ゆれるゆれる
てんのー



 昨日は逮捕寸前の俺も

 昨日のせいでリフレッシュなど望むべくもない月曜日だ。テンション低い。
 だから今日も食ったものだけの話。うちの近所のマレーレストラン「Maju & Maju (マジュマジュ)」。いやあ、カレーがなに食ってもうまい。ナンも、ロティ・トゥロー(卵でつないだふんわりナン)、ロティ・サーディン(いわし入りナン)、それぞれ素材の味がしっかりしていてばかうま。いつか写真見せます。それにしても食い物の写真って難しい。

2002年09月30日(月)



 手錠を用意され

 今日はネタのために作られたような日曜日だった。

 朝、起き抜けに電話がかかってくる。「もしもし、あのな、何かそっちに変なメールが行ってへん?」「ああ来てるよ」「実はな、あたしのパソコンがウイルスにやられてんか。それで行ったやつやと思うねん。で昨日からたくさん友達から電話が来ててな(以下略)」
 一気に目が覚め、トレンドマイクロのチェックサービスで調べるとCドライブでヒットしちゃいました。「これはトロイの木馬型ウイルスです。危険度中(以下略)」。せつない。見つかっただけよかったが。とにかくせつない。いい性格してるよトロイ人め。

 気を取り直し、用事を済ませるべく1-UTAMAショッピングモールへでかける。うちからここへはタクシーで行くほかなく、しかも遠い。別に急いで帰る必要もないのでタクシー代をケチってバスでKLまで出ることにし、ジャスコ1-UTAMA店内に日本の古本屋があるのでそこで椎名誠の「砂の海 楼蘭・タクラマカン砂漠探険記」と小林秀雄の「常識について」を首尾よく入手、なんとなく微笑みつつ(こわくないこわくない)バスに乗り込む。

 楼蘭を目指して30ページほど踏み込んだころだった。
 まったく現在地のわからない場所で、バスがいきなり停まった。明らかに「何か違う」という感じである。果たして自動小銃を小脇に抱えた国軍兵士が二人乗り込んできた。IC(個人識別カード)チェックである。初めて遭遇した。マレーシア人はこれの携帯が義務付けられている。僕ら外国人は、パスポートとワーキングパーミット。不携帯は即、入管法違反となるということは聞いていた。
 が、今日は休みのお出かけである。人ごみでそんなもの持ち歩くほうが危ないとさえ言える。
わし「ありません」 兵士「降りなさい」
兵士が、オーユーアジャパニーズ、などと騒ぐので乗客がいっせいに注目する中を、他の不携帯者と一緒に降りる。日本人がもう一人いる。
 妙ににこにこのマリオ型中年警官が一人一人に話しかけている。瞬間、これは「袖の下」でなんとかなるかも、と希望がよぎる。が・・・マリオ「あなたたちは今からイミグレーションへ行かなければならない。そこで書類にサインし、500リンギットのペナルティを払うこと」。『ぼのぼの』に出てくるクズリくんみたいににこにこしたままだ。「あなたたちはマレーシアの法を犯した」そしてにこにこしたまま、前にいる恐らくは不法入国らしきインドネシア人5人に手錠をかけ始めた。
 なんでそんなにさわやかに笑っているのだ。マリオの手には明らかにもう二つ、手錠が握られている。
 つー、と汗が背筋を流れる。ああなんて涼しい日曜の午後だ。
 いかん。捕縛される。・・・法律違反なのは今初めて知ったんです。自分は最近この国へ来たばかりで。友人がパスポートを街中で盗まれたので危ないと思い、持ち歩いていない。パーミットはちゃんとあるから、アパートに電話して持ってきてもらってもいいか。
 マリオ「500リンギットは高いか」。うわー話聞いてねー。「不携帯はそれ自体が違法行為である。今からイミグレへ行って500払う。理解したか?」「話はわかりますが、500は高い。そんなにない」
 以下20分ほど、黄昏どきの問答がつづいたあと、
わし「初めてのことで、驚いている。チャンスをくれ」、なんと反応あり。
マリオ「どうして日本人なら法律を守ってパスポートを持ち歩かない。・・・よし、OK。今回はチャンスを与える。マレーシアの法律では、違反すると強制的に日本へ送り返されることになる。次は本当にないから、明日から必ず持ち歩くように」

