マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) なぁ〜〜んだぁ・・・。 オイオイ・・・・・・。


家のパソコン、及び、電話がどうも調子悪くなってから早二年。
前にも日記に書いたが、なぜがパソコン立ち上げて、すんなりネットに繋がる事はまず無く、モデムのケーブルをいったん引っこ抜いて入れ直すとようやく繋がると言う作業をご丁寧にも毎日繰り返していた訳だ。
ところがいったん繋がってしまえば、パソコン落としてから又入れた場合でも、24時間以内なら繋がると言うのも何か奇妙な現象だった。

んで、家の電話もどうもこちら側の声が小さいらしく、家の電話で通話してると「声が小さくて聞こえ辛い」とか「どうもお電話が遠いようでして・・・・・・、もう一度お願いします」なんて言われる事がしょっちゅう有った。

それもあって先々月、ファックス付きの電話機を新たに購入したのだが、未だ「お電話が遠いようで・・・」と言われ続けるので昨日の昼間、NTTの故障調べに電話し、1時間ほど散々テストしてもらったのだが原因不明。
夕方になり旦那が帰宅し「これこれしかじかでうんぬんなのよ・・・」と話したら「ケーブル新しいのに換えてみるか」と交換したら何と全て解決した。
ケーブルが古かったので接触不良を起こしていただけだったみたいだ。

おい! この役立たずの宿六メ!! もちっと早く気付けよ!! 二年間の労力を返してくれ!!


2009年08月28日(金)


 【料理】 マキュキュ風明太子のパスタ


時々やたらに食べたくなるのが明太子のパスタだ。
丁度小腹が空いてきたので、これから作ろうと思う。
まぁ、明太子のパスタは大体誰でも作り方は同じなんだろうが、店によっても人の家によってもあれほど出来栄えが違うものも珍しい。
パサ付いた物もあれば、ショビショビ過ぎて、食べ終わった後に殆どの明太子がスープの中に脱落している物もあり、アレはいくらフォークですくおうとしても、すくえるものでもなく、何かこう、後ろ髪を引かれる思いで釈然としない気持ちで帰路につく場合もある。
1000円前後のお金を払って残った明太子に思いを馳せるくらいなら・・・と、最近は家で作るようにしているが、アタシの明太子パスタはとても好評である。
そのパスタの作り方が知りたいというので、今日はレシピを載せる事にした。
いたって簡単なので、どうかお試しを・・・。

【材料】 1人前

パスタ       一束
明太子       中位のものなら一人前に付きケチらず1本
シラス       大さじ1
万能ネギ      3〜4本
大葉        1〜2枚
コショウ      少々
オリーブオイル   大さじ2〜3
バター       小さじ1〜2
醤油        少々
刻み海苔      タップリ目

【作り方】

☆パスタは塩を加減した湯で好みの固さに茹でる。
☆その間に明太子は皮に包丁で縦線に切り込みを入れ開き、包丁の背で卵をこそげとる。
☆万能ネギは小口切りにする。
☆大葉は千切りにする。
☆ボールに明太子とシラスを入れ、人肌に温めたオリーブオイルとバター、醤油少々、コショウ少々を入れ、良く練っておく。(この時練りにくければ、パスタの茹で汁を少し加える)
☆パスタが茹で上がったらザルに空け、手早くボールに移し混ぜ合わせる。ここで味を見て薄いようなら塩少々を加えると良い。
皿に小高く盛りつけ、万能ネギを全体に振り掛け、大葉を中央に盛り付け、大場の周りに刻み海苔を乗せて出来上がり。

コツは明太子をケチらない事と、明太子とシラスの塩気があるので、茹で汁の塩を調整する事くらいで、シットリとした滑肌の風味豊かな絶品パスタに仕上がる。


2009年08月27日(木)


 (日記) 明日は免許の書き換えに行ってくる


アタシ・・・こう見えてもゴールド免許なんですよ・・・。
今回書き換えなので、どうせ行くならキリ良く誕生日である明日行こうかなぁ・・・なんて思っている。
なのでコレからスピード写真を取りに行ってくる。

アタシは自分の運転を「走る美学」だと思っているのだが、アタシの助手席に乗った面々は、「きゃぁ〜、おっかないよ」とか「あっ、車が来てるよ」とか「ここで出るかぁ〜?」とか、色々口やかましい人が多い。
特に夫とコマキはうるさいうるさい・・・(苦笑)
ちゃんと見てるってばさぁ・・・・・・。

彼等はアタシの運転を結構強引な運転だと思っているらしいが、アタシに言わせりゃ、スムーズかつ合理的な運転だと思うのだが・・・。ハテ・・・(?)

所で昨日・・・、免許取立てでは? と思われる若い超ミニスカの女の子がとある道端でおまわりさんに違反切符を切られていた。
丁度タバコの自動販売機のすぐ近くなのでアタシは車を停車させ、ハザードを点け、タバコを買いながら興味津々でやり取りをチラ見していた。
そこはおまわりさんの稼ぎ所で、しょっちゅう取締りをしている場所なのだ。
さしずめ、一時停止かシートベルトだろう。

女の子達はしこたま(散々)おまわりさん相手にブータレテいた。
「だってトイレ我慢してて急いでたんだもん!!」とか「勘弁してくれたっていいじゃん」とか・・・言い訳しながら半泣き状態である。
おまわりさんも負けずに「だってもさってもないの!! 違反は違反なんだから観念しなさい!!」と容赦ない。
あまりそこで立ち聞きしているのもなんだと思い、車を走らせたが、あの子はどうなった事やら・・・・・・。

最近のおまわりさんは温情的な人が少なくなったようだ。ミニスカにチョロ負かされるおまわりさんも少ないようだ・・・・・・。

人にありがたがられるより、冬のボーナスの方が大事な気持ちも解るしなぁ・・・・・・。


2009年08月25日(火)


 (日記) ミラクルな土曜日になった。


先週の週末はお盆開けだし一般的には給料前だし、週末とは言えさぞや暇だろうと、アタシも夫も踏んでいたのだが・・・、とてもミラクルな週末になった。
何と、からくり仲間達がこぞって集まってくれ、思いも寄らぬ盛大な誕生パーティーをひらいてくれたではないか・・・・・・。

