいでジャンクフードしか食べなかった。

 戦争ですか。
 少なくとも戦争に行かない自由がある国のほうが、その自由がない国よりも僕は好きだ。
 認められた自由じゃなくて、頭の中に住み着いている自由のことについて話している。
 どんなに言論が自由でも、「あいつの神経が分からない」などと排除する人でいっぱいの社会は、自由が住み着いているとはいえないと思う。
 でも、そんなことを言っていられない状況の人たちもたくさんいるのだろう。

 戦争戦争戦争か。それもこれも、俺たちが楽しく毎日を送るためにはぜったい必要なことなのだろう。あんまり、殺されるイラク市民(と両軍兵士)について、もっともらしい同情や決め付けをするのはやめたほうがいいと思う。俺たちはおかげさまで安穏に暮らしていけるのだ。もうちょっと謙虚でいたい。少なくとも俺は。

 生まれつき手袋してるから血糊に気づかないだけだ、お前はそれを自分の切り傷だというんだろう。

2003年03月18日(火)



 夕方すごいスコール

 内田百閒、読んでるので自分で文章を書く気がうせます。だからおしまい。
 今日は彼のせい――俺のせいで遅刻しそうになった。著作を次々買いそう。こわい。

2003年03月17日(月)



 今日も底のはがれたサンダルを履いて

 ひさびさにKLへ出かけた。そしてなぜ金が貯まらないのかやっと理解した。

 まずタワーレコードで平安隆の「JIN JIN / FIREFLY」を購入、RM64.90(2000円ぐらい)。まさか沖縄、しかも八重山民謡の若手のCDを置いているとは。しかも日本コーナーではなくWorld Musicの棚だった。

 去年その日本コーナーで愛するクラムボンの「JP」を発見したときも驚いて買ってしまったが、どうも外国だからといって侮れない。いやむしろ日本の音楽ががんがん出て行っていることをちゃんと評価したほうがいいかもしれない。しょせん宇多田ヒカル、浜崎あゆみにGLAYどまりだろうと思ってちゃダメネ。

 つい日本円の感覚で買い物してしまったことを後悔しつつ質素な昼飯を食い、KLCCの紀伊国屋へ。そして気がつくと文庫本を3冊、しめてRM84(2600円ぐらい)だった。

 RM1は今だいたい30円ちょっとだが、普段の生活ではRM1=¥100と考えることにしている。そうするとナシゴレン400円、アイスレモンティー100円、マックのセット790円、うちから学校までバス70円タクシーなら500円弱などとなり、中途半端に物価価値に惑わされることが少なくなった。給料もリンギットなんだから、ん? ダブルチーズバーガーセットがLで250円だと、安い! などと思うのは間抜けなのだ。あくまで790円と思うべきなんである。

(ちなみにこの計算だとビール一缶350円、タバコ一箱も350円。「いいちこ」720mlが1万2千円。以上ジャスコ・ミッドバレーメガモール店にて俺調べ。さすがイスラム国。そしてさすが日本の交通費)

 さてそうすると今日はCD1枚、文庫本3冊に1万5千円使ったことになる。なを半月分の食費にあたる。

 ああ、やっぱりバカだ俺

 そして平安隆の歌の下手さに今びっくりしているところ。あう~なんじゃこれ
 あう~

2003年03月16日(日)



 気分はだぼだぼソース

 今日も当たり前のようにロティ(素朴なパン)がうまい。

 前にも日記に書いたと思うけれど、相変わらず「ロティ・サーディン(いわしのすり身入りロティ)」のとりこ。ロティだけだと男には物足りないが、たっぷり包み込まれた香ばしいいわしが無遠慮に胃の中で暴れるのはほとんどマゾ的快感なのだ。

 近所のレストラン「マジュ・マジュ」ならロティ・サーディンはRM2.30(約80円)。具なしのロティ・コソンRM0.70(約23円)、けっこうボリュームのあるガーリック・ナンRM2(約66円)と比べても少し高いのだが、マレーシア料理と言って人が思い出すナシゴレン、ミーゴレンなどは何かしら具を入れると最低RM4にはなるから、やっぱりロティは貧乏人の食卓では王様である。

 (関係ないけど果物の王様(ドリアンね)は、俺いまだに一かけの半分しか食えません。大きいやつは一個に4かけ、5かけ入ってるけど、うちの同僚などは一度に一人1個(!)あるいはそれ以上も食っちまう・・・すげえ。あの果実俺には未知の生物の脳みそにしか見えんが。)

