マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) 無茶はしないが無理はする。


前回の信大で新しい薬を混ぜてもらったら、痛みはたしょう軽減されたんだけど、めまいや立ちくらみが酷くなった。
痛みに関しても、軽減されたからと言って、やはりちょっと手足を使いすぎると翌日の痛みが半端じゃなくなるので、騙し騙し、少しずつ使わないといけないみたいだ。

こうやって自分の状態と薬の効き具合とのかねあいを見計らいながら、この病気に慣れていくしかないんだろうなぁ……。
ついつい痛みが減ると、今まで無理なく出来ていた事をしたくなるので、元の木阿弥になってしまう。

今回の夫の給料はこよなく少なかった。
まぁ、GWもあったことだし、アタシがこんな病気になって何もできない時があり、3日ほど休んでもらったので仕方がない。
それが日給月給の泣き所。
とうとう生活費が底を突いてしまった。

なので明日から極力毎日店を開けることにした。
(明日は用事があって夜出かけるので、私は出られないのだが、コマキとぇみちんが店を開けてくれる。)
あさっての土曜日は、AKIKOさんとアタシの二人で店を開ける。

食べ物関係はとても少なくなるけど、アタシが今以上に動けるようになるまでの間、我慢してくださいね。
多少の物は用意しておきますので。

なお、こんな身体なので今まで通りの営業時間を務めるのはちょっと無理なので、当面の間、平日は7時から11時まで。とさせていただき、金・土は今まで通り、お客様の居座り具合を見ながら(笑)1時までの営業にさせていただこうと思う。
なので平日に来てくれる人はなるべく早目に来てね。

今日は信大外来の4日目。
少し薬の調整をしてもらって、店に備えようと思う。

もちろんあまりに痛みが強い時はできない日もあるかと思うのだが、無茶はせずに無理はしないと、明日から生きていけない身なのだ(笑)

アタシの事なので常連さんに甘えながら、上手くお客さんをコキ使って、店を始めていくつもりなので、どうかご協力のほどよろしくお願いします。



2012年05月31日(木)


 (日記) 篠之井病院の予約が取れた!!!


思ったよりも早く篠之井病院の予約が取れた。
浦野先生を求めて全国から患者さんがやってくると聞いていたので、2〜3ヶ月は先かと思っていたんだけど、来月の27日に予約が取れた。
なので何としても来月までは生き延びていなきゃ……。

一昨日信大で新たな薬をもらった。
今までのリリカのミリ数を減らし、サインバルタと言う薬が加わった。
飲んだ初日(おととい)は、第一、第二、第三の痛みの全てが酷く、夜も眠れず不安な一夜を過ごしたけど、今日は何んとなく薬が身体になじんできたのか、痛みも少なくパソコンに向かう気持ちになれた。
まだ飲み始めて二日目だし、リリカだけの時も効く日、効かぬ日と様々だったので何とも言えないが、今日は調子が良いので、このまま夕方までこの状態が続けば、店に顔を出すことは可能みたいだ。
こうやって、色々な薬を模索しながら、自分に合った治療法を探していくのが、この病気の道のりらしい。

何しろアタシは店が出来ればいい訳で……。
何しろアタシは皆の顔が見たい訳で……。
何しろアタシは包丁とフライパンを持ちたい訳で……。

当面はたったそれだけの望みなので、そこまで何としてでも持っていきたい。

チョット油断して手を動かし過ぎると、又激痛に襲われるので、今日の日記はここまでにしよう。





2012年05月26日(土)


 (日記) 今日は信大再診の三日目……。


今日は午後の二時半から信大病院に通い始めて3回目の診察日。
もう【線維筋痛症】もしくはその前兆の【慢性広範囲疼痛】に違いないのに、きっとこのまま信大だけでの診察を続けていれば、今日も前回増やした検査結果を聞き、又次の検査をしてみましょう…に留まるんだろうなぁ…。

なので今日は篠之井病院への紹介状を書いてもらい、線維筋痛症の名医である浦野先生に診てもらう方向に持って行こうとは思っている。
思ってはいるんだけど、でも、篠之井病院での診察代は初診料含めていくらくらい掛かるのかなぁ……。
もうほぼ無収入になって2カ月。早急に何か収入源を見つけないと金銭的に限界だな……。
とてもチョンマゲの10万前後の給料で、家と店と両方の存続を保っていくのは物理的に無理だ。
かと言ってこんな年齢と身体の状態では仕事などないだろうし、外で身体を動かして働くくらいなら、例え少しの時間だけでも店を開けて居たい。

あの店に集まる楽しく魅力あふれた人たちと、まだまだお別れしたくないよ……。
もし店を手放した後、身体が治ってしまったら、店を手放したことを一生後悔しそうだし、若いころから店一筋で暮らしていたアタシに、他に出来ることなんてないもの……。

【線維筋痛症友の会】からのアンケート資料を見てみても、線維筋痛症のコミュのコメント欄を見てみても、痛くて家事や仕事や運転が出来ないため、生活費や医療費やタクシー代にとても困窮している人が最も多く、難病指定がされないため、福祉やその他からの援助も何も受けられていない人が殆どだ。