アタシの誕生日は8月26日の平日なので、28日か29日に「たんじょうびおめでとう」と言ってくれる人が少しは来てくれるかも知れないとは思っていたけれど、まさか先週末にあんな事になろうとは想像もしていなかった・・・・・・。

本当にありがたいし、からくり仲間は人を驚かせたり泣かせるのが大好きな人たちばかりなので困る・・・・・・。

そして皆から義母のお香典を頂いたと共に、アタシが今一番欲しかった店のカウンター用の椅子を二脚、プレゼントしてもらえる事になったのだ。
もう直ぐ新しい椅子が二脚届くと思われますので、誰が真っ先に座るか楽しみである。

協賛してくださった、タカ、ロザリー、マリカ、カルロス、若尾さん、てつ、じょーじんちゃん、ダウアー、ダンプ、まさやん、たかちん、えみ、コマキ、本当に本当にありがとうございました。
その方達には改めてお礼のメールやメッセージを送りたいと思います。
その中には当日来れなかった人も居たので少し残念でしたが、皆様の善意に心から感謝いたします。

あ り が と う。

夫のフゥーリィーがいつに無く「俺達は本当に幸せ者だねぇ・・・そんな仲間を作れたマキュキュをちょっと尊敬しちゃうよなぁ・・・」と、シミジミした顔で言っていたのがたまらなくおかしいやら嬉しいやら・・・・・・。

20年近く掛かってやっと夫にこんな言葉を吐かせたのは、してやったりである。(笑)

これから食欲の秋に突入なので、益々料理の腕を磨き、皆さんに楽しく美味しい時間を過ごしてもらえるように頑張っていきますからね。

これからも末永くからくり箱を愛してください。


2009年08月24日(月)


 【料理】 変わりそうめんのサラダ風


今日はそうめんをサラダのようにして食べた。
コレは前にグッチ裕三(字違うかも・・・)が紹介していたサラダをアタシ風にアレンジしたもので、バカ簡単で以外に美味しい。
食欲の無い時に結構食べられる。

【材料】一人前

そうめん       1束
レタス        2〜3枚
きゅうり       半分
シラスorジャコ    大さじ1
ブタバラの薄切り   3枚ほど
白髪ネギ       少々
ごま油        大さじ2
塩          少々
コショウ       タップリ目
好みで        ラー油&醤油


【作り方】

☆レタスときゅうりを千切りにする。(太さは好みで)
☆そうめんを茹でるが、この時金ザルか何かに一口大に切ったブタバラも入れ一緒に茹でる。
☆茹で上がったそうめんとブタバラは冷水で洗い冷やしておく。
☆ごま油をフライパンか別鍋に入れ、煙が出るくらいまで火に掛けておく。
☆皿に冷やしたそうめんを乗せ、中央にブタバラと白髪ネギ、その周りにシラス、又その周りにきゅうりの千切り、一番外側にレタスを乗せる。
☆その時点で好みの量の塩とコショウを振り掛ける。
☆最後に熱々に熱したごま油をジュッ!と廻し掛ける。
☆好みで醤油とラー油を掛け、全てを絡めながら頂く。

コツは熱々に熱したごま油をジュッ!!と掛けるという所ですが、コレが香りが立ってマコトに美味しいんですねぇ・・・・・・。

アタシはコショウとラー油をタップリ掛けるのが好みです。
シラスは味に深みを増すオマケみたいなものなので、無くても結構です。

美味しいですよ〜〜〜。


2009年08月22日(土)


 (日記) 我が心の水中バレエ


まだ東京に居た頃の話である。当時アタシは16〜7歳だっただろうか・・・。
アタシは中学を卒業し、その後高校には行く気になれず、無類の動物好きのアタシは、トリーマーになろうと思い東京中野に在る某トミングの専門学校に通っていた。
二年で卒業するはずだったのだが、卒業間近にチョットしたアクシデントを目の当たりに見てしまい、ショックを受けてその学校を辞めてしまったのだ。

その後は母の店(レスト居喫茶)を何となく手伝いながらプータロウーをしていたのだが、その店に伯母がやってきて「いつまでもフラフラしている訳にも行かないし、私の親友に水中バレエの団長を勤めてる人がいるんだけど、アンタ、やってみる気は無い?」と進められたのがきっかけで、伯母や従姉妹に付き添われ、生まれて初めて「水中バレエ」なるものを見学に行ったのだ。

http://vintaka.fc2web.com/suichu.html

その時の感動は物凄いものだった。
巨大な水槽の中で宝塚劇団のような衣装や化粧を施した団員達が、ミュージカルを演ずると言う想像外のものだった。
アタシは涙が出るほど感動し、一つ返事に「や、や、やってみる・・・」と半ば放心状態で応えていた。

ショーを見終わった後、楽屋裏からスタッフルームに連れて行ってもらい、そこで初めて近藤先生に紹介された。

面会中にも関わらず男のようなガラガラ声で、スタッフ達に激を飛ばしているような、とても存在感の在る怖そうなオバサンだ・・・・・・と言うのがアタシの第一印象だった。

伯母から既に話しが通っていたのだろう・・・、そこですぐさま契約書にサインをし、アタシはあっと言う間に水中バレエ団員になったのだ。

近藤先生は確かにバレエや日舞のレッスンにも相当厳しく、何か常に近付きがたいオーラを発しており、やはり、とてもおっかない人だった。
しかしアタシには目をかけてくれているらしく、まだ新人の頃、フジテレビのバラエティー番組内のコーナーに出演依頼が有った時、アタシを抜擢してくれ「水中に咲く可憐な妖精たち」とか言うタイトルでTV出演させてくれた事もあった。
そしてスタッフルームによく呼んでくれ、説教や深良い話しなども聞かせてくれたのだ。