 釈放。夕日が黄色かった。
 いや、懲りました。帰りにもカルフールで厳重警備にびびらされたり、タクシーが小便くさかったりごたごたがあって、本当にばったりくたびれきって9時過ぎに帰宅。

 聞くところでは、朝方メガモールでピストル強盗があり、犯人は300万リンギット(1億円ぐらい)相当の金のアクセサリーを盗んで依然逃走中とのこと。


2002年09月29日(日)



 

 今日のメニューは「乾加哩牛肉飯」、ドライカレーかと思って頼んだら普通のカレーが出てきた。いわゆる、日本で「インドカリー」と呼ぶ類のカレーだ。カレーは別皿である。たしかにうまいが、よくわからない。英語でもDried curry beef with rice と書いてある。ドライカレーが食いたい場合はなんと言えばいいんだろうか。
 店員たちはトタンのひさしの位置を微調整したいらしく、大のおっさんらが4人も5人も集まってどたばたやっていた。その割にちっともはかどらず、ずらすのに使う2メートルくらいの鉄の棒をあたりかまわず振り回していてどうにも危なっかしい。

2002年09月28日(土)



 チャーハソマニヤ

 学校の近くのレストラン「成功海鮮飯店」の炒飯を順番に試している。最初に食った「鹿肉炒飯」が思わずあせるほど旨かったのだ。次の「焼肉炒飯」という代物はカルビ入り、なのではなく、豚のアバラのへんの脂身をどかっと入れたもので、んー80点。炒飯自体も少し脂こい。今日は「唐姑肉炒飯」(字が違うかもしれん。英語はFried rice with deep-fried pork)。これうまい。しいて言えば肉骨茶ふう味付けのトンカツが炒飯に混ざっている。惜しげもなく大量に。なによりいいのが、3種類ともRM4という値段だ。130円。上機嫌の俺にウェイターの兄ちゃんは言った。「(ドリンクで注文した)中国茶はただにしとくよ。いつもお宅の学生さんもたくさん来てくれるからね!あんたもよく来てるし」。
 だが俺は知っているのだ。ここは夕方からは、料理を頼めば誰でも中国茶がついてくることを・・・。というかメニューに明記してあるのだが・・・やるな。


2002年09月27日(金)



 現実から逃げ出せた人募集

 ずっと考えている一つのことを、ここに文字にして書きとめておく。

 逃避したくなるような現実を過ごせていない。
 充実などしていない。もちろんしんどい。現実のほうでしっかり追いかけてくるから。
 だけど、あまりにもすべてが希薄だ。希薄、その一語に尽きる。

 なぜか、だれもがこだわることに執着できない。
 たとえば、先月は給料が足りなかった。タクシーに乗ったらおつりをくれなかった。あたまごなしに怒鳴りつけられた。自分が損することにも、誰かに迷惑をかけることにも、なんとも思わないことばかりだ。
 話がスムーズに進めばそれでいいのだ。それでいいんなら安いもんだ、このごろそればかりだ。
 離人症というのがあるが、みんな名前をつけてもらえば何か安心するのだろうか?
 自分が異常だと思うことで、楽になるのならそれはいいことだ。
 僕は自分が異常だと思わなければいけないのだろうか。

 逃げ出したいよと思わせてくれ。現実から逃げないファシストたちよ。

  みみみみみみみみみみみみみみみみみ


2002年09月26日(木)



 曇り 夕方雨

カンパニーレッスンはとんでもなく疲れる。とにかくいちいち英語に置き換えないと気が済まないらしい。
 日本語で考える、ねえ。3ヶ月も前のananの「ほんとに使える英語」特集をぼんやり読みつつ考える。

  独りきり暮るる九月や霧と雨


2002年09月25日(水)



 男性助産士を認めるべきか否か

 木曜日から来ていた中村さんの友達、佐藤さんが夜、帰って行った。およそ関西人というのはどんな人でも一人一人が興味深い。べつにボケ突っ込みやらかしてなくても。
 昨日は酒を飲んでいたせいもあり、あらぬマヌケ演説をやらかしてしまって、今朝は顔を合わすのが恥ずかしかった。根拠はないけど、彼女は優秀な看護婦なんだと思う。本当に。