この病気、見た目は怪我をしている訳でもないし、包帯を巻いている訳でもないし、健常者となんら変わりがないので、役所の人にもこの病気を知らぬ医者にさえも理解されない事が一番の辛さだと言う。

医療費を稼ぐためだけに、激痛の身体をひきずりながら仕事をして日々を終えるたび、自分は一体何のために生きて居るのか解らなくなる…と言う悲痛な叫びが、ところどころの個所で見受けられる。

もしアタシも今後治らず、悪化の一歩をたどって行くんだとしたら、早く店を手放し、家賃その他を一つにしなければ……。でも、アタシの状態はまだまだ他の患者さんと比べたら良い方なので、早とちりな決断だけはしたくないのだ。
神様が答えを持っているとしたら「アタシはこの岐路で、どうすべきなのですか?」と聴きたいのに……。
こういう質問をしても「自分で考えろよ!!」と、神様は知らん顔……。

どっちみち、篠之井病院に行って、先ずは診察と診断をしてもらい、その向きで真剣に今後の身の振り方を決める以外にないと思う。
今こそ、のるかそるかの瀬戸際だ!!!

ぐうたら神よ…どうかご慈悲を!!!!!
ロト6で6億当てた方、コレを見てたらどうか100万のご寄付を!!!!!!


2012年05月24日(木)


 (日記) 薬が効いている内に……。


今日は痛み止めが効いてるせいか、なかなか調子がいい。
これが朝の9時ごろになると薬が切れてくるせいか、手足、その他が痛み出してくるので、慌てて胃袋に何かを掻き込んで、薬を飲むのが今の日常。

この病気は、通常なら良く効くボルタレンやロキソニンなどの痛み止めが全く効かない病気なので、今のところアタシはリリカ一筋で、リリカ様様で、リリカ命!!な訳で……。(エリカ様じゃないよ)

でも不思議な事にリリカも効く日と、全く効かない日があって、あまりに朝から痛い日は、自分の食事を考える余裕もなくなり、大好きな文章を書く気もなくなり、酷い時などチョンマゲが帰ってくるまで何も食べずにベッドに横たわり、ポロポロ泣いている日もある。
コレじゃ痩せる訳だわよね…(苦笑)
でも、今朝のように良く薬が効いている日もあり、そんな時は短距離の運転も、ある程度の家事も、多少の買い物も可能なのだ。日記書きにも力が入る。

最初は、ただでさえ極貧な時期に、なんでよりにも寄ってこんなに痛くて辛い病気になってしまったんだろう…と、世を儚みましたよ…。神も恨みましたよ……。
やはり神様は何かにつけて、アタシを死なせよう、死なせようと誘導しているに違いないと……。
癌の時の方が痛みがない分、よっぽどマシだったし、そのお陰で一時的にアタシにとっては癌保険の会社から保険金も入って、生まれて初めてプチリッチな体験もし、健気にも実際に癌になって大喜びしたくらいなのに……ってね。

でも、マイミクさんたちからのメッセージにも返信したのだけれど、今この病気になってみて、コレはアタシが自分自身で望んでなった病気なんだな……って思うのだ。

きっとアタシは生まれる前
「アタシは他の人には味わえないような、ジェットコースターみたいな人生を歩んで、人とは違う何かを得たいし、絶対に自分から命を捨てる様な馬鹿なマネはしないから、そんな人生スケジュールで下界に下ろしてください」
と、誕生の神様に約束してこの世に下ろしてもらったのではないかな…という気がしてきたのよ。
なのでこの病気になることも必然だったような気がする。
誕生と共に、神様とのその約束はケロリと忘れてしまうので(忘れさせられてしまうの…かな?)、しょっちゅう泣き言も愚痴も言うのだけれどね……(汗)

まだまだ「違う何か」は得られ切れてはいないけど、でも、そんな人生をさほど腐り切らずに歩いていたお陰で、そんじょそこいらには居ないような、優しくて、魅力的で、素敵な人たちとたくさん知り合えてきたし、その人たちから有り余る恩恵も受けて来られたし、楽しくて良い思いもたくさんしてきたし、この先も道を大きくは外さずに、それを全うしてちゃんと生を終えられたら、向こうでとても神様に褒めてもらえるような気がするのだ。

だからやはり、何があってもこの生を頑張り切るこが、何よりも大切なのだと言う気がしてきた。

明後日は信大の再診日。
そして紹介状を書いてもらって、篠之井病院にも行ってみる。
浦野先生にお会いするのがとても楽しみだなぁ……。
又そこから、何かの出会いが広がりそうな気がするなぁ。


2012年05月22日(火)


 (日記) 明日の土曜日は店を開けますので。


明日の土曜日はAKIKOさんとえみちんとで店を開けてくれるそうです。
このところ店の営業は週一ペースになってしまってますが、なんとしてでもアタシが完治するまで「からくり箱」を残したいと言う我儘な思いに、友人たちが応えてくれている証しでもありますので、どうか少しでも覗いてやってください。