二年半ほど水中バレエの仕事をしていた頃、アタシは前の夫と恋に落ち、結婚と妊娠を期に、水中バレエ団を退団したのだ。

やがて松本に移り住み、アタシは離婚をし、それから更に年月も経ち、アタシが今の夫と一緒に暮らし始め、エポックを経営していた頃、TVのニュースで水中劇場が取り壊される事を知り、メモリアルショーを見るためアタシは店の従業員と息子と今の夫を連れ、よみうりランドに向かったのだ。

十数年ぶりに楽屋裏に立ち、その全景を心に留め、焼き付けさせ、スタッフルームを訪れ、とても近藤先生や団員達に懐かしがられ、しばし近況報告や思い出話などに明け暮れた。
その時も先生はなんら変わることなく、とてもお元気そうだった。
しかし、生涯最後の仕事とし、命と全霊を賭けて来たであろう水中劇場が無くなってしまう事はやはりとてもお辛く寂しかったのだろう・・・・・・。
いつものオーラが少し薄れているようにも感じられた。
「いつか松本にも遊びに来てください」
そう言って先生とはお別れしたのだが、それが近藤先生の元気なお姿を見た最後となった・・・・・・。

水中バレエ団に居た頃の夢を今でも時々見る。
思えばアタシがやってきた仕事の中で、唯一自慢できる華やかな仕事だったような気がする。
ホンの短い間だったけど、色々な想い出やエピソードが詰まった仕事だった。
そんな特殊な仕事につけた事を今は誇りに思う。

死と言うのは、今世での人間としての修行が終わり、次の世界に引越しをするだけの事だ・・・と言う記述を本で読み、それから死に対する思いが少し気楽になった。
この年になると世話になった人や尊敬していた人達が、どんどんアッチの世界にサッサと引越しをされて行く。
人間界での修行は結構しんどいものだそうなので、早く引越しが出来る人は羨ましく思える事もある。

先生長い間本当にお疲れ様でした。
どうか黄泉の国で先生の大好きだった音楽と花に触れ、いつまでも楽しみながら華麗に舞い続けてください。

玲子先生のご冥福、心よりお祈りいたします。


2009年08月21日(金)


 (日記) 一足早い誕生日プレゼント。


もう直ぐ誕生日だと言う事で、一昨日の昼間ユッコがランチに誘ってくれた。
連れてってくれたのはアタシがリクエストした現代寿司。
最近何故か夫が寿司離れをしているので、寿司を食べに行くのは久々だった。

相変わらずの毒舌暴走モードのマスターにクスクス笑いながら、美味しい御寿司や生牡蠣をしこたま食べて、その後二人でリサイクルタワーへカウンター用の椅子を探しに行ったのだが、帯に短したすきに長し・・・・・・。
気に入った椅子は高さが合わずに諦めた。

そこで今度は方向を変えて、お値段以上ニトリ♪へ・・・。
ここでもやはり帯に短したすきに長し・・・・・・。
高さが合うのは如何にも事務所用の色気もそっけもない椅子ばかり・・・。

しかしニトリでは大そうな収穫があった。
家のフライパンがもうボロボロで焦げ付き易くなっていたので、最近話題のマーブルコート仕立てのフライパンを見ながら(欲しいなぁ・・・)と迷っていたらユッコが「買ってあげる」と言ってくれ買ってくれちゃった。
「わ〜い、わ〜い♪ 滅茶嬉しい!!」

そこで今度はユッコの家にお茶を飲みに寄ったらユッコが「ねぇねぇ、そう言えばさぁ、家も綺麗になったと言う事で、人が泊りに来たり出来るようになったんでしょう? タオルケットとか毛布とか肌掛け布団とか新品のが沢山有るんだけど要らない?」と言うので「要る要る。くれるものは何でも貰う!」と言ったら、全部で6〜7枚もの寝具になってしまい、小さい軽が布団の山になってしまった(笑)
オマケに新品の体重計まで貰ってきた。
「これ、全て誕生日祝いね」と言う事だ。
いやぁ・・・嬉しいなぁ・・・。
先日の大掃除で寝具は殆ど処分したので押入れがもぬけの殻になっていたのだ。
欲しかったものが沢山増えた。


・・・・・・と、ここまで書いたら当のユッコからメールが来た。

近藤玲子先生が亡くなったと新聞に出ていたと知らせてくれたのだ。
近藤玲子先生と言うのはアタシが若かりし頃、仕事にしていた近藤玲子水中バレエ団の団長先生の事である。
なのでアタシの恩師だ。

先日も従姉妹が来た時、店で水中バレエの話になり「近藤先生はまだ元気で居るのかなぁ?」と話していた矢先だったのに・・・。
86歳だったそうだ。

明日の日記で水中バレエや先生との思い出に改めて触れてみようと思う。


2009年08月20日(木)


 (日記) 神も人も喜んでくれる人をもっと喜ばせようとする。


以前ある人に「アナタは良いよね・・・。色々な人から何かと手助けしてもらえるから・・・。私は人の世話になるのが嫌だから自分で何とかしようと頑張ってるけど、アナタを見てるとバカらしくなるわ・・・。何でアナタはそんなに人に助けてもらえるの?」
と聞かれた事がある。

何でかって聞かれても、何ででしょうねぇ・・・・・・。
実はアタシにも良く解らないのだ・・・・・・。

ただ、一つだけ言えるとするなら、アタシは誰かに何かをしてもらった時、例えそれが些細な事だとしても大きな事だとしても、もの凄く嬉しいので、とても喜ぶからなんだと思うのだ。
人は何かをやってあげた時喜んでもらえると、それがその人に取ってもとても嬉しいので、次はもっとその人を喜ばせようとするものなんだと思う。
そんな連鎖でいい友達作りが出来ていくもんなんだろうなぁ・・・って思う。
喜んだり喜ばせたり・・・・・・。相手の喜んだ顔を見て又自分が喜んだり・・・・・・。

人の世話にはなりたくないと言う彼女だって、一人では生きていけない訳で・・・・・・。必ず誰かの世話にはなっている訳で・・・・・・。
それを嬉しいと感じるか当たり前だと感じるかで、その後世話をしたくなくなるか、もっと世話をしてあげたくなるかの違いが生まれるだけなのかもしれない。