 さてロティは安くていいのだが、それ以上に喜ばしいのがロティについてくるカレー各種。どうやら「カレーかけ放題」らしいのだ。例えばロティ・サーディンを頼むとサンバル(マレーシアを代表するチリソース)とカレーが穴ぼこプレートについてくるのだが、いくらでもお代わりがきく。具だくさんの野菜カレーを延々とただでお代わりして食い続けることも可能である。やったことないが。

 持ち帰りにしてもらうと、明らかに2,3食分ありそうな量のカレーをつけてくれる。俺はいつもこいつをとっておいて、翌朝食パンなどにつけて食っている。
 サテーを持ち帰りで頼んでも、例のピーナツソースを処分に困るほど添えてくれる。

 そう、どうやらここは「だぼだぼソース」文化の国、らしいのだ。
 例えばマック。ポテトにソースをつけてくれるのは日本と変わらないが(ケチャップとチリの2種類のみ)、店員のねーちゃんほとんど鷲づかみでソース袋をトレーに投げている。どんなに少なくても3袋。ひどいときは何にも言ってないのに5袋とかついてくる。逆に食えねえだろ。

 でも周りを見渡すとけっこうみんな使い切っている。あれじゃポテトを食ってるんだかソースを食ってるんだかわかりゃしない。で俺など貧乏根性まるだしで、「何かに使うかも・・・」なんて言いながらソースだけ持って帰ったりして、やっぱり使わないから引き出しの中が袋入りケチャップだらけになっている。

 しかし、日本のマック(他店はどうか知らないが)で、例えばBBQソースとマスタードを両方つけたいって言う人も多いと思うのだが、いつも必ず断られるのはどうしてなんだろう。しかも店員、笑ってこそいるが「ソース複数添付断固拒否」のマニュアルでもあるのか、ほんとにかたくなに拒絶する。

 いいじゃねえかケチくさい・・・と思ったのは俺だけじゃないはずだ。藤田田も引退することだし、露骨でいやらしい価格競争などやめて「各種ソースだぼだぼサービス化」を真剣に検討して欲しい。

 なに肥満? いやー俺こっち来て7キロやせたよ。癒しのだぼだぼソース。ぐふふ。

2003年03月15日(土)



 なんだ?

うげげ、今週ぜんぜん書いてねーや・・・
鬱屈することが多くて、書くときはあほみたいにばしばし書き散らしてるけど、最近「長い日は読み飛ばしてる」とのお声をいただき切なくなっているところ。ううう。

今日はやる気さっぱりなしの一日で、まるで無駄遣いしたような日だった。明日の準備もまだまだこれからなのに(準徹かな)。
いっちょがんばって楽しひ週末をむかえるぞい。

2003年03月14日(金)



 3月12日=特異日という罠

 かなり前からうすうす思っていたのだが、誕生日は3月12日という人が異常に多すぎると思う。
 少なくとも僕は今まで、3月11日生まれ、3月10日生まれという人に一度も出会ったことがない。しかし3月12日生まれに出会って「またかい!」と思った記憶が怒涛のように押し寄せてくる。

 まず親父が今日だ。記憶では親父にプレゼントを贈ったのは小3の時の一回だけだけど。
 はじめてぶつかったのは小学校の高学年で同じクラスだったエバタさん。小学校のクラスって月ごとに誕生会なんてやっちゃったりしたもんね。
 そう、誕生日を聞く間柄というのもけっこう微妙で、偏りはあると思うのだけど、だったらなおさらかぶらないだろうと思うのだ。

 その後は中学からつるんできた友人の「ヘップ」(4浪して国立大工学部に入ったのでまだ学部生! 4歳下の彼女がいる。サギ)、ひそかに相性占いのために誕生日を聞きだした同じクラスのXさん(厳重に名を伏す。今思うとうざい青春を謳歌してたのねオレ)、高校の生物の先生(またその子供が同じ誕生日らしい! それで知った)、予備校でお世話になった某有名講師、飯田橋のある書籍流通会社でバイトしてたときの担当社員、そのときのバイト仲間のダイゴくん、などなど俺の人生のいつを切り取っても3・12がテロのように顔を出す。
 大学で3月13日生まれという先輩に出会ったときはひそかに感動した。ちゃんといるんだ・・・。