アタシは顔を出せるかどうか解りませんし、とても出したいのですが、多分今日の状態だと無理だと思うので、どうぞどうぞ、鬼の居ぬ間の洗濯だと思って、アタシへの悪口だの、コキオロシだの、恨みつらみなど、お好きに吐いて盛り上がってください。(笑)
でもアタシの耳は百人力の聴覚を持っていますので、里山辺まで届くかも……。
アタシャ、家でクシャミをしながら、地団太を踏んで悔しがっていますので。


なお、暇してて、酒好きで、雰囲気好きで…、バイト代はともかく、週一でも週二でも、店を開けててやっても良いわよ、と言う奇特な方がいらしたら、是非メッセ欄にご一報くださいませ。
(基本女性がいいな)
その日の売り上げ次第では、ちゃんとバイト代をお支払いしますので。


2012年05月18日(金)


 (日記) 慈悲深い言葉になみだ、なみだ……。


昨日の午後、【線維筋痛症友の会】に電話をしてみたのだが、留守電になっていた。
そして今日も10時過ぎにかけてみたのだが、やはり留守電。
他を見てみると相談フォームがあった。

今日は多少痛み止めが効いていて、キーボードが打てそうなので、パソコンに向かい、相談フォームにメールを打った。
もう、藁(ワラ)にもすがる思いで懸命に打った。

発病当初から今に至るまでの経緯、今現在の身体の状態と経済事情と思いなどを全て手短に書き、からくり日記のURLを貼り付けて、メールを打ち終わった。

そうしたら二時頃になり、代表者の橋本さんと思われる女性の方が、わざわざ携帯に電話をくださったのだ。
かなりアタシのメールに切迫したものを感じてくださったと言う。なので急いで電話をくださったみたいだ。

そして橋本さんが色々なお話をして下さった。

※まだ難病指定にはなっていないものの、今では線維筋痛症は保険治療が出来ること。

※線維筋痛症は不治の病ではなく、治る病気であること。早い人だと数カ月で元の生活に戻れると言う。

※薬も、数種あり、その人それぞれの痛みに適応した薬を試すことで、日常生活が可能になる可能性は十分にあること。

などなど……。

彼女自身、何十年もこの病気と知らずに戦ってきた方で、彼女は篠之井病院の浦野先生と出会ったお陰で今があり、浦野先生には絶大な尊敬と信頼を持っている方だ。

橋本さんの声には長年病気と戦い抜いてきた方の優しさと、誇りと、慈悲がこもっていて、まるで私は【いのちの電話】に電話を掛けたかのように、泣きながら自分の心情を吐露してしまった。


そして橋本さんは最後に
「この病気はね、あなたの様に物事に真剣で頑張ってる人しかならない病気なのですよ…。」と、とても嬉しいことを言ってくださった。
そこでアタシは全てが報われた(救われた)気持ちになり、又号泣してしまった。

24日、信大に行ったら、医療相談をしてみることと、担当医に紹介状を書いてもらい、あくまでも治療の拠点は信大で行うのだが、篠之井病院に一度でも出向き、浦野先生の診察を受けてみることにアタシの治療方針は決まった。

橋本さんに
「私はいつもブログを書いているので、線維筋痛症に対する闘病記や、体験談や、この病気に対する思いなど、文面でのご協力はいつでもできると思いますので、是非ご協力させていただきたいし、友の会にも是非参加させてください」と言って電話を切った。

橋本さん、本当にありがとうございました。お陰さまでかなり心が安定いたしました。

又、希望がわき、道が拓けた。

これも情報提供をして下さった皆さまのお陰です。本当にありがとう。


2012年05月17日(木)


 (日記) 信大二日目結論出ず。


もしもアタシの予想通り、アタシの病気がほんとうに「線維筋痛症」だとしたら、どんな病院にかかろうが、すぐに検査結果など出る訳もなく……。
そもそもこの病気は、検査結果が出ないと言うのが一番の特徴の病気なのだ……。
だから今まで、あちこちの病院をたらいまわしにされて、何十年も経ってから、やっとこの病名が付いたと言う症例も多かったみたいだ。
しかも原因も治療法もいまだ確定されていないので、病名が特定されたとしても保険適応外の病気だと言う。
と言う事は、いくら生命保険に入っていても、入院保険金や死亡保険金は下りるにしても、治療に対する補助は下りないと言う事でもあるみたいなのだ。

結局きのうも検査項目を増やしただけで病名は付かず、医者曰く、「この病気ではない。あの病気でもない。ではこの病気はどうだろうか?と、検査をして消去法を取りながら線維筋痛症にたどり着くという工程になると思うんですよね」と言うようなことを言っていた。
次回の再診は24日だそうだ。

アタシにはもうそんな悠長に構えている時間もお金もない。
店を満足に開けられなかった日はもうゆうに通算一カ月を超えてしまった。
チョンマゲの収入だって足が悪くて正社員ではなくなってしまったので十万前後だ。
明日のコメや醤油にさえ困っていると言うのに、そう何度も何度も信大にだって通えやしない。
何かの手立てを考えると言っても、運転さえ満足にできない日の増えたアタシは、どこへ行けばいいのか、もう頭も身体も心も回らない。

大原麗子さんが、インターフォン越に詰め寄る記者たちに「私の身体、一体どうなっちゃってるんでしょう…、アナタたち何とか教えて下さいよ!!」と泣きながら叫んでいた気持ちがアタシには痛いほどよく解る。