  うつうつとかんがへゐたり仲の秋


2002年09月24日(火)



 異国暮らし、小さな想い

 初めてのクラスが先週終わったが、今日から早くもB2(Beginner 2)に持ち上がり。他の先生が担当した学生も数人入って、19人でスタートである。自己紹介にすこし手間取って、予定ほど進めなかった。
 終了後、いつもにぎやかなフローラさん、ケンさん、エリカさんの3人娘(表現ふるっ)と一緒に、ビールを飲みに行く。自分から「ビールが好きです」と言うマレーシア人は少ない。特に女性では、僕が会ったのは、彼女らが初めてだ。
店はタイパンのパブで、やっぱりテレビの音が不必要にでかい。彼女たちはCourt 3で一緒に住んでいるのだそうで、あの店もうまいこの店もうまいとタイパンじゅうの店を論評していた。
 ケンさんが25歳で、あとの二人は年上だというのには驚いた。マレーシアで女性の歳を推測するのはやめようと改めて思った。日本人も含めて、みんなやたらと若く見える。
 カルチャーギャップをほとんど感じない。「外国人」との会話でありがちな、「日本では/日本人って・・・」「マレーシアでは/マレーシア人って・・・」という話題は皆無で、日本で同年代の女の子と話しているように錯覚するくらい、いろんな肩肘張らない話題があふれていた。
 会社の男性陣の寸評から始まって、使っている化粧品や買い物スポット。恋人たちとの好消息(ハオシゥシ)。今のクラスの人たちについて。まあ、よく笑うことだ! こっちも楽しんでんだけど。

(逆に「ガイコクジンというのは日本人と感性が違うから」という先入観を、無意識に持っていた自分に気づかされた。一番の差別主義者というのは、自分の偏見に気づいていないものだ。えらそうなことを言っている人は眉唾眉唾。「人間なんてみんな大して変わりはしない」なーんて、本当の本当の本心から言える人は世界に何人もいないはずだ。自分がジンケン問題に直面したとき、僕たちはまるで「今回だけ例外」とでも言うようにふるまいがちだ。いつだって、裏切りというのは簡単な解決方法だから。そして、偏見を持っていたほうが楽に生きられる。)


週二回会うと知りつつ夜長かな

2002年09月23日(月)



 薄曇

もう一つ手が伸びる也大蜜柑

2002年09月21日(土)



 曇り


 例の日朝首脳会談のことは、久々にこちらでも話題になっているニュースだ(宇多田ヒカルの結婚に騒いでいたのは僕だけだった)。
 今の国際社会の中で、マレーシアという国の処世術は、今の日本にとってずいぶん示唆的だと思う。
 えらそうなことを書くのは、この日記がなんの影響力も責任もないものだからだけど、なんだかブラックユーモアじゃないかと思うくらい、マレーシアの現在はおもしろい。

 一つ、反テロという大義名分への立場。マレーシアの小さな大首相は毎度のことだが、アメリカの独善的態度に対してすこぶる敏感だ。アフガン空爆から、今度のイラク攻撃まで、「テロ撲滅には何の効果もなく、むしろ逆効果で、テロリストたちに口実を与えるだけだ」という発言は一貫している。今度は副首相に「マレーシアはテロリズムを憎むが、大国の下男にはならない」と言わせている――言わせる、という表現がふさわしいだろう。まるで日本人に、自分たちの姿勢を誇っているみたいに聞こえる。

