ゆれるゆれる
てんのー



 台所が好き?

 吉本ばななの『キッチン』を読んだ。土曜日、メガモールで仕入れたものだ。

 古本屋なのだが、そこにいた日本人の客がどうにもおかしくて、思わず立ち読みするふりをして観察してしまった。

 お父さんがPHP文庫を手にとって「いい加減なことばかり書いてるなあ。腹が立ってきた」と憤懣やるかたなし、という口調で話していたが、その相手は7,8歳のてめえの息子なのだ。

 貧乏旅行者風の若い男と女がにぎやかに品定めしていたが、あまりにも話がかみ合わないのだ。男は「志茂田景樹って死んだっけ」「あっこの本読んだことある」などととにかく始終話してはいるものの、明らかにあまり本を読まない人のようだ・・・と思っていると「詩はいいよねえ。これとかどう? 藤村の詩とかいいよ」と、箱入りの全集ものを抜き出したりするのだが、女は「あたしそういうの興味ないんだ」の一言で片付けてしまうのだ。

 男が好みを探ろうとしたのか、恋愛エッセイを指したりすると「ああいうのつまんない」とこれも一言。「映画の原作なんかないかな」といいつつ女は一冊抜き出し、「あたしソフィー・マルソーすごい好きなんだあ」と、ついに糸口発見かと思いきや、男は「その人って作家なの?」というクリーンヒットを返し、僕はもうこの二人を尾行したい誘惑にかられてしかたなかった。

 さてとにかく本を仕入れて中毒症状が緩和されたのだが、『キッチン』にはあまりに名作たることを期待しすぎていたかもしれない。「バブルというのも、あれはあれでいい時代だったのかもしれないなあ」という、ふやけた馬鹿みたいな言葉が、この作品に対する主な感想だ。味覚の境界があいまいで、くどくどとはしていないが明らかに甘い、バナナラッシーとでも言っておこう。これは虚構なのだ、おばあちゃんでもニューハーフでも、どんどん死ねばいい。そして生きていく希望か何か、主人公がつかみかければめでたしめでたし。

2002年10月27日(日)



 私の顔に恵みの雨を。渇いてなどいない。雨だれの音を聞きたいのです。

 そういえばこのごろ雨が降らない。うわさではとっくに雨季に入っているようなのだが、当のマレーシア人に聞いても答えが要領を得ない。

 あまりたいした問題ではないのだろうか。雨季と乾季のどちらかしかないのに、どうしても返事に「maybe」が含まれてしまうのはちょっとおかしくさえある。

 梅雨入りが平年より何日早いといっては騒ぎ、何かの具合で「今年は梅雨明け宣言なし」なんてことになるとスワ「地球規模の異常気象が・・・」と突然話を大きくしてしまう人たちが微笑ましく見えてきたりする。

 そんなに異変を待ち望んでいるのなら一発くらい「観測史上最強の台風」や「この百年で最悪の豪雨」なんて彼らむきな修飾句がいっぱいついたやつをお見舞いしてほしい。築地とお台場だなおもしろそうなのは。

 話を大きくすれば立派な論客だと錯覚しているのも彼らだ。
「もし一般論の国というのがあったら、君はきっとそこで王様になれるよ」(村上春樹『羊をめぐる冒険』)

 しかしつまんねえこと書いてるなあ。ねえ、「web日記」ってどんなものを期待して読んでいただいてるんでしょうね。他人の自己顕示欲に身を任せたいなんていう素晴らしい人格を持った人もいるのかなあ。

2002年10月24日(木)



 忘れ物が返ってきた

 夕方サクセス(成功海鮮飯店)で飯を食ってからカンパニーレッスンへ出陣、するがなんと教材などをレストランに置き忘れてしまう。

 学校のものだし遅刻必至だし、しかも間違いなくもう見つからないだろうと思いつつ真っ青になって40分後に取りに戻ると、なんと店の兄ちゃんが確保してくれていた。

 いやあ、異国でだって、持つべきものは行きつけの店ということだ。僕の顔を見るなり「ああ!」と言ってにこやかにファイルケースを差し出してくれた兄ちゃんに後光がさして見えた。明日にでも行ったら高いモノ頼もう。

2002年10月23日(水)



 不思議なほど順調な火曜日

 そう、僕はしおらしく「大過なく」毎日を過ごすことが目下の最大目標である。そして今日は珍しく、ほぼ目指したとおりの一日を送ることができたのでまったく満足している。だってぜんぜん余裕なんてできないんだもん。

 さて、我が棟のミニマートに、新たに安いビールが入荷された。ここはスーパーではないので、タイガーやカールスバーグなどの一般銘柄でもRM5.2もするのだが、この新入荷ものはRM3.5、これならつい買ってしまうというものだ。