お金も尽きて身体も満足に動かせないアタシ達に、まだ何かの手立てがあるとしたら、本当になんでもいいから教えてほしい気持ちでいっぱいだ。
こう云うネガティブな事を書くと、又人様を困らせたり叱られることは十分承知だけど、今のアタシたちと同じ経済状況で、このような身体の状態になって、なお前向きにポジティブに考えられる人が居たとしたら、なんでそういられるのか教えてほしいし、今のアタシはそんなに強くはなれない……。

どんな苦境に立たされても、自分の本当の気持ちをひた隠しにして、明るくポジティブに居られる人は健気で立派かもしれないけれど、アタシのように心の叫びを本音でぶつける人間が一人や二人いても、この状況ならいた仕方ないか……と、今しばらくはどうか温かい目で見て我慢してほしいのだ。

今は気持ちも身体も気まぐれで、深く沈んでみたり、全然普通だったり、却って明るかったりと、様々だ。
アタシはこれでも単純バカなので、チョットした事でまだ笑えたり、嬉しかったり、希望が出たりもする。

なので今まで通り、ジョークで笑わせられるような日記だって書ける日もあると思うし、今日のように暗い日記になる事もあると思うけど、それが今のアタシの日々の心の状況&本音だと思って、まだ付き合ってやってもいいかな、と言う人は、これからも付き合って下さい。(笑)


2012年05月16日(水)


 (日記) ま、ま、ま、まさか……!!!???


最近のアタシの身体の状態はこんな感じだ……。

先ずは24時間途切れる事のない、第一の痛み(浮腫やシコリを伴い、かゆみがなく痛みだけのシモヤケのような状態)は、手のひじから指先までと、膝から足の指先(特に足の裏全体)までに決して消えることはなく常にあると言う感じだ。

特に手の平や足の裏はいつも所々腫れていて、ふくらはぎや足横の筋肉、腕の両筋肉に沿ってその痛みが強く出、それが薬の効果に寄り、酷くなったり弱くなったりするものの、24時間痛みっぱなしと言う事には変わりがない。

そして第二の痛み(毛細血管の中に無数のガラスの針があり、それが走りまわるようなピリピリした耐え難い痛み)は、脚首と手首から先に不定期に起こり、薬が切れかかった時や、身体が不調な時に強くなる。
コレが第一の痛みと重なり、この痛みが起こると、もう誰とも口がききたくないほど辛い。こうなると、どんなに面白いTVも本も耳や目に入らなくなる。

そして最近出てきた第三の痛みと言うものがあり、手足に限らず、背中や腰や胃や頭や胸まで痛みは広がって出てくるようになり、横になっていても辛い。

そしてこの症状群とは別に、常に手が氷のように冷たく、金属のドアノブや引き戸、水の入ったグラスなどを触ると、氷も入ってないのに、異常なまでに冷たく感じる。という妙な症状もある。

リリカと言う痛み止めを、最初の3倍に増やしてもらい、毎日飲んでいるのだが、結構効く日と、全く効かない日の差がある。

 
サテサテ……。
昨日の母の日は一際痛みが強く、第三の痛みまで出ていて、アタシは何もできず、横になりながらも身の置き所もなく、あまりの辛さと情けなさにポロポロ涙を流していたのだ。

チョンマゲはゲラゲラ笑いながら、そんなアタシをいつもの、【笑えるコキオロシ】でからかいながらも、甲斐甲斐しく洗濯や、猫たちのトイレ替えなど、足を引きずりながらも忙しく動きまわっている。

(チョンマゲがかわいそう……。チョンマゲの足だってあんなに腫れてるのに…。アタシがこの世から消えてしまえば、保険金も入って全て円く収まるのになぁ……)
どうしたってそんなマイナーな思いが過る。
こんな自分に腹が立ち、又ポロポロ涙ばかり出てくるのだ。

そんなアタシを苦笑しながら気遣い、ひと段落ついた様子のチョンマゲが「今日は母の日だし、ささやかなお祝いしに、11時過ぎたら、前から行きたがっていたパスタ屋にパスタを食べに行こうよ」と言うのだ。

二人とも朝から何も食べてなく、互いに薬も飲めないので、11時を過ぎてアタシはシップだらけの手足を隠すべく、長袖のシャツとパンツに着替え、二人で蟻ヶ崎のパスタ屋へ。
駐車場からパスタ屋まで、二人で足を引きずって歩きながら「アタシ達、立派な身障者夫婦だねぇ…」とケタケタ苦笑し合った。

久〜しぶりの外食を終え、パスタ屋を出て家に戻り、ようやくリリカを飲み、横になったものの、1時間たっても2時間たっても、リリカは一向に効力を発揮せず、三種の痛みが否応なしに襲ってくる。
日々、急速に色々な痛みが増して来ている事実だけは、もう認めざるを得ない。

「痛いよ〜〜〜。辛いよ〜〜〜〜〜〜。唯一効くはずのリリカまで効かなくなれば、アタシはもう生きて居たくないよ……。コレ以上痛くなったら、もうどこかから飛び降りる!!」
と、ついつい最低の言葉が口を突く。