 人の誕生には「とつきとおか」という神聖ニシテ侵スヘカラスの法則が関係していて、計算するまでもなく前の年の5月2日である。だれでも思いつくけれどゴールデンウィーク真っ只中じゃしょうがねえや・・・と思ってはいけない。そんなことを言ったら、特に近年など12・24から「とつきとおか」後の10月3日生まれなどが激増していなければおかしい。だいいち俺のように予定日から半月も遅れて生まれたやつの立場はどうなる。3月11日生まれに出会わないのも説明できない。
 やはり「仕込み」ではなく「出荷」の環境に関係するのだろう。

仮説① 3・12は啓蟄の約一週間後。野生から遠のいた人間の体についても、カエルや蛇より一週間遅れて「穴から出ようとする」。
仮説② 3・12は春分の約10日前。春分とは大雑把に言うと昼と夜の長さが等しくなることだが、実際に昼と夜の長さが同じになる日は「春分の日」の一週間ほど前だそうだ。それに関係している(自分でもよくわからん)。
仮説③ 発育面でもお得な遅生まれにすべく計画出産を試みたはずだったが、どうしたわけか3週間以上も早く出てきてしまった。
仮説④ だんなが頼りにならないので、気合で確定申告の期限前に産み落として退院してから自分で申告を済ませに行った。

 ③は12日でなければならない理由にはならない。④ぐらいか理由になりそうなのは。
 いや、しかしねえ。
 それにしてもまじで多いのよ、ほんとに気のせいかな。俺と同じ誕生日なんてジャンヌ・ダルクぐらいだぞ。

2003年03月12日(水)



 日本語教師のススメ

 断言しよう。とくに日本以外での日本語教師(非常勤)という仕事ほど楽な稼業はそうそうありません。

☆証拠① 今日の実労働時間: 80分
☆証拠② 今週の実労働時間: 約10時間(ただし祝日の月曜を除く)
☆証拠③ こんな状態でもなぜか日本でフルタイム働く友人より毎月の貯金額が多かったりする。むろん物価格差のなせる業。
☆証拠④ 学校にかかってくる電話などは一切無視でOK。中国語などで応対できるわけもなく。
☆証拠⑤ いったん「信頼できる」「何でも聞ける」先生だと客(=学習者)に思わせてしまえば、学校外で日本語を使うことがまれなだけに、こっちのもの(ただし常に日本文化や日本人に触れられる環境なので、適当にやったりすれば首が飛びますがね)。

 そりゃあもちろん、いろいろ意見はあるでしょう。実働80分といっても、残りの22時間20分を東京湾のボラみたいに濁った目をして口を開けていたわけではないっす。一コマにつき最低数時間は準備が必要だけどもちろんそれは無給だし、民間経営である以上、プロの俺たちではなく素人の学生(=顧客)の評価、クレームがすべてですから、キャッチアップレッスン(休んだ人のためにtipsを作り、授業前などに簡単に教える)やテスト日程の振り替え(同様に、来られない人のため)などなど、運営上ぜったい不可欠なもろもろのお仕事の全ては、無給でや(らされてい)るわけです。ミーティングまで無給、あくまで授業のコマに対してしか給料は出ないので。
 でもそんなの、どんな所で働いている人でも言いたいことは山ほどあるでしょう。

 とにかく、商品(=「日本語」)を満足いく形でお渡しすること、これだけが仕事といっていい。つまり、きちんと準備&切磋琢磨をしておればあたふたすることはほとんどない、ということですな。ほかの仕事じゃ、何やってもどうにもならんという時があるでしょう。
 日本で語学学校に通う人のことを考えればわかるように、相手になるのは基本的に生活に余裕のある人ばかりなので、和やかに楽しく、というコンセプトが受け入れられやすいというのもあるし。

 とにかく、プレッシャーとはまるで無縁の毎日を送っているということであります。
 たとえ給料がぼこぼこでも、マレーシアで飢え死にというのはまず考えられないので、人によっては天国のようなところでしょう。こっちでもハゲは多いけど、明らかにただの油分摂りすぎです。

 あと海外のメリットとしては、親戚からの結婚しろ光線とかいつまで非常勤でやるつもりなんだ疑惑光線などをまるで感じないで済む、それどころか海外に夢を追うセーネンとしてウツクシク認識されるというのもあります。いや後者などまじめな話ね。