他人が自分なんかの為に何かをしてくれるなんて、凄く嬉しい事じゃないですか・・・・・・。
それをもっともっと素直に表現しあっていたら、世の中平和になるとは思いませんかね・・・・・・。

又・・・、
人の喜びは自分を成長させる為の一番の即効薬だとも思うのですよ。

例えばアタシの場合なら、この人の為に美味しい料理を作ろうと思う。そして「わぁ〜、凄く美味しい」なんて言われたひにゃ、豚もおだてりャ木に登るで、次はもっと唸らせてみたい・・・とホクソ笑む訳で・・・・・・。
益々料理の腕に磨きが掛かる訳だ。

文章もそうだ。
誰かが喜んでくれてるからこそ書き続けられている訳で・・・、もっともっと喜んでくれる面白くて良い文章を書きたいなぁ・・・と思って文章の腕も上がって行く訳で・・・・・・。

だからその人を成長させようと思ったら、文句や小言や不平不満を言うのではなく、喜んであげる事が一番なんだと心から思えるようになってきた。

ちなみに人間だけではなく、神様も何か良い事が有った時に手放しに喜んであげると気を良くしてもっともっとその人を喜ばせようと躍起になるらしい・・・。


2009年08月19日(水)


 【料理】 なんちって焼きラーメン&なんちゃってざるラーメン。


昨日の昼、腹は減りども食欲湧かず、何を食ったら良いべかと考えていた。
何か麺類のようなものを食べたいと思ったが、そうめんもざるうどんも少々飽きてきた。
で、探したらインスタントラーメンが有ったのだが、温かいラーメンをそのまま啜るには余りに悲しすぎると思いハタとひらめいた。

焼きラーメンにしてみるか・・・。

先ず栄養は取らなきゃいけないので、ブタバラ少々と、キャベツ、人参、しいたけ、玉ねぎ、長ネギ等を同じ細さの千切りにし(5ミリ幅くらい?)それらをサラダ油で炒めておいて軽〜く塩コショウで味付けし、ラーメンは少し固めに茹で、茹で終わった麺をざるに空け、お湯を良く切って、野菜炒めのフライパンに戻し、ラーメンのスープを三分の二ほど加え、(野菜の量にも寄るが、全部入れるとしょっぱくなると思われる)最後にごま油を香り付けに一回しし、焼きラーメンのような物を作ってみたら、コレが結構旨かった。

他に良くやるのは、インスタントラーメンの麺を茹で、やはりざるに空け、氷水で良く麺を閉め、蕎麦用のめんつゆを付けてざるラーメンのようにして食べるのだが、薬味に白ゴマ、長ネギのみじん切り、大葉やミョウガのみじん切りなどを添え、此処からは良く読んどいてよ〜〜、溶きガラシ【とんかつに付けるアレ】を少しずつ麺に付けながら食べているのだが、それがめちゃ旨い。
(アタシャネギとゴマとカラシだけが有れば良いくらいだ)
脳天が痒くなる位のカラシを付けながら食べるのがアタシは好きである。
ラーメンのちぢれ麺にソバ汁がよく絡んで、市販の各種のざるラーメンよりサッパリと食べられる。

是非お試しアレ。

使わなかったスープは、チャーハンの味付けにするとか中華スープにするとか、保存しとけば利用価値は色々あり。


2009年08月18日(火)


 (日記) 土曜日の事&送り盆。


お盆の間中、感覚的にだけなのだが、所々に昌子(亡き母)の気配を感じていた。
昌子が亡くなる日の朝、病院から「今日が限界でしょう」と言う電話を貰い、息子を連れて病院に駆けつけた所、彼女は自分の死をちゃんと解っており、「私さぁ、今日辺りダメみたいよ〜」等と他人事のように平然と言ってのけた人だっだ。
アタシ等母子は、変なごまかしや慰めは通じない間柄なので・・・、『そんな事が解るの? 死ぬのってどんな気持ち? 怖い?』などと死に付いて少時間を掛けて語り合ったのだ。
母は「全〜〜然怖くない。ただ、痛がってるようなら薬を足してもらってよね」等と言っていたのだ。

その後医者の言う通り、午後になって意識が白濁し始め、昏睡と覚醒を繰り返すようになってきた。
しかしながらアタシや孫やアタシの店の従業員や夕刻になり駆けつけてくれた親類達それぞれにきちんとお別れをし、思い残す事も無くアチラの世界に旅立った訳なのだが、その午前中の語らいの際、「アンタたちの事は常に側に居て見守っていくからね。お化けになって出てもアンタ怖がらないでよね・・・」などとジョーク交じりに言うので、『アタシは怖がりなんだから余り陰気な顔で出て来たり、ぞっとするような出方はしないでよね・・・。でも、何かの気配は感じさせてよ・・・。何かこう・・・合図みたいなものとかさぁ・・・』
「ハテ・・・、どんな合図を出そうかなぁ・・・・・・」
母は楽しみごとを考えるように、そんな事を呟いていた。
そしてその日の夕刻、母は安らかに息を引き取った。

その合図と言うのがアタシが思うに、左側の背中を撫ぜられているみたいなジリジリとくすぐったいような微妙な感覚で、母の死後、数年間は何かに付け、そのむず痒さと温かさを感じられていたのだが、ここ十年ほど滅多に感じる事は無くなっていた。
しかしお盆中はその感覚が蘇っていたのだ。だから(アッ! 昌子がちゃんと来てくれている)と確信できたのだ。
多分アタシと一緒に嬉しげに店にも出勤していた事だろう。
店でも時々そのジリジリ感を感じていた。

お盆の入りに一切の願い事や注文事をしなかったアタシに気を良くしてくれたのか、母は土曜日に、もの凄いサプライズをくれた。
木曜日に来てくれたヨロズ君が同級会の3次会に来てくれることは解っていた。しかし、「3次会なので人数は解らないけど、多分最低でも5〜6人は引っ張って行くからね」とは言われていたのだが、とんでもない事になったのだ。