『又そういう事を云う……』

そんなやり取りをしながらも、二人とも知らず知らず眠ってしまったみたいで、目が覚めたら夕方の4時を回っていた。
先ほどまでよりは多少は痛みが軽減されているものの、やはり痛くて痛くて仕方がない。

「これ以上負担掛けたら、今度はアンタの身体が動かなくなるから、あさって信大に行ったら、入院する方向で診てもらえないか話をしてくるよ……。今度入院すれば長く入院できると思うから、保険も少しは下りると思うし・・・」

その後二人でTVを見たり、土曜の店の様子などを話しながら時を過ごし、夕食の時間になり、アタシが台所に居るチョンマゲにあれこれアドバイスをしながら、おかずを作ってもらい、食卓に着いた。

食後、リリカを飲んだが、まだまだ痛がって泣いていた(特に左手が転げまわるほど痛かった)アタシに、チョンマゲが……。

「しょうがないなぁ……。じゃぁ、奥の手を出すか!!!今から俺が真剣に氣を入れて治してやるから…。左手を出してごらん」と言う。

もちろんチョンマゲだってアタシだって半分は冗談であり、気休めであり、単なる慰めに過ぎないと思っている。
しかし二人ともなにがしかのパワーや氣は通常の人よりは持っているので、多少は神にもすがる気持ちで本気だったのだ。

アタシの痛む手の上にチョンマゲが手をかざし、何か怪しげな呪文(アドリブのデタラメ)の様なものを唱えている。
笑いそうになるのを堪えてアタシはされるままにしていた。

しかしチョンマゲが手をかざして数秒すると、アタシとチョンマゲの手の間に物凄く冷たい風の様なものが漂い、アタシの手の冷気が徐々に吸い取られていくような感覚が二人ともにハッキリ解るのだ。

互いに「ウソォ!!!!!凄く感じるよね」と言いながらも、そこに何かが生じている事だけは確かに解る。

5〜6分ほどそうしてもらっている内に、その手と手の間に流れていた冷たい空気が温かい空気に変わってきた。

それに対しても。
「今温かくなってきた!?ウソみたい!!」と、ほぼ同時に言い合い、二人で顔を見合って驚きあった。

「はい!これでもう大丈夫!! 明日起きたらマキュキュは左手の痛みが取れてるから!!」とチョンマゲが神様になったような言い回しで言う……。

「んなバカな…。もし本当に取れてたらアンタTVに出られるわよ!! 明日さぞかし起きるのが楽しみだわねぇ」
と、悪たれをつきながらも、昨日はあまりの痛さに疲れ切ってしまったらしく、かなり長い時間眠れたみたいだ。

今朝は7時までぐっすり眠り、起きたらもうチョンマゲは仕事に行って居なかった。

いつもの習慣で、起きると先ず、両手を開いたり閉じたりして手の痛み具合を計るのだ。
「ん? あまり痛くないなぁ…と言うより、こんなに強く握れたり開けたりした事は最近ないなぁ……。」
とひとりごとを呟いてみる。

どれどれ、起きてみるか・・・・・と、ベッドから起き上がってみたら、手の痛みも足の痛みも、殆どないではないか!!!
もちろん基本的な第一の痛みは多少手足のあちらこちらに残っているものの、発病してからこんなに痛みが軽減された日は一度もなく、スタスタ普通に歩けるではないか……。

何コレ!? ま、ま、まさか!!!本当にチョンマゲパワーなの!?

チョンマゲは霊能者でも何でもないので、まさかとは思うが、今までどれほどリリカを強くしてもらおうが、発病後、ここまで薬で痛みが取れてた事は一度も無かった。

と、ここまで書いたところでチョンマゲからタイミング良く電話が……。

「どうだ!!痛みが軽くなってるだろう…」
と得意げな声。

『チョットチョット、それがさぁ……今、丁度日記に書いていたところだけど、悔しいけどマジに痛みが全然取れてるのよ……』

「そうだろう…。俺が全部マキュの痛みを吸い取ってやったんだもの…。その代わりに今俺の腕が痛くて痛くてどうしようもなくなってきたよ…。マジやばい・・・…」と電話の向こうで嘆いてる。

なので

「昼休みになったら、誰も居ないどこかに横になって、痛い方の手を太陽に向かって差し出して『この痛みの元の悪い氣を宇宙にお返しします。どうか全て吸い取ってください』って唱えてみ?」
と言って電話を切った。
(もちろん、コレも今アタシが即興で考えた呪文であり、根拠も何もないww)

しかし、本当に不思議でたまらない……。

手だって今まで殆どグーもパーも無理で、昨夜は箸を持つのも困難だったのに、今は入れたてのコーヒーがたっぷり入ったマグカップが片手で持てている。
(いつもは両手を使ってやっと口に運んでいる)

本当にチョンマゲに何かの力が下りたのか、昨夜たまたまチョンマゲが何か得体の知れぬ力のアンテナになったのか、身体に蓄積されたリリカが偶然功をなして効いたのかはアタシにもチョンマゲにも解らない……。