 それでも日本の発泡酒に匹敵する値段であり、同じ金でナンとカレーが食えたりタクシーで3キロほども行けたりするくらいには贅沢なのだ。が、とにかく俺のライフラインである。文句を言う暇にごくりとやる幸せが勝る。

 このビール、インドネシアからの輸入物でその名も「BATAVIA LAGER」。んーいいねこのセンスも。結構飲みやすくて、安堵のため息とげっぷがほとばしり出た。


2002年10月22日(火)



 きのうと同じ今日を、今日と同じ明日を送ることは、いいことか悪いことか。

 一週間という存在が、ただ消費されこなされていくだけに思えたりするが、あるいはもともとそんなものなのかもしれない。

 時間だけが過ぎていくというなんとはなしの不安は誰でも持つだろうが、どうして不安になるのかはどうやっても分からない。確実に「死」が近づいてきているからなのか。

 だがいつだって僕たちは「きのうと同じ今日、今日と同じ明日」を迎えるべく、いままでがんばってきたのではないのか。

 民衆は変革を求めたりはしない。僕も変革など求めたりはしない。だが訪れる不安もまた確かな存在だ。

2002年10月21日(月)



 晴れ

 死んだように休日を消費する。

2002年10月20日(日)



 建売の、西に沈む、夕日見やりつつ

 ビギナー1の学生、ボンさんとベーさんと、タイパンのSecret Recepe(地元のケーキ屋&カフェ。一番人気)へ。チーズケーキのマーブルという種類が、シンプルだがきちんとうまい。チーズケーキには目がないのです。彼女たちは、留学経験こそないらしいが聞いていて心地よい英語を話す二人だ。

  我に力を与え給ふな言葉ども
  見ずやアカネ染まむばかりの入日かな
  酔ひて立ち座りて見しは誰の夢ぞ


2002年10月19日(土)



 今日も無題

 一ヶ月も開講延期が続いていたビギナークラスがやっとオープンした。実は顔を覚えるのが教師の一番大事な仕事だったりするが、これがとんでもなく苦手で逃げたくなる。また20人か。

2002年10月18日(金)



 無題

 B2のジリアンさん、エリンさん、チーさんとおかゆを食べに行く。SS15。学生はお金を受け取ってくれない。こちらから誘うのはとても難しいのだけど。誤解されがちだしねえ。でもそのままにはできない。

2002年10月17日(木)



 カモとテロ

 プライベート(サシ)で新しく教えることになる。マラヤ工科大学の学生だそうで、マレー系のきれいな女の子だ。それにしても頭がいい。回転が速いのが初対面でもすぐわかる。日本人でなくてもこういうのはけっこうピン、と来てしまうものだ。残酷なものである。僕など世界中どこへ行っても、抜けてるトロい奴としか思われないだろう。絶好のカモが来た、くらいが関の山だ。いや、実際そうなのだが。

 カモといえば、土曜日にチャイナタウンに行ったとき思ったのだが、やはり英語だけではまずふっかけられるのを心配しないといけないし、どんどん後回しにされてしまう。マレー語ならまず安心だが、なんといっても華人あってのマレーシア経済、中国語で少し注文なりなんなりできるとずいぶん有利だ。英語が話せると10億人と話せるらしいが、北京語が話せるとまず15億人は固い。シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、・・・華人たちの数も馬鹿にならないからだ。KLなら広東語、ペナンやジョホールなら福建語がベストらしい(面白いことに、ペナンの福建語とジョホールのそれは日本語の方言どうしほども違うらしい)。

バリ島の爆弾テロは、もうテロがいつ自分の身に降りかかってもおかしくないことを確信させるのに十分すぎる。犯行を疑われている「ジェマー・イスラミア」というのは近頃マレーシアでも摘発だとかでにぎやかな団体だ。
これは、しかし、まさかバリで。それなら・・・そういう意味での危機感だ。

2002年10月15日(火)



 がんばって

 予定のところまで進めず、「今日は宿題がありません」と喜ばせるつもりで言ったら、学生がニヤニヤして「先生、昨日バードパークへ行きましたから、宿題がありませんか」などと失敬なことを言う。どうでもいいが、君たちこのままじゃ終わらないよ。俺もがんばるから君たちもがんばってくれ。

2002年10月14日(月)



 自信がないから、記録に頼る?