 しかし今週はたるたる。さすがに週10時間労働(実働は一応数倍よ)では生活がぎりぎりになってしまう。
 それで夜中にこんなことをしているわけだ。反響があれば日本語教師への道も特集しよう(笑

2003年03月11日(火)



 屋台って実は儲かるらしい。ベンツで出勤してる人とかも

 お、いま何時だよ・・・(3/9 03:40a.m. 日本は朝4:40)。
 なんか昨日の日記には「出かけます」って書いた気がするんだが、なんで断ってこんな時間に起きてんだろ。やや自棄。

 サイト更新というのはなんでこんなに大変なのでせう。ネタ詰まりどころか写真たまりまくってるのに。ヘタレかも俺。とりあえず一ネタ完成、良かったら見てやってくれい(ここ)。

 月曜日は州の祝日なんだよね。スルタンさまの記念日らしい。でもやることがPCゲームしか思いつかん。終わってる。
 スルタンに感謝して州内ローカルバスツアーでもしてみるか。あ面白そうかも。

 今日のよかったこと=明日店を引き払って田舎へ帰るという屋台で初めて食べたらすっげーうまかった。思わず明日わざわざまた行ってしまうかも。なにも日曜に学校まで行くことないのだが。しかしもうあれが食えないと思うと残念だ。正式名は忘れたが猪肉の甘辛しょうが焼き丼みたいなやつ、むろん味付けは中華。劇うま。

2003年03月08日(土)



 無題さんの野望

 明日の晩からちょっとでかけるので(また)更新できないかもしれない。
 あう~写真がうpできないYO!

 よそのページばかり見てると日本語がおかしくなっていかん。
 今日はオンラインでそのまま書いてるのでずば抜けて無内容かつ低レベルな日記になってしまってすまそ。

2003年03月07日(金)



 ジーナと新聞

 今日は受付のジーナちゃんに告白されてニヤケづらの俺です。
 つうかしょっちゅう可愛らしい彼氏(いまだにベッカム@W杯ヘア)に迎えに来てもらってるの目に付きすぎなので、まあ20歳の女の子にモノスゲクからかわれてるわけですが、いいのです毎日なんのドキドキもないし。

 マレーシアには邦字紙と呼べるものが2紙ある。『日馬プレス』『南国新聞』がそれで、『日馬~』は毎月2回、『南国~』は毎週木曜発行、どちらも無料で配布されている。でもわが職場には郊外のせいか『南国』しか回って来ず、そのため過剰な期待をしてしまう。
 そして期待どころか、こっちの用意を吹っ飛ばすのがマレーシア。今日の紙面から・・・

「KLのスンガイ・ブローで、幼い兄弟が廃屋でテニスボールを見つけて手にしたところ一個が爆発、驚いて放り投げると地面に当たって再び爆発、兄弟は両手切断の大けが」

「深刻な水不足のジョホール州でついに断水に突入、再開のめど立たず」
(これはJB在住の人があるネットの掲示板に寄せた情報によると、断水前日になっていきなり告知されたのだとか。「大変なことをさらっと言うな!」とお嘆きでした。うちの棟でも当日になって「今日は工事やるから断水ね」なんて張り紙がさりげなく張ってあったりして、よく痛い目に遭う)

「高利貸しからの借金に悩む20代の夫婦が高速を走行中、追い越しに来た車が夫婦の車をブロック、彼らは取り立ての一味でそのまま夫婦をガソリンスタンドのトイレに監禁、暴行したうえ二人を全裸にして写真を撮影し、後日その写真で脅して返済を迫る。一味は逮捕されたがこうした取立て手口は常態化している」

「病院に押し入ってきた強盗を医師がピストルで撃退。お手柄医師のリム氏は以前強盗に入られた経験から許可を取って護身用の銃を携帯していた。強盗はピストルに動揺して未遂で逃げたが、リム氏は走り去る犯人に狙いをつけて足に命中させ、犯人は駆けつけた警官により逮捕」

どうもよく分かんないんだけど、最後のリム医師の行動ってお手柄なんでしょうか・・・。
本職の警官が威嚇発砲しただけでも問題になるわしの国の常識ではとても正当防衛とは思えない。