しかし今のところ、今までで一番痛くない状態になっているのは確かな事だ。
多分、又痛みは出るのだろうし、一時的なものだとは思う。が……。
もしこの状態が長く続き、今日も氣を入れてもらって明日もこの状態だったら、チョット信じざるを得ないだろう。



2012年05月14日(月)


 (日記) 信大に行ってきました&今日は営業してみます。


今日は信大の診察を受けてきました。9時に行って終わったのは1時半でした。
医学生たちの勉強に協力して、医者の卵たちの珍プレーに大笑いし、アタシも笑わせたりしながら、楽しい診察になりました。
なんか人気者になっちゃった感じです。(笑)

その後は担当の先生の診察で、店の事、経済的な事、病状、痛みの種類などなど色々全てお話してきました。

やはり、今日の今日では結果は出ないらしく、血液検査の数値もほぼ正常なのは、今までの病院と同じで、ゆえに線維筋痛症の疑いは濃いと思います。
今日の先生にも真新しい病名らしく、その病気を視野に入れ、詳しく調べてくださることと思います。

今朝、(T)教授とも電話がつながり「かれこれしかじかでうんぬんなのよ・・・」と経過を説明し、意見も聞いて、たくさん話が出来たので、かなり気分的に軽くなりました。
(T)教授も線維筋痛症は初めて聞いた病名だと言って笑ってました。

次回の診察は15日で、その日かもう少し経っても病名が解らない時は、入院してみっちり調べてくれるそうです。

今日は痛み止めのリリカを増量しても大丈夫との事で、増量してもらったので、かなり痛みが軽くなると思います。
痛みさえ強くなければ、お手伝いさえいてくれれば店の営業も可能との事だし、調子が良い日は一人でも無理さえしなければ営業できそうなので、極力店を開けたいと思います。
しばらくの間、あまり食べ物は作れませんが、悪しからずです。

今日はえみちんが手伝ってくれるので店を開けます。
どうか貧困も極致にいたっているアタシに愛の手を差し伸べてください。

そんな訳で今後しばらく店は、不定期営業になると思い、ご迷惑をおかけすると思いますが、やれる日は日記とつぶやきに書きますので、お客様も一応携帯に電話を下さるか、メールにてご確認の上で、無駄足のないようにお越しくださいね。

今はそんな営業しか出来ませぬが、どうか必死なのでご理解いただけたら嬉しいです。


2012年05月11日(金)


 (日記) とても悲しい……。


あれは2004年の初秋の頃の事……。

アタシは当時、浅間温泉にある場末の旅館に隣接されたスナックで、パートをしていた。
無駄に広い店内には、成金趣味的な巨大なスクリーンと最新版のカラオケ設備があり、今更ながらミラーボールなんかも回っており、春には桜の造花や夏には色とりどりのミニ提灯、秋にはこれまた造花のモミジ、冬にはとても趣味が良いとは言えぬクリスマスの飾り付けなどが施され、正に昭和を彷彿とさせるような、いかにも和洋折衷の田舎風情のスナックだった。

昼の部と夜の部に分かれていて、随時2人体制で店を回していた。
芸者上りの70代のお姉さんや、近所の暇そうな主婦などを使っていたが、当時50近いアタシが一番若いと言う、ちょっとお客様には申し訳ないようなスナックだった。
その店には旅館の宿泊客がたまに来るくらいで、後は近所の爺ちゃん婆ちゃんが、自分たちで漬けた漬物などを持ち込み、昼間からカラオケを楽しみに来るという、半ばなぁなぁ的なスナックだった。

ある日その店に恰幅が良く、品の良さそうなご老人がみえた。
そのご老人は青嶋さんと言い、旅館のご主人のご友人のようだが、ご主人が留守だったのでアタシがお相手した。
青嶋さんは長年新聞記者をやっていたそうで、当時WEB日記を書き始めたばかりのアタシは、青嶋さんの話に興味を抱き、物を書くコツの様な話を教えていただいたりしながら、お話が盛り上がった。

「実は私も最近書くことに目覚め、WEB上でエッセイ日記みたいなものを書き始めたんですけど、文章がヘタクソで・・・・・・」と言ったら、是非あなたが書いたものを見せてくださいと言うのだ。

後日モジモジしながらお見せしたら、「あなたの文章は中々面白い。私は記者を引退して、今は木曽春秋と言う同人誌の編集をしているのだが、あなたの書いた日記を是非載せさせてほしい」と言ってくださったのだ。
他の方からは多少の出品料を頂いていたそうだが、諸事情を知っている編集長は、アタシの作品は無料で載せてくれていた。

4〜5回ほど載せていただいただろうか……。
その頃、チョットしたアクシデントが立て続き、アタシは精神的に物を書く余裕がなくなり、原稿を送る事ができなくなって、そのまま放置状態という不義理をしてしまったのだ。
やがてアタシはその店を辞め、今のからくり箱を持った。

ある日ドアを開け、「あなたの事を探したよ…」とご学友と二人連れで入ってきた青嶋さんの顔を見た時、アタシは思わず涙を流してしまった。
「その節は不義理をしてしまい、本当に申し訳ありません」
アタシは平謝りに謝った。
「なぜかあなたの事が気になって仕方がなくてね……。良い感性を持っているので勿体ないと思っていたんだよ・・・」

