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■ 【エッセイ】 バイバイ・・・ジジ!!
先月の25日、木曽の病院で入院中だった義父が、とつぜん様態を悪化させ他界した。 人の死と言うものは当然ながら、いつでも唐突に訪れ、私は今現在いろいろな意味で心情的にボロボロだ・・・・・・。 私は義父の事も義母の事も大好きだった。これは夫の両親だからという面目でもお世辞でもなく、理屈抜きで二人が好きだった。 私の両親とは全てが真反対だった義父や義母に、これぞ日本の父母!! という素朴さを感じており郷愁をそそられるのだった。
私の両親は二人ともとうの昔に他界しているし、私には息子以外の肉親は誰もいない。 東京にいる親戚達とは経済的余裕も無く、ずっと行き来ができておらず、たまに電話のやり取りくらいは有るものの、祖母の葬式以来ずっと疎遠になっている。
私にとって夫の両親や兄弟達が唯一身内と呼べる存在なのだ。 しかし、私たち自体が今、やっと暮らしを立て直そうとしていた矢先だったので、まだ生活に余裕も無く、やはり滅多な事が無い限り夫の実家や兄弟達の家にも自主的に行き来するのは困難だった。
義父は数年前に軽い脳溢血を患ってから、その後も二度ほど倒れ、近年では頻繁に入退院をくり返すようになった。そしてそのつど義父は痩せていき、又、弱っていった。 1年半ほど前には義父の入院と義母の心臓手術とが重なり、強い愛情で結ばれ片時も離れたことの無かった義父と義母は、ほんの2ヶ月の間だが離れ離れになってしまい、私たち夫婦は双方の病院を行ったり来たりしながらも、互いの安否を気づかい、涙ぐんでいた両親を可哀想で見ていられなかった。と共に、こんなに長い間愛し合えている夫婦が羨ましくもあった。 何時もかつも出かける時は義母と一緒で、それはそれは仲のむつまじい夫婦だった。
私が初めて会ったころの義父は、厳格ながらもユーモラスで温かく、元気に釣りやパチンコなどを楽しんでいた。 薮原のお祭りでは、獅子の巻き手として、絶大な力量を見せていたという武勇伝もある。 私は夫と一緒に暮らし始め14年が経ったが、残念ながら義父が獅子を巻く姿は一度も見られずじまいだった。
ここまで書いたところでお客が来そうだ。 続きは又明日書くことにする。
2006年10月03日(火)
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