 まあいいか。それからけなす意図は全然ありまくるけど『南国』『日馬』とも日本語に問題ありすぎ。
『南国』は文体、誤植率とも6年2組7班発行の壁新聞なみ。コラムなども含め、だれが校正してんだろ。ローカルスタッフかな(乾いた笑
『日馬』は幼稚な他虐史観論者(例の「戦争中の日本は東アジア・東南アジアでいいこともしていた」ばっかり言いたがる一派)が編集しているせいで毎号最低でも4,5回はいらいらしなければならない。いや、もちろん意見を表明する態度は立派ですよ。でも興奮のあまり文頭と文末がめちゃくちゃになるのはやめていただきたい(素で
 今日はなんかよくわからん日記になってすまん。

2003年03月06日(木)



 Johor Bahru too hot

It's equatorially hot in this town.
(I'm sorry there is no Japanese font available and I don't want to write Japanese in alphabet.)
Only 3 hours walking make my skin into deep sweaty and sunburn.

No time to refer well, later I tell you lah! Caijian!

2003年03月05日(水)



 バトゥパハから...

ジョホール州バトゥパハというところに来ている。
KLから4時間足らず、久しぶりに異国を体で実感しています。
首都圏で金持ち相手の仕事(って決めつけるわけじゃないが)ばかりしてると、確かに快適だしこのごろはあまり外国暮らしを実感もしなかったけど、たまにはいいよね。
いやあ、ついビール飲みすぎちゃって。すげー贅沢してます。
くわしくはまた帰ってからね。入力がおかしくてごめんなさい。
では

2003年03月04日(火)



 イラクへ戦争をしに行きます

 昼からのクラスはBeginner 2。第13課「(日本へ行き)たいです」「(シンガポールへ遊び)に行きます」。このところこの辺のクラスばっかり続いてなんとなく無間地獄みたいな気分だがしかたがない。なおオリジナルテキストだけど思いっきり『新基礎』のにおいがする本です。ちなみにカリキュラムも思い切り新基礎ベース。『新基礎』とは『新日本語の基礎Ⅰ』の略称ですな。今はこれを一般受けするよう新しく作られた『みんなの日本語Ⅰ』(一部で『みんⅠ』と略称、オレ略すのはあんまり好きじゃない)がメジャーで、うちも目下改訂中だけどとりあえず今は新基礎ベースの本だってことだけ。

 前置きが長くなった。
「見学します(見学する)」が13課の新出語彙にあって、その絵カードというのがあるんです。あ絵カードってつまり一目で「食べる」なら「食べる」って分かるような大きい絵のことね。で「見学します」は何人かが工場でヘルメットをかぶって、眼鏡のおっさんの説明を聞いている、っていう絵なんだけど、新出語彙だから「はい、ここはどこですか?」って聞いてまず工場だと確認するでしょう。そしたら「そこはイラクです」だって。笑っちゃった。
 笑うのはいいけど、まさか「見学します」が「to make an inspect (査察する)」だと思われてはいないよね・・・地味に不安になった俺でした。ひさびさの時事ネタでうかれちゃって。

 さてこのごろはうちも人材難らしく、なかなか新しい先生がやってこない。どうも、たまにいい人が見つかっても、話を進めるうちに周囲から「危ないよ、あんなイスラムの国になぜ今わざわざ・・・」などと反対されて断念、というケースもあるらしい。それで「文明の衝突」((c)Samuel Huntington)も間近き今日この頃、言っときますが、マレーシアは今も別に危なくないぞー! 安心して来い!

 確かに例のバリ島テロの犯人はマレーシア人です。イスラム過激派「Jemah Islamiah(ジェマー・イスラミア)」の本拠地はマレーシア(半島東海岸のクランタン州。KLからバスでも山越え5時間くらい)です。ジェマー・イスラミアはアル・カイーダ幹部をかくまったり「聖戦士」育成に励んだりしています。狭い海峡のすぐ対岸ではアチェーの独立闘争が山場を迎えて町中でどんぱちやっています(最近また停戦したとか、また始まったとか)。あれ・・・安全・・・だよね・・・。

 世界のイスラム系諸国家から「現在最も成功しているイスラム国家」と評価の高いマレーシアへ、今こそおいで! 国じゅうでセールやる「メガ・セール・カーニバル」、今日から一ヶ月間ですよ!

2003年03月01日(土)
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