そんな事があり、時々からくり箱を訪れるようになってくれた青嶋さんに、アタシは悩みなども打ち明けたりし、父のように慕っていたのだ。
青嶋さんはいつもニコニコしながらアタシの言葉を聴いてくれ、時に厳しくも温かいアドバイスなどもくれるのだ。
歌の仕事で一回だけだが、アタシを使っていただいた事もある。
何かでお役に立ちたいと思っていたのだが、アタシに何も出来る訳もない……。

後に古い書物や古い映画に大変興味がおありだと聞いたアタシは、祖母が出演していたトーキー映画(松下村塾)のビデオテープをお貸ししたのだ。
祖母は吉田松陰の母親役で出演していた。

その後、もう一度ほど青嶋さんがお見えになった頃、「最近心臓の具合が悪くてねぇ…あまり飲めなくなってしまったよ」と言うお話を聞いた。

その来店が最後になり、ずっと何年間も音沙汰がなく、青嶋さんの具合も気にかかっていたし、そのビデオはマイミクのアネモネさんがアタシにプレゼントしてくれた大切な宝物で、アタシにとって、祖母の形見の様なものなので、それも気になってはいたのだが、具合が悪いと言うのに、こちらから連絡をするのは、ビデオの催促をするようで申し訳ないような気がし、ずっと連絡を取らずにいたのだ。

そんな青嶋さんから、今週の月曜日、からくり箱に電話があった。
その途端、涙が……。

お客さんが大きな声でカラオケを歌っていたので、指で片方の耳をふさいでも青嶋さんの力の失せたかすれ声がよく聴きとれない。
アタシは少々いらつきながらも、カラオケを止めてもらう訳にもいかず、聴き取れる分だけ聴きとろうと必死で受話器を耳に押し当てた。

「私はもう力尽きました。もうそろそろあちらからお呼びが掛かりそうなので、今身辺整理をしていたところなんですよ……。あなたにずっとお借りしていたままになっていた、松下村塾のテープをお返ししたいと思ったんですが、送り先の住所が見当たらなくて……」
そこまでようやく聴きとった時、アタシは堪らなくなって嗚咽してしまった……。

「私もいろいろあったの!! 大変な病気になってしまったの!! 苦しくて怖くて仕方がないの!!!これからどうすればいいの!? 青嶋さんにたくさん話を聴いてほしいの!!!! 青嶋さんに頭をなでて、ヨシヨシ!!って優しく身体を揺さぶってほしいの!!!!!」
アタシはそう叫びたいのを必死でこらえた。

しゃくりあげながら住所を教え、「まだまだ話したい事がたくさんあるんだから、死なないで長生きしてくださいね」
やっとの事でそう言い、電話を切った。

青嶋さんからビデオが送られてきたら、最高の心をこめてお礼の手紙を書こうと思う。
アタシが青嶋さんに送る、多分最後の原稿になるかもしれない……。

※ 今朝がた、木曽春秋に原稿を送っていたいた時期を調べたく、木曽春秋 マキュキュと検索していたらこんなツイッターに巡り合った。
ツイッターは登録こそしてあるが、ほとんど放置状態で見ていなかったのでお返事も書けず、申し訳ない事をした。

でも嬉しかったなぁ……。

奏太のじいちゃん ‏ @_140125488457
@maququ マキュキュ様、娘が信州大学にいたころ松本市内を散策しました。なぜだか分りませんが、街の雰囲気が好きになり何度も通いました。娘は結婚して長野市にいます。

奏太のじいちゃん ‏ @_140125488457
@maququ マキュキュ様、木曽春秋にてあなたの文を読ませていただきました。ほとんど全部だと思います。文章を書くのがとても上手い方だなと思いました。






2012年05月10日(木)


 (日記) 昨日は夢の様な一日だった。


昨夜はからくり史上、この上なく楽しく、盛大で、生涯の想い出に残る幸せな一日になった。

アタシが最も大好きで、いつも会いたくて会いたくてたまらなく、最高な親愛なる人たちだけに取り囲まれ、あんなに楽しく嬉しいかけがえのない日を迎える事が出来、本当にアタシは感動してしまい、今日は思わず、昨夜の事を反芻しながら、しみじみと嬉し涙にくれてしまった……。

実は今日の日記をどう書いたらよいか、半日悩んだ。
でも、いずれは書かなければならないことだし、からくり仲間、およびミクシィ仲間達には理解しておいて頂きたいと思い、正直に書いたほうが良いと思った。

退院後、血液検査の結果、肝機能の数値やその他諸々の数値は正常だと聞き、安心していたのだが、退院直後から、手(ひじから指先まで)と足(足首から指先までで特に足の裏)に異常な痛みが出始め、日々だんだんひどくなっていったのだ。
先日載せた写真の様な酷い腫れはないものの、やはり少し腫れたりはしている。
痛さを表現してみると、常に手足がシモヤケの痒みを除いた痛みだけような状態で、その痛さとはまた別の、クラゲに刺されたようなピリピリした痛みが手と足のあちらこちらに走るのだ。
酷い時は立っていられず、マグカップも持てず、ふすまも開けられず、何をする事も出来ない。
なので、退院後、店は正直、やれたりやれなかったりしていた。

これでは生きてもいけないと思い、事務長に相談し、入院していた内科ではなく、神経内科の先生に診てもらうべく、予約を入れてもらって先週又相澤に行ったところ、再び血液検査をしたら、他の数値は正常なのだが、ZTTとTTTに異常な数値が出ていると言う。通常はZTTが4〜12なのに、アタシは23.8Hで、TTTは通常0〜7なのだが、アタシは27.0だそうだ。
先生曰く「ほぼ膠原病に間違いはないでしょう」と言われた。
次の外来日は14日との事。
(え〜っ!?こんな状態で14日まで我慢して大人しくしている事なんか出来るわけなかんべ!!!気が狂うわ!!!!!!)