 メジャーな観光スポットのひとつである「KL鳥類公園(Taman Burung)」へ。他の先生と学生が行くのに便乗してのお出かけだ。そうでもないと、当分行かなかっただろう。

 まあね。街中にこれだけの敷地を展開して、これだけのトロピカルな鳥たちを公開しているのはすごいけれど、とにかく高いです。RM22って、チャーハンが7杯食えるぞ。普通にRM2.2かと思ってしまった。マレーシア人だけRM12というのもさらに神経逆なで的だ。悪名高い中国でさえ、去年には外国人料金はほとんど姿を消していたのに。だいいち車でしか来られないんだから、こんな街中につくる意味もあまりなさそうだ。

 そしてお約束、「世界最大の鳥類公園」なのだそうだ。世界一ならなんでもいいのか、という突っ込みもなんのその。世界一高いツインタワー、世界一高いフラッグポール、世界一広い国際空港。まったく、マレーシアの「世界一」好きは滑稽です。


2002年10月13日(日)



 梨を買い、人ごみについて考える

 久しぶりにKLへ出る。土曜の夜、チャイナタウンの人ごみは言うまでもないが、どことなく風景に不自然さを感じてしまう。脂肪をだぶつかせた白人のおっさんやおばさん、そしてすね毛だらけの日本人旅行者など、この通りならではの人々が目に付くこともあるが、それだけではない。もちろん、他のナイトマーケットと比べてかなり高めの値段設定をしている屋台たちのせいだけでもない。この通りにあふれる人たちはたった二つの人種に分けられる――「売る人」と「買う人」だが、この人ごみの中を歩いていると、両人種が一致協力して、「あるべきチャイナタウン」を念頭に行動しているかのような錯覚が襲ってくる。

 言葉を換えれば、よくできた芝居を見ているような錯覚が襲ってくる。通りを行く誰もが、「売っている私」「買っている私」あるいは「見ている私」を意識していて、あるべき観光地、あるいは理想的夜市としてのチャイナタウンを最大限に満喫しようとしている・・・ような錯覚が、錯覚でないとしたら、相当に不自然なことに違いない。

 など、ころころと考えつつも、日本の「幸水」と同じような梨をいくつか買う。Pearは「西洋ナシ」だけど、日本型の梨はなんというのだろうか。「和ナシ」か?

 くだらない思考は、帰り際に同行した他の先生が財布をすられるという事件で打ち切られた。案外世の中というのはずっと簡単なルールで動いているのかもしれない。


2002年10月12日(土)



 曇り 夕方からかなり降る

 つまり僕には俗才がないので、「今日は何もなかった」とさえ書けばいいところをその日に書くことができない。一ヶ月も続かないなど、我ながら少し情けない。

 夜Giantへ。どうもこちらのスーパーというのは、落ち着いて買い物ができない。導線が悪いのか、僕のポジショニングがずれているのか分からないが、とにかくいらいらする。日本のスーパー大好き。


2002年10月11日(金)



 僕らが見る景色

 今日は驚くほど書くことがない。まいったなあ。週刊誌のエッセイなどどんなにつまらなくても、締め切りに間に合うというだけでそれはひとつの才能だ。「事務的の能力については、まあいわば俗才だが、人並み以上のものを持っている」と、司馬ちゃんの描く子規ふうにひねくれてもいいがとにかく才能だ。

今日の発見としては、僕と、学生たちこちらの人間は、生まれて初めて連絡し、交錯したはずなのに、ずいぶん同じような価値基準の上で生きているんだ! ということ。ほんとうに人種ってなんでしょう。文化ってなんでしょう。言葉ってなんなんでしょうか。もっと違っていないと、僕としては不満なんだけど。


2002年10月10日(木)



 Dark Water

 夜、学生と一緒に映画を見に行く。「Dark Water」、原題は「仄暗い水の底から」、そうあれである。

 その日の最終回だったし、映画が映画だしろくに客もいないだろうと思ったらなぜか満員で、驚いてしまった。予告編に続き、「東映株式会社」の巨大なタイトルバックが現れて二度びっくり(当たり前なんだけど)。こちらで暮らしていてときどき、ここがマレーシアだということを忘れてしまうことがあるが、こういうときは逆に、ここはマレーシアなんだなあ、こんなに俺驚いてんだもん、と思ってしまう。

 いい加減なエンディングに3度目のびっくり。それにしてもマレーシア人というのは日本文化なら何でも好きなように見える。笑い、悲鳴を上げ、日本人よりよほど映画を満喫しているし。


2002年10月09日(水)



 生姜

 とかく否定的に考えがちになるが、僕はほとんど手をたたいて祝福したいような気持ちでさえある。「しょうがない」というぬるい人肌の毒物よりよほど健全だ。なにがどう「しょうがない」のか、考えてみようともせずひたすら妥協、惰性を続けて忍耐ぶるのはできの悪い2時間ドラマでたくさんだ。

 決断した、という一点で、決断はまず評価されるべきだ。前向きな、戦略的な(策謀ととってもいいが、先を見据えたあるいは今後を考えた上での戦略と言う意味)考え方を、実際の行動に移すのは難しいというのは、よくあることだろう。もちろん、決断はゴールではない。出発点であり、すでに重要な過程でもある。だからこそ、他人になるというこの決断を必要以上に特別視するべきではないし、あまりに低く見るべきでもない。