その前にドラマのワンシーンみたいな面白い事があったのだが・・・・・・。
常連のカナから突如電話が入り、「ママ、おひさ〜♪ ねねママ、心して聞いてね・・・。凄いよ!!ミラクルだよ!! これからからくり箱に十数人のお客がなだれ込んで行くよ! たまたまアタシの前を通り掛った人達が、エポックに行くぞ〜〜!!とゾロゾロ歩いてて今順番にタクシーに乗り込んでるよ。ママ、一気に店忙しくなるから覚悟しといてね。」とわざわざ電話で実況報告してくれたのだ。(笑)

着いてみれば何と、16人も居るではないか・・・・・・!!!
先に来ていた(T)ママが、目を白黒させながら一生懸命手伝ってくれて助かった。

ヨロズ君たちは元々昌子の客だ。
昌子が初代エポックを経営してた頃、まだ高校生ながらも店に入ってきた彼等を(他の場所で不良させるくらいならウチの店に入れて、ストレスを発散させてあげよう)と快く迎え入れ、紅茶やコーラに「チョットだけよ」と、数的のウイスキーを垂らしてあげ、「誰かに聞かれたら信大生だと言っておきなさい」と遊ばせてあげていたそうだ。
そんな若者の良き(悪きかな?ww)理解者である昌子を慕ってくれ、それから彼等の仲間が集まるようになったと言う。
その中のガキ大将的存在がヨロズだった。
アタシの代になってからも彼等は来続けてくれ、今に至っていると言う訳だ。

よほど昌子も皆に会いたかったのだろう・・・・・・。
昌子もヨロズの客寄せに手を貸したとしか思えない。
多分16人のメンバーはアタシよりも昌子と馴染み深い人の方が多いと思われる。

お陰さまで全財産3千円になってしまった乾ききったアタシの財布も潤い、物凄く楽しく心温かなお盆になった。

しかし、あのメンバーは高校時代から変わってないなぁ・・・・・・。
裸で騒ぐわ、水はぶっ掛け合うわ、もう大騒ぎ・・・・・・。
今日までに椅子が乾いている事を切に願うよ・・・。

ヨロズ君達、本当にありがとう。
お陰さまでアタシも昌子もとても懐かしく嬉しく、最高のお盆を迎えることが出来たよ。


昨日再びカンバを炊いて、ご先祖様たちを見送った。
送り火を見詰めていて、何か嬉涙がたくさん出た・・・・・・。

きっとご先祖様たちは「ヤレヤレ・・・、今回もなにかと働かされたけど、まぁ、いいんでねぇかい?」と囁きながら黄泉の国へ帰って行った事だろう・・・・・・。

又来年もご先祖様をお迎えできるように、日々を頑張りたいと心から感じたお盆だった。


2009年08月17日(月)


 (日記) 8月13日の事


8月13日はお盆の入りだ。それに加え、亡き母の誕生日でもある。
物忘れが激しく、いい加減に生きていたアタシが覚え易いように、そんな日に生まれて来たのかもしれない。
しかしアタシ等自身の暮らしぶりがすさんでいた為、「お盆ぐらいはせめて仏壇に掌を合わせてよね」と言われているような気がするものの、毎年その頃になると貧乏にも拍車がかかり、まともなお盆の儀式も出来ず、何かこう、いつも後ろめたい気にさせられていたものだ。

アタシの家にはお墓が無い。
東京新宿のゴールデン街近くに在る母方の先祖代々の墓は、もう目一杯らしく母が入る余地が無いと言われ、しかも母はアタシが小学校三年生の時に離婚しているので父方の墓に入る訳もなく、未だに墓が建ててあげられない状態なので行き場が無くて可哀想だなぁ・・・とも思う。
最も母は、生前も「私は葬式もお墓も仏壇も何も要らない。縁の有った地に、骨の粉を少しずつまいて、心の中で思い出した時に掌を合わせてくれればそれでいいからね」と言っていた。
母の死後、せめて仏壇くらいは・・・と思い、アタシは少し奮発し、手作りのお仏壇を注文したのだ。

今年は家も綺麗にしたし、久々にご先祖様をお迎えしなきゃ・・・、と言う気持ちになり、せめて気分だけでもお盆らしい事をしてあげようと、お盆花を買い、形ばかりのお供え物をし、カンバを炊いてお迎えした。
そしていつもなら「お客さんを沢山よこしてください・・・。」とか、「宝くじに当たりますように・・・」とか「貧乏脱出にご協力ください」とかの注文ばかりしていたのだが今年は一切の注文をせず「いつも危うい所を助けてくださって本当にありがとうございます」と、感謝の気持ちだけを伝えた。

きっと天国でウチのご先祖様たちは・・・。
「この子、一体どうしちゃったんだべ・・・、 家は綺麗にしだすわ、無いものネダリの注文はしなくなったわ、毎日水やご飯は備えてくれるようになったは・・・・・・、何か不気味じゃないか?」などと囁き合っている事だろう・・・。


サテサテ・・・一向にニュースらしい話題に転向しないと痺れを切らし始めている常連さんたち、お待たせしました。

そんなお盆の入りの日に、タカチンがやってきた。
し、し、し、しかもだよ、じょ、じょ、じょ、じょ、女性連れでだよ・・・・・・。
タカチンが女性連れで来たのは初めてだから、もの凄いニュースな訳で・・・・・・。

目鼻立ちの整った清楚な美人で、とても素敵な女性である。
彼女は松本在住のピアノの先生だそうだ。
タカチンが心密かに憧れている女性なのだ。

タカチンが松本に居た頃何度か一緒に飲んだ事が有るそうで、又デートを挑んだらしい。
以前から「一回ぐらい連れて来てよ」と言っていたのだが、どうやらアタシの店にだけには連れて来たくなかったらしい(笑)
13日も、他の小洒落たbarがやってなかったり、一杯だったりしたため、仕方なくイヤイヤ連れて来たのだろう・・・(笑)
アタシには何言われるか解らないしね・・・・・・。(プププッ)
こんな俗世間に彼女を触れさせたくないと言うタカチンの気持ちも良く解るよ、うん。