早速家に帰りネットで調べまくりましたともさ(笑)
膠原病って結構厄介な病気みたいだ。
まだ原因も解らず、治療法も確立されたものはないらしく、膠原病にも様々な症状があるそうで、かなりややこしい病気らしい。
症状も軽い人から重い人まで様々みたい。
どなたか詳しい情報を持っていたら教えてください。

もし膠原病だったらこれからどうして生きていったら良いのだろうか……。

アタシはその日一日思い切り泣いて、それでも座薬を使用したり痛み止めを飲みながら、出来そうな日は店をやりつつ、今後の事を考えたりしていた。

3日になり痛みもピークになって、緊急外来の担当医がちょうどその神経内科の先生の日だったので無理やり予約を入れてもらい行ってみた。
検査項目をもう二つ増やし、真剣に調べてしましょうと言う事になった。
その結果が出るのが14日ということだ。

もし膠原病だとしたら店を維持していくのはもう無理かもしれないな……。
だとしたら、最後のイベントになるやもしれぬ5月4日に、アタシは全てを賭けたい!!
心からそう思ったのだ。

もちろんこんな事を日記に書けば、ケンさん達は心配して来なくなってしまう。ケンさん達に限らず皆もだろう…。
でも、例え今日死ぬと言われても、誰に何を言われようが、アタシはどうしたって昨日の一日が欲しかった。
もしも今後店を諦めなきゃならないとしたら、だからこそ、思い残すことがないよう、輝いた素敵な一日が欲しかった。
なので身内的な人間だけにその事を話し、どうしてもこのイベントだけはやらせてほしいと頼み、皆の賛同と協力をえられて、みんなのお陰で昨日は最高潮に幸せな日を迎える事が出来たのだ。
幸い、おととい新しく出してもらった痛み止めが効き、昨日は不思議な事に痛みも半減した。
作ったお料理の数々も、ケンさんたちが美味しいと褒めてくれた。
それがとても嬉しかった。

本当に本当に皆さん来てくれてありがとうね。
そしてAKIKOさん、ぇみちん、テツ、チョンマゲ、お手伝いありがとうございました。
心から感謝します。

大好きなケンさんたちに会えた事、思いもよらぬ毒舌2たちに会えた事、ささちゃん、あやちゃんが来てくれた事、あきらとよしみのさそり座の女が聴けた事、そして心優しく楽しいからくり仲間が集まってくれた事、全てが嬉しかったです。

本当にアタシはこの世で一番かもしれない幸せ者で、愛しいたくさんの人たちに守られていて、どらまちっくで素晴らしい人生を歩んでいると思う。
この先どうなっていくのかは分からないが、案外悪運が強いアタシの事なので、ケロッと治ってしまうかもしれないしね。
ともかく14日に何らかの結果が出るまでは何を考えても仕方がないのでまな板に乗った鯉の如く、なるようになれって気分で日々を無理なく、少しでも楽しみながら過ごすしかなさそうだ。

又検査の結果が出たら報告しますからね。
(ヤレヤレ…、この先は闘病日記が増えそうだ。)
まぁ、アタシの人生は、はなから波乱づくめなので、これも定めと諦め、物を書くネタが又増えたと喜ぶ事にしよう。
なのであまり本人は悲観はしてないので安心してね。


昨日はほんとうにありがとうございました。
あんな素敵な一日をくれて感謝しています。




2012年05月05日(土)


 (日記) 明日は燃え尽きるぞ!!!!!


喜び事は毎日有ってはならない……。
そうしょっちゅう有っては、喜びが半減してしまうではないか……。


会いたい人たちには一定の時を経て会うのが一番……。
心の中で温め続けていた人たちの笑顔に実際に会える時、その喜びは何倍にも何倍にも倍増するから……。


いつもいつも、もしかしたら明日はもうないかも知れないのだ…という意識で日々を味わいながら過ごすと、その日に起きた事がたとえ些細な事でも、とても新鮮で嬉しく愛しく感じられる。


アタシは瞬間瞬間に出会う出来事を、この上なく楽しみたい。
そして書くことの糧にしたいな。


さぁ、明日は思い切り楽しく盛り上がるぞ!!!!!


明日と言うたった一度の一日を、大好きな人たちと共有できる喜びを今、ひしひしと感じているアタシなのだ。


2012年05月03日(木)

My追加
☆優しいあなたは両方 クリック してくれると思うな〜☆ 人気投票ランキング
初日 最新 目次 MAIL