日記帳




2010年05月22日(土) にとおうものは

奈良と京都、日本の古都を二都巡り。でも、神社仏閣には目もくれず。
毎度毎度、会期終了間際に殴り込み……じゃなかった、滑り込みを掛けるのはやめてもっと計画的になろう、と思うのだけれど、思うだけで進歩がありません。期間限定と但し書きの付くウィッシュリストを作る時には、もっと余裕を持たねば。

「平山郁夫展」
・於:万葉文化館にて(奈良県)
・この方の作品というと、吸い込まれるような青が脳裏に浮かびます。闇よりも、夜よりも、もっと深い青。
・熱波よりも、静けさを感じる砂漠の風景。前にじっと立っていると、自然と言葉少なに、しんしんと胸の内が澄み渡ってくるような、そんな感慨を覚えます。
・画面の奥から、煌々と灯りが漏れてくるような気がして、思わず何度も展示ケース上部の照明装置を覗きこんでしまった(決して不審人物ではありません。お行儀が悪くてごめんなさい)。
・会場に辿り着くまでの、周遊バスのあまりに複雑な動きには呆気に取られてしまいました。名所を欲張ってあちこち周ってくれるのは良いのだけれど、行っては戻るわ(料金も戻るわ)、待機はするわ、予測のつかない動きはなかなかスリリングでありました。
・お昼ご飯に何気なく注文した素麺が思いの外美味でありました。すっかり失念していましたが、奈良は素麺の名産地でもありましたね……(え、だから頼んだんじゃなかったの? と呆れる同行者)。


「植田正治写真展」
・於:京都伊勢丹「えき」にて(京都)
・自分でも趣味でカメラを持つようになって二年と少し。でも、写真展を見に行くのは、実は初めてでありました。
・しかし、モノクロ写真は格好が良い。ずるいくらいに格好が良い。
・砂丘で撮られた作品群の、どこか別の星めいた舞台装置と、ごく日常的な表情をした被写体との落差。写真になってしまうと、白くてさらさらした背景にモデルとなる人物、という案外シンプルな出来上がりなのだけれども、実際の撮影風景を想像してみると、そちらの方が面白い(というか、シュールというか)ように思えてきます。
・見知らぬ場所、見知らぬ時代、でも確かにそこにあったもの(人物や事物だけでなく、温度や空気のようなもの)を一瞬にして永遠に変えてしまえるのが写真というものの持つ力。そう思うとシャッターを切ることが愛おしくなるような、反面恐ろしくなるような。
・ついつい、調子に乗ってトイカメラなんぞ購入してしまいました。そうかフィルムなのか、セットできるかしらん……。



2010年05月03日(月) 月曜美術館

遠方から来訪する友人を出迎えるついでに、京都へ行ってきました。
我が両親が数日前に挑戦するも、雨の中一時間半待ちの苦行に敗北を喫した地、京都国立博物館の「長谷川等伯展」へ。貰い受けたチケットを胸に、リベンジです。
開館5分前には到着するも、会場は既に長蛇の列。入口付近には「60分待ち」のプラカードを掲げた職員さんの姿が。でも引き下がる訳には参りません。貸していただいた日傘を左手に、持参した文庫本を右手に、人工池の周りをうねうねと迂回しつつ、順番を待ちます。京都で読む森見登美彦氏、というのは、ぴったりはまるような、はまりすぎてずれてしまっているような、乙な趣がありました。
さて、無事に潜り込んだ肝心の展示はというと、きんきらした屏風絵や、仏画には正直あまり興味を惹かれないのですが、「松林図屏風」の前では、さすがにしばしぼうっと立ち竦んでしまいました。余白をも取り込んだ、あるいは余白を恐れない美しさ……と首を捻るも、膝を叩くような表現は、残念ながら思い付かず。ただひとつ言えるのは、展示室を端まで見て回って、思わずもう一度引き返して二度見したくなる作品にはあまり出会ったことがないなあ、ということ。なんとも名残惜しい、と思ったのも、あまり無い経験でした。
あ、あとはお猿さんが愛らしかったです。

友人との合流までにはまだ時間があったので、えいやっと足を延ばして兵庫県は御影にある香雪美術館へ。堀文子さん、という方の特別展です。まろやかで華やかな色彩に、眺めていると目が躍る、といった風。絵に添えられた、ご本人の文章がまた静謐で美しい。罌粟の絵をあしらった一筆箋が販売されていたので、母上へのお土産に、ひとつ購入して帰ることにしました。

トランシーバーのように携帯メールで連絡を取り合いつつ、友人とも無事に再会し、紅茶とブルーベリーのタルトを賞味して、本日は〆。





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ほたる