 一つ、教育制度と英語。マハティール涙の辞意表明から少しして、「理数系科目はすべて英語で行う」との改革案が提示された。しかも実施は来年度からというから実に急だ。マレーシアの教育制度は単純ではなく、中国系の学校では英語による科目運営も珍しくないそうだが、マレー系の学校からは反発必至だとか。マハティールさんの涙は、言いにくい政策を発表するための小道具だったんだろうなんて憶測も飛ぶが、それくらいの制度改革には違いない。
 日本の教育制度についてうんぬんされるけど、なんと言っても「母国語で最高学府の学問まで、最高水準の知識を得られる」というのは、これは文句なしにすばらしい成果である。翻訳マニアみたいな人も多かったのだろう。卒業生の質はともかくとして、学問をやる気のある者にとってこれほどの環境はない。
 ちなみにマレーシアでは英語が準公用語である。植民地としての長い歴史は無視できないが、とにかく特にKLなどでは英語だけでもほぼ間違いなく、生活に不自由しない。だが近頃目立って国民の英語能力が落ちてきており、TOEICなどでもかつて大英帝国だった諸国の中で不振なのだという。そして、「インターネット」「ボーダーレス経済」による英語の価値の上昇に対応するため、というのが、お上が英語を教育現場でいまクローズアップする言い分なのだ・・・・・・日本のお上連中はぜひマレーシアの教育改革の過程と結果を注視するべきだ。
タクシーの運ちゃん、マックの学生バイト、タバコ屋のおじいちゃんに日本人的英語を笑われるような国のお話である。ワールドカップ中に「外国人の方は入店お断り」の張り紙が国中の百万都市にあふれるような国とはわけが違うのだ。その国にしてこんな強引なことをやらなければ英語は物にならないと理解しているのだ。日本のへっぽこ「英語を第二公用語に!論者」よ、あんたらどれだけ英語(むしろ日本語)を操れるのかはともかく、机上の空論はやめてマレーシアまで来てよく見てくれ。
 あ、へっぽこ「早期英語教育を!論者」と「会話重視の英語教育を!論者」もかならず。あんたら、言いたいことは分かるけど無理だから。中途半端は混乱を生むだけだから。マレーシア連邦の覚悟をよく考えて。

 一つ、指導者のあり方。この人ルックイーストを言い出して実践してるだけあって、「マレーシアは日本や韓国の真似に終始するのではなく、欠点からもより多くを学ぶ」と率直におっしゃる。開発独裁と呼ぶなら呼べ。だがマレーシアは実際ASEANでも屈指の(つまり世界でも屈指の)成長を今もなお続けている。通貨危機後のシンガポールやタイのもたつきなど目に入らないよ。・・・おそろしい実績が圧倒する。そうした上で、アジアにはアジアの風土、人間にあったスタイルがあるはず、日本よ韓国よ中国よ、アメリカンスタンダード、ホワイトスタンダードに流されるなよ。ともおっしゃる。いやメッセージはシンプルに限るね。説得力は、もちろん実績のなせる業だ。
 マレーシアに暮らす実感として、この国の人はもう決して貧しいとは言えない。決して言えない。そりゃ、もちろん低所得層は裾野広く存在しているけど、物価がたいてい日本の半分かそれ以下のこの国で、新車で100万円以上する国産車、初期投資で2万円以上かかる携帯電話、それぞれ普及率が尋常じゃない。働いている人や大学生なら、ほとんどの人がどちらも持っているのだ。。。

 んー。今日はどこかのコラムみたいに洗練された知的な文章を書いてしまった。どうしちゃったんだろね。



2002年09月18日(水)



 曇り 暑い

 暑いのは仕方がないが、それにしてもこの何日かはひどい。
 腹が立つことに、こういう日に限ってワキガ男たちとの邂逅が相次ぐ(ワキガ女たちも少なくない。油断できない)。
幸せなことにこの歳になるまでワキガと身近に接したことがなかったので、初めは何の臭いなのかわからなかった。なんだか分からないけど、ずっとその臭いの中にとどまっていたら鼻毛がにょきにょき伸びそうなそんな臭い。
怖いことに、マレーシアに暮らすようになってこういう「なんだか正体は分からないし知りたくもないが、とにかく不快なにおい」に対してえらく寛容になってきている。よろこんで「ちょっとヒジ上げてみて」とはいかないが、とりあえずそういう体臭なのだ、彼(彼女)に何か欠陥があるわけではない。息を止めずに横を通り過ぎもできる。
標高2メートルほどの小山ほどになった生ごみをつつく20羽からのカラス。どこからともなく鼻に入ってくる腐った雑巾臭。バス(とりわけMetro Bus)の空調を通して密閉空間に入ってくる、噴出し口をなでただけで指が真っ黒になってしまう汚染度98%のわずかに冷たい空気、そのにおい。
においにおいにおい。