生憎と言うか駄目押しの如くと言うか、13日はサスガにお盆の入り。
店は静かでタカチンたちだけで誰も来なかった。
折角の待ちに待ったデートだろうから、なるたけ二人の邪魔をしないように・・・とは思うのだが、あの狭い店、カウンターの中で何もしないで突っ立ってるのも変だし、パソコンをやっているのも変だし、本を読んでる訳にも行かぬし、トイレに隠れてる訳にも行かないし・・・、そんな場合アタシは話に混ざるべきかどうするべきか一応気を使って悩む訳で・・・・・・。

最初は所在無げにカウンター内に立っていたのだが、しかし初めて来た彼女をリラックスさせるべく、にこやかに自己紹介をし、いつものようにジョーク交じりに所々で会話に口を挟み、場つなぎ的役目をしている内に、結局は彼女とアタシの会話の方が多くなり、お邪魔虫になってしまったみたいだ・・・・・・。
ゴメンよ、タカチン・・・・・・。
だってタカチン、あまりに緊張気味で、ついつい助け舟を出さずには居られなかったんだもん・・・・・・。(笑)

彼女はアタシの料理を誉めてくれ、アタシの話に笑ってくれ、居心地が良かったのか悪かったのかは計り知れないが、(こんな店もたまには良いかもな・・・)と思ってくれたとしたら嬉しいし、タカチンと今後もデートをするとしたら、アタシの店もそのリストの一部に上場させて欲しいもん。

タカチン、今後の行き先が傾きかけたらアタシのせいかもね・・・。
でも、まぁ、許しておくんなましね・・・。
アタシャ常にタカチンの幸せを心より応援(邪魔?)しているのだと言う事だけは解っておくれよね。


2009年08月15日(土)


 (日記) やっとに携帯が繋がった・・・(ホッ!!)


昨日は店で日記を書いている最中に、もう7〜8年も会ってなかったエポックの頃の大常連である「ジュンジロバ」(←あだ名ww)がやって来た。
「キャァ〜〜〜!! ジュンジロバだぁ〜〜♪」と抱きつき、取り合えず日記をワードに保存し、即営業体制に・・・。

昔、彼は務め先が元町と言う場所で、エポックまで徒歩で5〜6分の所なので毎日のように来てくれていたありがたきお客である。
当時彼はまだ24〜5歳でアタシもうら若き30代。
中学や高校の同級生仲間とエポックに屯っていた中の一人だ。
先日の松本ぼんぼんの時に久々に顔を見せてくれた仲間の一人。
そんなジョンジロバも今や3人の子持ちになり、幾分顔もお腹もふくよかになり、良いオヤジ面になった。

彼の勤め先がホームセンターなので、エポックの閉店後も買い物に行っては顔を合わせてはいたのだが、長野店に転勤になってからは全く音沙汰が無かった。
先日その仲間達が来たので思い出し、「お盆に帰ってくるなら一度くらい顔を出しなさい!」とメールしたら昨日来てくれたという訳だ。

いやぁ・・・、懐かしいやら嬉しいやら・・・・・・。
徐々に話も弾み、半ば強制的にボトルを入れさせ、色々な話に明け暮れていた。

そういえば・・・。
昨日もからくりマジックの日だったなぁ・・・・・・。

ジュンジロバ一人だけだったので、長い時間を掛けて思い出話や近況報告などを話していて、その話も終わり、懐かしい歌を歌い合いはじめた頃、我が愛しのしゅーちゃんたちが三人で来てくれた。
そして間も無くヨロズ君達3兄弟も・・・・・・。
一気に店は賑やかになり、それも懐かしいく久しく会ってない人達ばかりだったのでとても嬉しかった・・・・・・。
やはりお盆や正月は普段会えない人達に会える恰好のチャンス日だ。
ジロバ←やや省略。にも、店が流行っている事が証明でき一安心した。
途中でコマキが土産のカニを届けてくれたので、皆に振る舞い、大変喜ばれた。

コマキ、今日はうんとサービスするからねぇ〜〜〜。

チョットこの所、経済的にかなり行き詰っていたので、店が賑わってくれて危機一髪の所で又救われた・・・。
昨日来てくれた人たちのお陰で、今日、思ったよりも早く携帯代とネット代を払い込んで来る事ができた。
コレで遅れが無くなったので、しばらく携帯が止まる事も無かろう・・・。

携帯代を払ったので又スッカラカンに近い状態になったが、ひとまず安心だ。

みんな本当にありがとうね。
凄く楽しく嬉しい日になった。

今日明日と、又楽しい日になると良いなぁ・・・・・・。

昨日書いている途中になってしまった日記は、前後するが、今日又店で続きを書いてUPしようと思う。
なんたって、一昨日凄いニュースがあったんだわ・・・。
ソレを書かずに居られるか・・・ってんだ。(笑)

特に常連さんは必見だわよ!!(ウフフ)


2009年08月14日(金)


 (日記) あぁぁ・・・携帯止めちゃった・・・。


今、家のパソコンのネットと、携帯が止まってしまっていて家では日記が書けない・・・(涙)
しかし携帯を止めたのは久しぶりだなァ・・・(笑)
先月は腕を怪我したり義母の入院や葬儀で10日くらいしか店が出来てなかったから、今月はかなり厳しいのだ・・・。

不幸事は重なるもので・・・。
昨日の午前、ずっと療養で入院中だった夫の伯母が危篤との連絡を受けた。そして残念ながら午後に亡くなったそうである。
義母の葬儀の時も、かなり深刻な容態だと聞き「少し余裕が出来たら見舞いに行こうね・・・」と夫と話していた矢先だった。

アタシが癌の時、唯一お見舞いに来てくれた夫側の親類なので、駆け付けたかったのは山々なのだが、しかし、もうアタシ達にお見舞金もご香典の余裕もなく、アタシ達生きてる者が、生き抜いて仕事を一生懸命頑張る事が何よりも先決で、心や想いがその人に向いていれば、少し遅れても死者だって解ってくれるにちがいないと思うのだ。