 二人それぞれの人格を尊敬しているからそう思うのだろうか。
 あるいは、相手のことを考えた上での決断というものを夢想しすぎているのだろうか。

 小林秀雄『常識について』読了。多作な彼の本を読むのは、これが初めてなので、まだなんとも言えない。


2002年10月08日(火)



 沈黙と期待

 自分の外なるものに期待をしないようにしている。期待するから、裏切られるという言葉が生まれる。期待していますよ、などという言葉は、脅迫でなくてなんであろうか。

 期待する、という日本語の語には、あまり悪い意味が含まれていないようだ。だがどう考えても、ずいぶん虫のいい自分勝手な心の動きを指す言葉である。

 期待をしないから、プレゼントをとても気持ちよく贈れる。期待をしないから、他人の善意を素直に受け取ることができるうえ、悪意を受けても必要以上に腹が立たない。恩をあだで返しやがって、というが、返してもらうつもりで与える恩なら、はじめからやらないほうがお互いのためだ。

 そして何よりも、期待をしないから誰も自分の期待にこたえようと無理をしない。

 人間が嫌いだから期待をしないのではなく、期待をしないから僕は周りの人間というものが大好きなのだ。

 じゃあどうすればいいのか、ということだが、だから何もするなよ、よく見ることだよ。無関心なら楽だが、むしろ黙って、本来の意味で「黙って」見ることを、僕は大事だと思っている。

2002年10月07日(月)



 晴れ時々雨

 チャイナタウンで雨をやり過ごし、ロイヤル・セランゴールで友人への結婚祝いを手に入れる。

  哈密瓜のもやうにそふて雲近し


2002年10月06日(日)



 終わる夏おわらない夏

  鼻先のへの字わづかに傾けり
  雨上がり野蒜くさきは人徳か
  忘れじの夏をとどめて北緯二度

 広島は57回目の夏を終えている。東海岸でイギリス艦2隻が沈められてから、まだこの半島では同じ夏が続いている。じき、61回目の12月がやってくるが、同じように暑いだろう。
 日本海軍によるクアラルンプール占領は1942年1月11日である。


2002年10月05日(土)



 わたしお酒飲めない体になってしまったの

 紹興酒に、梅のドライフルーツみたいなのを入れて飲む。写真を撮るのをまったく忘れるほど食事に集中してしまった。

 バーにも行ったので、ジョニ黒などというやくざな飲み物にも手を出してしまう。シーバスリーガルと同じ値段というのはなんだか安い気がする。というか、どうも全体的に予想外に安い。街中のパブのほうが値段の吊り上げ方がひどい。なんでかな。


2002年10月04日(金)



 連日、白き雷雨にあひて、こころもちを

  こりゃ近い、猫背いっそう丸くなり

2002年10月03日(木)



 椎名さんと・・・

 椎名誠『砂の海 楼蘭・タクラマカン砂漠探検記』読了。奥付を見ると文庫化は去年の末だから、まだまだ新しいものだ。まあ、この旅行自体はまだソ連が元気だったころの話だから、もうかなり昔といえば昔だが。この人は最近、かつてのパワーがなくなってきているのではないかと思っていたのだが、ちかごろはどうしているのだろう。それにしても、この本では、以前の彼なら決して書かなかったような表現で文章がまとめられていたりして、なんだか残酷だなあと思う。時間の流れが、だ。

 いちいち叙情的に、月がどうしたとか、彼女らはこれから帰って昼寝をするだろうとか、そういう表現をする彼が(意識して書いているようなところがある)、なんとなく残念なのだ。

 もちろん、一面的に見てはいけないと思う。中学一年のとき、初めて、はまった物書きが椎名さんだった。覚えている。『日本最末端真実紀行』だった。それからというもの、文字通りかき集めるようにして本棚を椎名だらけにした。『日本〜』はもちろん好きだし、そもそも何でも読む。「新宿赤マント」シリーズ、『アド・バード』『水域』『ねじのかいてん』などのSF(後者2作は傑作だ!)、そして『白い手』『岳物語』や『犬の系譜』の系譜。叙情や私小説的手法が嫌いなのでは、けっしてない。

 僕が椎名さんの本で一番好きなのは、『パタゴニア あるいは風とタンポポのものがたり』だ。

 この本は、世の紀行文の中で一番好きな作品でもある。そして、恋愛小説の中でも。

 椎名さん、そんなに落ち着いてちゃつまんないよー。
 じいさんみたいに、昔の武勇伝や見聞を語らないでよー。

2002年10月02日(水)



 晴れ 写真の感想が聞きたい

 HPやっといじりました。なんだか文字化けしちゃうかもなので、エンコードは自動選択で。また直します。それ用の日記にするつもりはないがどちらもよろしく。
 やっぱり、日記を公開するやつって多かれ少なかれ変だよね。


2002年10月01日(火)
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