2002年09月16日(月)



 晴れ 酷暑

 4時に一週間が終わって帰ろうとしたら月木のクラスのチュンリンさん、ペイレンさんに会った。月曜のテストに向けてレイチェルさんと3人で勉強中だという。感心感心。
 夜、ペイレンさんに誘われて彼女の身内のスチームボート・パーティにお邪魔する。がきどもがおそろしくかわいい。ただし彼らもびっくりするほど多忙な毎日を送っているようだ。ピアノ、絵画教室、マンダリン・・・4歳の子がすらすら英語で会話を進めるのには口が開いた。


2002年09月14日(土)



 晴れ

 今日もまた書くことがないまま一日が終わろうとしている。
 宮武外骨『一円本流行の害毒と其裏面談』(青空文庫版)読了。なんというか物好きの好みそうなしろものだ。僕がこれを手に取った(?)のも片隅の物好きがうずいたせいだ。エキスパンドブック版のこの作品では、入力者も物好きなほうらしくて表紙やら奥付やらを再現して、こだわれるところはとにかくこだわろうとしているのがまた目立っている。(なのになぜ、表記を現代風にわざわざ改めるというとんでもない身勝手をあえてするのだろうか。おかげで本文云々よりちぐはぐさがいっそう強調されてしまった。)
 外骨氏は、いかに一円本という出版形態が軽薄で、人を馬鹿にしていて、良書や心ある読書人を貶めているかを、おそらく大真面目にぶった切っているのだが、なんともその書きぶりがおかしくてそこここで笑ってしまった。

又著作者としての行為で最も不徳を極めた者は、利口不食(きくちくわん)ではなく破廉恥漢なりと呼ばれた泥仕合の総大将である

とか、(なおこの総大将とは「汝に良心ありやと罵られた」「出版界の狸爺」の「ノロマ」だそうだ)

   彼の講談社などが「満天下の熱狂的歓迎」と云っても、誰一人信ずる者はなく、「売切れぬ内にお早く」と云っても、急いで買いに行く者はあるまい、と難ずる人もあらんかなれど、講談社の如きヤシ的出版屋の広告はそれにしても、・・・(後略)

   仮令や文芸上の大傑作であっても、其読者が低級で作の真髄に触れるだけの能力なくば、猫に小判、寧ろ時間浪費の損あるのみ、真珠と瓦礫との区別がつかない米屋の小僧、蕎麦屋の出前持輩にトルストイを読ませイプセンを読ませて何にかなる、これをしも文学の普及とはチャンチャラ可笑しい、又大衆の名をかりて徒らに末梢神経をのみ刺激する非芸術品の横行、これをも文運の促進とは聴いて呆れる、大量生産の十が九は、それ等の手に帰する外はあるまい、これを我輩は多数少国民を荼毒せし文弱化と叫ぶのである、判ったか

などと、もう言いたい放題でうらやましいほどだ。とくに最後の「判ったか」のほか、「ド畜生奴」「ここな文壇の剽窃犯人(どろぼう)」「ナモ」と各節の締めの文句が秀逸ぞろい。
 いやいや、まいった。なんとかして外骨氏には墓場から抜け出してもらって、活発に現代を斬ってもらいたいものだと切望する。


2002年09月12日(木)



 晴れ

 昨日の晩ついに「スターウォーズ」をはじめて見た。部屋にVCDで全作そろっているのでじっくり見ようかと思ったがあまりつまらないので完全にそんな興味を失った。これがそんなに騒がれているのかとか、くだらないことばかり思いついた。ハリウッド嫌いとか、そんな色眼鏡で見ていると思われるのも嫌だが、つまらんものはつまらん。話自体が窮屈でスケールの小ささばかりが目立つ。だいいち登場人物に魅力がなくて興味が持てない。ガンダムのほうがよほど深い。
 映画史上革命的だったのかもしれないが、技術は残酷なスピードで古びる。
 そのとき、残るものはなんなのだ。 それとも、公開時に「全米が驚愕」すればそれでいいのか?


2002年09月03日(火)
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