店の家賃を払うか携帯代を払うか・・・と言う究極の状態だったので、取り合えずはお盆に向けて来客の予定などの電話が入ったら困ると思い、無理して昨日携帯代を払ってきたのに、今日止まっているのでビックリして慌てて問い合わせたら、7日までに入金がない場合は2か月分入れないとどっちみち止まってしまうらしい。
たった4日のズレで止めてしまったよ・・・。惜しい所だった(苦笑)
2か月分なんてそんな余裕がある訳ないしね・・・。
そんな事なら携帯やパソコンはもう少し余裕が出来るまで止めておいて、家賃を先に払って置きゃ良かった・・・。

でも最近、理不尽だと思う事や、こういう苦難が重なって起きても、以前ほど一喜一憂しなくなってきた。
自然の流れのまま、成り行きのまま、ぐうたら神に全て身を委ねる事が全く辛くなくなって来たのだ。
むしろ、こういう事が重なれば重なるほど、(おっ!!これだな?)と楽しめるようになって来て、アタシはやはりぐうたら神に愛されており、見込まれていると思えるようになって来たから不思議だ。

何かで神様に選ばれた人間は、魂レベルや人間レベルが少し上等になってくると、神がこれでもか現象を起こし、その人のレベルが本当に上がっているのかどうか、わざと大きな苦難を与えて試すそうである。
そんな事があっても自分の正しいと思う道を地道に歩み、周りの人々や現象に感謝したり優しく接したり面白がったりしながら進んでいれば、やがて人数倍の良い事がドサッ!!っと降って来ると言う事が解ったから・・・・・・。

何しろアタシは、ぐうたら神と、ひいお婆さんと、昌子(亡き母)の3大最強守護神達に守られているのだから・・・・・・。
何が起きてももう大丈夫だ。
どんと来やがれっ!てもんだい。(o^―^o)

と言う訳でしばらく携帯がつながりませんのであしからずです。


2009年08月12日(水)


 (日記) 昨日は楽しいプチ宴会だった。


昨日は従姉妹を駅まで送り届けた後、先日、Mixiの参加コミュニティの、「あげます&ください」のコーナーに、カウンター用の椅子が欲しいと書き込みをした所、早速ご連絡を下さった人が居り、その方の所に椅子を見に行ってきた。
生憎店の椅子より10センチも高かったので、膝がつかえてしまうことが明らかだった為、ご好意に甘える事が出来ずに残念だった。
ご連絡を下さったRさん、貴重な時間を割いていただきありがとうございました。

その後、家で一休みし、夫とこの五日間の事をアレやコレやと話し合いながら食事をし、少し昼寝をして店に向かった。

昨日は我が友ユッコのご主人の妹さん夫婦が大阪から遊びに来ていると言う事で、カラオケをしに来たいと言うので店を開けたのだ。
ユッコ夫妻の親類は、先日来てくれたユッコの従兄弟夫妻を始め、とても歌の上手いツワモノ共が多い。
昨日も昭和一色の大歌合戦が繰り広げられ、物凄く懐かしく楽しいプチ宴会になった。

特にユッコパパの妹さんの、あの透き通った透明感のある美声で歌う「河内男節(だっけ・・・?)」と「伊勢崎町ブルース」が、ミスマッチながらも何とも魅力的で絶妙なムードを醸し出しており、アタシとユッコはキャッキャキャッキャ喜びながらのけぞって聴いていた。
そのご主人も抜群に歌がお上手で、皆で順番に歌っていたら、あっと言う間に40曲越えをした有様だった。
いやぁ・・・、お陰さまで実に楽しい休日出勤になった。

そして最後に思いも寄らなかったコマキが飲みに来てくれ、コマキといつもはお客が大勢居て話せぬような深イイ話しもたくさん出来、昨日は最高の日曜日になった。

今日から一週間、又頑張るぞ!!
お盆で暇かもだけど、どうか松本に帰ってきている人や、ふとアタシの店を思い出してくれた人は是非是非お立ち寄りください。


2009年08月10日(月)


 (日記) 今日は短時間営業する。


さっき無事に従姉妹をバスに乗せた。
お世話になった皆様、お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
彼女もきっと楽しかったことでしょう・・・。
笑顔で帰って行きました。

サテ・・・。
今日は日曜なれど8時ごろから終了時間は未明なれど店を開けている。
友人ユッコのご主人の親類が遊びに来ているそうで、カラオケを歌いたいとの事で少しの間だけ店を開ける事にしたのだ。
人数的には少ないので他の人が入る余地も有りますので、どうぞ近くまでおいでの折には遠慮なさらずにお寄り下さいね。

アタシも少々疲れ気味なので遅くまでやっているかは解らないけど、気が向いたら遊びに来てください。


2009年08月09日(日)


 (日記) お盆の日程


従姉妹は今夜まで泊って、明日帰る事になった。
なので今日はフゥーリィーと従姉妹と三人で店を開ける事にする。

ここ毎日、夕方になると決まって雨になる・・・・・・・。なので昨日の金曜日は静かだったなぁ。
今日は少しは賑わってくれるとありがたいが・・・、又黒い雲が立ち込めてきた。
今日も一雨来そうな天気だ。
今日はいくらかでも賑わってくれると嬉しいのになぁ・・・。


まぁ、お盆前と言う事もあり暇になる事は覚悟してたが、この天気じゃ夏休みらしくならないで子供達は可哀想だよなぁ・・・。

所で今年のお盆は特別に休まず営業しようと思う。
どこに行く宛ても無く退屈な方は、是非是非からくり箱へ・・・。
16日の日曜と、次の日の月曜はいつも通り定休日にする。



2009年08月08日(土)


 (日記) 冷たい麦茶茶漬けが最高。


毎日暑いのでついつい食欲が無くなる・・・・・・。
しかしお腹だけはちゃんと定時に空くもので・・・・・・。

こんな時は「ハイ、お食べ」と、目の前に何かサッパリとした旨い物でも出されりゃ「うわぁお〜、サンキュ〜! いただきま〜す」と喜んで食べるのだろうが、食欲が無い上に自分で作らなきゃならないと思うと、いくら自分の為でもお腹が空いててもめんどっちぃ・・・。

んで今日は、何かめぼしいものは・・・と冷蔵庫を見たら、ヌカヅケの古漬け気味になっていた、カブときゅうりが有ったので、ソレを薄くスライスし、冷水で2〜3度揉み洗いし固く絞り、ショウガの針千本とミョウガの千切りとを加え醤油で和えた物を作り・・・、他には明太子と、鮭を焼いて身をほぐしておいたものが有ったので、それをおかずに、ご飯を冷水で冷たくし、冷たい麦茶をかけて食べたら、ウマイの何の・・・・・・。止められない止まらないになって大き目のお茶碗に二杯もたべてしまった・・・。

この夏、食欲の無い日はソレを定番にしよう・・・。


2009年08月05日(水)


 (日記) 5日に従姉妹が遊びに来る。


もうかれこれ10年ほど会っていない従姉妹の(N)が5日の日(あさって)松本に遊びに来る事になった。
子供の頃、彼女の家は東京四谷で、アタシの家は九段だったので、直ぐ近く。
年も一番近いので仲も良く、しょっちゅうチンチン電車(路面電車)に乗り、互いの家に行き来しては一緒に遊んでいたのだが、大人になって其々が子持ちになり、住む場所も遠くなり、互いの子供がまだ小さかった頃はスキーや彼女の父が持つ別荘などに待ち合わせして遊びに行ったりした事も有ったのだが、最近では数年に1度、親類の葬式か何かで会うくらいになってしまっていた。

彼女が最後に松本に来たのは、まだエポックをやっていた頃なので、勿論からくり箱に来るのも初めてだし、今の家に来るのも初めてだ。
大掃除もしてやっと人を家に迎え入れる事が出来るようになったので(笑)「家が綺麗になったから近々松本に出ておいでよ」と呼んだのだ。

彼女は、故、三木のり平の長女である。互いの母同士が姉妹だった。

互いにもう両親とも他界しており、アタシ等自体が婆さんになりつつあるのでこの先何度会えるか解らないのだが、会えば子供の頃の話になり、様々な想い出シーンの話になり、飲んだくれ語り明け暮れられるので、今からとても楽しみにしている。

従姉妹は2日ほど泊って行くそうなので、店にも勿論二日間とも連れて行く。
平日だけれど、もしもアタシの子供時代の話が聞きたかったら、どうぞ賑やかしに来てやってくださいましな。
お客ゼロだとメンツ無いし、寂しいしね・・・。(笑)


2009年08月03日(月)


 (日記) 昨日も大入り満員なった。


昨日は午後に物凄い雷雨があり、一時は【松本ぼんぼん】は天候的に絶望かと思われていた。
けっこう雨祭りになる事が多いんだわ・・・。
しかし、祭りが始まる1時間ほど前から奇跡的に晴れ間が顔を覗かせ、祭りの間中お天気は持ち、住民は皆、さぞかし嬉しかった事だろう・・・・・・。
その後も雨は降らず、最高の祭り日和を維持できた。
そのお陰で昨日は店も大入り満員になった。

先ず最初に覗いてくれたのが、ぷーさん。
そしてその後に、エポックの頃にバイトをしてくれていた、当時は25歳くらいだった(M)ちゃんと、そのクラスメイトでもあり、当時から仲良しグループで集まっては飲んでくれていたメンバーの内の(D)夫婦達が、今は其々子持ちになり、小学生に成長した子供達を連れて、8人ほどでやって来てくれた。
(アタシャこういう光景を見るのが最も嬉しい・・・)

その後ロザリーの愛娘(M)が来てくれ、ダンプ、(O)、カナが来てくれ、マイミクで年1か2年に1度くらい割合で来てくれている、東京在住のななちゃんが家族三人で来てくれ、ユッコもご主人とご主人のお仲間との4人で来てくれ、ダウアーとまさやんが最後に来てくれ、とても賑やかな日になった。

(忘れてる人居ないよね・・・?汗)

7月は12日の大掃除以来、金蔵に手を咬まれたり、身体の故障や、義母の入院などで6日間くらいしか店が出来ていなく、最大のピンチだったが、お陰さまであと少しで家賃が貯まりそうだ・・・。

大家さん、もう少し待っててね。(滝汗)



2009年08月02日(日)


 (日記) 13時間も寝こけてしまった・・・!!


昨日は無事に葬儀も済み、木曾の家に帰り、いったんゆっくりした後、双方の身体も限界に近かったので夫と共に松本に帰ってきた。
家に着いたのが4時頃で、夫もアタシも今週はホボまともに寝ていなく、携帯の電池も空っぽ状態だったので、携帯を充電器に差し込んだ後、恐怖のはずの雷の轟音もモロとせず、バタンキューとばかり其々の寝床で寝に入った。

夫は何度も【魔の木曾街道】を土砂降りの中往復していたので、ゆっくり寝かせてあげようと思い、アタシは夜の10時に目覚ましを掛けて、本当ならば店に顔を出して、店を開けてくれている皆にお礼を言おうとしていたのだが、どうも目覚ましを止めて又寝入ってしまったようだ・・・。

さっき目覚めたら朝の4時半!!
よほど疲れていたのだろう・・・。
夫もアタシも一度も目覚めず、ホボ13時間も寝こけてしまったみたいだ!!!(苦笑)

なので昨日の店の状態も確認できず、皆を励ます事もできず、何も知らないで寝ていた事になる。
ごめんね・・・。何の連絡も出来ずに・・・・・・。

さぁ、今日は身体もしっかり充電できたので、店を張り切ろうと思う。

今日松本は「松本ぼんぼん」と言う松本市こぞっての一番盛大な大祭りだ。
たくさんの人が来てくれると嬉しいなぁ・・・。

張り切って店を開けるぞ!!

昨日店を守ってくれた誰か・・・、目覚めたらご連絡くださいね。




2009年08月01日(土)

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